05-チョウリシツ
「はぁ、はぁ…ッ」
気がつけば、彼は一階までおりていた。すぐ近く、上にあるプレートを見ると『調理室』と書いてある。
「調理室か」
彼は息を切らしながらそれを見つけた。廃校だからろくなものはないだろう。が、もし包丁の一本でもあれば儲けものだ。そうでなくても、教室の中なら隠れる場所がある。おまけに此処は一階だから、イザとなったら窓から逃げてもいい。校庭だって範囲の内だ。
しかし一番いいのは、この廃校から逃げ出すことだ。そうすればすべてが終わる――がしかし、それは出来ることでは無かった。
というのも、試験者が逃げられる範囲は決まっていて、その外には見張りがいるからだ。そして彼は聞いていた。ルールを破ったら即不合格だが、それだけじゃなくて「恐ろしい目」にあうと。
具体的にどう恐ろしいのか、そこまでの説明は受けてないので分からない。が、この流れからして亀甲縛りに拷問であってもおかしくない。試してみる勇気は、彼には無かった。だからこの場所から逃げようとは考えなかった。
とにかく、何とか状況を打開しようと調理室の中に入る。しかしそこには先客がいた。
「!」
「あ、こんにちは。じゃない、こんばんは」
扉を開ける音を聞き、その人は顔をあげて挨拶をした。
「どうも、先に失礼していますよ」
「そ…れは、どうも」
やけにほがらかに言う。相手は、先のメガネとは違う、また別の男だった。
所々はねたショートヘア。年は、おそらく二十歳くらいにはなっている。細めだが体つきはしっかりしていて、背も彼より高い。もし相手が凶器を持って襲いかかってきたら、体格の関係上ちょっとまずい。
だが、その男は彼に何もしてこなかった。そうではなく、ただ普通に教室の中に立っていた。
「少し息を切らしていますが、大丈夫ですか?」
「……あんた、誰?」
「あ、初めまして。自分はエイリスと申します」
「変わった名前だな。洗礼名かなにか?」
と彼は訪ねたが、男――エイリスは薄く笑うだけだった。それを見て、直感的に思う。
どうも怪しい。何かが――変だ。ご丁寧に自己紹介をしてくれることも然り、どうして自分を恐れない? もし同じ試験者であれば、自分を見て追手かと疑い、まずその確認をして然るべきだ。それが無いということは…
彼は即座に逃げた。が、向かったその廊下の先から誰かの足音が聞こえてきて、慌ててリターンすることになった。
やむをえず、再び例の調理室の中に入り込む。
「……」
「大丈夫です?」
「あんまり」
もう一度エイリスと顔を突き合わせることとなった。しかし先の足音の主が追手で、しかもこっちに向かってきたら……まさしく前門の虎に後門の狼。だからといって、逃げ道は一本しかない。仮にエイリスから逃げるにしても、足音の主が完全に去るのを待たないと。
「やはり武器がないと辛いですよね」
「え?」
汲々とする彼に対し、エイリスは全く落ち着いて話しかけてくる。
「武器の使用は禁じられていませんよ。やられたら、同じようにやりかえしてもいいんです。何か使いますか?」
「……」
エイリスは相変わらず薄笑いを浮かべている。不気味だ。
だが武器の提案は名案である。彼は少し話に乗ってみることにした。
「何かって、何があるんだ?」
「そうですね、例えば」
言いつつ、エイリスは懐から小さなものを取り出した。蛍光灯の明かりを反射し、光るそれはフォークだった。
「これとかいかがでしょう。場所も取らず、たくさんスペックしておくことが出来ますよ」
「んなもん使えるかよ。もっと威力があるものは? 鉄パイプとか、金属バットとか。何なら果物ナイフでもいい。血は見たくないけど」
「なかなか敬虔ですね」
「ケイケン?」
言われた言葉の意味が分からず、彼はきょとんとした。エイリスはふふっと笑い、もう一度懐に手をつっこんでフォークを出した。
これで、二本。それを左右の手に一本ずつ持ち、行儀悪く打ちつけて音を鳴らす。
「お、おいやめろって。音が――」
「追っ手に聞かれると? 大丈夫、この程度の音は聞こえませんよ。それに」
突然、頬の横に何かがサッと通った。彼はビクンッと背筋を凍らせた。
「ヒッ」
「っと、外しましたか」
ビイイイイン……という細かい振動音をたて、壁に突き刺さったのは先のフォークだった。頬に何かが――血が――流れる。
「ひいぃい!」
彼は慌てて逃げ出した。
もう武器だの足音だの言ってられる場合ではない。まずは目先の敵から――つまり彼の魔の手から逃れることが先決だ。だが彼が逃げるのを見、エイリスは今度は追いかけてきた。
「待ちなさい。逃がしませんよ!」
「いやあああああ!」
右に左に、大して広くもない廊下をジグザグ走行しつつ彼は逃げた。
幸いにもさきほど足音が聞こえた辺りには誰もおらず、挟まれることは無かったが、エイリスはおそるべき的確さでフォークを投げてくる。彼が走って逃げる距離もちゃんと計算していて、ついさっき自分がいた位置にばかりフォークが刺さる。
避けながら、彼は思った。前に包丁を投げてきた子もそうだったが、どうしてこんなに物を投げるのが上手いのだろう……と。
訓練をしているのか? だとしたら何て非道な訓練なのだろう。大体、食べ物に使う道具を、殺傷の道具にするとは言語道断である。
しかし、そんな事を言っている余裕はすぐになくなった。
「捕まえた!」
「ギャッ」
エイリスは思いのほか足が速かった。逃げ切る前に腕をぐっと掴まれ、そのまま少し引きずられる。
「いででででっ」
「さぁて、どこから料理しましょうね」
コロンが彼の髪をエイリスは左手でしっかりとつかみ、右手にフォークをかまえる。ほんの少しだけ、どこを誘うかと狙い――そして彼の額めがけて、まっすぐフォークを振り下ろした。
「ひぃ」
だが彼とて大人しくやられはしない。両腕が自由なままであるのを幸いに、すぐさま右腕で顔をかばった。
「いッ――!」
凶器は腕にグサリと刺さった。ブスリと嫌な音がして、服にじわりと液体がにじむ。
「あっ」
目標が外れたことにエイリスは少しだけ驚いた声を出し、しかし落ち着いてもう一度フォークを取り出そうとした。血を見てもまったく動じない。だがその瞬間、彼は相手の腹にむかって肘鉄をくらわせた。
「ぐっ」
エイリスがうめき、痛みに手を緩める。そのスキに彼はばしっと相手の手を叩いてのけた。再び自由の身となり、逃れるために走り出す。
彼はまた新しく手負になった。が、相手は腹をやられている。血こそ出ていないが、痛みに当分は走って人を追いかけることが出来ないはず。
――良かった。そう思って走った彼だが、ふいに左足に痛みを感じた。しかし逃げたい一心で痛みをこらえ、立ち止まらずに彼は走った。
……とはいえ。
傷が痛み、なかなか思うほどにははしれない。あえなく彼はまた適当な教室の中に入り込み、そこでしばし休息をとることにした。
入った直後は耳をすませ、誰か追ってこないかを確認する。それがないと分かると、彼は中でどたっと座り込んだ。
「はぁ――つ、つかれた。ッ、いてぇ~」
まずは足を確認した。逃げるには足が必要だし、これがなければ始まらない。
ズボンをまくってみたところ、三か所に穴があいて血が出ている。夢中になっていたので分からなかったが、一度刺さって抜けたのかもしれないと彼は思った。
そして、次に腕。こちらは未だ、彼の腕に刺さったままだった。痛いし邪魔だし、言いことは一つもないので、彼は痛みをこらえてグッと抜いた。
「いッ……て」
しかし、どうしてこのフォークはこんなにも人を傷つける能力があるのだろうか。不思議に思い、彼は抜いたそれをよく見てみた。
「うわぁ」
そして思わず声をあげる。
フォークの切っ先は異常に鋭くとがっており、まるでニードルのようになっていた。こんなのを口に運んだ折には舌をケガをしそうである。
「なるほど」
こうして『手に入れた』それを、彼はとっておき、己の武器として使用すべきかと考えた。が、少し考えた末に捨てることにした。
というのも、有効な使い方が自分には出来そうになかったからだ。上手く投げるには練習がいるだろうし、持ち歩くのは危険である。エイリスはどうやって入れていたのか知らないが、普通通にポケットにいれただけなら、何かの拍子に足に刺さってしまうかもしれない。そんな間の抜けたことは絶対に嫌だった。
「っと」
ふと腕時計を見ると、さっき見てからまだ七分しかたっていなかった。
思わず、悲しくなる。もう三十分はたったと思ったのに……と一人ごちた。彼はため息を吐きつつ、しかし床を見てはっと息をのんだ。
「……」
そこには、血痕があった。腕も足ももう止まっているが、垂れた痕が点々と続いている。
「まずい」
たどられたら此処が見つかってしまう。今更ではあったがそれに気がつき、彼は慌てて教室を出た。
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