10-キガツイタコト
「いッ…ぐ、うぅ…」
相手は苦しそうに息をしている。今にも死にそうだが、彼はそれを許さなかった。
「こらぁ! まだ死ぬのには早いぜ。呼吸しろよ。やめるなよ」
しかもそうやって相手を罵倒しつつ、妙な心地よさを感じていた。
縄を通じて手にビクビクッと、痙攣するような感覚が伝わってくる。それが本当に面白い。
更に、さっきまで自分を恐怖に陥れていた対象を、今度は自分が恐怖させるという逆転。全くなんとも言えない快感だ。
男が苦しめば苦しむほど、彼は悦んだ。
そして当初の目的――といっても、縄をかけたのは半ば無意識だったから正確にはそんなのはないのだが、とにかく相手をもがかせたいと思った。
もがいてもがいて、さんざん苦しめばいい。だが、あまり絞めると相手は声を出せない。
ゲホゲホとむせて苦しそうに呼吸をする姿が見たくて、時々わざと縄を緩めた。そして少し呼吸をさせると、またグッと絞めて苦しめる。
「ほらよ! まだ死なないだろう。もうオワリだなんて言わせんぞ」
ついでに縄の長さを利用し、彼は首を絞めつつ男の腹に片足をかけてじわじわ体重をのせた。
腹部を圧迫されるので、こうすると余計呼吸がしずらくなる。
男はますます酷くあえぎ、体を折り曲げようとしたが、腹を踏まれているので出来ない。
縄をつたって手に伝わる感覚もそうだが、足からは相手の呼吸にあわせて腹が上下するのが伝わってくる。
彼はわざと腹がふくらんだ瞬間を狙って踏みつけた。すると相手はひどくむせこむ。このときは縄を少し緩めて思うようにむせさせ、それが終わるとすぐに絞める。
だがそうしているうちに、男の腹にポトッと何かが垂れた。
「……?」
何だと思ってみてみれば、それは自分の足から出た血だった。足を動かしたので、閉じていた傷口がまた開いてしまったらしい。
それは何てことのない一滴の血だ。おまけに今日は自分の血なんて嫌というほど見ている。だが今のそれは、彼に正気を呼び起させた。
――まずい!
彼は即座に自分の立場を思い出した。と同時に、慌てて男の腹から足をどけ、手から縄を落とした。
こうして改めて見ると、薄明かりの下でもはっきり分かるほど、顔色は蒼白になっていた。
ちゃんと生きてはいるが、もう意識はないようだった。実際、グッタリして目を閉じて何も答えない。
この男は追っ手である。彼の立場からして、殺しておいた方が良い相手だ。そしてそれは許されている行為だろう。
相手がこっちの命を狙ってきた以上、殺りかえしは正当防衛。法律的にも認められるはずだ。
しかし彼には殺人なんて出来なかった。とてもそんな度胸はないし、正直、真っ青になった相手を見て彼自身が真っ青になった。
――俺、何やってたんだ?
全身に震えが来て、彼は男をすっ転がしたまま逃げ出した。よたよたと走りながら、自分がしでかしたことについて考える。
最初、自分は正当防衛のつもりだった。そのために相手の首にロープをかけて…しかし途中からはどうだろう?
「な、何で」
自分は相手を苦しめることを愉しんでいた。その事実に、走りながら彼は思わず頭を抱えた。
これではまるで自分を殺そうとつけ狙う追っ手どもと同じだ。だがまさか、自分が奴らと同類になるとは思ってもなかった。
「もうやだ…」
精神的にも肉体的にも疲労して、彼はがっくりと膝をついた。
まさか自分があんなことをして悦ぶ人間だったなんて。信じたくない。
だがこのまま逃走劇を続けていたら、今までなかったナニカに本当に目覚めてしまいそうだ。そんなの嫌だ。
そうしてフラフラと歩いているうちに、階段についた。彼はそこを降りようとしたが、とたん下から聞こえたバタバタといううるさい音に足を止めた。
「いぃやああああ!」
誰かが悲鳴をあげている。おそらくは…試験者。自分と同じ立場の人間だ。
案の定、女の子が一人ひぃひぃ言いながら登ってきた。必死の形相であがり、そして彼を見て心底驚いた顔をした。
追っ手に挟まれたのかと思ったらしい。彼は「大丈夫だ」という代わりに、スッとふちに避けた。
それを彼女は猛スピードで――今の彼女にとっては、だが――かけぬけ、逃げ去った。
それだけなら別に何てことない。だが追われていたということは必然的に追っ手がいるということ。
案の定、彼は彼女を追っていた追っ手と顔を突き合わせることになった。しかしここで、彼は深いため息をつくことになった。
「またお前らか」
「あっ――君は」
「貴方は」
「おっ?!」
よりによって、追っ手は三人。アリーシュとミシェルとエイリスだった。
せっかく逃げだのにまた彼らに会ってしまったこと。彼はいい加減ウンザリきて、逃げる気力もやや失せた。
アリーシュはともかく、ミシェルとエイリスは仲がよろしくないのだから別々に分かれて行動すればいいのに、だがまぁケンカするほど仲がいいのかもしれない。
だが四人の硬直は束の間、すぐにアリーシュとミシェルをさしおいて、三人の中で一番はやく階段を上っていたエイリスが掴もうとした。
が、その刹那。彼は前を向いたまま、思いっきり足を下に蹴りだした。
「ぎゃ…」
「うわっ」
「い…っあああっ」
確かな手ごたえ――いや足ごたえがし、どたんばたんと人が倒れる音。
チラッと振り返ると、階段の下に三人が転がっていた。
「おぉ、まさかここまで命中するとは」
死んではいないが、多分すぐには起き上がれまい。正直逃げるのも飽きたが、しかし逃げないわけにはいかず彼は彼らの元から離れた。
下に落ちた三人とは逆に、よろよろと階段を登り切る。まだ上への階段があったが、それは無視して今度は廊下を歩きだした。
だが突然、足にひどい痛みを感じた。
「あ、あれ?」
立てなくなり、よろよろと壁によりかかる。おかしいなと思いつつ、どうしても足が動かない。
「ちょ、待て…」
しゃがんで己の足を触ってみると、どうも筋肉が硬直しているようだ。
つったのとはまた違う。奇妙な事に彼は心の中で首をかしげつつ、しかしこの状態に変に納得した。
何せこの一時間――正確には三十分か四十分だが、この間今までにないくらいずーっと走りずめ。
ケガもあわせて、体中、痛くないところがない。普通に呼吸しているだけでも体がきしむ。
「あう…ぅ」
情けなくも、廊下をじたばたと転がる。と、誰かの足が見えた。
「うわッ」
あの三人はまだ起き上がってこないはずだし、ということは他の誰か、追っ手か――……
だが、その足の主は彼をひっぱり起こした。
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