Chain119 大切な恋人や友人との別れの席で
日本で一番思い出が詰まった場所を出た時、何故かその時の俺は何も言えなかった。
それは、お祖父様に後ろめたい事でもあったから?
「それでは、琉依の夢への第一歩に乾杯!」
渉の掛け声でメンバーや俺はグラスを高く上げる。
今夜は内輪だけでという兄貴の配慮もあって、貸切にしているNRNでこうして始まった俺の送別会……と言っても、今朝知ったばかりだけど。
「なんで、さっき教えてくれなかったの?」
「……眠かったから」
小声で聞いた俺の問いに、浅井クンは少し考えながらも答える。つまり、俺の送別会は浅井クンの眠気に負けたって訳だ。なんて、一人で納得しながら俺はジョッキに注がれたビールを飲み干す。
「おっ? 来て早々いい飲みっぷりですね〜」
いつの間にか近くにいた渉がゴキゲンな口調でそう言っては、俺の空になったジョッキにビールを勢いよく注いでいく。テンションが高いから、注がれたビールは泡だらけという下手くそなものだった。
そんなジョッキを顔の高さに持ってきては覗く俺は、渉の方をチラッと見ると
「後で覚えておけよ……」
「はっ?」
ボソッと呟いた後、そのままカウンターへと行く。そして、そこで軽食を作っていた兄貴にグラスに注いだビールを差し出しては乾杯する。
「ごめんね、兄貴。最後まで迷惑を掛けて」
「はっ? 今さら何を言っているんだか。迷惑だなんて一度も思っちゃいねぇよ」
ビールを少し飲んだ後、再び調理に戻る兄貴は軽く笑いながらそう答える。そんな返事が返ってくると解かっていても、それを言わずにはいられなかった。
両親がロンドンへ行ってからは、俺を一人で面倒見てくれた兄貴だから。そんな兄貴に何の恩返しも出来ず、それどころか俺までもロンドンへ行かなければならないというきっかけまで作ってしまったから。
さらには、そんな俺のせいで忙しいのにお祖父様の家の管理までしなければならない。これらを迷惑と言わずしてなんと言うのか……。
「弟というのはな、常に兄貴に頼ってもいいものなんだよ。いいから、余計な心配だけはするな」
そんな俺の心情を察したのか、兄貴は顔をこちらに向けてはそう言いながら笑みを見せる。
「それよりも、K2や母さんの事よろしくな。俺も時間が出来れば、ロンドンへ行くから」
「うん。待ってるよ」
そんな兄貴に複雑な思いを抱えながら、俺は苦笑いを浮かべて答える。
「お〜い、琉依! こっちに来て挨拶くらいしろ〜!」
渉の呼びかけに振り返って手を挙げる。そして、兄貴が作ったパスタを持って俺は再びメンバーのもとへと戻る。
「じゃあ、琉依! 何か俺達に言うこと無いか? 今なら何でも言っておけよ!」
言いたい事ねぇ……少し考えながら、俺は今までの事を思い返す。君との事ではない、他のメンバーとの事。そして、いろいろ思い浮かべながらメンバーの前に移動する。
そして、軽く咳をしては皆の方を見る。
「じゃあ、俺からみんなへ一言……」
やはりここは一発、気が抜けるような事を言わなければダメだよな。そんな事を考えながら普段はあまり見せない真剣な表情を彼らに向ける。まぁ、それだけで彼らは驚いているが。
「もし……もし、俺が今まで寝た女達が俺の居場所を聞いてきても、決して教えないで下さい! もう、それだけが心配なのよ! 俺は……」
まだ言い終わってもいないのに、伊織と渉が俺の頭を殴ってきた。まったく、乱暴な人たちなんだから。そう思いながらチラッと他のメンバーを見ると、笑みを見せている梓の他は呆れた顔をしている蓮子に浅井クン、そして君もまた俯いては呆れている。
最後なんだからさ、これくらい冗談を言っても罰は当たらないでしょ?
そして、気を取り直して改めてメンバーの前に立つ。さすがに今度は真剣に言わないと、今度は全員から殴られそうだからね。
「大切な仲間にこうして集まってもらえて、俺は本当に嬉しいです。突然の俺の身勝手な行動に快く送り出してくれて本当にありがとう」
そう淡々と告げると、そのまま渉の前へと移動する。突然のことだから、渉は驚きながらも今度は何をしてくるのかと警戒している。
「お前は馬鹿ばっかりしているけれど、実はそれでみんなを元気にする力があるんだ。これからも、お前の有り余っている元気をみんなに分けてやってよ」
聞きなれない俺からの賛辞にキョトンとしている渉だが、今度はそんな渉のすぐそばまで近づく。
「それと……蓮子はちょっと鈍感なところもあるから、もっと積極的にいかないと。どこかのオトコマエに攫われる前に、しっかり繋いどきなさい」
そう小声で渉に耳打ちすると、これまたわかり易いくらい渉の表情は一気に変化する。やっぱり、渉の想い人は蓮子だったか。自分なりに渉にガツンと言えた事で、俺はまた心がスッキリしていた。
そして、動揺する渉を置いて今度は伊織へと近づく。
「伊織、アンタは将来絶対いいデザイナーになりますよ。そしたら、アンタがデザインした服を俺に着させて下さいよ」
今でも十分そのセンスはいいけれど、これからも更に磨きをかけては彼の憧れの人物でもあるK2に近づけるよう頑張って……そう伝えると、さっきは殴っていた伊織も涙ぐんでは頷く。ホント、こういう所は女っぽいね。
そして、今度は蓮子。またの名を、渉の想い人……とは言っても、さっきの様子だと一方通行では無いらしい。
「蓮子、君は介護士になるんだってね。間違って患者や他の介護士を誘惑しないようにね」
アンタが誘惑してもいいのは、渉だけなんだから。まぁ、アイツもアンタに負けないくらい鈍感だからちょっとキツメに誘惑してください。
そう思いながら蓮子の肩を叩くと、蓮子も涙を我慢しながら頷いていた。
そして……次に並んでいるのは愛しい君。
「梓……君には一言だけだ。愛しているよ!」
「きゃ〜っ! きゃ〜っ! きゃ〜っ!」
相変わらずの大声に、一瞬だけ手を緩めそうになるがしっかりと梓を抱きしめる。しかし、やはりここでも現れるのがさっきは涙ぐんでいた伊織。
だから、今夜くらいは大目に見てくれてもいいのに……
さっきの仕返しか、一緒に殴ってくる渉とでダブルのダメージを受けながらも今度は浅井クンの前にやって来る。
「そ、そして、浅井クン……て言うか、尚弥でいいかな?」
もう情けない声しか出なかった俺の申し出を、浅井クン……尚弥はあっさりと頷く。
「尚弥、君とはわずかな付き合いだったけど、この何ヶ月かは一番君とたくさん話した気がする。君はしっかりしているから、これからもみんなをまとめてやってね」
特に夏海を守ってやって……言葉に出来ない思いを一緒に彼に伝える。この数ヶ月は、一番俺の事を理解しようとしてくれた彼に、俺は感謝の気持ちでいっぱいだった。
そんな俺の傍に、尚弥が近づいてくる。そして、さっき俺が渉にした事と同じように耳元に口を近づける。
「あの夜……槻岡サンとは何も無かったよ。彼女はね、泥酔してはそのまま寝てしまったんだ。そんな彼女に、俺は何もしなかったよ」
――! 尚弥からの突然の告白に、俺はこれまでに無い驚きを隠せなかった。しかし、そこから何も聞けない俺は今の正直な感想を表情で返す。
久しぶりに感じた安堵の気持ちを……笑顔で。
そして、そんな気持ちを抱きながら最後にやって来たのは君のもと。愛しい君を目の前に、俺はただ笑みを浮かべるだけ。そして、君に手を差し伸べては
「……おいで」
そう言って、まだ戸惑っている君の手を握っては引っ張る。キョトンとしている君やメンバーをよそに、俺は君を俺の方へ向かせると一呼吸置いて口を開く。
「頑張るよ。ロンドンで必死になって頑張るから。夏海が来る時には、いつものように余裕のある俺で迎えられるようにね」
その俺からのちょっとした意地悪を込めた一言で、君の表情はあっという間に蒼くなる。そして、ざわつくメンバーにいつの間にか傍にいた兄貴。
そりゃ、そうだよな。俺達が付き合い始めたことはここにいるメンバーの誰一人として……いや、尚弥を除いて誰も知らなかったのだから。
だから、俺の突然の発言にも君は驚いて何も言えないでいる。
「あ、あらあらまあ……。何? もしかして、あなた達付き合っているの?」
呆気にとられているメンバーの中で、伊織がやっと口を開く。そして、それを肯定するかのように俺は君の肩を引き寄せる。
「最後に、俺の彼女の夏海チャンです。みんなよろしくねん」
なんて、最高の紹介の仕方! 自分に酔いしれている俺の隣では、今にも倒れそうな君。しかし、ちょっとした抵抗なのか俺の手を思い切り抓ってくる。
「いてて……でも、本当に待ってるよ」
そう言っては君をだきしめる。そして
「愛してる」
誰にも聞こえないように囁いた俺の一言。今まで何度も言いたかった君への愛の台詞。誰にも教えない……俺と君だけの秘密。
この言葉を、今度はロンドンで言うよ。今よりももっと自分に自信をつけて、そして魅力的な女性になった君に改めて伝えよう。
だから、それまでこの言葉の効力が消えないように……