十三話「『何か』」
「―――くそっ!」
俺は『何か』がこの建物に向かってくることを確認すると、窓から離れて草本に説明する。
「草本、落ち着いて聞いてくれ。この騒ぎのせいで『何か』に見つかった」
「え・・・本当に『何か』が・・・?」
「ああ、俺も半信半疑だったけど、この目で見ちまったからな・・・。それでやつはここに向 かってる。悪いけど草本は里崎を連れて一番上の階の部屋で隠れててくれ」
「え・・・でも・・・」
「大丈夫だ。里崎はもうお前に何もしないよ。・・・もししたら・・・マジで・・・!」
「そうじゃなくて! 谷山は・・・」
「正直、ここでごちゃごちゃ話してる暇がないんだ。きちんと隠れてろよ、草本!」
「谷山!」
「下にいる先輩を呼んだら俺もすぐに向かう。だから心配すんな」
部屋に出る際、一度だけ振り返ってそう言った。今出来る精一杯の笑顔で。ただ・・・笑えていたのかはわからなかった。
―――畜生。なんで、こんなことになった?
どれこれも里崎のせいだ。あいつが・・・あいつが変な行動に移さなければこんなことにはならなかったのに。
俺の思いは、里崎に対する怒気しかなかった。もし今が非常事態でなければ、あいつをまたぶん殴ってるところであろう。
イライラする。はらわたが煮えくり返っている。湧き出てくる怒りが納まらない。
それでも今はそれが表に溢れないようにするしかなかった。
階段を駆け下りると、通路を駆ける。
「先輩! 先輩! 早く部屋から出てください! 大変なんです! 早く逃げて!」
先輩の部屋の前に来ると、ドアを力いっぱい叩いて先輩を呼ぶ。―――が、先輩は出てこない。鍵もかかっている。
―――くそっ、どこか違うところにいるのか? なんでこんなときに・・・!
まだ『何か』は来ていない。それに、来る気配すらない。本当にあれは来るのか、と疑問に思う。
自分の部屋のドアが開けっぱなしになっていた。急いで出てきたからドアを閉める暇がなかったのだ。
俺は『何か』が来ないうちに自らの部屋に入った。そして、奥にある―――刀を手にした。純一に刀を探しているときに、自分の分も念のために取っておいたのだ。こんなもの使う機会が来ないのを祈ってたけど・・・もうそれが叶うことはなかった。
「谷山〜? 呼んだか?」
部屋の前に先輩が立っていた。
「先輩。よかった・・・」
「よかったって何が?」
こっちの気も知らないで呑気な・・・。
「とにかく先輩、上に行って、隠れてください!」
「『何か』がここに向かってるんです! だから早く・・・」
通路に出て、先輩を無理やり引っ張っていこうとする。が、先輩は手を振り払った。
「おいおい・・・何言ってるんだ、谷山? 『何か』なんてものがいると思うのか?」
先輩はそう語りながら一階に続く階段に向かって歩く。
「先輩!」
「そんな焦るなって、谷山。ほら、いるわけ・・・」
先輩が階段の前に立った、その瞬間。
彼の体に何かが突き刺さった。その何かはまるで太い杭のような、何かだった。それが先輩の体から引き抜かれると、血が彼の体から噴出し、そのまま倒れこんだ。そのまま彼は―――動かなくなった。
「せ・・・せんぱああああああああああい!!」
その声ももう彼には届かない。
そうして階段から、何かが姿を現した。それがなんだったかはわからない。なぜなら俺はすでに踵を返して逃げていたから。それでも、わかった。先輩を殺したのは―――『何か』だ。
それにそれに・・・あの殺され方を俺は知っている。ああ・・・先生達はあいつらに・・・。
がむしゃらに走った。通路を。階段を。そのまま一番上の階に向かおうとした。・・・それを見るまでは。
なんで・・・なんで草本がまだ三階にいるんだ? 上に逃げろって言ったはずなのに。
「草本!」
俺は草本を呼ぶと彼女の元に駆けた。
「なんでまだここに!?」
「ごめん・・・里崎君が自分から動かなくて・・・」
彼女は里崎に肩を貸していた。
こいつは・・・なんでこんなにも俺たちの邪魔をするんだ? 怒りを通り越して殺意が湧いてくるのが分かった。
「くそっ! とにかく、今はこの階の部屋に逃げ込め! 里崎は俺が運ぶからお前は―――」
後ろから物音が聞こえた。素早く顔だけ振り返ると、そこには『何か』が立っていた。何がおかしいのか、『何か』は俺と目が合うとニヤリと気味悪く笑った。
「何、あれ・・・?」と草本の怯える声が聞こえた。「う・・わ・・・あれ・・・」と里崎の声も聞こえる。
俺は無我夢中に叫んでいた。
「―――部屋に、入れ――――!」
それと同時にやつは襲い掛かってきた。その瞬間も俺は叫んでいたが、なんと叫んでいたのかはわからない。
「うおおおおおおおおお!」
覚えているのは自らの咆哮。里崎を抱えて部屋に入ろうとするが、間に合わなかった。だから、俺は手を・・・放した。
ギリギリで『何か』の攻撃を避け、部屋に滑り込む。中にいた草本が急いでドアを閉める。
俺は草本に起こしてもらい、一緒に部屋の奥へと進む。そしてそのまま壁に背中をくっつける。ズルズルと滑っていき、やがては座る形になった。
俺たちはただドアだけを見ていた。草本は、助けを請うべきように、俺の服の裾を掴んで、俺の肩に頭を乗せていた。彼女は震えていた。俺はそんな彼女の首の後ろに手を回し、奥の肩を掴んで抱き寄せた。それは恐怖のせいでもあり、離れたくないという思いでもあった。俺は器用に片手で刀を鞘から抜き取った。カラン、と鞘が床に音を立てて落ちた。灯りがないこの部屋ではそれがよく見えなかった。
「うわ・・・やめろ・・・来るな・・・・・・来るなぁぁああああああああ!」
外から里崎の声が聞こえた。次の瞬間。
「うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・ぁ・・・・・・!」
怯えるその声は悲鳴へと変わり、それも虚しく消えていく。
変わりに聞こえるのはグシャリ、というリンゴを手で潰したときのような音。リンゴは手で潰すとき、中から果汁が溢れてくる。それと同じなら里崎からも赤い果汁が出ているはずだった。
そうして外からは何も聞こえなくなった。聞こえるのはこの部屋にいる二人の呼吸音だけ。暗闇の中、窓から差し込む月明かりだけが俺たちを照らしていた。
そしてゆっくりとドアが開かれた。その先から出てきた生物は一言で表すと―――怪物だった。
顔や手足など、外見の形だけなら人間に少し似ている。しかし、目はまるで肉食動物のような目で、この暗闇の中で光っている。歯は鋭く突き出ていて、これも目と同じように獣と似ていた。手や足はひじひざの辺りまでは普通だが、その先はおかしかった。指が3本しかなく、どれも杭のようにぶっとい指。そしてそこから生える、鋭く尖った爪。これで引掻かれたものなら肉がえぐれるレベルでは済まなくなるだろう。そして最後に肌。黒と深緑を混ぜ合わせたような色だった。それはこの部屋ではとても妖気だった。
・・・ない。
俺たちと『何か』は互いに見つめ合っていた。俺は信じられないものを見るように、それと睨みつけるように。やつは俺たちという獲物を吟味するように。
・・・たくない。
『何か』は観察をし終えたらしく、ニタァと気味悪く笑った。そしてこれが合図となった。
『何か』は本当に一瞬だけ腰を屈めて、それをバネとしてこちらに鋭い爪でいつでも引っ掻くことのできる体勢をとって一直線に飛んでくる。
―――死にたくない!
「うおおおおおおおおおおおお!!」
俺は自らの咆哮と共に、飛んでくる『何か』に向けて思い切り刀を振るった。
そして俺はこの夜の暗闇と同じ闇に溶けていった。
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