Chain140 違和感
目の前に迫る分かれ道……
俺の脚が向かうのはどっち?
「おっかしいなぁ〜」
綾子サンと再び関係を持ってから三週間が過ぎた。俺が知っている限り、綾子サンは身体を重ねた後は必ずメールか電話など連絡をよこして来たのに……
「仕事が忙しいのか?」
ぶつぶつとそう呟きながら、俺は何のサインも表示されていない携帯を眺める。
大好きな仕事だから、連絡するのも忘れるくらい夢中になっているんだな……以前とは違う綾子サンの変化に、微妙な寂しさを感じつつも俺は笑みを浮かべては携帯をポケットに入れた。
『さっきから、何を呟いていたんだい?』
部屋を出てキッチンへ行くと、昼食を作っていたりカルドが持っていた菜ばしを振りながら尋ねてきた。
『あれ? 小さく呟いていたのに、聞こえてたの?』
『結構大きい声だったよ。日本語だから、何言っているか解からなかったけど……』
笑みを浮かべながらそう言うと、リカルドは作った料理をあらかじめ用意した皿へと盛り付ける。その際にこぼれた具をつまんで口に運ぼうとした俺の手を、リカルドはまだ持っていた菜ばしで叩いては皿をテーブルへ運ぶよう口頭ではなく菜ばし一つで指示してくる。
『さぁ、召し上がれ! リックお手製のランチが果たして日本人であるルイのお口に合いますかどうか解かりませんが……』
『いや……口に合うかと言うよりも、これはめちゃくちゃ日本人向けだと思いますよ』
そう言いながら椅子に座った俺の前にあるのは、日本でもよく食べていた“焼きソバ”……。そして、その隣にはご丁寧にワカメと豆腐の味噌汁まで付いている。
料理は交代でしているが、日本びいきのリカルドが作るものはほとんどが日本食だったのでロンドンへ来て二年が過ぎた今でも俺は日本食から離れる事は無かった。
『これもまぁ……しっかりと出汁も効いてるし、アンタ本当に日本食が好きなんだね』
『ミソスープは、ポタージュやコンソメスープよりも美味しいよね。アリサから習っているおかげで、たくさんのレシピが出来たよ』
日本でも十分通用するのではないかと思うくらい上達したリカルドの腕を感心しながら、俺はお椀に入った味噌汁をすする。
日本食を作るからには……と、リカルドは食器にまで日本の製品を使うというこだわりまで見せていた。
以前、そんなこだわりまでみせるようになった彼に、モデルを辞めたら料理人の勉強でもしてみたらと薦めた事もあったが、料理はあくまで趣味と言い張るリカルドが決めた道は俺と同じ“K2”のスタッフだった。
モデルを終えた後もこうして同じ職場で働くのかと苦笑いを浮かべた俺を、リカルドもまた同じような表情を見せては俺の肩を叩いてきた。
『そろそろ、調味料も切れてきたな〜。新しい食器も欲しいし……そうだ、ナツミに連絡して送ってもらおうかな〜』
ズクンッ
何気なく発したリカルドの言葉に含まれた君の名前に対して、鈍い音を立てて過剰に反応した俺の心。
“あんたに負けないよう魅力的なオンナになってやるから!”
そんな言葉を俺に宣言した君の強い表情を、今の俺は真っ直ぐに見ることが出来ない。それが例え頭の中に映るものであっても、俺は目を逸らしたくなっている。
それは、三週間前に綾子サンとの一夜を過ごしてしまったから……
未だにはっきりしない俺の心は君を見ることが出来なくなり、かつ綾子サンに対してもちゃんとした結末を考えられなかった。
しかし、数年ぶりに再会した綾子サンとの一夜は俺の中で何らかの違和感を覚えた。
嬉しかったとか、そんな感情は熱が冷めていく度に徐々に薄れていく。火照っていた体と感情は、そんな錯覚だけを残して既に消えていたのだ。
それを証拠と表すように、俺は自分から綾子サンに連絡を一度も取らずにいた。リカルドや他の人間の目を気にしているわけでは無い……俺自身の考えで連絡をしていないのだ。
綾子サンからは、この間会った時に連絡先は聞いている。しかし、その紙を一度も開く事無く俺は自分のデスクの奥にしまっているのだ。
では……もし、彼女から連絡がやって来たらどうなる? 曖昧な気持ちでいるところへ、近くにいる女性から連絡があれば……
「うん……やっぱりはっきりさせないといけないわ」
『何? また日本語で呟いているの?』
自分の中で決意した事を口にした俺に、焼きソバを食べていたリカルドが眉間にしわを寄せて尋ねてくる。
そんなリカルドに対して笑ってあしらうと、残っていたランチを全て平らげてから部屋へと戻った。
そして、そんな俺の手にあるのは携帯電話……
はっきりさせなければ、何も始まらないし何も終わらない……曖昧な気持ちを捨てて、この口から出る決意を……
“彼女”はどう思う……?