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エンザイ

作者:要徹
 毎日変わらぬ日常。人波にもまれて、奴隷船に乗るかのように体を他者と密着させ、奴隷主のもとへと向かう。退屈な日常に、少しの刺激でもあればいい。男は、そんなことをいつも考えていた。男のその願いは実現する。痴漢をしたという罪に問われることで。
「この人、痴漢です!」
 いつもの車内で不意に発せられた女の言葉に、男は驚きを隠せなかった。周囲から刃のような視線が男に刺さっていく。俺はやってない、そう言おうとするが、自分と同じ奴隷たちから浴びせられる威圧感によって何も言えない。数の暴力に近い。
女にしっかりと手を掴まれ、最寄りの駅に到着したところで男は車外へと引きずりおろされてしまった。
 駅のホームに出ると、通報を受けた駅員が険しい顔をして、そして汚いものを見るかのような目をしてやってきた。ホームにいる人間も、皆が駅員と同じような顔と目をしている。
 男は狼狽した。こんなことで社会的制裁を受けるのはまっぴらごめんだった。逃げ出そうにも、女は彼の手をしっかりと握っているし、仮に手を振り払うことができたとしても、すぐに取り押さえられてしまうだろう。それに、逃げることは罪を認めることでもある。
「ちょっと、駅員室まで来てもらいましょうか?」
 嫌悪感をあらわにし、駅員は男に吐き捨てる。
「違う。私はその女に痴漢なんかしていない!」
「いいですから、とにかく行きましょう」
 何がいいのか。男にとっては良くない。
 男の抵抗も虚しく、駅員室へと、手を引かれるがままに連れて行かれた。これから彼を待っているのは、何の言い訳も聞かぬ、無慈悲の裁判所だ。
 駅員室に辿りつくと、女は泣きながら事情を説明する。尻を触られただの、下半身を押し付けてきただの、男にとって事実無根の話をだらだらと続ける。嘘をここまでリアルに話している女は、とてつもなく恐ろしい。泣きながらも、女はかすかな笑みを浮かべているように感じられる。
 涙と嘘という二重の武器によって、男はどんどんと傷つけられ、アリ地獄の中に吸い込まれていくようだ。合間、合間に口を挟もうとするが、「後で聞きます」という言葉によってすべて遮られた。男の息の根が止められるのも、時間の問題である。
「なるほど。彼女はこう言っていますが、どうですか?」
 やっと男が弁解する番がきた。
「本当に俺はこの女を触っていない!」
 男はかぶりを振る。だが、駅員の表情はなに一つ変化しない。彼らにとっては、見苦しい言い訳をする馬鹿にしか映っていないのだ。
「でも、彼女は触られたと言っていますよ? いい加減認めたらどうですか?」
 苦笑いを浮かべ、駅員はため息をつく。さっさと面倒なことから解放されたい、そんな気持ちが彼の態度には内包されている。
 こうなれば、もう何を言っても無駄だ。
 黙りこくっていると、警察が駆けつけてきた。逃げられない。女は笑みを浮かべながらも、泣いているふりをしている。悪魔だ。
 ――本当にこの女を触っていないのに、なぜいわれのない罪で裁かれなければならない。
これからどうなるのか。慰謝料をふんだくられ、会社をくびになり、すべてを失うのだろうか。そんなことを考えていると、男は震えが止まらなかった。頭の外から追いやろうとするが、ヘドロのようにこびりついて離れなかった。
 肩を落としていると、男の手に冷たい手錠がかけられた。男の顔からは、生気が消えていた。
 終わった。そう確信した時だ。
駅員室の扉が開き、絶望の中に一縷の希望の光が射しこんだ。
「この人は、その女の人を触ってなんかいませんよ? 私、全部知っていますから」
 希望の光を射しこませたのは、天使のような女性だった。冤罪で裁かれそうになっている彼を救う、女神が現れたのだ。それから、彼女は淡々と男の無実を証明した。うそつき女は真実を話し、警察も納得をした。男は、彼女らから深い謝罪を受けた。
 女神に感謝を示すべく、男は彼女に近寄って言った。
「本当に助かりました。危うく、いわれのない罪で裁かれてしまうところでした」男は深々とお辞儀をして、感謝の言葉を述べる。「本当にありがとう」
「いえいえ」
 女神は神々しいまでの笑みを浮かべる。
「それでは、これで。これから仕事があるんですよ」
 鞄を手に取り、足早に駅員室を去ろうとする。
「ちょっと待ってください」
 駅員室を後にしようとすると、今度は救いの女神に手を掴まれた。愛の告白だろうか? 女神は目を輝かせ、そして小さく笑みを浮かべて彼女はこう言った。

「この人、痴漢です」
 満員電車の中では両手を高く上げ、
「私は誰も触りませんよー」
 というアピールを欠かしません。
 だって、そうしないと、痴漢冤罪が怖いですからね。
 触りたいなら風俗にでも、どこにでも行きます。
 そっちの方が賢いでしょう?
 ただ、少々お金はかかりますけどね。

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