第 3 章 「四風亭」
ファインコルトは、庭園のあずまや「四風亭」にかがり火を灯す準備を終えた。後は式典当夜になってから薪を放り込めばいい。
ロンはあずまやの裏に積んだ薪が乾燥していることを確かめている。
遺跡から帰ってきたロンの顔には、ウィルストロングの供を無事に果たした誇らしさがあった。
今日の経験を、ロンが自信をもって自分のものにするため、遺跡であったことは聞かずにいてやろう。そう考えながら、ファインコルトはいつものように館から死角となっている切り株に腰掛けた。
四風亭は、かつて、原生林の中、村人達が狼横手と呼ぶ小広場に建っていた。
この地方では産出しない白い石で作られた基壇と、左右二列、八本の列柱。うっそうとした暗い森の中に忽然と出現する白い神殿風の構築物。
季節ごとに催される村人達のレクレーションの場であり、村の伝統行事「時のおうな祭」の場。
そして子供達の冒険の場でもあり、恋人達の語らいの場でもあった。
ファインコルトは帽子を脱ぎ、髭をしごいた。
移設された四風亭を眺める。
ここに佇むとき、いつも同じ記憶をなぞるのが習慣となっていた。
「旦那様、お呼びでしょうか」
「おまえ、あのあずまやを移設しないように言っておるそうだな」
それは、新しい館の主、ウィルストロングに仕えることになってしばらくしてからのことだった。
「はい、畏れながら、あの四風亭は……」
「地下に村の水源があるというのだな。くだらぬことを。そうだとしても、あずまやの移設が、地下水と何の関係がある」
「お言葉ではございますが、四風亭と教会と井戸とは、とても重要な位置関係にあると言い伝えられて……」
「黙れ! 使用人であるおまえの迷信など、聞くつもりはない!」
アルツミラー家の庭師であるファインコルトは、それまで不満を漏らすことなく、領主に仕えてきた。
前の伯爵からは庭の管理を任されていたし、庭のことでアイデアがあっても、まずはファインコルトに相談を持ちかけてくれた。
しかし、新たな領主、ウィルストロングはファインコルトを庭の掃除屋くらいにしか扱わなかった。
空気の流れや水の流れ、土の性質や岩盤の様子などはもちろんのこと、どこにどういった植物の群落があるか、狐の住処がどこにあって、鹿の通り道がどのように繋がっているのか、ということまで熟知していたにもかかわらず、一言もそういったことについて聞かれることはなかった。
そして、鞭打たれたファインコルトの背中の傷が癒える頃、四風亭は森のはずれに移設された。
館から望む庭園の点景として。
かつて、森の中の四風亭がまとっていた幻想的な物語の衣を引き剥がされて。
子供の頃のファインコルトが信じていた、森の小さな精霊達の舞踏場という伝説を生んだ厳粛さも打ち壊されて。
ここで過ごした忘れられない夜もある。
八年前。病に倒れた妻パーラを弔った次の夜。
まだ幼かったロンと、ふたり残された家族として最初の話をした。
星のきらめきが、かすかな金属的な音をたてているかのような寒い夜のことだった。
「庭は目で見える形にこだわるより、心で見ることができるかどうかが大切だ。中身のない演出より、暖かい感動を得られるかどうか。いいか。庭は自然を扱うもの。木や草や、無数の生き物を扱うのが庭づくりだ。むしろ、自然の営みに共に参加すると言った方がいいかもしれない」
母親の死の意味を、まだ芯から理解することさえできない幼いロンには、そんな父親の言葉は受け止めようもない。
ファインコルトは、妻を失った悲しみを、やるせなさを、もって行き場のない怒りを、庭園についての自分の思いを息子に矢継ぎ早やにぶつけることで紛らわせようとしていたのだった。
「父さん。前に話してくれるって言ってた銀嶺川の秘密って?」
ロンの声が、寒さに震えていた。
「この森の奥、そうだな、半日ほど行くと、巨岩で覆われた小高い山がある。お屋敷の三階からは見えるぞ」
「へえ、父さん、お屋敷の三階に行ったことあるの!」
「あるさ、昔な。銀嶺川はその岩山の麓で生まれる。ゆっくりと森の中を流れてくるが、この先で地中に潜るんだ。狼横手よりもう少し奥の森の中で。地下を流れる伏流水になるんだよ。その地下水の一部が、教会の下を通って井戸に流れていく」
この話もロンにわかろうはずがない。
しかしファインコルトは、地面に、以前の四風亭と教会と井戸の位置関係を示す細長い三角形を描いてみせた。
「四風亭が以前あった狼横手の地下には、大きな岩盤がある。それに阻まれて地下の川は流れる向きを変え、教会の地下に至り、再び向きを変えて井戸に至る。つまり、地下の水脈がこんなふうに蛇行しているんだよ。そして、もう少し西に下った赤羽橋のところで地表に出てくる」
ロンが頷く。
「四風亭や教会や井戸は、この辺りの地下を流れている水の流れの、要の位置にあったんだ。どうだ、不思議だろ。伏流水の向きが変わるところには村にとって重要なものがある。四風亭と教会。それに井戸。水霊モナエドの紋章の葉っぱが三枚であることにも、意味があるのかもしれないね」
「へえ」
「でも、モナエドの由来について、確かなことはわからない。誰にも説明できないことは、迷信ということになる」
「迷信って?」
「その三つのもののうち、ひとつでも欠けると、村に災いが降りかかると言われているんだ。災いを避けるためには、水の精霊モナエドの力を借りなければいけない。そういうことだよ。でも、これだけじゃあ、何のことかわからないだろ」
「うん。でも、だからお母さんは死んだんだね」
楽しげな音楽や賑やかな声が、風に乗って流れてきていた。
館にたくさんの明かりが見えていた。
ウィルストロングの双子の娘達が、六歳になったことを祝う盛大なパーティを演出するために、ファインコルトが用意したかがり火もその中にあるはずだった。
「寒くなってきたな。さ、帰ろうか」
ファインコルトは自分の上着を脱いでロンを包み、今日は特別だ、と言って抱き上げた。