第7話 いじわるなひと
なにもはじまらないと思っていた。
すれ違って終わるのだと、そう思っていた。
なのに、突然はじまった。
仕掛けたのは定期を落としたあたし?
それとも探して拾ってくれたあなた?
「……どうしてだと思う?」
だから、それを聞いてるのに。
目の前のサワヤカなひとは、これまたサワヤカに笑って問いに問いで返してきた。
これはズルイ。
答えようがない。
「き、聞いているのはあたしです!」
「じゃあ、きみはそのためだけに俺を待ってたんですか。きみの学校が終わるのは四時くらいだろう。今は八時すぎ。四時間も定期のお礼のためにこんな寒い中待っててくれたの?」
急にまくし立てられた。
というか、かなり図星を差された。
たしかにあたしはここに四時間もいました。
だけど自分でもどうしてかわからないのに答えようがないじゃない。
知りたかったことははぐらかされて、質問の嵐。
困り果てて目の前の顔を見れば、相手はサワヤカに、かつ意地悪く笑っていた。
このひと、実は腹黒いのではないだろうか。
「待ってません! ここにいただけです!」
「ウソだ」
「ウソじゃないです。なんでそんなのわかるんですか」
「いつも見ているから」
呼吸停止。
なにもかもがフリーズした、ように思えた。
「いつも見てた。電車の中で。きみはすぐ席をゆずるし、つり革すらもゆずる。子どもには場所をあけてやったり、困っている会社員を先に乗せて、自分は一本遅らせたこともあっただろ」
目が合うだけだと、思ってた。
ただ、すれ違ってるだけだって。
「お礼をいうために、ホームから叫んだり。今どきそこまでいい子はいないよ。そんな子が初対面の、しかも恩のある人間にウソをついたりはしない」
まるで確定したみたいに、一部のスキもなく話が展開されて口を挟むこともできなかった。
寒かったはずなのに、頭が沸騰していた。
なぜだかわからないけど、恥ずかしくてしかたなかった。
これは間違いなく顔が赤くなっているにちがいない。
吐き出した息が熱くて、どうしようもない。
いつも見られていた。
電車ですれちがうだけの、彼に。
そんなこと、全然知らなかった。
「な、なんで、」
「なんできみを見てたと思う?」
ズルイ。
ほんとうにズルイ。
質問はまたしても質問で返されて。
突然の真実に戸惑うあたしをさらに混乱させた。
意地悪く笑う彼がいったいなにを考えているのかはわからなかったけれど、言われっぱなしはくやしい。
「答え、教えてくれないんですか」
「次までの宿題だね」
空っぽになったらしい空き缶を、彼は正面のゴミ箱に向けて放った。
スチール缶は銀色の弧を描いて、見事にゴミ箱に消えていった。
「三波奈緒さん。送ってあげられないけど、気をつけて帰ってください」
「どうして、名前、」
「どうしてだと思う?」
このひと、絶対意地が悪い。
「定期に書いてあったから、ですよね!?」
さすがのあたしもそれはわかって言い返した。
隣に座っていた彼は立ち上がって、サワヤカな笑顔を向けてくる。
「奈緒はかわいいな」
突然呼び捨てにされた名前と、その言葉に。
思わずココアを落としてしまったあたしをだれが責められるのだろう。
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