Chain112 とうとうやって来た別れの時
君が俺の前に現れた時……俺の口から出てくる言葉は、君への別れの言葉
ガチャ……バタンッ
階下から聞こえてきた玄関の扉の開閉音。
そして、次に聞こえて来るのは階段を駈け上る音。
ここまでは、いつもどおりと大して変わりない。
そして、乱暴に部屋の扉を開けては
“琉依〜っ!”
そう叫んで入って来るが、今日はそう言うわけにはいかなかった。
ガチャッ
「琉依……?」
部屋の隅の方で座っていた俺に掛けられた声に、俺はゆっくりと顔を上げる。そして、少しでも君を安心させようと、作り笑いを見せる。
ちゃんと……笑えているのだろうか。不安になりつつ、笑みを絶やさずにいた。しかし、そんな時に限って君はしっかりしているんだ。
俺の強がりに気付いては、そっと近付いてそのまま俺を自分の腕で包んでくる。君の腕が震えているのか、それとも俺が震えているのか微かに振動を感じる。
「いつもと立場が逆だね」
そうしつこく強がりを見せる俺を、君はどう思っただろうか。
しかし、もうくだらない強がりを見せる事さえ疲れた俺は、そのまま君に身を委ねた。
「どうして、急に退学届なんか出したりしたの?」
しばらくして、俺を抱き締めながら君は尋ねてきた。
「急じゃ無いよ。前々から思っていたんだから」
少しでも君の体温を感じていたくて、君に体を預けたまま答える。
「そんな素振り見せてなかったじゃん」
「見せたりなんかしないってわかってるでしょ」
ククッと笑いながら答えては君を見ると、君は苦笑いを返してくる。
こんな事を君に言う訳が無いじゃないか。言ったら全く意味が無くなる。それに、話した所で君に理解出来る筈が無いからね。
「心配したんだから。今朝も私の事見えてたくせに、そのまま通り過ぎて……」
「だって、とても大事な用があったんだ……」
「大事な? 私よりも?」
「そう、夏海よりもね」
君は、今日がお祖父様の命日だって事を忘れているのか? それとも、その日が俺にとって自分よりも大切なものと思っていないのだろうか。
そんな君に、俺は意地悪っぽく笑みを浮かべた。
「夏海」
「な〜に?」
「ギュってしていい?」
「……はっ?」
いつもなら、何も言わずに抱き締めるから、突然の申し出に君は気味悪がっていた。
「嫌って言ってもするくせに……」
溜め息をつきながら困ったように答える君に、俺もまた苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、遠慮無く」
そう言っては君を抱き締める。気のせいだろうか……君とは何度も体を重ねているのに、こうして抱き締めるのは久しぶりのような気がする。
しかし、こうして心地よい気分に浸っている場合じゃない。俺には今から大切な事を告げなければならないのだから……。
「夏海……」
「な〜に? 今度は何をして欲しいの?」
そんな俺の決意など知る由も無い君は、ただ呑気にそう尋ねてくる。
まるで子供をあやすかのように俺の背を撫でる君は、今から言う俺の言葉を聞いて一体どんな反応を見せるのだろうか……。
「俺……ロンドンに行くんだ」
思いがけない俺の発言に対して、君は撫でていた手を止めるというとても解りやすい反応を示す。
そして、そのまま俺からゆっくりと離れてはこちらを恐る恐る見上げてきた。
俺の事だ……きっとまたからかっては、自分の反応を見て楽しんでいるに違いない……君はそう思っているのだろう。
しかし、俺が今言った言葉が嘘では無いという事を、今の俺の表情を見てくれたら君なら解るよね?
そこに嘘は一つも無い……
「な、何言ってるの?」
突然、退学届を出したかと思えば今度は突然のロンドン行きだ。
いくら俺の事を理解しようとしても、これではもう手の施しようがない。
でもね、いくら君が理解出来なくても、もうその意志を曲げるつもりは無いんだ。
目の前で何とか俺の発言を理解しようとする君を見て、俺はただ苦笑いを浮かべたまま……。
そう簡単には状況を把握出来ないよね。
ましてや、俺がこんな決意をした理由など、もっと理解出来ないよ。
だって、君が俺を想う以上に俺の君への想いが強いのだから。
強くて、重い……積み重ねてきた歪んだ愛情を今の君には到底理解出来やしない。
もちろん、それを押しつけるつもりは無い。だから、行き場の無いこの想いを捨てるために行くのだから。
ねぇ、夏海……君は今、何を思っている?