Chain143 もう迷わない
綾子サンのマンションを訪れてから数時間、お互いの気持ちを伝え合った後はこれからは二度と一緒になる事はないであろうお互いの未来について語り合った。
俺は、モデルをしている傍ら大学へ行って親の会社を継ぐという夢を、綾子サンは今はアシスタントとして働いているがいつかは自分の店を持ちたいという夢を語り合う。
もちろん、お互いの傍には目の前にいる元パートナーの存在は無い。俺には君がいるから……。
「私もね、いつか貴方みたいに素敵なパートナーが出来るといいなって思ってるわ。そして、お互いの仕事を支えあうのがちょっとした理想なの」
とても嬉しそうに微笑みながら話す綾子サンは、本当に変わったと思う。泣き叫んでいたあの頃とはもう違う……彼女には“強さ”という感情が備わっていたのだ。
「それじゃあ……」
「えぇ。今度こそお別れね」
一通り話した後、俺は綾子サンの部屋の玄関で彼女と向き合う。
今度こそお別れ……同じロンドンにいても、もう会わないという気持ちを込めた綾子サンの言葉に俺は正直寂しいという思いを抱くが、お互いの為にはそれが一番だという思いの方が強かった。
それを証明するかのように、さっきお互いの連絡先を全て消去した。携帯のメモリーに、アドレスを書き込んでいたメモ用紙。これで、お互い連絡する手段は無くなった。
このマンションにも、もう来る事は無い……これはホント。どんなに寂しい事や辛い事があっても、もう此処に来て縋る事はしない。
「もう会えないと思っていたから……どんな形でも再び会えて良かったわ」
「俺も。これから先も、俺は貴女を忘れないよ」
未練とかではない。彼女は俺に大きな影響を与えてくれた女性だから……生き方を変えるきっかけになった彼女を忘れる事は無い。
「ありがとう。私も忘れないわ」
でも、他に素敵な男性が現れたら忘れちゃうかも……そう言いながら笑みを見せる綾子サンに、俺も思わず笑みを浮かべる。
「それじゃあ、バイバイ」
今度こそ最後の別れという気持ちで、俺は綾子サンのマンションを後にする。エレベーターに乗って降りている間も、後悔や悲しいという気持ちは全く無くスッキリとした爽快な気分でいた。
エントランスを出て、完全にマンションの敷地内から出た後も俺は綾子サンの部屋を見上げる事は無かった。未練は無い……この正直な気持ちを明かす為。
視線を変える事無く真っ直ぐ歩いていた時だった……
「えっ……!」
思わず口を開けたまま立ち止まってしまった俺の前に現れたのは、紙袋を手にして寒さを耐えるかのよう身体を少し揺らして立っていたリカルドだった。
リカルドは、そんな俺の声に振り返ると紙袋から取り出したものを俺に向かって高く投げる。上手く俺の手に入ったそれは、自宅からちょっと歩いたところに売っている駄菓子(もちろん日本の)だった。
『デザートを買い忘れたからね。出掛けたら、偶然ルイを見かけたから待っていたんだけどね』
そう言うリカルドだったが、俺が此処に来て数時間が過ぎていたのだ。当然、リカルドはその間ずっとここで待っていた事になる。その所為で、手の中にある駄菓子も紙袋に入っていたにも関わらず、とても冷たくなっていた。
『駄菓子屋って、こことは方角が違うのに?』
『そうだっけ?』
俺の指摘も適当にあしらいながら、リカルドは持っていたきな粉もちを口に入れる。冷えている所為もあって、噛み難そうな表情を見せながらこちらを見ている。
何も言わないリカルドだったが、おそらく普段は使われない勘が働いたのだろう……俺がこれから綾子サンに会いに行く事を察して、ついて来たのではないだろうか。
『それで……? アヤコとはどうなったの?』
案の定、リカルドは核心を突いてくる。しかし、それを責める訳でもなく俺はリカルドに正直に答える事にした。綾子サンと再会してから再び出会った事……夜通し飲んでいたと偽っていたが本当は綾子サンと一夜を共にしていた事。そして、たった今お互いの関係を完全に絶った事……。
自宅に向かう道中ずっと俺の口が静まる事は無かった。嘘も辞める……全てをリカルドに吐き出す。そんな俺の話を、リカルドはただ簡単な返事をしながら聞いていた。
そして、話が終わった頃にはちょうど俺たちも自宅に到着していて、そのままリビングでコーヒーを飲みながらリカルドが買ってきた駄菓子を食べる。
『日本食が好きなのは解かったけど、デザートくらいは別のものがいいよ』
『駄菓子は栄養があって、とてもいいデザートなんだぞ!』
今度は酢昆布を食べながらリカルドは再び栄養について熱く語る。綾子サンの事はもう話さない……リカルドも何も言わない。これ以上何も言わなくても、お互いの中でもう決着は付いているのだから。
もう、迷わない……
自分の気持ちに自信を持って、素直に身を任せよう……
そして、再び元の生活に戻ろうとしていた……