Chain117 表に出された歪んだ感情
これから、君が夏海を守ってくれないか……浅井クンにそう頼んだのは俺自身なのに、それでも俺の心は暗く閉ざされたままだった。
別に体調が悪いわけではない。もちろん、飲酒している訳でもない。
しかし、車から降りた俺の足取りは普通ではなくフラフラと不安定なもので、途中で何回かぶつかりながら家の中へと入っていった。
そして、いつもよりも長く感じた廊下を歩いてたどり着いたリビングのドアを開けては、窓のそばにある木製の椅子にドカッと倒れるように座る。
そして、少しの間閉じていた目をうっすらと開けては壁一面に貼られている写真を見つめる。
そう、俺が向かった先は自宅ではなくお祖父様の家だった。何となく気分が悪かった俺は自宅に帰る気がしなくて、自分の逃げ場でもあるお祖父様の家に向かった。
既にお祖父様は亡くなったというのに、こうして訪ねたらお祖父様が笑顔を見せて出迎えてくれると心のどこかでいつも思っていた。しかし、そんな俺の願いなど叶うはずも無く、こうして空しさだけが俺を包んでいた。
「本当は……離れたくないんだ」
自然と出てきた俺の本音は、決して誰にも聞かれること無く誰も居ないこの家の中で微かに響くだけだった。
浅井クンに君を見守ってなんて本当は頼みたくない。君を守れるのは自分だけ……そして俺を守れるのも君だけ。今まで一緒にいたんだ、これからもそれは貫いていかなければならない。しかし、それを壊したのは俺自身。
そんな事は何度も自分に言い聞かせては納得させてきたのに、それでも俺はやはり君の傍にいたいんだ。でも、そうすると君も俺も傷付いてしまう。
カチャッ……
もどかしい気持ちでいっぱいだった時、玄関の扉が開く音が微かに聞こえてくる。あぁ、確か鍵を掛けるのを忘れていたな。しかし、それもどうでもいいと思っていたのは此処へ誰かがやって来るという事を感じていたからだろうか。
そして、その気配が近くなってきた時、俺は決して振り返る事無く
「不法侵入者、発見」
その一言だけを呟く。それでもまだ振り返らない俺の方へ、相手の方が近づいて来た。そして、俺の前にやって来てはこちらを見る浅井クンの目は凍り付いていた。
まるで俺が珍しいモノであるかのようなその視線は、俺に対してまるで恐怖を抱いているような感じだった。そんなに……俺の顔は酷い?
「やぁ……」
少しかすれた声で彼に挨拶すると、彼は我に返ったかのように改めて俺を見る。そして、再び驚愕の表情に変わると口を開く。
「宇佐美、お前……」
「君は本当に凄いよね。すぐに俺の居場所を掴んでは、こうしてやって来るんだから」
本当に凄いよ……まさか本当に彼が此処に来るとは思わなかったから。そんな浅井クンを、俺は微かに笑みを浮かべて見る。
そんな俺に対して、浅井クンは何らかの異常を感じたのか口を開いた。
「宇佐美、イギリスに行くなよ」
何? 浅井クンの言葉に思わず片眉が上がってしまう。そして、視線を彼に移すと浅井クンの表情は真剣なものだった。
あぁ、彼は一体どこまで俺の事を解かっているのだろうか。俺が彼に君の事を託した事についても、彼なりに何かを感じたのだろうか。
俺がロンドンへ行く本当の理由を……彼は悟ったのだろうか?
そんな浅井クンに俺は俯きながらも笑みを浮かべて答える。
「イギリスに行かないで、ずっと夏海の傍に? それじゃあ、俺はもっと苦しくなるよ」
俺はもうすべてを彼に打ち明けようと、そんな意味深な言葉を彼に与える。そうする事で、やはり彼は何かを感じたような表情へと変わる。今の言葉で、彼は俺が留学目的でロンドンへ行くのではないという事を確信したに違いない。
そして、頭の回転の速い彼の事だ。その本当の理由に君が大きく関わっているという事についても気付いているに違いない。
しかし、それではさっきの会話に矛盾が生じるね。
君が原因でロンドンへ行くのに、俺は君が一緒に来ないと知ってこうして心を乱している。それでは、一体俺はどうしたいのだろうか……一緒に居たいのか? それとも、離れたいのか?
そう思いながら、きっと目の前にいる浅井クンは混乱しているに違いない。けれど、俺もそうなんだ。日本にいると俺は自分を見失ってしまうと解かっているのに、それでもロンドンに行く際には君にも来て欲しいと心の奥で思っていた。
それなら、結局は同じ事になるのにそれでも俺は君の傍に居たい……君に傍に居て欲しいと感じていたんだ。
ね? もう俺でも自分がどうしたいのか、本当に解からなくなって来ているんだ。独りが怖い……自宅に帰るよりもここに居る方がいい。
ふと、浅井クンの方を見ては自然と笑みを浮かべる。
「今、ちょっと俺のことおかしくなったとか思っていない?」
ククっと笑いながら掛けた俺の言葉で、別のほうを見ていた浅井クンがこちらを見る。すると、何か勘違いをしたのか眉間にしわを寄せては俺を睨む。
「馬鹿にして……」
「そんな事無いよ。むしろ当たっているかもね」
そう言って浅井クンの指摘を評価する。そんな俺の言葉に自分の考えが合っていた浅井クンは、少し目を大きく開かせてはこちらを見る。
「夏海がこの手に戻ってきたらそれで終わりじゃない。むしろこれからが辛いんだ」
何を言っているんだ? そんな表情を見せている彼を見て俺は立ち上がると、傍にあるソファに彼を案内しては座るよう促す。そして、俺もまた彼の向かいに座り改めて口を開いた。
「想いが通じても、今の俺は夏海の傍にはいられないんだ」
そして、俺はそこから浅井クンに今までの俺の話を打ち明けた。君との出会いから今まで……幼い頃から始まった俺と君の絆、そして歪んだ感情の誕生に……君を乱暴した事も。
簡単には説明できない……時間を掛けて俺はすべてを彼に伝えた。そんな中、彼が見せる表情は普通のものだったり驚愕のものに変わったり、そして……目を瞑っては拒んでいるかのようなものだったり……。
それほど、俺のこれまでの人生は歪んでは醜く変化されているものだった。とても普通ではない、狂った闇を生きる俺の話を彼はそれでも最後まで聞いてくれた。
「……だから、今のまま夏海の傍にいると俺は自分が壊れてしまうんだ。それに、ここは思い出が詰まり過ぎているしね」
自分がいなくなる事で、そのまま別離を切り出されても仕方が無い……。それでも俺は、今は君から離れなければならないんだ。最初に戻るために、俺は今の幸せを捨てる覚悟を選んだ。
「こんな事、君にだけ押し付けてごめんね。でも、あいつら……特に夏海には留学とこのまま偽り続けて欲しい」
そう言っては浅井クンに頭を下げる。自分の苦しみは浅井クンに打ち明けておいて、それを彼には自分の心に留めておいて欲しいという自分の身勝手さを彼はどう思っているだろうか。しかし、それでも俺はこうして頼む事しか出来ない。
そんな俺の無謀な頼みを、彼は頷いて承諾してくれる。頷くだけなのに、俺はそんな彼の仕草を見ては心から安心しては笑みを浮かべる。
自分の歪んだ感情を人に打ち明けただけのに、それでも今の俺の心はさっきよりもだいぶ落ち着いていた。