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Chain137 男と女の事情



 宇佐美クン……そんな呼び方で俺を呼ばないで……何もかも狂ってしまう



 あれからどれくらい時が過ぎたのだろうか……。


 更に冷え込んできたのが時間の経過を知らせる。

 それでもほら……こうしていると、その寒さも和らいでくる。

 自分の腕の中にいる女性が、大切な君では無くかつての愛しい存在であると解っているのに、俺は何のためらいも無く彼女を抱き締める腕に更に力を込める。


 そして……


 「琉依クン……」


 先ほどまでとは変わって、俺をかつて愛し合っていた時の呼び方で呼んでは、足下に向けて下ろしていた腕を上げて俺の背へと移動させている。


 琉依クン……久しぶりに聞く俺の呼び名。それだけで、過去の想い出が全て甦って来る。


 道行く人々のこちらを見る視線など、今の二人には気にならない。

 ここはロンドン……日本とは違って、俺達を知る人物は居ないのだ……。



 「……」


 しばらくしてから、お互いゆっくりと離れる。

 抱擁から解放された俺達の口から出るのは、同じ白い吐息……


 確かにその現象が寒い事を物語っているのに、俺の内側はとても暖かかった。

 貴女はどう……少し潤みがちなその瞳は、俺にどう応えてくれるの?


 「……」

 「……」


 貴女の口から出る言葉を待つ俺……そんな期待になかなか応えず俯く貴女。


 “ベライラル・デ・コワ”の巨大なパネルの前で立ち尽くす二人。そんな俺たちを、道行く人々はどう捉えていたのだろうか。


 別れ話をしているカップル……


 女友達を励まそうとしている男……


 もしくは……


 これから始まる新たなカップル?


 興味を示す視線を感じながらも、俺はただ何も聞かずに綾子サンを待ち続けた。

 何かを言おうとしている……それは、俺のジャケットをしっかりと掴む彼女の仕草が伝えてくる。


 そして……


 「……して」

 「えっ?」


 微かに出た言葉を聞き取れなかった俺は、顔を少し彼女の方へ近付ける。


 「どうして……貴方が此所にいるの!?」


 綾子サンから発せられた言葉は、かつての出来事を甦らせる。


 “どうして、貴方がここにいるの……”


 高校で再会した時に貴方が発した台詞を、長年の時を越えて再び聞かされるとは思いもしなかった。


 「あや……」

 「どうして! どうして貴方がこんな所にいるの!?」


 そんな綾子サンの絶叫を耳にした直後に感じたのは、あの時を繰り返すように俺の腕の中に飛び込んで来た貴女の温もり。


 そして、再び何も言わずに涙を見せる貴女。そんな貴女の肩に手を置いた俺は、そのまま背へと手を滑らせて行くが……


 「――!」


 再び肩へ手を戻しては、そのまま両手で掴んで自分から離す。かなりの勢いだったので、綾子サンは何が起きたのかと驚いて俺を見上げる。


 「琉依ク……」


 僅かな間も許さない……綾子サンの言葉ごと、俺は塞いでしまう。


 俺自身の唇で……


 その瞬間から、まるで周りには誰も居ないかのように静かな雰囲気に包まれる。何も聞こえないし、何も見えない……俺と綾子サンだけ。


 そして、ゆっくりと惜しむように綾子サンから離れると、改めて綾子サンの顔を確認する。綾子サンの瞳から流れていた涙は、いつの間にか止まっていて頬は熱を帯びて紅く染まっている。

 そんな綾子サンの頬に手を当てると、その温もりを確かめて欲しいかのように綾子サンが己の手を添える。


 言葉は要らない……

 今の俺たちに言葉はまったく必要が無かった。

 こうして、お互いの手で温もりを伝えあうだけでいい……今はそれでいいのだ。


 お互い別の道を進み始めてから今までの五年間……君への狂気に似た愛に溺れていた俺。その間、俺は少しでも貴女の事を想う事は無かった。

 付き合っていた頃はとても心地よい時間を過ごしていたのに、それでも俺はその時間さえも君一人の存在の前ではとても無力なものとなっていたのだ。


 それなのに、こうして君から離れて一人異国の地へやって来た俺の前に現れた貴女の存在は、堕落するほど苦しい思いをした俺にとっては以前よりも激しい熱を帯び始めたのだ。

 何かにすがりたい……苦しみから立ち直った後でも、密かにずっと思っていた俺の気持ちに応えるよう現れた貴女。


 そんな俺の心の中には、今度は君の存在が僅かなものとなっている。かつて愛した人との突然の再会というのは、それほどまでに俺の心を狂わせていた。


 このまま、この手を離したくは無い。出来る事なら、ずっとこうして一緒に居たい。貴女もそう思ってくれている筈……だから、そんな潤んだ瞳で俺を見つめているのでしょ?

 お互いを見つめる俺たちだったが、先に行動を起こしたのは綾子サンの方だった。

 俺の手をそっと握ると、綾子サンは何も言わず歩き始める。俺たちの様子を眺めていた人達の中をすり抜けて、俺の目的地とは異なる方角へと進み始めた。


 どこでもいい……誰の目も気にする事無く二人でゆっくりと過ごせるのなら、どこへ連れられてもいい。

 誰にも邪魔されたくない……もちろん、その中には君の存在も含まれていた。


 過去は繰り返される……貴女と付き合っていた時、異国の地では君と愛し合っていたのが今ではこうして貴女と再び何かを育もうとしていた。



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