万能統計士K
蓮舫と枝野幸男の前で己の所属する独法の存在意義に対して熱弁を振るう官僚の努力はむなしかった。二人に捨て言葉を吐かれた挙句、下手くそな字で「廃止」とホワイトボードに続々と書きこまれ、それを見た官僚が落胆する光景が散見された。
一馬は民主党の結論ありきのパフォーマンスにあくびを噛み殺しつつも、自ら所属する独法の正当性をいかに蓮舫と枝野に認めさせないかを思惟していた。
一馬が所属する独立行政法人「日本統計協会」に彼自身存在意義を見いだせなかったし、存在自体が国税の無駄なのは十分に承知していた。一馬はホワイトボードに「廃止」と書かれても文句をいうつもりはなかった。だから蓮舫の偉そうな言葉使いと枝野の物腰の柔らかさに隠れた頑迷さに逆らうことなく、あえて支離滅裂な説明と反論をもってして馬鹿を晒し、「廃止」の決定を享受するつもりだった。
馬鹿みたいに偉そうな蓮舫に馬鹿にされながら自分の独法が廃止されるのを渇望しつつ、彼とは逆に天下り先を死守しようと日頃は怠惰な公務員に似合わない獅子奮迅の努力を衆目に晒している醜悪な官僚を眺めて暇を潰していた。
官僚や仕分け人を眺めるのに飽きた一馬は、座り心地の悪いパイプ椅子に座っているにもかかわらず、船を漕いだ。
目が覚めると、九州新幹線長崎ルートで使用されるフリーゲージトレインの開発費用を仕分けしている最中で、長崎県職員と国交省職員がフリップを持って長崎ルートの正当性を証明する持論を展開していた。
「この表を見て頂ければ、長崎県に新幹線を作るのは妥当だということがわかります」と自信満々に国交官僚は言った。「鹿児島ルートが完成した以上、次には熊本・鹿児島両県に次いで発展している長崎に新幹線を開通させるのは当然のことです」
県内総生産 人口
福岡県 18兆円 500万人
熊本県 5兆7千億円 180万人
鹿児島県 5兆3千億円 180万人
長崎県 4兆4千億円 140万人
大分県 4兆2千億円 120万人
宮崎県 3兆5千億円 120万人
一馬はフリップを見ると、喉から出かけた言葉を押し込めて無視しようとは試みた。しかし、統計に関わる人間であるがゆえ、事実を指摘する欲求に逆らえなかった。それは一馬の統計士としての性だった。
一馬は挙手して、枝野からの指示を得るのを待った。枝野は一馬に気づいて指をさした。「何か言いたいことでも?」
「そのフリップは間違っています」
枝野がフリップを一瞥し、長崎県職員が一馬を睨みつけて言った。「どこが間違っているんだ?」
「長崎県の県内総生産の数値と大分県のそれは逆です。大分の方が長崎よりも総生産は多いはずです。大分が4兆4千億円で、長崎が4兆2千億円のはずです」
長崎県職員は呵呵と笑い反駁した。「君、長崎県の方が人口が20万人も多いのに、格下の大分なんかに負けるはずはないだろう?」
「長崎県は大分県よりも20万人人口が多いにもかかわらず、総生産では人口の少ない大分県の方が多いはずです」
きっと長崎県職員は、県内総生産の数字を各県の人口に比例していると思い込んで何も考えず、数値を大きな順に割り当てたに違いないと一馬は想像した。資料作成からして杜撰で手抜きなのが見て取れる。地方役人がこんな惨状では政府民主党が地方分権を実行しても地方にとってろくな結果にはならないだろうなと思った。優秀な官僚が地方を指導していく従来の三割自治体制の方がマシに思えてくる。
「一人当たりGDPで比較すると、大分県の370万円に対して、長崎県は289万円に過ぎないのです。100万円もの差があるのです」と一馬は言った。「大分の生産性は鹿児島・熊本をも凌駕しています。格下なのは残念ながら長崎の方ですね」
「確か、大分市は九州最大の工業都市だったね」と枝野は水を向けた。
「統計によると、大分県の工業生産額は3兆7000億円で九州では北九州を抱える福岡に次ぐ規模。対して長崎は1兆5000億円しかありません。製鉄所に製油所、石油化学工場、自動車工場、半導体工場、カメラ工場が集積している大分には昔からの工業都市であった北九州でさえ勝てませんね。長崎には三菱の造船所ぐらいしか工場がない」
「どうやら、長崎に新幹線は必要無さそうですね」と蓮舫は鋭い眼光を目にたたえて呟いた。
「統計によると」と一馬は言った。「有効求人倍率も大分の0.98に比べ、長崎は0.59にとどまっています。宮崎や鹿児島も0.5あたりしかないはず。九州においては福岡と大分以外にはろくに仕事がない状態です。新幹線が開通しても仕事を求めて都会に人口が流れ長崎の街が衰退するのがオチでしょうね」
「そんなはずはない」と長崎県職員は食い下がった。「長崎の方が大分よりもずっと知名度があるし、観光でも有名だ。観光客誘致のためにも新幹線は作られるべきだ」
「統計によると」と一馬は職員の馬鹿さに呆れつつも反駁した。「大分県の観光客数が5400万人に比べ、長崎県のそれは2800万人しかありませんね。長崎が観光県というのは統計から見る限り、幻想です。新幹線のない県でも5000万人以上観光客を集めることができるのですよ。新幹線と観光とはあまり関係がない、といえます。新幹線よりも観光地の魅力というものが大事だということです」
「そんなはずは……」と長崎県職員は肩を落とした。
「山口以東の人が抱いているイメージ的には、『福岡>長崎>熊本・鹿児島>>>>>大分・宮崎』というのが定説です。事実、大分宮崎は裏九州と呼ばれています。しかし、統計的には、『福岡>大分>熊本>>>>>長崎・鹿児島・宮崎』と認識するのが正しい。長崎の人は知名度や歴史という過去の栄光にしがみつきプライドだけは高い割に、自県の現状を把握出来ていないし、目まぐるしく成長する経済情勢についていけていない。長崎県が固執する新幹線建設のような土建屋重視の箱物行政は今の長崎県の発展には何の役にも立たないでしょうね」
長崎県職員は何も反論できずに静かな怒りを腹の底に蓄えていた。
蓮舫などその他の仕分け人が言葉を交わすために枝野のまわりに集まってひそひそと話をすると、仕分け人の一人は背後にあるホワイトボードの「長崎新幹線用フリーゲージトレイン開発事業」と書かれたすぐ隣に「廃止」と書いた。
それを見た長崎県職員は肩を落として会議室の外へと去っていった。
それを見計らった枝野が入れ替わるように一馬に近づいた。「君は誰で、どこの独法に務めているんだい?」
「日本統計協会に務める片山一馬と申します」と一馬は答えた。
「君のことを『万能統計士K』と呼ばせてもらうよ。KはカズマのK。そしてキングのK」と枝野は言った。そして、枝野は部下に指示してホワイトボードの「日本統計協会」のところに「事業継続」とマジックで書かせた。
「やれやれ」と万能統計士は嘆息した。「本当は仕事辞めたかったんですけどねえ」
「馬鹿な事業を国税で運営する官僚が多い中、まれに役に立つ独法を見つけたと思ったのになあ」と枝野は一馬の肩を叩いて言った。「それなら、いっそのこと仕分け人にならないか?」
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