第61話 水色の空 あの頃の青
*** *
夜になれば目をとじて。
朝になれば目が彼を追った。
いつもの時間。
いつもの電車、車両。
いつものように彼はそこに立っていて、いつものようにあたしを見ていた。
まるで、あの頃に戻ってしまったかのような日々。
「おはよー」
「おは! なおちー、今日一時間目自習だってさ」
教室に入って、友達とたわいも無い会話をして。
窓側の席に向かっていく。
「おはよう、奈緒」
「おはよ、未羽」
先日席替えがあって、あたしは窓側のいちばん後ろ、未羽はその前の席になった。
少し開いた窓からやわらかい風が入ってくる。
未羽の髪を揺らして、あの夜を思い出させる。
あの夜から、時間はだいぶ流れてしまっていた。
このクラスでいるのも、あと一週間。
春はもうそこまで来ていた。
「奈緒、一時間目、どこか行かない?」
「どこか、って、あそこしかないと思うけど」
鐘の音。
センセイが扉を開ける音。
未羽の背中。
あたしの秘密は、いまだ守られたままだ。
開け放った扉の向こう側に、水の色をした空。
大きく背伸びをした、小さな未羽の体。
このまま羽根がはえてどこかにいってしまいそうだ。
「あたし、未羽にサボり癖つけさせたかも。まずいなあ、もう」
「いいのいいの。怒られるならふたりで、ね?」
花のにおいがどこからともなくやってきて、鼻をくすぐった。
あたしの胸に咲く花は、音もなく静かに朽ちていってしまったのだろうか。
あの夜、彼に抱きしめられて咲き誇った。
水に沈んで、溺れていった。
もう自分でも咲いているのかさえわからない。
「また、同じクラスがいいな。むしろ、ぜったい同じクラスじゃないとやだー」
「賛成。未羽がいないだなんて考えられないよ」
笑う未羽は、とてもキレイ。
あの夜が明けた朝も、未羽はこんな風に笑ってくれた。
ナツキとのことなんて、夢だったかのように思わせてしまうほど。
「あたしね、奈緒にはじめて会ったときすごくかわいいと思ったの」
「それはあたしのセリフだよ」
「転んで、笑っている奈緒を見ているのはとても切なかった。あたし、人と話すのが苦手だから、奈緒に話しかけたとき緊張して死ぬかと思ったんだよ」
あたしの、いちばん大切な記憶。
忘れられないあの空の色。
『痛いとき、笑わなくていいんだよ』
よみがえるあざやかな、もの。
「でも勇気を出して本当によかった」
「みは、」
「奈緒と友達になれて、本当によかった」
かわいい、かわいい未羽。
ヒロくんのすべて。
あたしのものには決してならない、彼のすべてを持つ彼女。
縁を切ってしまって、離れていけば、あたしはどれくらい楽になることができるんだろう。
この想いを知っても、未羽は友達と呼んでくれるのだろうか。
「あたしも、そう思ってる。未羽が本当に大事だよ」
彼女を裏切ることはできない。
失うことはできない。
『逃げるならば全力で俺を引き離してくれ』
くちびるに残った熱は、まだ逃げる決心をさせてはくれなかった。
「あたし、奈緒がいればそれでいいや。もう、本当にそれで……」
空を仰ぐ未羽の言葉が、含みを持って青に溶けていく。
彼女の秘密を知ってしまったあたしは、その痛みもわかっているくせに声をかけることができない。
『……一日でも良かったんだ。オマエが俺のものになるんだったら』
ナツキにはまったく会っていなかった。
だから、あの夜のあとがどうなってしまったのかわからない。
ただ未羽はいつものように笑っている。
強くて、キレイなまま。
あたしはいまだうじうじと立ち止まっては嘆くばかりで、なんとも情けない。
彼のいちばんになりえない。
それは紛れもない事実。
彼のすべてとなるひとは、こんなにもあたしを求めてくれているのに。
このまま、なにもかもが止まってしまえばいい。
そう願わずにはいられなかった。
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