1、廃鉱山の少年
キンッ! キンッ! キンッ!
アライト王国最果ての地、アース鉱山。
この廃鉱山の坑道を照らすのは、古びたランプの灯りのみ。
奥からは、金属と硬い物をぶつける様な音が響き続けている。
キンッ! キンッ! キンッ!
坑道の奥では、ぼんやりとした光の中、小柄な少年がピッケルを振っていた。
小柄と言っても、ピッケルを振い続けてきた腕や脚には筋肉がついている。
キンッ! キンッ! ……
「フー。今日はこの辺でいいかな。お客さんも来る予定だし」
少年は独り言を言うと、鉱石の入ったトロッコを押し、坑道の出口に向けて歩き始めた。
▲
鉱山のすぐ近くには、鉱員達が暮らす家々が立ち並んでいる。
もっとも、今ここに住んでいるのは少年とその家族ぐらいだ。
アース鉱山は全盛期には、王国最大の鉱山と謳われていた。
しかし、そんなアース鉱山も、数年前に資源のほとんどが掘り尽くされてしまう。
鉱石が出なくなった鉱山に価値は無く、かつての熱気が嘘のように消えていった。
そんな寂れた住宅街の中を、先ほど坑道に居た少年は歩く。
そして、一軒の家の前で立ち止まると、勢いよくその扉を開け放つ。
「みんな、ただいま! ゲイルさんはまだ来てない?」
少年が家の中に向けて呼びかける。
「兄ちゃんおかえり!」
「まだ来てないぜ!」
少年の妹ミリィと弟ハイロが返事を返す。
さらに家の奥から女性の声も聞こえてくる。
「グレイ、おかえりなさい。怪我はないかい?」
肌が白く、ほっそりとした女性が顔を出す。
グレイの母リートだ。
彼女は病弱で働くことが出来ない。
家事は彼女が担当し、仕事はグレイが行っていた。
仕事と言っても打ち捨てられた鉱山に、わずかに残った鉱石を掘る仕事である。
稼ぎは少なく、生活費のほとんどは亡くなった父ランドの遺産だ。
それでも家族四人で暮らすことに不自由はなかった。
辺境の地で土地代はほとんどかからない。
そのうえ、定期的に生活用品を届けてくれる者がいる。
「ん! この音は……来た!」
グレイが外から聞こえる風を切る音に気付く。
あるものによって生み出される、独特な音を。
彼は今さっき入ってきたドアから、再び飛び出していった。
「こらー、お兄ちゃん! 土ぐらい払いなさい!」
ミリィの声はグレイには届かず、彼女は頬を膨らませた。
外に出たグレイは東の鉄門の方を見る。
東にはこの鉱山から一番近い村が存在し、彼の目当ての人物はこちらから来るはずだ。
鉄門は魔物の侵入を防ぐための物であるが、今の寂れた鉱山には魔物すら近寄らない。
立派だった金具部分も錆びつき、開閉に苦労するようになったので、今となっては常時開けっ放しである。
そんな錆びついた門の向こうから、夕陽を受けた大きな影がグレイの方へ迫ってきていた。
その影は大型の二輪車、後ろには貨物が入った四輪車が連結されている。
二輪車は悠々と門をくぐり、グレイの前に止まった。
そして、それの運転手は帽子とゴーグルを外し、目を輝かせる少年に話しかける。
「よう、グレイ! 元気にしてたか?」
「はい! この通り元気です! ゲイルさん!」
ゲイルと呼ばれた青年は土で汚れたグレイとは違い、キッチリとした制服を身に付けている。
制服の胸にはアライト王国のエンブレムが輝いていた。
彼は『運送騎士』と呼ばれる職業で、国民に荷物を運ぶのが仕事だ。
そのため、荷物を持って定期的に鉱山へやってくる。
「今回もちゃんと持ってきたぜ。魔鉱石とか、食べ物とか……って、お前にはこれが重要か」
ゲイルは貨物の中から新聞を取り出し、グレイに手渡す。
「わぁ! ありがとうございます!」
その場で新聞を読み始めるグレイ。
だが、その手はすぐに止まった。
新聞の一面がいつもと違い、ある告知で埋め尽くされていたからだ。
「なんだこれ? 新騎士試験……?」
「そうっ! それそれ! それが大事なんだよ!」
記事を読み上げたグレイに対して、ゲイルが喰い気味に叫んだ。
そして、得意げに説明し始める。
その説明を要約すると『冒険者に押され、威厳を失いつつあるアライト王家が、超好待遇で冒険者を王家直属の騎士として引き抜く』という事だった。
「あれっ? でも、ゲイルさん。この新騎士って何が仕事なんです? 冒険者と同じ魔物の討伐などが仕事なら、すでにある王国騎士が一応それにあたるはずですけど……」
「そうなんだよなぁ。王国騎士が貴族の坊ちゃん嬢ちゃんばっかになって、ほとんど飾りになってるのは知ってるだろ? まあ、それの対策だとは思うが、なかなか強引だ。優しさだけが取り柄と言われてる王が、下した判断とは思えないぜ」
「そ、そんなこと言っていいんですか? 一応、国に仕えてる人が……」
「大丈夫大丈夫! 誰も聞いてないって。それに俺も然るべき場所では、それなりの振る舞いが出来るんだぜ?」
上機嫌のゲイルは二輪車から降り、四輪車に固定されていた荷物を解き始める。
作業をしながらも、彼はグレイとの話を続けた。
「でさぁ、それにお前も参加してみないかって、話なんだよ」
その言葉を聞き、少年は応募要項の欄を探し読んだ。
しばらくして、グレイは新聞から目を離し提案に答える。
「これ……、結構、難しいですよ。条件がそこそこ厳しい上に、期限は丁度一年後まで。いや、期限はそこまででもないか……」
「そうか……、外の世界に行くいいきっかけだと思ったが……」
ゲイルは貨物を降ろしながら残念そうに呟く。
グレイは新聞をくるくると丸めてポケットに入れ、青年の仕事を手伝う。
「ここの暮らしも悪くないんだろうけど、ずっとここにいるのも……、あれじゃないか?」
「それは……、そうなんですけど。父さんが守った場所だし、まだ小さい弟妹もいますし、僕がいなくなるわけには……」
グレイの父ランドは、全盛期のアース鉱山を守るために派遣された王国騎士であった。
騎士の中でも真面目で、誰に対しても分け隔てなく接する珍しい男だった。
そんな彼は、惚れた鉱員の娘リートと両親の反対を押し切り結婚。
三人の子供を授かるも、後に戦いの中で散った。
ランドが戦いに赴く前に書いていた遺書に従い、彼の墓はリートとの出会いの地であるアース鉱山の近くに作られた。
それが、ソイル一家がこの地に住み続ける理由でもある。
「す、すまねぇ! またこの話になっちまった……。わ、悪気はなかったんだ……」
「いえいえ、全然気にしてませんよ! 僕も外の世界を見たいとは思ってます」
それから二人は他愛のない話を続けながら、貨物を降ろし、家に運んだ。
その後、グレイが採ってきた鉱石を四輪車に乗せ、チェックを済ませると、ゲイルは再び二輪車に跨った。
二輪車を眺めながら、グレイはぽつりと言う。
「そういえば、さっきの試験の受験条件に『S級道具の所持』がありましたね」
「そうか……。いくらグレイの頼みと言っても、この『ゲイルフィール』は譲れねぇ。というより、こいつの力を最大限に引き出せるのは俺だけだしな。こいつの方も俺を認めてるし。あっ、それより仕事が出来なくなっちまうか」
ゲイルが、跨っている二輪車のボディをポンポンと叩いた。
「あっ、そんなつもりじゃ! ただ、カッコいいですよね……。自分だけの道具」
この二輪車――『ゲイルフィール』はS級道具だ。
どこで手に入れたかは、グレイにも教えられていない。
S級道具――。
現在生産されている魔法道具と一線を画す魔法を発動できるものが、そう呼ばれていた。
入手方法としては、普段使っている道具が急に変化した、偶然見つけたなど、様々でハッキリしていない。
しかし、その出会いの有無で人生で選べる道が大きく変わる事もある。
「まあ、こいつのおかげで数少ない運送騎士になれた様なもんだしな。その力は絶大ってもんよ。いや、おれ自身もちゃんと訓練したけど。グレイもS級道具と出会えるといいんだがな」
「運送騎士は荷物を運びながら早馬より速く、長く動けないとなれませんからね。それには、よほど優れたA級の使い手か、速さに関するS級を持つ人か……。僕にもそれだけ力があればなぁ、なんて」
グレイは自嘲気味に笑う。
それを見てゲイルは真剣な表情を作った。
「なあ。もし、もしもだ。明日、道具とか、家族の事とか、全部解決するような事があったら、試験を受けてみるか?」
「……受けます。そんな事が起こるのなら、きっと誰かが僕に『やれ』と言っているんだと思います」
「お前自身はなんて言ってる?」
「……見てみたい。本や新聞の絵で見た景色を、この目で。それに試験に受かったら、父さんの残した物でなく、自分の力で生きていけそうだから……」
グレイの真剣な回答に、ゲイルはばつの悪そうな顔を見せた。
これは『急に空からお金が降ってきて大金持ちになったら何をしよう?』の様な、到底現実味のない妄想の話だからだ。
「すまん。俺のつまらない話で……。しかし『ゲイルフィール』は……」
「いいですって! 今日はゆっくりしていかないんですか?」
「わるいな、今日は早めに街にもどりてぇんだ。また今度、格闘の訓練もつけてやる」
そういうとゲイルは『ゲイルフィール』に魔力を籠めた。
それと同時に、辺りに風が巻き上がる。
「じゃあな! また次来るまで、達者でな!」
グレイは礼を述べ、風と共に地平線に消えていくゲイルの背中を見送った。
夕陽はほとんど沈み切り、もうじき夜が来る。
「外の世界……、か。前に隣村に行ったのいつだっけ……。ま、いっか。家に戻ろう」
開いた鉄門に背を向け、グレイはそそくさと家に帰った。
▲
「ただいま」
我が家に戻ったグレイは、リビングの椅子に腰かけた。
「おかえりー」
「ゲイルさんはもう帰った?」
ミリィとハイロがグレイの近くに寄ってくる。
「うん。まだゲイルさんが怖いの?」
「怖いんじゃなくて、ちょっと……、人見知りなだけ!」
「そうだそうだ!」
この弟妹は、ゲイルとグレイの戦闘訓練を見てからというもの、ゲイルに近寄らなくなってしまった。
「少し変わったところもあるけど、優しくて芯のある強い人さ」
「わかってるけど……」
「うーん」
顔をつきあわせる二人の後ろから、リートがやって来る。
「グレイお疲れ様。炉に魔力石を入れておいたから、シャワーを浴びておいで」
「母さん。力仕事なのに……」
「シャワーと料理に使う石なんて、たかが知れてるわ。母さんは大丈夫。さ、早く早く」
リートはグレイの背中を押し、椅子から立たせた。
グレイは渋々シャワー室に向かう。
シャワーには、『火魔法発生装置』と『水魔法発生装置』が用いられている。
この装置は『魔鉱石』を燃料に動き、それぞれ火と水を発生させる。
火魔法によって暖められた湯を被り、グレイは体を洗った。
彼は数分でシャワーを終えると、体を拭き、服を着てリビングに戻る。
リビングの机の上には、すでに晩ごはんの準備が整っていた。
「いただきます!」
「はい、どうぞ」
『ゲイルフィール』のスピードによって、隣村から届けられた野菜はまだ新鮮だ。
家には地下倉庫があり、そこならば多少野菜も保存がきく。
しかし、生で食べられる期間は短い。
グレイは生野菜のサラダを特に味わって食べた。
晩ごはんが終わって、ミリィとハイロはすぐに眠ってしまった。
グレイも後片付けを手伝った後、自らの部屋でベッドに寝転がる。
丸まった新聞を広げ、彼は再び試験の受験条件を見る。
期限までまだ時間があるが、今の彼の環境では難しいのも確かだ。
グレイは新聞の他のページも読んだ。
読んでいるうちに彼は眠気を感じた為、新聞を折りたたみ枕元に置く。
(……面白い話だ。父さんと同じ騎士か……。でも、僕には僕の生き方が……。明日も頑張らないと……)
グレイはそのまま眠りに落ちた。