暗がりの中、一匹の蛾が、明るい光を求めて彷徨っていた。
何せ田舎の上に周りが山々に囲まれていては、人間ですら光を見つけるのに少々苦労するであろう、そんな暗がりだ。蛾が行く宛ても定まらず、鱗粉をいっぱい翅や体に隙間なく引っ付けてあちらこちらを飛んだり、時折翅休めに地面に這い蹲っていても、なんらおかしいことではない。
蛾は羽毛状の触覚をわずかに動かしながら、ひっそり閑とした道路の真ん中に佇むことにし、地面へと降り立った。大きな茶色いくすんだ翅を広げて、その翅とあまり変わらない色の、太く丸い体を曝け出して、じっとその場に留まっている。同じ虫から言わせてみれば、こういった光景はごく頻繁に見かける当然の姿なのだろうが、人間からしてみれば無論「気持ち悪い」と、余程の蛾愛好家でない限り、口を揃えてそう言うだろう。
昼間では太陽に焼かれ、じりじりと熱いコンクリートの上も、真夏といえども夜風に晒されればひんやりと心地よい。ミンミンとうるさい蝉の鳴き声も、こんな夜中には聴こえてくるはずもなく、風に揺られて木々が静かに騒ぐ音だけがそっと辺りに響く。
ふと、蛾は突然翅を動かし、またもや空へ飛び立つと、少しだけ冷たい風に流れるように、ゆっくりと前へ進む。
そして、たどり着いた場所はひとつの自動販売機。
蛾が着いたころには、もう既に何匹もの昆虫や蛾が留まっていて、もぞもぞと蠢いている。チカチカと、不安定に光が強くなったり弱くなったりしながら、絶対に人を寄せ付けないような自動販売機に、虫たちはそっと翅休めをするように寛いでいる。
蛾も、それに仲間入りするように、肩身が狭い思いをしながらも透明のカバーガラスにそっと留まった。
何匹か、小さな昆虫がカバーガラスにぶつかっては離れ、またぶつかっては離れを繰り返していた。がつんがつんという、小さな音が断続的に続く。
蛾は特にそこから動くこともなく、ようやく安息の地を見つけたというように身動きひとつしないまま、道路の上にいたときのようにひっそりと佇んでいるだけだ。
すると、どこかから人間の高笑いする声が聴こえてきた。ふたつの声が聴こえてくる辺り、どうやら人間は二人いるらしい。
段々とその声は自動販売機の方へ近づいてきて、そしてふと笑い声がやんだかと思えば、「うわ、気持ち悪い」という言葉が一方から吐き捨てられた。その言葉に、ぴくりと身じろぎする虫もいれば、気にせずに相変わらずカバーガラスにぶつかっては離れを繰り返している虫もいる。蛾の方は、依然として全く動かない。もちろん、その吐き捨てられた言葉に反感を持ったようにぶんぶんと激しく飛び回る虫もいた。しかし、たかだかこんな虫の死骸やらが付着したり落ちていたりする薄汚れた自動販売機だ。虫が大量に集っているのを見て、人間が不快感を覚えるのは当たり前なのかもしれない。
虫たちは、小さな眼で、狂気に満ち溢れた人間の姿をちらちらと垣間見る。しかし、人間たちはそんな視線になど気づくこともなく、もう一言、今度は嘲るように鼻で笑ってから、「ああ、なんて愚かで滑稽な姿なんだろうね」と言い捨てた。
そして、その瞬間、力尽きた一匹の翅虫が、命と共に地面へ落ちるのを、蛾は見逃さなかった。
---了 |