07-トウソウサイカイ
こうしてコッソリと思考をめぐらす彼をよそに、アリーシュが包丁を持った相手に憤慨したように言った。
「失礼なんだな! 吾輩を何だと思っているのだ」
「ペンを持って男の子を抱きしめている巨乳の女の人」
「そういう外見的なことじゃないんだな。別に裏切ったりはしない。吾輩たちはみな同等の立場なのだ」
「同じ穴に入った、むじなとタヌキとオオカミとキツネ」
「変な表現をするのだな。いいか? だから吾輩は」
「それよりミシェル、本当に…そこを退いて…」
「ちょっと待った。もし今の体制のまま、貴様が彼を刺したら吾輩まで」
「大丈夫。ちゃんと彼だけをや」
「そうじゃない! 血がかかるのが嫌だと言っているのだ」
「あら、アリーシュったら血がイヤなの? 驚いた。それでよく任務がつとまるわね」
「だから吾輩は補佐役で――」
その時、彼をつかんでいたアリーシュの腕が緩んだ。
「よしっ」
今がチャンスとばかりに彼は思いっきり彼女を突き飛ばし、その反動を利用して一番近くにいたミシェルに背中から体当たりをかました。
「あっ」
そして素早く身をかえし、足を振り上げて包丁を持った子に横振りのキックをかます。
彼は格闘技を習った経験はなく、ただテレビなどの「見よう見まね」だったのだが、至近距離で相手が動かなかったこともあり、見事なまでにクリーンヒットした。
蹴られた相手はぶっとばされ、壁際に激突して鈍い音をたてた。流石、手で殴るより足で蹴った方が威力がある。
状況は、一気に彼に有利になったように思えた。…だが。
「チッ。油断したわね」
ミシェルが舌打ちをし、鞭を腰にかけ、代わりに何か、光を反射するものを取り出した。
何だ?と思ったのも束の間、それが何か分かって彼は短く悲鳴をあげた。
「ひっ…」
驚いたことに、それは日本刀だった。ようやく武器らしい武器が出てきた――ではなくって。
本来なら床の間あたりに鞘に入れて置かれてしかるべきものを、彼女はまるで戦国武将のように振りかざす。
「ギャアアアアア!」
鞭よりペンより、そしてひょっとしたら包丁より。
わずかな光を反射して輝く鋭い刃にとてつもない恐怖を感じ、彼は即座に逃げ出した。それを二人の女性は追いかける。
「あ、待つんだな」
「待ちなさい!」
「いーやーだー!」
叫びつつ、恐怖をおして振り返ってみれば、包丁を持っていた子はまだ回復していないらしく追ってこない。
が、いぜん二人の元気な人に追いかけられては劣勢だ。
「ひぃ、ひぃっ」
大人の女性と少年、体力はどっちが上だろうか…普通で考えたら、育ち盛りの彼の方が上である気がしないでもない。
だがさんざん逃げまくり、傷もついている。もう捕まるのも時間の問題だ。
彼はわずかな望みをかけ、腕時計を見てみた。定められた時間は一時間、もしタイムアップしてくれたなら――…
しかし悲しい事に、まだ三十分はゆうにあった。そしてまた酷い事に、彼の目の前に誰かがまた姿を現した。
「!?」
「足音が聞こえたから来てみれば」
このとき、現れたのがせめて自分と同じ試験者だったらどんなに良かっただろう。
見知らぬとはいえ同じ立場、二手に分かれて追手をまくこともできたかもしれない。
が、何とおぞましいことに、その人は前に調理室で会った男、エイリスだった。
「な、な――なんで此処が」
意外な再開に口をぱくぱくさせ、すぐさま逃げ道を探す彼。幸いにも一歩手前に階段があり、そこをひぃひぃ言いながら上がって逃げる。
それをエイリスは追いかけ、ついでに律儀に下から叫んで彼の質問に答えた。
「ははは…驚きました? でもね、バタバタうるさい足音と声ですぐ分かっちゃうんですよ」
と答えはもらったが、しかし疲れ、足音も荒い息の音も消す気力なんてない。
指摘されつつも直せずに、やっぱりばたばた音をたて、必死こいてあがる。
このままいけば、彼はエイリスに捕まえられたかもしれない。だがここで先の二人の女性が間に入った。
「エイリス、ちょっと。そこ邪魔」
「何だミシェルですか」
エイリスが、いささか小馬鹿にした声を出すのが聞こえる。
「彼は渡しませんよ」
「それはこちらのセリフよ。私の前、走らないでくださる?」
「早いもの勝ちです。命令しないでください」
「何言ってるの。彼は私たちが先に追っていたのよ」
「それより前にこっちが追ってました!」
早速いがみあうエイリスとミシェル。彼を追いかけ、階段をのぼりながら言いあいをする。
その後の彼らの応酬はなかなか酷くって、正直子どもに聞かせれる内容ではなかった。悪口雑言とはこのことだったのかもしれない。
何とか止めようとアリーシュが牽制をかけるものの、根っから相性が悪いのか止まらない。
だが、しゃべりながら走るのは体力を使う。徐々に彼らの言葉も少なくなってきた。
「二人とも、本当に…やめるんだ…な。はやく……捕まえ、ないと」
「なんで…すか。アリーシュ。息、切れてます…よ…」
「エイ…リス。あなた…だって、同じよ――…」
ぜぇぜぇと荒い息をはく三人。
一方、逃げる彼はしゃべってないだけ体力に少し余裕があった。
しかし厄介なことに、走っているうちに足の傷が開き、そこから血が出てズボンに染みが出来た。
「やべっ」
まだ垂れてはいないが、これは早いとこ処置をしないと。
歩くたびに床に跡を残すようになると厄介だ。そうなると、どこに逃げてもあとをたどられてしまう。
そんな事を考えながら、しかし傷を診ている余裕などなく、彼はひたすら逃げた。
「ひいぃ…」
運はないが体力はある。わずかな休憩で体力を回復していた彼は、しゃべっている追っ手をぐんぐん――
とはいかないが、ほどほどに引き離し、適当に角をいくつも曲がった。
この建物の詳しい造りを、彼は知らない。知らないが、直線的な逃げ方ではまずかろうと、なるべく分岐の多そうな道を選ぶ。
どうせどこへ行くという目標があるわけじゃない。あっちこっちの角を適当に曲がり、前に行った道を戻ったり。
そしてそれが功をなしたか、彼はなんとか追っ手を撒くことができた。
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