ランプの灯が消えるとき
薄闇で暗い道へ迷い込んだ時、ふと、ほのかに明るくなったなら、あなたはそのお店に入れるんだ。
そのお店は瓦屋根のランプ屋だ。
どこかデッサンが狂ったぐにゃりとした造りで、こじんまりとしている。
幾つかある大小の窓は、明かりを取り入れる為では無く、灯を放つす為にある。
飴色、だいだい、群青、碧……。
ステンドグラスの柄物も、花、蔓つる、城、鳥、獣……。
多彩な色彩を優しく薄ぼんやりと発光させた店内は、それなのに何故か薄暗い。
そこは、鼓動の様に揺れるランプたちの揺らめきで、生き物の腹の中にいる様。
でも、このランプ屋の不思議は見てくれじゃないんだ。
ここでは、後悔の灯を消せる。
簡単だ。ランプを売ってもらい、その灯ひをフッと消せばいい。
そうしたらもう後悔を背負わなくていい。
……綺麗に忘れてしまえるのだ。
ほら、今夜も深い後悔を背負った者が、ここに辿り着く。
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暗くて寂しい道をぐるぐる歩いているのだから、きっと悪夢に違いない。
少女は心細い気持ちで黒い道を見る。
でも、しょうがない。
私なんて、ずっとこの寂しい道をぐるぐるしていればいいんだわ。
そう思った矢先、灯が見えた。
おとぎ話の挿絵の様な、ぐにゃりといびつな小さな家の幾つかの窓から、その灯は漏れていた。
色とりどりの灯に魅せられて、少女はその家に近付いた。
でも、ちゃんと躾られた少女は、いきなりドアを開けたりしない。
そっと一番低い所にある、一番小さな窓から中をのぞく。
家の中には少女と同じ年頃の少年が、木のテーブルになにやら作業道具を広げてランプを作っていた。
しばらく息を潜めてそれを観察し、家の中に少年だけだとわかると、少女は意を決してドアへ向かう。
アーチ形の木のドアを、トントンとノックすると、「はあい」と返事があった。
自分でノックしたくせに、少女が少し怖気づいてまごまごしていると、「入れば」と声がした。
ぶきっちょな音を立てながらドアを開けて、少女は感嘆の声をあげる。
床から棚から天井まで、沢山のランプの灯が揺れていた。
「いらっしゃい」
と少年がぶっきらぼうに言った。ランプ作りに夢中だったのだろう。
「あの……ここはどこ?」
少年は顔を上げずに答えた。
「見ればわかんだろ」
気圧されて少女は目を泳がせる。
少年がこちらを見た。「わかんないの?答えろよ」とでも言いたげな玉蟲色の目は、ランプの光の揺らめきを奥に秘めている。
その現実感の無さが、少女のここにいる恐怖と疑問を落ち着かせた。
……なんて不思議な夢だろう。
「ランプ屋?」
「あたり」
つまらなそうに返事をする様子は、クラスの男の子に良く似てる。
ゲームに夢中な時とかにとる態度だ。
「店番をしているの?」
「おれの店だよ」
「でも……でも……子供じゃない」
「おまえもな。おまえ、何が好き?」
唐突な質問に、少女は「えっ」と言葉に詰まる。
「そうだな……ええと……」
豊かに育って来た少女には好きなものが多すぎて、一番を決められない。
「早くしろ」
さすがにムッとしてきて、少女は目を細める。
「……ネコ」
ひょい、と少年が作業をして下を向いていた顔を上げた。
「……ふうん……」
その呟きに、少女は胸がスッと冷えるのを感じた。
「うそっ!やっぱり嘘!ネコじゃない」
「じゃあなに」
「……いちご」
「あっそ」
少年は素っ気なく言って、また作業に戻る。
彼はテーブルの傍にある小さな丸椅子を指差した。
ちょうど、作業をしている少年の向かいになる位置だ。
「そこ座ってろ」
少女は大人しくそれに従った。ランプ造りを見てみたかったのだ。
少年はもくもくと作業を続けている。
手の動きに見とれていると、
「なんでネコ好きなの」と聞いてきた。
「かわいいから…」
「どこが」
「ふわふわで、柔らかいから」
「飼ってんの?」
ううん。と少女はうつむいた。
「そんな資格、ないから」
「難しい事言うね」
子供のくせに、と少年が唇を歪めた。
だって……そうなの。としゅんとして少女は呟いた。
「ねぇ、これって夢だよね」
「あんたにとってはそうかもね」
受け止め損ねて、少女はふうん、声を出す。
「夢なら、誰もいないよね?」
「おれは無視か」
「だって、夢だもの」
少年はランプを作る手を止めない。
チラ、と不思議な色の目を少女に向けただけだった。
ランプは既に型が完成し、残るは灯を覆う部分だけだ。
出来かけのランプを手に持って、所々点検しながら少年が促した。
「……話せば? ここに来るやつは、みんな話したくて来るんだ」
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小学校の帰りに、公園で子猫を拾った。
その猫はカラスにでもやられたのか、片目がつぶれていた。
「こんな醜い猫」、と両親は嫌がったが、いつしか情がわいていた様に思う。
私はその子猫が好きだったし、かわいいと思っていた。
子猫は良くなついて、わたしの後を追って歩いた。
可愛かった。
ある日、公園で猫とじゃれていると、近所の瑠里ちゃんが、猫を連れて川へ遊びに行こうって誘って来た。
瑠里ちゃんは近所の子供たちの中で一番お姉さんで、瑠里ちゃんに嫌われると、皆に嫌われてしまう、といった種類の女の子だった。
私はとても内気だったので、瑠里ちゃんに声を掛けてもらった事に舞い上がってしまったんだ。
「その猫、不細工だからオシオキしよう」
瑠里ちゃんはそう言って、私から子猫をひったくると、川に投げた。
小さな子猫は必死で戻ってきた。
私はホッとして、子猫を抱き上げた。
子猫は芯から震え上がっていた。
震えの振動が、私の心を刺した。
瑠里ちゃんは、また私から子猫をひったくって、川へ投げた。
子猫はまた、必死で戻ってきた。
瑠里ちゃんは手を叩いて喜んだ。
私は瑠里ちゃんが怖くて、一緒に笑ってた。
もう帰ろう、そう言おうとした時、瑠里ちゃんが言った。
「今度はあんたが投げなよ」
私は、……私は嫌で嫌でしょうが無かった。
でも、本当に瑠里ちゃんが怖かった。
二度も帰って来たから、大丈夫だよね……。
また帰ってくるよね……。
子猫が弧を描いて空を飛んだ。
その時、私は何かを失った。
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色とりどりの灯から恥じる様に身を縮め、彼女は顔を手で覆った。
「も、も、戻って来なかったの」
「たりめーだ」
子猫の体力の限界だったのだろう。
でも、彼女の見解は違う。
「目が合ったの。絶対忘れられない、目だった。それから、あの子……諦めたの」
彼女の嗚咽が響いた。
少年は作業の手を止めて、肘をついた手に顔を乗せてしげしげと彼女を見ている。
「き、きっと、瑠里ちゃんが投げてたら、戻って、来てた……」
私がやったから、私が……!
コト、とランプが彼女の前に置かれた。
彼女はポロ、と木の机に滴を落とし、それを見た。
そのランプのステンドグラスの中で、猫がいちごにじゃれている。
「……素敵ね……」
「買う?」
「…………」
「あんた、ここは夢だって言ったよな。だから、夢みたいな事言ってやるよ。このランプでは、過去の後悔が消せる。……あんたのその、心から」
「どうやって?」
「ランプにあんたの『後悔の灯』を灯す。そんで、消す」
「それだけ?」
「それだけだ」
彼女の胸が上下して、両手が激しく揺れた。
「……欲しい」
「なら、代金がいる」
「お金を持ってない」
少年は肩を竦める。
「おれが金いると思う?」
そっか。夢の中の住人だ。と彼女は表情を緩めた。
でも、瞳には餓かつえた光を宿したままだ。
自分でもわかる。浅ましい、苦しみから逃れたがっている顔をしているに違いなかった。
「私に払えるもの?」
「……いるんだね」
ちょん、と少年がランプを指で小突く。
「……いるわ」
彼女はいつしか大人の女になっている。
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少年は彼女の手をとって、ランプにかざす様にした。
なんてことない、それだけで、ふ、とランプに灯が灯った。
「はい」
無造作にランプを渡されて、彼女は拍子抜けして少年を見る。
少年はもう、他のランプを作り始めている。
「……消せばいいのね?」
うん、と面倒臭そうに言って、少年は「あ、そうだ」と顔を上げた。
「代金くれよ」
「なにがほしいの」
「おまえの猫の名前と、あと模様が知りたいかな」
彼女は答えようとした。
答えようとして、あ、あ、とつっかえた。
一生懸命考えた名前。かわいい名前をって、張りきったんだ。
模様は、模様はね。カラスにやられて、所々皮膚が見えていたの。
ようやく柔らかい毛が生えて来た頃だった。
「大人のくせに、よく泣くなぁ」
少年がそう言うのを聞きながら、彼女はランプを胸にギュッと抱えたんだ。
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嘘じゃないよ。
そこのランプ屋で売ってるランプは、後悔を消せるランプ。
でも大抵みんな、灯を消さずに帰るんだ。
おかしいよね。
大事に、大事に抱えて、帰るんだ……。
後悔、厭なものです。
ずっとこちらを伺って、自分を辱めたり苦しめたりする。
でも、大事に抱えて行かなければいけない。
そうでなければ、ずっと暗い道が続く気がする。