7 シロップを作ってみました
「ただいまー!」
ユウコはリリアの家に到着し、他の客がいないことを確認するなり、元気よく告げる。一応、他人に気を遣うことはできるらしい。
「お帰りなさい、ユウコ。……なに、その荷物?」
ドアの隙間から俺たちのほうを見て、リリアが怪訝そうに言った。彼女には、こんなものを持ち帰ってくることは告げていない。
「材料だ。さあ、ちょっとお邪魔するよ」
「普通、持ち込むのは家主に尋ねてからにしないかしら?」
「まあそういうなよ、俺と君との仲じゃないか」
「……刺されたいということね?」
「そりゃ勘弁してくれ」
リリアはそう言いつつも、止めることはしなかったので、遠慮なく持ち込むことにする。俺とユウコ、ヴェーラの三人で二階へと運んでいく様を、リリアは暇そうに眺めていた。
……暇なら手伝ってくれよ!
もちろん、俺はそんなことは言えない。だって、金どころか家まで借りているのだから。だから手伝わされる側の立場である。
しかし、それもあと一週間のことだ。俺は屋台で儲けた利益で一店舗を構え、そこに美少女店員だらけの天国を作り上げる!
そうなれば、もうこの女に苦言を呈されることもなくなるだろう。会うことだって、そんなになくなるはずだ。
しかし、それはそれでなんだか物寂しいような気がしないでもない。
俺はリリアの姿を眺める。
澄ました顔は整っていて――いや、整い過ぎていて、険のあるようにも見えるほどだが、嫌な感じはせず凛としている。全身にローブを纏っていて、魔術師然としているせいか、どこかミステリアスな印象も受ける。右も左もわからぬ者が彼女の言葉を聞けば、陶然として惑わされてしまうかもしれない。
艶やかな黒髪は、ますます彼女の魅力を引き立てている。清廉で孤高の魔女。そんなイメージを抱いてしまう者もいるかもしれない。
文句なしの美少女である。
黙っていれば、可愛いんだけどなあ。
「……なに?」
彼女が小さく告げる。その表情も、初めて会ったときと比べれば、どことなく和らなくなっているように思われる。それとも、俺の心境が変わったのだろうか。
「ありがとうな。リリアがいなければ金もなかったし、こうして準備もできなかったよ」
「……別に。大したことはしてないから」
リリアはそっぽを向く。
照れてるのか? 照れてるんだよな?
いつもこんな反応を見せてくれるなら、最高なんだけどなあ。
「お客さんが来たら困るから、早く運んでほしいのだけれど」
「わかりましたよ、お嬢さん」
「それやめて、気持ち悪い。ヴェーラじゃないんだから」
心底嫌そうな顔をされた。どうやら、彼女もあのような歓待を受けたことがあるようだ。
そうしているうちに荷物もすべて運び終わる。三日分のものすべてを詰め込んだため、リビングはほとんど埋まってしまった。
さすがにこうなると、俺だって悪い気がしてくる。
が、昨日キッチンで寝たことを考えれば、そうでもなくなってきた。
これを機に、一緒に寝ることを打診してみてはどうだろうか。ユウコあたりなら快諾してくれそうな気がする。しかし、リリアを説得しないことには、どうにもならないだろう。
どうしたものかと考えていると、ユウコが俺のところにやってくる。
「ねえねえ、今日はなにをするの?」
「ああ、せっかく買ってきたんだから、シロップを作ろうと思う。時間もないしな」
「シロップ! じゃあ、できたらちょっとだけ味見していい?」
「ちょっとだけな」
「やった!」
ちょっと、なんて言いつつ飲み干しそうだ。そのときは給料から差し引くとしよう。
俺はそんなユウコの楽しげな姿を見つつ、キッチンにて準備を始める。昨晩は俺の寝床であったが、今は立派な調理場である。
それにしても、普通じゃない代物がたくさんある。信じられないサイズの大鍋やカメ、怪しい調味料など。もしかすると、トカゲのしっぽとか、魔術師っぽいものが出てくるかもしれない。
あんまりいじらないように気を付けつつ、俺は魔法を用いて薪に火を点け、水を入れた大鍋を熱する。どうやら俺はあらゆる魔法の才能があるらしく、こんなこともできるようだ。といっても、やはり氷の魔法が一番得意みたいである。
いまいちはっきりしないのは、全力で使ったことがないからだ。そんなことをすれば、国すべてが凍り付いて、人の住めない地域になってしまう。
「なにを茹でるの?」
ヴェーラが鍋を見ながら尋ねる。
可愛らしい感じのエプロンをつけていた。リリアの家にあったものらしい。……あいつ、可愛いところもあるじゃないか。あとでいじってやろう。
それにしても、美少女のエプロン姿は素晴らしい。それだけで家庭的な印象を受けるし、天上の存在とも言える美貌を持つ彼女たちが、いつもより近く感じられるのだ。
俺はそんなヴェーラを見ながら答える。
「ああ、瓶を茹でようと思って」
「え?」
「加熱殺菌しないと、菌が繁殖してしまうからさ」
「あ、そういうことね。なんだか本格的だね」
ユウコほど舞い上がってもいないが、ヴェーラも楽しげである。
それから俺は、箱から瓶を取り出していく。どれも綺麗なガラスの瓶だ。一つ一つ、鍋に入れて殺菌。
取り出したものを魔法でゆっくり冷却していく。急冷すると割れてしまいそうだったのだ。
それから水分をしっかり拭き取って、一つ一つ並べていく。
「ねえねえ。まだシロップ作らないの?」
「ああ、ちょっと待っててくれ」
俺は箱の中から、イチゴを取り出す。
季節外れで値段の割に美味しくはないものだが、かき氷と言えばイチゴだろう。これは欠かせない。それに店頭に置いておけば美しい色で目を引くこと間違いなしだ。
けれど並んでみれば、イチゴの色は綺麗な赤毛の前でかすんでしまう。やはり、俺の選択は間違っていなかった。
「これを洗って水けを切っておいて」
「うん。任せて!」
ユウコはよく料理を作っていたというから、こういう作業は問題ないだろう。俺は再び消毒作業に当たる。
「できたよ、次は?」
「イチゴの重さを測って、その1.1倍の量だけ砂糖を取ってくれ。大丈夫だよな?」
「もちろん、任せて」
さすがにユウコも計算はできるらしい。俺はほっと一息吐きながら瓶の処理に当たる。あまりにも大量にあるため、ヴェーラも手伝ってくれるものの、なかなか終わらない。
「まだまだあるね。あたしが手伝わなかったら、これ二人でやる予定だったの?」
「そういうことになるな。助かるよ」
ヴェーラは嫌がりもせずやってくれる。確かに、彼女の父が言っていたようにいい子である。
それにしても、瓶はいくつ買ったんだっけ?
ほかの材料と丁度になるように頼んだから、個数に関して俺は聞いてないんだけど……。
ざっと見回して、百以上あることを確認するなり、俺は数えるのを止めた。
そうしているうちに、ユウコは作業を終える。
「終わったよ、これをどうするの?」
「殺菌の終わった瓶に入れてくれ。砂糖とイチゴを交互に、万遍なく砂糖の中に埋まるような感じで」
「はーい」
楽しげに、彼女は言われた通りに進めていく。ぱっと見ただけだが、分量は合っているだろう。間違えるほどまで馬鹿ではないらしい。
だいたい一瓶にかかっている金額はイチゴと砂糖で2000ゴールドほど。そしてシロップは40杯分程度になる。つまり、かき氷にかかる値段はシロップだけで一杯50ゴールドということだ。
とはいえ、あくまで材料費だけを考慮したにすぎない。人件費や場所代、手数料、容器代それから税などが加わる。ああ、後は光熱費もそうか。リリアが払ってるものだけど。
となれば、多く見積もって150ゴールドくらいか。
氷自体の値段に比べれば、大したものではないな。市場で飲食可能な氷を買って1000ゴールドになるところを、俺ならば人件費以外ただにできるのだから、破格の安さで提供できることになる。経常利益はガッツリ増えるだろう。しかし、これでは400ゴールドで提供するのでは利益があまりでないかもしれない。SサイズとMサイズに分けるか。
儲けに目がくらんでいると、俺の思考を遮る、呑気な声が聞こえてきた。
「ティールさん、これをどうするの?」
「蓋を閉めて終わり」
「え?」
「あと一週間もすれば、綺麗なシロップができるよ」
「うそ?」
「ほんと」
「騙されないよ」
ユウコは砂糖漬けを作ったことがないらしい。そりゃそうか。保存食なら塩漬けにするだろうから。
一方、ヴェーラはすぐに気が付いたらしい。
「あ、水が染み出てくるんだ?」
「そうそう。塩漬けとかと一緒だよ」
「でも、これだけでできるのはなんだか信じられないなあ」
そういってヴェーラは笑う。
俺はふと思い出したので、説明することにした。
「ああ、浸透圧だ」
「しんとーあつだ? なあにそれ?」
ユウコが小首を傾げる。なんとも無邪気で可愛らしい。
「水に物が溶けると、濃度が全体的に均一になろうとするんだよ。料理でもかき混ぜたら均一になるだろ」
「粉が焦げて底にくっついたりするとやだよね」
「果物には水だけしか通さない半透膜があるから、砂糖の塊――かなり高濃度になっているところへと水が移動するんだ。このとき、微生物が利用できる水が減って、繁殖できなくなる。だから長持ちするんだ」
細菌が利用できる自由水が少なくなる――水分活性が低下することで、長持ちするのだ。とはいえ、もともと細菌が繁殖していてはどうしようもない。
「なるほどー。すごいんだね、しんとーあつだって」
ユウコがもっともらしく、うんうんと頷く。
「ユウコちゃん、ほんとうにわかってた?」
ヴェーラが苦笑し、ユウコは胸を張る。きっと、なんとなくわかったんだろう。もちろん、完全な理解など求めていないからそれで十分だ。
「さ、続きを頼むぞ。今日中に終わらせたいんだから」
そうして俺たちは再び作業に戻るのだった。
◇
作業を続けているうちに、昼下がりになっていた。室内の温度は快適に保たれているが、それでも疲れてくるのは当然だ。休み休みやっていたのだが、とうとうユウコは嫌になったようだ。
体を投げ出し、ごろりと横たえる。
「つーかーれーたー!」
駄々っ子のように、床を転がる彼女。
「あ、冷たくて気持ちいいかも」
床ならゴミもあるだろうに。いいのか、それで。
「あと少しだろう。頑張ろうぜ」
「だってティールさん、そんなこと言って、シロップを味見させてくれるのはどうなったのさ?」
ユウコは口を尖らせる。たしかに、先ほどから作っていたのは水分が出るまで放置するしかない。
今のところ、イチゴから水分がじんわりと滲み出て、しっとりした砂糖になった程度だ。とてもシロップとは呼べない。
一方、俺たちが今、瓶に詰めているのはレモンだ。輪切りにしたものを、同様の手順で砂糖につけている。
こちらには甘みが不足するかもしれないので、蜂蜜を少しだけ入れている。心持ち、まろやかになる気がしないでもない。
レモンも残り僅かになっている。けれど、もうユウコはすっかりやる気がないらしい。足を投げ出して、暇そうにしている。
スカートならパンツも見えるだろうが、残念ながらズボンなので、ちっとも嬉しくない。
俺は彼女をどうやって働かせようかと思案する。
「ああ、ユウコ。それならメロンでも切ってくれ」
「でも、どうせ漬けるだけなんでしょ? もう騙されないんだから」
「ちょっとだけなら食っていいぞ」
「ほんと!?」
「ああ、俺からのおごりだ」
ユウコは嬉しそうに、メロンを抱えていく。その分だけ給料から差し引くだけだし、好きなだけ食ってもいいんだがな。
今回はイチゴ、レモン、メロンの組み合わせでいく。練乳なんかも作ろうとは思ったが、農民たちは乳製品など食いあきているだろうと踏んでやめたのだ。
なにより、赤、黄、緑と色が良い。
それだけでおいしそうに見えるではないか。
やがてユウコは包丁を構える。
「ああ、中心にある汁は捨てるなよ、こして鍋に入れといてくれ。余ってる空の大鍋があるだろ?」
「わかったー」
ユウコは手際よくやってくれる。間違いなく、俺より料理の経験は豊富だろう。
普段はあんなだが、こうして家庭的な姿を見ていると悪くない。彼女に必要だったのは、魔王討伐の旅なんかじゃなくて、生活のための知識だったのではないか。そう考えれば、彼女は魔王の一番の被害者だったのかもしれない。
そうしているうちに、メロンは一口大に切られていった。
「んー……あんまり甘くないね」
ユウコはメロンを口にしながら、そんなことを言う。
「そりゃなあ。実の小さい、あんまり高くない代物だし。というかそんな高級品を使ってたら、儲けがでないぞ」
「そっかー、そうだよね。でもすごく美味しいものを食べてみたいとか思わない?」
「その着眼点は悪くないと思う。いや、実際にはそちらのほうが一品当たりの利益は大きくなるだろうな。ふんだんに果実を乗せて、特別に甘いシロップ。さらにアイスを乗せて――」
「じゅるり」
「ま、露店で出すようなものじゃないからな。いずれ店を構えたら、高級メニューとして1500ゴールドくらいで売り出そうと思う」
俺は今後の展望を述べた。成功することを信じているのは、俺だけではない。ヴェーラの父や、鍛冶屋のおっちゃん。そしてリリア。信じてくれた皆のためにも、俺は必ず成功させなければならない。
「ねえ、ティール。あたしもちょっともらっていい?」
ヴェーラが可愛くおねだりする。この少女は元気いっぱいなのも悪くないが、こうしてちょっと大人しく、ほんのりと嬉しそうに頼む姿も素敵である。
「もちろん。気が済むまで食べていいよ」
「ありがと」
ヴェーラは一つをつまんで、口に運ぶ。
「……たしかに、あんまり甘くないね。氷と一緒に食べるとき、これで大丈夫かな?」
「ああ、これから煮るから、少し味は濃くなると思うよ」
「こっちは煮るんだ?」
「砂糖漬けにしたとしても……どうせ全部潰れちゃって、固形分を取り出せないだろう? 溶かしちゃっても一緒だよ」
そもそも、手作りメロンシロップ自体あんまり聞いたことがないな。日本だと妙に値段が高いからだろうか。作りにくいのもあるかもしれない。
俺は先ほど切ったメロンの重さを測り、鍋に入れる。それから、砂糖を混ぜていく。
「これは試作品にしようか。どれくらい砂糖を入れればいいかわからない」
「じゃあ、じゃあできたら飲んでいいの!?」
「商品にはしないから、構わないよ」
ユウコは両手を上げて喜びを体現する。たったこれだけのことで喜んでくれるのは、素直に嬉しいものだ。
お高い高級品じゃないと嫌がる女性も少なからずいることを思えば、この少女がいかに純粋であるかがわかる。もちろん、単純であるとも言える。
「じゃあ、潰しながら煮てくれ」
俺はユウコに木べらを渡し、作業を任せる。もちろん、さぼりたくてそうしたわけではない。ユウコが楽しげだったから、そうしたのだ。
俺は残っている黄色い果実を瓶に詰め込む作業を開始する。
「どれくらい煮ればいいかな?」
「果肉が溶けたらいいんじゃない?」
「うーん……」
女の子二人の会話を聞きながら、レモンを瓶に詰める。
ああ、いいなあこういうの。学校祭のときとか、女の子と一緒になにかすることもなかったからな。
これが終わったら、今日はなにもすることはないな。夕飯時までには終わるだろうから、そうしたら自由だ。
思った以上に仕事はあったが、かき氷屋さんも悪くない。といっても、売り上げを出さなきゃ続けることもできないんだけど。
それでも、こんな時間が続けばいいなあと思うのだった。