08-モクテキ
ケガをしてバテている彼は、しかしこうして逃げることができた。まったく不幸中の幸いといえる。
――が、追っ手にしてみればそれは非常に面白くない事だ。
「ああ、もう!」
追うべきエモノを見失い、ミシェルがいささか乱暴に言った。
「見失って……しまい、ましたわ」
「その…ようだ、な」
少年を追いかけていたのはいいが、逃げられてしまい、悔しながらに立ち止まる。
はぁはぁと荒い息をつき、廊下の真ん中でしばし休む。ケガはないが、ひどく息を切らしている。
「まったく…足の早い。さすが、若いだけある」
エイリスが軽く汗を拭きながら言った。
爽やかな汗と言いたいが、実際は人を殺そうと汲々(きゅうきゅう)としてかいた汗なのでどうかというところだ。
「しかし、体力だけで……は、この試験を乗り切ることは出来ないんだな」
アリーシュは膝に手をつきながら言った。
「もし体力だけが問題なら、中年や壮年の人は一発で不合格になるのだ。しかし実際は違う」
「アタマも必要ですからね。それと運。…しかし、体力って言うのなら」
エイリスがじーっとアリーシュの胸を見た。
「そのデカい胸は走るのに邪魔そうですね」
「失礼なんだな! セクハラだ!」
「全くよ。デリカシーのない男ね」
「本当のことを言ったまでです」
二人に文句を言われても、エイリスはけろっとしている。慣れたものだ。
だがふと、懐からフォークを出して溜息をついた。
「しかし、これは殺傷力がなくて困る」
「え?」
「何の話?」
「せっかく当たってもこれだけで試験者が死ぬ事は滅多にないから」
続いて、ミシェルの日本刀をチラリと見た。
「自分は本当はレイピアを使いたいんですけどね。……レイピアって何か分かります? 刺突用の剣ですよ」
「それはご丁寧にどうもなんだな。でも、それなら使えばいいのに」
「フォークみたいにストックが出来ないんですよ。そもそも、自分は体力がありませんので。
本当は追いかけるより、待ち伏せたり、物を投げて攻撃した方がいいんです」
「じゃあさっき、それを投げれば良かったですのに」
ミシェルはツンとして言う。
「何故やりませんでしたの?」
「階段を上ってる最中ですよ。うまく彼に命中すればいいですが、そうでなかった場合跳ね返って、こっちにダメージがきそうじゃないですか」
「あら、そう」
「……しかし、エイリスもアリーシュも怖いのだ」
つっけんどんなミシェルをよそに、アリーシュが壁に寄りかかりながら、ぼそりと言った。
「日本刀に殺人フォークに…よくもまぁそんな残酷なことができるのだな。吾輩にはとても無理なのだ。
せいぜいこのペンでつっつくくらいしか出来ないのだ」
「地味に残酷な気がしますけど。ていうか、何でそんなものを持ち歩いているんですか」
「武器にならないかと思って」
「それならチェーンソーでも持ち歩きなさい。ペンなんて、構えたってあまり怖くありませんよ」
エイリスは淡々と言う。
「思いっきりやってしまえばいいんですよ。構う事はありません。死んだってどうせ生き返るんですから。
試験者には『親善大使様に痛みと苦痛を捧げる』とかナントカ説明していますが、我々の目的は別にある。分かっているでしょう?」
「ええと――」
話をふられ、アリーシュはもごもごと答えた。…どうやら、分かっていない様子だ。
それにエイリスは首をかしげた。
「アリーシュ、貴方、もしかして分からないって言うんじゃないでしょうね」
「そういうわけではないのだ」
いささかバツが悪そうに、彼女は頭をかいた。
「ちゃんと知っているのだ。だけど詳しい事は、その…」
「まさか、忘れたの?」
「……うむ」
「呆れた。ダメですよ! ちゃんと覚えておかなきゃ。いいですか、そもそも、宗教団体っていうのは世を忍ぶ仮の姿で」
「正直、仮の姿がソレってのはどうかと思うけれどね」
ミシェルがぼそりとチャチャを入れる。それをエイリスが軽くにらむ。
「黙っててくださいな。そっちの方が金を搾取するには都合が良いんです。…といっても自分が考えたわけじゃありませんけど。
いいですかアリーシュ。我々は人類のための崇高な研究の補佐をしているんです。
古代からの夢、死者の復活。そしてそれはみごとに成功し、今に至っています。
現在、死体の六割から七割が残っていれば、足りない分をよそから補って再生させることができます。実に画期的でしょう?」
「うむ。まぁ…」
「でも我々の目的はずっと高い。心臓一個、脳みそひとつ、いや毛髪一本からでさえも、人を蘇らせることが出来ないか。
それを今模索しているところなんですよ。で、上の連中が研究を続けている。そして研究のためには、実験体となる死体がたくさん必要なんです」
そう言ってトントンと、鋭いフォークで壁を叩いて小さな音を出す。ミシェルはその鋭い切っ先を見、己の持つ日本刀をじっと見つめた。
アリーシュは腕組みをしてうーんと唸っている。エイリスはさらに続けた。
「…でも、死体なんてそうそう手に入るもんじゃありません。
もちろん病院にいけば死体は見つかるでしょうが、遺族の承諾うんぬんが必要で面倒です。
第一、この研究はまだ『秘密』なんです。莫大な富と財産を生むかもしれない技術ですから、そうそう明かすわけにはいかない。
となると、病院から死体をさらうのは無理。であれば、その辺の人をさらって殺して実験体にするか?
ま、生き返るんだからそれはそれでいいでしょう」
さりげなく怖い事を言う。
「殺しっぱなしじゃありませんからね。でも記憶がありますから、コレが、問題です。
襲われて殺されて、変なことされたって、後から訴えられると大変なんです。警察に動かれると厄介なんですよ。
勿論脳みそをいじくってある程度は記憶をイジれますが、どうしても完璧じゃない」
「えぇ」
ミシェルが頷く。ケンカばかりしていても、これだけはエイリスに賛同した感じだ。
「ですから宗教団体を模し、それの『テスト』と称して証文をとらせ、協力者を募るんです。
講習をして、そこで承諾させて、サインさせる。となれば文句はいえないはず。
おまけに宗教団体なら、ライバルとなる研究組織からの監視も免れます。大体どこの研究者が、宗教化の言う事を真に受けますか?
いいえ、真に受けないでしょう。おかげでこっちは目をかいくぐれるんです。また副産物として、さっきも言ったように、資金の搾取も出来ますからね」
分かりましたか、とエイリスは言った。アリーシュは返事がわりにふむと唸った。
「しかし、それだけなら何も苦しめることはないのだ」
「そういうわけにはいきません。一応『苦しみと痛みを捧げる』という名目にしてるんですから。
いいですか、試験者に本当のことは言えません。生き返らせてあげるから大人しく殺されろって、誰が『いいよ』って言いますか?
だから面倒でもこういう『試験』をして、殺されるか否かは運次第…ってことにしてるんです。
絶対に殺されるということがないだけ、まだ承諾も得やすいですから」
「いろいろ面倒なんだな」
「――って、人ごとのように言わないで下さい。君だって追っ手でしょうが」
「まぁそうなのだが」
「やれやれ」
エイリスは軽く肩をすくめた。軽く呆れた調子だ。
「とはいえ、私たちは研究をやるわけではありませんもの――あら?」
と、ミシェルが振り向いた。何だと思って見ると…誰もいない。
いないが、足音が聞こえた。コツコツと、微かだが、誰かがこの近くを歩いている。
「誰かいるようよ」
「よし、なら早速行くのだ」
「ふっ…アリーシュ、怖いとかなんとかいって、殺るときはやるんですね」
「しょうがないのだ。だってこれが仕事だし、給料にもさし関わる」
「現実」
こうして三人は哀れな犠牲者を追いかけるために動き出した。
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