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醜い娘

作者: 安栖 咲

 昔々あるところに、醜い顔をした一人の娘がいました。娘はちょうど花盛りといった年頃でしたが、村の誰よりも醜いために家族や村の人々にいつも奴隷のように扱き使われていました。しかし、嫌な顔をしたことは一度もありません。何故なら、娘は大層美しい心を持っていたからです。しかしそのことには誰一人として気が付いてはいないのでした。


◇◇◇


 ある日のこと、娘はいつものように井戸へ水を汲みに行きました。家へ帰ると、娘の父が蒔き割り用の手斧を担いだまま、家の中で母と話をしていました。


「さっき、俺の所に醜い老婆が来たんだ。そして、どうか私の顔に刺さっている棘を抜いてくれませんか、と言うんだ。でも、断ってやったよ。何故って、あの老婆は醜かったからさ」

「醜いって、どんな風にさ」

 尋ねた母に、父は面白そうに笑いました。


「腰は地面に付きそうなほど曲がっていて、顔は皺だらけ。おまけに身体のあちこちにあるできものからは膿が出ていてとんでもない悪臭を放っているのさ。歯はほとんどなかったし、辛うじて残っている歯は黄ばんでいた。髪だって、薄汚い白髪がぼうぼうと伸びていて、虱が一杯いたね。俺たちの娘が年を取ったら、きっとあんな老婆になるだろう」


「おお、嫌だ。あんた、その老婆を相手にしなくて良かったよ。ああ、わたしらの娘はそんな風になっちまうのかねえ。あんなに醜いのなら、いっそのこと生まれてこなければ良かったのに」


 両親の心無い言葉に、娘は傷ついて泣いてしまいました。しかし、自分を憐れんで泣いたのではありません。苦しんでいるのに邪険に追い払われてしまった老婆と、醜く生まれてきてしまったがために実の両親にまで生まれてこなければよかった、とまで言わせてしまったことに涙したのでした。


 娘は泣き止むと直ぐにいつものように仕事を始めるのでした。娘はいつでも、醜く生まれてきた自分が悪い、自分が醜いせいで両親にも憎まれているのだと思っているのでした。心優しい娘は今までで一度も周りの人を悪く思ったことがないのです。


 針仕事を終えた後、娘は森へ果物を採りに出掛けました。母の言いつけで、日が暮れるまでに籠一杯になるまで採って来なければならないのです。


「お嬢さん、そこのお嬢さん」


 突然後ろから声をかけられ、娘は驚いて振り返りました。そこにはいつの間に立っていたのか、腰の曲がった醜い老婆が娘を見上げていました。


「お嬢さん、どうかこの顔に刺さった棘を抜いてくださいませんか」

 老婆は膿みだらけの顔を娘に近づけました。その老婆は、どうやら父が話していた老婆のようでした。確かに醜く、全身から悪臭が漂っています。しかし娘は嫌な顔をするどころか優しく微笑みました。


「はい、もちろんです。少し、動かないでくださいね。・・・・取れましたよ」


 娘は老婆の顔から膿みまみれの棘を抜いて見せました。老婆は嬉しそうに笑い、言いました。

「ありがとう、優しいお嬢さん。お礼にどんな願いでも叶えましょう。私にはどんな願いでも叶えられるのですよ」

「そんな、お礼なんていりません。さようなら、お婆さん」


 娘は久しぶりにお礼を言われ、とても嬉しそうでした。老婆もつられるように笑みを浮かべましたが、その顔は先程よりも心なしか醜くなったようにも見えます。


 娘は果実を集め終わると笑顔で家へと帰りました。

「お母さん、ただいま。遅くなってしまって、ごめんなさい。でもね、今日は沢山果物が採れたの。美味しそうな木の実もあったから、お夕飯のスープにでもいれましょう」


 母は不機嫌そうに縫っていたものをテーブルに置きました。

「遅いっ!もうとっくに陽は暮れているんだよ、私は日が暮れる前に帰ってこいと・・・」

 振り返った母は途中で言葉を切り、大きく目を見開きました。叱られると思って俯いていた娘は、不思議そうに顔をあげました。


「お母さん?」

 娘が問いかけると、母は小さな声で尋ねました。


「あんた・・・本当に、あんたなのかい?」

「どうしたの?勿論、私はお母さんの娘よ」

 娘が答えると母は娘を上から下まで見て、突然外に飛び出しました。やがて戻ってきた母は訝しげな顔をした父を連れてきていました。しかし娘を見ると父もまた、驚いて母を見ました。


「ね、本当だっただろう?私達の娘が、美しくなったんだよ!」

「ああ、驚いたことに!こりゃあ村でも一番の容姿だぞ」


 娘はそれを聞き、慌てて自らの顔に触れました。確かに吹き出物だらけだった肌はすべすべと滑らかで、潰れていた鼻はツンと高く、厚ぼったかった唇は厚すぎなく美しい曲線を描いているようでした。鏡を見ても、もう元の醜かった面影は見当たりません。鏡の中に映っている自分は、心の底でずっと望んでいた美しい顔でした。

 娘は鏡に向って微笑んでみました。すると、鏡に映った娘はまるで花が咲いたように微笑みます。思わず、娘の目元には涙が浮かび上がりました。


「おや、泣いているのかい?とっても綺麗な顔になれたのだもの、仕方がないかね」

「そういやあ、お前はどうしてそんなに綺麗になったんだ?」


 父の疑問に、娘はハッと息を飲みました。美しい顔に浮かれていましたが、確かに何もなく美しくなれることはありえません。娘には、一つだけ心当たりがありました。


「きっと、お婆さんだわ。私は何もいらないと言ったけれど、きっと私が美しくなりたいと願っていることを知っていたのよ」

「お婆さん?それは、誰のことだい?」


 娘は説明しようとして、少し黙り込んでしまいました。両親がお婆さんのことを悪く言っていたことを思い出したのです。


「どうした」

 父に声をかけられ、娘は慌てて顔をあげました。今までは、こうして黙り込んでしまうと、容赦のない平手打ちが飛んできていたからです。ですがその日は違いました。父はただ、優しげな顔でじっと娘が答えるのを待っているのです。娘は一度も、父の優しげな顔など見たことがありませんでした。生まれたときから醜い娘は、ずっと蔑みの目を向けられていたのです。


 初めて向けられた表情に戸惑いながらも娘は口を開きました。

「朝、お父さんが話していたお婆さんのことだと思うの。森で会って、私は棘を抜いてあげたわ。お礼をすると言われたけれど、大したことはしていないから断って別れたのよ」


 両親は顔を見合わせました。

「お前、あの醜い老婆と会ったのか?そして、棘を抜いた?」

「ああ、そんな。こんなに綺麗な娘が醜い老婆の側にいただなんて」


 それを聞き、娘は不思議な気持ちになりました。今までは私のことを心配してくれたことなんて、一度もなかったのに。こんな風に優しい顔を向けられた事だってなかったのに。それに、困っている老婆に親切にしたというのに、老婆を非難されるとは娘は思ってもみませんでした。

 不思議な気持ちは、だんだんと大きくなっていくようでした。


「大変、もうこんな時間。そろそろお夕飯の支度をしないと」

 娘が立ち上がると、両親は急いで娘を椅子に座らせました。


「お前は座っていておくれ。私が用意するからね」

「さあ、俺は水を汲んでくるからな。飯が出来るまで座っていてくれ」

 いつもとは正反対の扱いです。


 翌朝も、両親は娘に優しく接してくれました。娘の美しい指先に少しでも傷なぞ付けられないとばかりに、針仕事すらさせないのです。


「ああ、今日は天気がいいね。お前は綺麗な花でも摘んでおいで。きっとお前に良く似合う冠が編めるよ」

 母は随分と上機嫌なようでした。娘は昨日の老婆を探そうと思い、素直に外へ出かけました。娘が外へ出ると、薪を割っていた父が笑顔で近づいてきます。

「どこへ行くんだい?」


「森へお花を摘みに行くの。お母さんが、そうしたらいいと言ったから」

「そうか、それはいいな。いや、やっぱり今日は町に行かないか?お前に新しい服を買ってやろう」


 父は家に財布を取りに戻り、母を連れてきました。三人は町へと歩いていきます。その途中で村の人たちに会いました。村の人々は美しくなった娘に驚き、とても優しく声を掛けてくれます。いつもは目を合わせることすら嫌がっていた青年達も、その日は頬を染めて娘の隣を歩きたがるのでした。


 町へ着くと、両親は綺麗な服を何着も娘に見繕ってくれました。いずれも、今までは着たことのないような美しい服でした。

 娘は買ってもらった中でも特に気に入った服を着て村へと帰りました。村娘達は美しくなって真新しい服に身を包んだ娘に羨望の眼差しを向けていました。その視線に落ちつかなそうに辺りを見回していた娘は、足の悪い老婆が倒れこむのを見ました。娘は老婆の下に駆け寄り、手を貸して立たせてやりました。


「お婆さん、大丈夫ですか?怪我はしていませんか?」

「ええ、大丈夫よ綺麗なお嬢さん。ありがとう」


 両親は娘を見て、言います。

「この子はなんて優しい娘なのだろう。器量が良くて、気立ても良くて。自慢の娘だね」


 娘はそれを聞いて昨日の不思議な気持ちが湧き上がってくるのを感じました。いつもであれば母はきっと、「自分のやることも終わっていないくせに他人のことなんて構うんじゃない」と叱りつけ、娘を蹴飛ばしていたでしょう。


 娘はそのとき、気が付きました。確かに自分は美しくなったけれど、変わったのは容姿だけだと。心根は、やっていることは美しくなる前となにも変わってはいないのだと。

 では、何故周囲の人の接し方は変わってしまったのだろうか。娘は、考えました。そして、分かったのです。周りの人が見ているのは、容姿だけなのだと。


 それが分かった途端、娘は森へ向って駆け出していました。

「お婆さん!お婆さん!」


 娘は必死に叫びますが、昨日の老婆は見つかりません。やがて、木々が開け一度も来た事のない美しい湖が目の前に現れました。その畔に佇んでいるのは、腰の曲がった老婆。間違いなく、昨日の醜い老婆でした。


「お婆さん」


 娘が声をかけると、老婆はゆっくりと振り返りました。昨日と同じ、醜い顔のままでした。

「こんにちは。棘が刺さっていた所は痛くありませんか?」

「こんにちは、お嬢さん。大丈夫ですよ。どうやら、願いが叶ったようですね」

 

 娘は頷き、困ったように俯きました。

「やっぱり、お婆さんがこの顔にしてくださったんですね。とても、嬉しかったです」

 老婆は首を傾げ、娘の顔を覗き込みました。


「嬉しかった?では、今は嬉しくはないのですね」

「・・・はい。私は今まで、醜く生まれてきたから周りの人は私を蔑むのだと思っていました。それは確かに、正しかったようです。私が綺麗になった途端、接し方が変わりました。それでも私自身は、何も変わっていないのに・・・。お婆さん、私を元の顔に戻すことは出来ますか?」

 老婆はゆっくりと頷くと娘に優しく微笑みかけました。


「いいのですか?」

「はい。私は、人は容姿だけで美しい、醜いと決まるのではないと思いましたから。私は、たとえ容姿が醜くても心は美しい人でありたい。そして、周りの人にもそれを知ってもらいたいのです。お願いできますか、お婆さん」


「勿論です。・・・さあ、これで元の顔に戻りましたよ」

 そう言って微笑んだ老婆の顔は、心なしか美しくなったようにも見えました。水面に顔を映してみると、確かに娘は元の醜い顔に戻っていました。


「ありがとうございます、お婆さん」

「いいえ。私はこれで、棘を抜いてもらったお礼をしただけです。いつまでもその綺麗な心のままでいてくださいね、美しいお嬢さん」

 老婆の姿はふっと掻き消え、後には見慣れた森で呆然としている娘が残りました。


◇◇◇


「そうしてその娘は、村へ帰ったのよ」

 年老いた老婆はその醜い顔を子供達に向け、優しく微笑みました。腰は地面につきそうなほどに曲がり、顔は皺だらけです。しかし子供達も嬉しそうに笑いました。


「その人は、その後どうなったの?」

 幼い少年の質問に、老婆は少し考える素振りを見せました。


「そうね、その娘はいつまでも醜いままだったの。だけど心は綺麗なままで、やがて村の人たちの心も綺麗にすることができたのよ。そして娘は、村一番の美しい人と結婚をしたの」

 笑顔を浮かべた老婆に少女達はうっとりと息を吐き出しました。


「それは、顔が?それとも、心?」

「どちらも美しい人よ。そうだわ、その人はね、始めから醜い娘の美しい心を知っている人だったんですって」

 秘密よ、言いたげに老婆は指を一本立てます。子供達は大きく頷きました。


「ねえ、娘が会ったお婆さんって、魔法使いだったの?」

 子供達の質問は、尽きることがありません。しかし老婆はそれが嬉しいようでした。


「ええ、きっと。そのお婆さんが醜かったのは多分、今まで色んな人たちの醜さをもらっていっていたからなのね。娘が醜い顔に戻ったときはそのお婆さんは美しくなったみたいだったから」


「・・・わたし、そのお婆さんに会いたい」

 ぽつりと、一人の少女が呟きました。その場の全員が、その少女を不思議そうに振り返ります。


「それは、どうしてかしら」

 老婆が尋ねると、その少女はにっこりと笑いました。


「あのね、心の美しさのほうが大切だって教えてくれてありがとうって、言いたいの!」

 少女の言葉に老婆はとても嬉しそうに笑いました。


「素敵だわ。そんな風に思ってもらえて、きっと娘もお婆さんも喜んでいるわね。・・・さあ、もう直ぐ日が暮れてしまうわ。お家に帰りましょうね。みんな、いつまでもその綺麗な心のままでいてね」


 老婆の言葉に、子供達は元気よく返事を返しました。その子供達を見守る醜い老婆の笑顔はとても美しく、まるでいつかの娘のような優しげな顔でした。

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