第54話 聖者と罪人
『掌の上ならば 懇願のキス』
てのひらに落とされたキスの温度にやけどするかと思った。
続けて、ごめんと口にした吐息がくすぐったくて、変な声が出そうになった。
「っ、あた、し、泣いてないですよ」
「泣く寸前の顔が、頭から離れないんだ」
手は離されることなく、押し付けられたおでこが苦しい。
上がりつづける熱。
途切れることのない、あふれだしそうな、もの。
「俺は、きっと色々な人間を傷つけてきた。未羽のためにと言い訳をして」
夜が、深くなっていく。
懺悔する罪人のようにベンチに腰を下ろして、あたしの手を握ったままうなだれる彼。
立ち尽くすあたしは、まるで聖者にでもなったようだ。
電灯がチカチカと揺れる。
「未羽は俺のすべてだった」
つめたい彼の手が、あたしの温度を奪い去る。
ナツキがいっていた。
未羽はヒロくんが育てたようなものだと。
「でも未羽のすべては俺じゃない。俺であってはいけないんだ。わかっているのに」
それが、彼の罪。
高まっていた感情が冷えていくのがわかった。
彼は自覚している。
妹に対する感情を。
その花の名前を。
「自分を理性的な人間だと思っていた。だけど気がつけばまた、未羽に近づく人間をどうにかしようとする自分がいる」
未羽に近づく人間。
あたしとナツキ。
そして、動き出す計画。
「聞いただろう、ナツキから。俺はきみを骨の髄まで利用してやるつもりだった」
顔を上げた彼は、自分でひどい言葉を口にしているのに傷ついているように見えた。
このひりひりと痛むのは、あの最低な夜の記憶。
でもあたしはもう大丈夫。
ナツキや未羽がいてくれるから。
ここでは泣かない。
彼の前では、泣かない。
「あたしをナツキに差し向ける、話?」
「そうだよ。きみとナツキがうまくいけば、未羽のすべてはまた俺になる。だけど」
手を握ったまま、言葉を途切れさせたまま彼は立ち上がった。
彼の影で、電灯のひかりがとどかない。
目の前に夜。
獣の持つ、闇。
「奈緒の表情が、声が、温度が、俺をおかしくさせる」
離れていった手が、下に落ちる前に引き寄せられた。
視界が奪われる。
「ヒロ、くん?」
「……ナツキのところに行かないでくれ。頭がおかしくなりそうなんだ」
耳に直接落とされた言葉。
くちびるが耳に触れて、開いてしまった扉。
花が、あふれだす。
『掌の上ならば 懇願のキス。 さてその他は 狂気の沙汰』
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