十五話「雨」
静かだった。
耳を澄ませてみても、何も聞こえない。音のない世界だった。
よくよく考えてみると、俺が眠りから目覚めたときは必ず「音」があった。
普段は目覚まし時計のやかましい「音」。最近では草本の周りにいるやつら全員を明るくするような元気な「音」。小さい頃は母さんの全てを包むような優しい「音」。様々な「音」が俺の周りには必ずあった。
だから、「音」がない世界なんてものは信じられなかった。。
俺がこの部屋の惨状を見てもそれは映画のスクリーンを通してみているような感じであった。一言で言えば、現実とは思えなられなかった。俺が暮らしていた世界だと信じられなかった。フィクションの世界なのだと感じられた。
部屋には『何か』の死体とそれの腕が転がっていて、ベッドの上には草本の死体があって。
今、俺がまともな思考をしていたら、このことをどう感じていたのだろう。どんなアクションを起こしたのだろう。彼女を殺めた罪の意識から苦しむのか。彼女が死んだことに悲しむのか。こうなったことを恨むのか。
脳回路が麻痺しているのか、今の俺には何の感情も浮かばない。だから何も感じないし、何も起こさない。作ったのはいいが、プログラムミスで全く動かないロボットのようだった。
グゥゥ〜、と鳴った気がする。ああ、そういえば何も食べていなかったな。お腹空いた。何か食べよう。
食料を探すために部屋を後にする。後ろでバタンと大きな音を立てて堅くドアが閉められる。
廊下に出ると、ある物が真っ先に目に入る。
「う・・・」
どんなに感情が麻痺してても、これは流石に耐えられなかった。
そこにいるのは一人の少年。俺が少年と判別できるのは下半身の服装がスカートとかじゃなくて男が履くようなズボンを履いているからだ。
性別はわかるとしてもそれが誰なのかは顔で判断することはどうしても無理だった。
なぜならその少年は、顔がなかったからだ。首から上がないんじゃない。頭が取れてるわけじゃない。むしろ、まだそっちのほうがよかっただろう。
彼の顔の皮膚が丸ごと取れていたのだった。顔の筋肉がむき出しになっていて、そこからは大量の血が溢れ出ていて、それだけに留まらず、そこにはいくつか穴が開いていて、その顔の先にあるはずの床が見えていた。
彼の上半身の服装はワイシャツでそれの胸ポケットの上に名前が書かれていた。
「里崎」
下の名前は乾いた血が付いているせいで見れなかった。
こいつは・・・里崎はどんな思いで死んでいったのであろう? 顔がなくなる死に方なんて、絶対いい気分じゃない。
これ以上見るのはやめておこうと思った。彼のためにも、自分のためにも。
草本同様、里崎も後にして下に下りていく。
二階に着くと廊下を歩き出す。一時期俺たちが使っていた部屋の前を通る。その先――一階に下る階段がある突き当たりに誰かが倒れていた。
一階に向かう階段はそこしかないので嫌でもそれに近づく。
それは俺の予想通りで先輩だった。腹に三つの大きな穴が開いていて先にあるものが見える。里崎の顔の穴と同じだ。
ただ先輩は里崎と違って死ぬ恐怖は味あわなかったはずだ。彼は何が起きたかもわからず死んでいったのだから。それに死に方だって、普通の死に方よりは何百倍も酷いけど、里崎と比べるとまだマシだった。
先輩を避けるようにして階段へ向かった。そのまま一階に下りる。
このまま食堂に行って何か食べようかと思ったが、心の奥底で僅かに残る理性がそれを止めた。この、かつての仲間達の死体がある建物で食べるようなことなどできなかった。
フラフラする体を動かしながら外に出る。
外の天気は曇りだった。それだけでこの街全体が元気のないように思えた。
目的地なんてものはなかった。だから俺は、ただひたすらに歩き始めた。さまよい続けた後に何があるかはわからない。それはこの街にかかる灰色の雲と同じだった。
宗谷の頭に何かが当たった。何事かと思い、空を仰ぐ。おでこにポツっと何かが降ってきた。それは最初は少なく、しかし時間が経つたびに大きくなり、降ってくる量も増えてくる。
冷たいそれは雨粒だった。
それはさっきまでは小雨だったが、今では本降りになっていた。
このままじゃまずいな・・・。
宗谷はそう考えて近くにある建物に避難する。どこのどんな建物かはわからない。それどころかあの建物からどれぐらい歩いたのか、どうやってきたのか、どのくらいの時間さまよってここにたどり着いたのかもわからない。
中の構造は前の建物とはあまり変わらなかった。階段のある位置も同じ。階段のすぐ横にある通路を進むと食堂があるのも同じだ。・・・似すぎていて、また元の場所に戻ってきたのではないかと思う。
まず二階に上がって田辺先輩の死体があるかどうかを確認する。死体がないことがわかると宗谷は胸を撫で下ろして再び一階に戻る。
一階で食料の保管場所を見つけ、そこですぐに食べられそうなものを集めて食堂にそれらを運んでいく。テーブルにもってきた食料を置いて箸やスプーンなどを探す。箸を見つけると、すぐに席に戻って座る。
いただきますの挨拶もなしに食べ始める。あくまで喉につっかえたりしない程度の早さで。久しぶりの食事のはずなのに、あまり美味しくなかった。味が感じられなかった。
まだテーブルにはいくつか残っているが、それでも空っぽの胃にいくらか補充したため、ぼんやりしていた思考が少しずつはっきりしてきた。
ああ、そうだ。俺はあの空間が嫌で外を歩き回って、ここにたどり着いたんだっけか。
色々なことが宗谷の中で鮮明に思い出されていく。
なんであそこが嫌になったんだろうか? いや、そんなのはわかってる。俺の知ってる人の亡骸がそこにあるから。俺が、大事な友達を、そこで、殺して、しまったからだ・・・。
宗谷はテーブルに手をついて、それに顔を乗せる。そのとき初めて彼は自分が泣いていることに気づいた。
なんで泣いている? 友達が死んでしまって悲しいから? 殺してしまったその罪悪感から? こんな悲劇が起こってしまったから? ―――多分、全部だ。
「う・・・ああ・・・あ・・うう・・・うああ・・・うっく・・・あああ・・・!」
宗谷は嗚咽を漏らしながら泣いた。
外はもうじき夜になる。つまり、『何か』が襲ってくるかもしれない。だが、宗谷はそんなことも構わず泣き続けた。それは自分の感情を全て流すために。自分という存在そのものを全て流すために。
外ではそれに呼応するかのように静かな雨が降っていた。
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