外道探偵物語
※本拙作は、犯罪行為を推奨するものでは決してありません。
また、作中と同様の行為を行った場合、罰せられる可能性があります。
俺は、いわゆる『事件体質』というやつらしい。
ガキの頃からしょっちゅう事件の現場に遭遇し、それに巻き込まれてきた。
軽いもので言えば、窃盗や器物損壊。暴行や性犯罪なんてものは見慣れるほど見てきたし、立てこもりの場に居合わせたことなんかもある。
だから死体を初めて目撃したときも、たいして感じるものはなかった。ああ、ついに見ちまったか、くらいの感覚だ。
だけど得るものは何もないくせに、失うものはしっかりと失う。
時間だ。
事件に巻き込まれていた時間に、それが終わったと思ったら今度は警察の事情聴取。また時間が奪われる。なんでも、警察に協力するのは市民の義務、だそうだ。
だが、義務を果たせば権利を得られるはずだろう。
一般市民は、その生活を警察に守ってもらえれば十分だろうが、俺の場合、それじゃあ割に合わない。それ以前に、守られるべき生活が事件と義務によって乱され続けているのだから、本末転倒もいいところだ。
だから俺は、差額分を自分で回収することにした。
せっかくの体質、最大限活用させてもらうことにした。
住所不定、職業不詳。
そんな身分だが幸いなことに、金に困る生活は送っていない。
久々にやってきた北の地はもうすでに一面雪景色で、もっと厚手のコートを着てくればよかったと少し後悔した。
と言っても、まだそれほど寒さが厳しいわけではないし、必要なら新しく買えばいいだけの話だ。
それに基本、寒いのは徒歩移動のわずかな間だけ。問題視するほどのことではない。
鞄一つ手に、暖房の効いたタクシーから降りると、凍てついた風が頬を撫で、俺は足早に自動ドアを抜けた。
ホテル景世閣。露天風呂と豪華な食事が自慢の、今日の宿だ。
だが別に、ここへは旅行で来たわけではない。風呂も食事も存分に堪能させてもらうつもりではあるが、目的はまた他にある。
「予約していた工藤ですが」
フロントでそう告げると、お待ちしておりましたと係の女性がにこやかに対応し、用紙を一枚渡してきた。宿帳だ。
名前の欄に『工藤巧』と書き込み、続いて住所。
もちろん住所不定の人間に書くべき場所などなく、名前も当然偽名。旅館業法違反という立派な犯罪だ。
だが、ホテルの人間に真偽を確かめる術はない。
だからいつも通りすんなりと、そのまま俺は部屋へと案内された。
従業員が施設の説明を終え、部屋から出ていくと早速、俺は鞄から仕事道具を取り出し、テーブルの上に並べた。
言われなければ分からないほど小型なワイヤレスカメラとマイクのセット、十数点。
まあ、これらを『仕事』道具と呼ぶのは、真っ当な仕事で生計を立てている人間に失礼かもしれない。
だけど、失礼だろうが無礼だろうが、俺にとってはこれが金を稼ぐ手段だ。そして仕事としている以上、準備を怠るようなことはしない。
同じく鞄から取り出したタブレット端末を起動させ、各カメラとの接続状態を確認。感度良好、画像鮮明。どれも問題は見受けられない。
だからそれらを懐に忍ばせると、すぐに俺はホテル内の探索に出掛けた。
一般的な監視カメラは、おおよそ二つに分けられる。
その名の通り監視するためのものと、犯罪を抑止するためのもの――いわゆる防犯カメラだ。
そして、ホテルという施設に設置されているものは後者。堂々と設置し、監視の目があると犯罪者予備軍に主張することで、安全安心な空間を提供しているというわけだ。
しかし、それで必ずしも全てをカバーできているというわけではない。
あまりにも多ければ一般客の不信感・不快感につながるという点から、設置されているのはホテル内の要所要所だけだし、従業員しか立ち入れない場所は数も少なく、各部屋、トイレ、浴場や脱衣所などはプライバシー的に当然、設置はされていない。
そしてそういう場所こそ、俺の仕事場となる。
探索中、カメラの死角を見つけては、俺はそこに自前のカメラを勝手に設置した。
もちろん、これも確実に問題のある行為だ。だが問題として浮上しなければ、誰に咎められるわけでもない。
だからカメラは物陰に隠し、俺もまた誰にも気付かれないよう細心の注意を払いながら、作業を進めていった。
翌早朝、慌ただしく走る足音と声に、俺は目を覚ました。
といっても、それは別に外の廊下から直接響いてくるものではない。そんなものがベッドの中まで届くほど、このホテルは安い造りをしていない。
だからそれらは、つけっぱなしで枕元に置いておいたタブレットから発せられているものだった。
未だ冴えきらない頭を、半ば強引に仕事用に切り替える。ここからは迅速な対応が必要だ。
上半身を起こし、タブレットを手元に引き寄せる。
その画面には、警備室の大きなモニターのように等分された十数箇所のライブ映像。昨日仕掛けておいたカメラからの映像だ。
その中から、数人の従業員が集まっている映像を選択、拡大する。
一様に動揺した様子で、マイクが拾った言葉から察するに、どうやら露天風呂で男性客が亡くなった――それも、殺されたらしい。
「さて、と」
タブレットを元の位置に戻し、両肩を軽く回す。凝り固まっていた関節から、小気味よい音が鳴った。
警察が来る前に、まずはカメラを回収しなければ。
殺人事件を利用して、最も効率よく金を稼ぐ方法とは何か。
警察からの特別報奨金。遺族からの捜査依頼料。はたまた、これまでの経験を本にまとめて出版。
いいや、どれも違う。もっと簡単に、すばやく稼ぐ方法がある。
独自に証拠を握り、それで犯人を強請るという方法だ。
だから俺はカメラ回収後、部屋に戻り、すぐに録画内容の確認作業に移った。
ホテル内に仕掛けたカメラは十以上。だが、それら全ての映像をチェックする必要はない。
従業員の話を聞いた限り、殺人現場は露天風呂だろう。現にその入り口には、警察の到着を待つ見張り役の従業員がいて、カメラの回収には少し難儀した。
だからまずチェックすべきは、露天風呂周辺の映像。
生憎、カメラに防水機能が備わっていないため、露天風呂自体を撮ったものは無かったが、その手前――脱衣所に仕掛けたものに、目的の映像は映っていた。
営業終了後の露天風呂に向かう男と、その数分後にやってきた女の姿。
映像としては、それだけだ。殺人の瞬間は映っていないし、争うような音声も撮れていない。
だが、俺にとってはそれで十分だ。
別に凶器が何だろうと動機が何だろうと、心底どうでもいい。そういうのは警察が捜査すべきことだ。
ただ、戻ってきたのが顔を真っ青に染めた女一人だけという事実さえあれば、俺の仕事に支障はない。
それに、その顔には見覚えがあった。
昨日、チェックインした際のフロント係だ。何かしらの偽装工作か、ホテルの浴衣に身を包んでいるが間違いない。
正直、これはありがたい展開だ。人捜しという名の犯人探しをする手間が省ける。
そしてこうなれば、あとはもう簡単な作業だ。
まずは脱衣所の一部始終を、動画サイトに限定公開の設定で投稿。タイトルは『本日中に入金がなければ警察に通報します』、続いて説明文のところに、金額と振込先の口座番号。
次に、部屋備え付けのメモ用紙を一枚破り、サイトのURLを書き込む。これで、このメモを手にした人間だけが、動画とメッセージを見ることができるという寸法だ。
あとは、メモを本人に渡すだけ。
だから手早く着替えを済ませると、俺は撤収作業に取り掛かった。
空港へ向かうタクシーの中、タブレットの画面は口座への入金があったことを示していた。
――二時間ほど前の話だ。
荷物をまとめ、部屋を出ると、俺はチェックアウトのためにフロントへと向かった。
本来、チェックアウトの予定は明日だ。いくら行く先々で事件に出くわす体質とはいえ、行った直後にそれが起こるとは限らない。だから予備日を含め、いつも二泊は予約することにしている。
だが今回は、初日に事件が起きた。
そして犯人が判明した以上、長居は無用。正直、昨日の風呂と食事はなかなか満足のいくものだったので、予定通りもう一泊したいところではあるが、職業柄、俺も警察との接触は極力少ないほうが好ましい。
フロントに着くと、良いことが二つ待っていた。
一つは、キャンセル料が掛からなかったこと。事件の影響で宿泊を断念する客も多いらしく、その責任をホテル側が負うというカタチのようだ。
そしてもう一つは、またも担当が例のフロント係だったこと。偽装工作を行っている点から考えて、逃亡などはしていないと思っていたが、まさかこんなにもスムーズに会えるとは思ってもみなかった。
今回の仕事は、本当に楽で助かる。
だが、そんな感情を表に出すようなことはしない。こんな仕事でもプロ意識はある。
だから、一般客のように普通にチェックアウトの手続きを終え、フロントを離れる直前になって、俺は彼女にメモを手渡した。
もちろん「あなたが犯人ですよね」と、一言を添えるのも忘れずに。
そして今に至る、というわけだ。
口座情報を見れば、振り込まれたのは指定通りの金額。こちらの意図をちゃんと汲んでくれたようだ。
だからタブレットの画面を動画サイトに切り替えると、俺は問題の動画を削除した。
といっても、別に馬鹿正直に取引に応じたわけではない。第一、今回は『通報しない』ことを条件としたもので、『動画の削除』は別料金だ。
絞れるところからは、絞れるだけ絞る。
つまり、これ以上絞れないと判断した上での結果だ。
俺の予想では、二・三日以内に彼女は捕まる。撤収作業の際、脱衣所以外の映像もチェックし、彼女が各所に偽装工作を施しているのを目撃したが、どれも程度が低く、とても警察を誤魔化せるような代物ではなかった。俺が言うのもアレだが、彼らは優秀だ。
そしてそうなった場合、脅迫者である俺の存在が明るみに出る可能性が高い。
そのための事前処置だ。様々な方法を使い、動画から俺を特定できないようにしてあるが、念には念を。
この仕事、危機管理能力が物を言う。
だから俺は、タブレットの画面を口座情報に戻すと、今回得た金を海外の口座に移し替えた。もちろん、どちらも闇ルートで仕入れた使い捨ての架空口座だ。こうしていくつか転々と移していくうちに、いずれ警察も追跡できなくなる。
これで今回の仕事は大方終わりだ。
実入りはあまりなかったが、まあ、こういう時もある。久々の雪見酒を味わえただけでも良しとしよう。
そう思って顔を上げると、空港はもうすぐそこまで近付いていた。
さて、次はどこへ向かおうか。