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卵世界 カナリアの絶叫

作者:下山 辰季
卵世界の 子供らは、光る卵を 身に宿す。
それは 彼らの 可能性。

年追うごとに 色あせて、光る卵は 消えていく。
それは 悲しい 決まり事。

卵世界の 子供らよ、思いの限り 生きなさい。
君の 光が 消えぬうち。


 タカはほんの気まぐれからテレビの子供番組を見ていた。
 そこで流れたレトロな童謡を耳にして、思わずタカは吐き捨てるように笑う。

「カビが生えるほど古臭い価値観だ」

 世界は閉塞している。道も扉も見つからない。殻を壊せない卵のように窮屈だ。
 そこに住む者達の頭はまさしく鳥そのもの。首から下は二足歩行に適した体。
 貧者も富める者も、白身の海で溺れているのか遊んでいるやら。

 誤解が起きないようにつけくわえるなら、白身の海というのは比喩である。
 鳥の頭を持つ人々が暮らす卵世界は、地球に似た惑星だ。なので卵黄の太陽や卵白の大海、カラザの鎖や気室の大空洞などは物理的には存在しない。
 しかし目には見えず容易には破れない殻に抑え込まれているという、漠然とした焦燥感が人々の中にはあった。

 ゆるやかな絶望の中でも子供は希望の象徴だ。
 子供達には未来がある。その命はあらゆる可能性に満ちている。
 世界の殻を破れるほどに強い雛が、いつか現れてくれまいか。大人達はそう期待を寄せている。勝手なものだ。

 強く賢く裕福な両親に恵まれたタカは、自分の可能性を剥奪されたりはしなかった。
 たっぷりの教育と教養が、幼い頃のタカに惜しみなく与えられた。

 そのはずなのだが……、どうしてだろう。
 昔はとうてい選びきれないほどたくさんの可能性の扉が開いていたというのに、今のタカは袋小路で立ち往生しているようなものだった。

 タカはため息をつく。上等な仕立てのスーツの上からそっと鎖骨の辺りに触れてみた。
 子供時代はたしかにここに、小さな黄金色の卵があったのだ。言葉の綾ではなくて、実際に。
 卵世界で産まれた子供は誰でも、胸の辺りに卵型の結晶を宿している。まばゆいばかりの黄色い卵。

 子供達の胸で光る卵は可能性の象徴。
 誰にも奪われなかったはずなのに、タカの体から光る卵はいつしか消え失せてしまった。もう跡形もない。

 だが新たにこの世に生を受けた子供達ならば、まだ可能性を失ってはいないだろう。
 タカはコウノトリの巣へと向かう。



 コウノトリの巣と名付けられた施設は都市部の郊外に位置していた。周囲は閑散としている。
 薄汚れた雰囲気の四角い建物。悪くなりかけの豆腐のような外観だ。
 運動場を兼ねている庭は、機能性重視で面白みのないつくり。じっくり見ていると、だんだん陰気な気分が伝染してきそうだ。

 施設は高いフェンスによって外と隔てられている。
 フェンスの道に面した側には、プラスチックと電気仕掛けの巣箱がいつくか設置してある。
 この巣箱は、親の力で育てられない卵を施設が回収するためのもの。
 巣箱には保温装置がついており卵が冷えないようになっている。イタチやネズミといった哺乳類の脅威を防ぐ仕掛けもついているから安全だ。
 集められた卵は、ある程度成長するまでコウノトリの巣で養育される。



 フェンスのそばであくせく働くコウノトリの姿をカナリアは部屋の中から冷めた目で見下ろしていた。
 自分も少し前はああいった卵の一つだったのかと思うと、不思議な気分になる。

 コウノトリの動きがとまった。後ろから誰かに声をかけられた模様。見知らぬ大人がコウノトリに近づいて、何やら話しかけているのが見えた。さすがに会話の内容までは聞こえてこないが、カナリアは推測してみる。

(通りすがりが道を尋ねてる、って雰囲気には見えない)

 品の良さそうな服を着ているが、クチバシは鋭く恐ろしい。
 その眼光が窓辺に立つ自分にサッと向いたような気がした。ただの見間違いかもしれないが、無作法な盗み見がバレたようで不安になる。
 カナリアは冷静さを装いつつ、さりげなさを意識してサッと窓から離れた。
 と、同時に背中に感じる軽い衝撃。

「いってえな!」

 急に動いたせいで、他の子供にぶつかってしまった。
 トビである。
 よりによって嫌な相手にぶつかったものだ、とカナリアは悔やむ。

 トビはわりと荒っぽい。
 案の定、強く突き飛ばされて華奢なカナリアはよろめいた。

 だがトビはそれ以上カナリアにかまうことはなく、いきなり別方向にパッと駆け出す。
 一瞬困惑するカナリアだが、聞こえてきた声で納得する。トビはもっと憎いケンカ相手を見つけたのだ。

「あーらら、かわいそう! 痛い痛ぁーいでちゅねー。貧弱なトビちゃんの骨が折れちゃった!」

 カラスの挑発に乗ってトビは全速力で追いかける。
 トビとカラスは仲が悪い。いつもこんな感じだった。

(低レベルなケンカ……。でも、そのおかげでこっちは助かったかな)

 カラスの横やりで結果的にトビにしつこく絡まれずに済んだ。
 そうカナリアが安堵したのも束の間で。

「ヒヨコ! ヒヨコ! 間抜けなヒヨコ!」

 廊下のかげでニワトリのグループが一部始終を見ていた。
 カナリアの顔がヒヨコに似ていると言いたいのだろう。
 トビとカラスが仲が悪いように、カナリアとニワトリ達の間にも因縁があった。

 卵から孵化した後しばらくは、カナリアとニワトリ達はよく行動を共にした。
 やがてニワトリ達のちっぽけなトサカが淡く色づく頃には、カナリアとの違いが際立つようになった。
 ニワトリ達は群れを好むわりに、仲良くするのは不得意のようだ。いつも他のメンバーの粗探しだとか、立場の弱い者へのいびりだとか、陰口の応酬だとかに精を出す。
 仲間内の序列を四六時中気にかけるニワトリのグループに嫌気がさして、カナリアは距離をとることにしたのだ。

 カナリアは単独でいることが少しも苦ではない。気が楽で良かった。
 一人でいることで向けられる悪口よりも、あの集団の中で聞くはめになる仲間同士の噂話の方が、よっぽどカナリアの神経に障る。

 ヒヨコヒヨコと騒ぎ立てるふざけた合唱を無視して別の場所に移る。
 この狭い箱の中でどこに逃げても、たいして変わらないことは理解していたけれど。

 他の子供がいない場所を探していたカナリアは足を止める。
 玄関ホールの方向から、来訪者の気配がした。



「ようこそいらっしゃいました」

 コウノトリは施設に訪れたタカを歓迎しているようだった。
 見知った世話役以外の大人の存在に、巣の子供達はそわそわと落ち着かない気分になる。
 どんな大人に選ばれるかでその後の運命が大きく左右されるのだから当然だ。

 タカをもてなすコウノトリの態度をカナリアは目ざとく観察する。
 タカからは金と権力の香りがした。

 紹介される順番を待つ間、カナリアは自分が他の人の目にどう映るか考えていた。
 カナリアは痩せている。
 その体のシルエットは男性的でも女性的でもなく、成長途中の子供の肉体としかいいようがない。
 顔立ちは自分では整っている方だと思うのだが、ニワトリのような嫌な奴らはヒヨコだとはやし立ててくる。

 コウノトリがタカに子供達を紹介していく。ついにカナリアの番が回ってきた。
 かしこまって背筋を伸ばして立っているカナリアを一瞥し、タカは一言。

「ヒヨコ? いくらなんでも、私と一緒に生活するにはまだ幼すぎる」

 ニワトリ達のいる方から聞こえてくる忍び笑い。

(不愉快……)

 結局タカに選ばれたのはトビだった。



 それから数日後。

「ヤバイヤバイよ! 大人がくるぞ」

 カラスが騒々しく報せまわる。読書中だったカナリアは本から目線を上げた。
 玄関の方から大人達の声がする。

(どうやら本当らしい)

 カラスは面白半分にウソをつく。ケンカ相手のトビが去ってからというもの、ウソの頻度とイタズラの激しさが増した。

 カナリアは顔の羽毛を丁寧になでつけ、履き古した靴が少しでもキレイに見えるように拭いておいた。上流の人は、服よりも靴を見て相手のことを判断すると、いつか読んだ本にそう書いてあったからだ。
 それから、ぼんやりと考える。

(ヤバイって、どうヤバイんだろう)

 カラスの報せから数分後にコウノトリが連れてきた大人には、たしかに異様な気迫があった。
 丸く黄色い目。目の周りの羽が黒っぽくなっているのも不気味だ。
 正面から見ると円に近い丸い頭。灰色と白の羽毛が年輪のような模様を描き、その顔にいっそうのすごみを与える。
 この前のタカはシャープな力強さを体現していたが、この鳥には強さだけでなく不気味さがあった。フクロウだ。

 フクロウがジロリと子供らを見渡した。
 子供をさらってむさぼり喰らう森の悪魔のようだ。
 コウノトリの巣から子供を引き取れるのは、良識を認められた大人だけ。少なくとも、一応は、そういうことになっている。
 だからこのフクロウも、いくら見た目が怪しかろうと危険な存在ではない……、はずなのだ。

 不穏な空気に、子供達は誰からともなく普段一緒につるんでいる集団で固まる。
 そしていつも一人を好んでいたカナリアは、必然的に孤立する。
 周りから取り残されて、ただポツンと。
 面倒臭くて嫌な思いをすることも多いのに、どうして他の子供達がわざわざ仲良しグループなんてものを作っているのか、ようやくカナリアにも理解できた。
 楽しいから一緒にいるわけじゃなくて、危険から逃れるために一緒にいるのだ。

 フクロウの目がカナリアをとらえた。
 せめて堂々としていよう、とカナリアは腹をくくる。

「生意気な目をしている」

 悪魔の吟味がはじまった。
 カナリアの周囲をフクロウがうろつきまわる。

「お前。こういう時に助けてくれる友達が、たったの一人もいないのかい?」

 カナリアはすました顔で遠くをぼんやりと見ていた。
 そのいかにも作られたクールな態度に、フクロウはおかしそうに笑う。

「ホ、ホウ! だからといって、ちっともしょげちゃあいない。余計な者と関わらずに済んでせいせいしてる、って面でいる」

 グリン、とフクロウの首が回転した。
 首だけで真後ろに振り返りコウノトリに話しかける。

「この子がとても気に入ったよ。あっちもそう思ってくれてりゃ良いけどね」

 ふいをつかれて驚いていたコウノトリだったが、やがて神妙な顔で説明する。

「あの……。その子には少し事情が……。カナリアは会話が得意ではありません」

「そら陽気なおしゃべり好きには見えんわな」

 のんきに構えるフクロウに、コウノトリは言葉を選びながらこう伝える。

「いえ、もっとその……。この子は会話によるコミュニケーションに強い抵抗感があるようなのです。お医者さまの診察では、肉体の発話機能そのものに支障があるわけではないとのことですが……」

 カナリアは無表情を崩さなかったが、内心では失笑を押し殺していた。
 大人をバカにする笑いを。

「話そうとしてくれない原因は不明です……。どうしても伝えたいことがあれば文字を書いて教えてくれますが」

 その後、カナリアは久々にペンを手にすることになった。
 数枚の書類にサインをしていく。
 その文字は別に、どうしても伝えたいことではなかったけれど。



 わずかばかりの私物が詰まったカバンの重さだけを信じて、カナリアはコウノトリの巣から旅立った。
 見知らぬ土地。見知らぬ大人。
 都市を貫く電車に揺られ、町を回るバスに乗り込み、村を結ぶ田舎道を歩く。

 フクロウの住まいは森の奥にあった。
 ウロコ瓦の屋根の家。薄暗い森に溶け込む地味な色使いをしているのに、窓やドアの装飾はユニークで目を引く造りだ。

 家に入ったフクロウが電気のスイッチをパチンとつけたので、カナリアはホッとした。

(良かった。文明の恩恵にはあずかれる)

 あまりにも森と調和した家だったので、電気や水道が通っていないのではと心配したが杞憂だった。
 全体的にこじんまりとしているが、中は意外と快適な空間になっている。
 カナリアにあてがわれたのは二階の部屋。
 二階への階段はかなり急で、しかも幅が狭い。一応階段の形をしているけれど、実際は斜めに立てかけられたはしごみたいなものだった。建築の都合なのだろうが、嫌がらせのような階段だ。

「あの階段を上がるのはキツくてね。部屋を見といで」

 フクロウに促されて、カナリアは一人で急勾配の階段を上がった。
 カナリアは廊下に立ったまま中の様子をうかがう。まだ部屋の中には足を踏み入れていない。
 机やベッドに棚といった家具は一通りそろっていた。新品ではないが、ちゃんとキレイに手入れされている。
 生活の準備が整っていることは嬉しいが、その一方でカナリア自身がインテリアを選べなかったことを少し不満にも思う。子供にもセンスや好みというものがあるのだ。

「いらっしゃい。自分の部屋は気に入った?」

 予期せぬほど近くから話しかけられる。背後からだ。フクロウの声ではない。気配は全然感じなかったのに。
 びっくりしたことを悟られぬよう、カナリアはわざとゆっくり振り返る。

 小柄な体格に地味な柄。茶色っぽい顔に白いぶち模様。
 トラツグミだ。

 こういうことに関して勘の良いカナリアはすぐに察する。
 トラツグミとフクロウはパートナー関係なのだろうと。

(それは別に良いけれど……)

 今のところ二人に恨みがあるわけではないが、自分の存在をパートナーの仲を円満に繋ぐペットのようにされるのだけは絶対に嫌だと思った。

「後で一緒に家の近くを見にいく? どこでも好きなところに案内するけど」

 その申し出には、はっきりしない曖昧な顔で流す。
 カナリアはトラツグミから視線を外して部屋に入ると、持ってきた荷物の整理にとりかかった。少しの興味さえなさそうに。

「森の小道を外れさえしなければ迷子になったりしないから」

 それだけ告げて、トラツグミはカナリアの邪魔をしないように引っ込んだ。

(どこでも好きなところ、だって)

 カナリアは鼻で笑う。

 世界のどんな場所にいようと。どんな奴らに囲まれようと。どんな境遇に陥っても。
 カナリアは平気だ。つらいことは何もない。

 胸元で黄金に輝く卵の存在をたしかめる。
 これさえ失わなければ、カナリアは大空の覇者にだってなれるのだ。
 ……本気になれば。
 ……その可能性が自分にあると信じていれば。

 食事の席では、自分の頑なな態度が原因ですっかり凍てついた空気を楽しむ。
 特に食欲がないわけではないのだが、カナリアはごく少量の食べ物しか口にしなかった。
 フクロウとトラツグミに、とにかくプレッシャーをかけたかった。繊細な子供の対処に戸惑って、大人達が的外れな気を遣うのがバカみたいで面白い。

 明日もし永遠に目が覚めなくても別にかまわないという投げやりな気分で、カナリアはベッドに入った。
 布団も枕も、赤の他人みたいな匂いがする。



 カナリアの気持ちとは無関係に、今日もまた朝がきてしまった。
 窓から差し込む朝日を感じながら、しばらく布団にくるまり続ける。
 頭は目覚めていたが、この家の大人達が起きないカナリアにやきもきしてドアをノックしてくるのを待つつもりだった。

 ……しかし、どうにも様子がおかしい。
 朝日はとうに昇っているのに、フクロウの家の中はシンと静まり返っている。

 とうとうカナリアはしびれを切らす。ついにベッドから這い出した。
 パジャマのままか、着替えるか。ちょっとだけ迷ってから、パジャマでこっそり部屋を出る。
 これならフクロウ達の動向をひそかに観察した後、素知らぬ顔でまた自分のベッドに潜り込むことができる。

 音を立てないようにドアを開ける。
 廊下は青白い冬の朝の空気で満ちていた。
 カナリアは身震いした。

(この格好だと、さすがに寒いかも……)

 後悔したが探索を続行。
 無人のリビング。
 電気も火もついていないキッチン。
 フクロウの書斎の机は空席で、トラツグミの小さなアトリエにも主の姿は見当たらない。
 トイレやバスルームが使用中でないことも確認した。
 玄関を見た感じでは、朝早く外に出たといった風でもなさそうだ。

 となると、残されたのは二人の寝室。

(寝室……)

 さすがにここを覗き見るのは戸惑うカナリアだったが、ドアの前に立っているだけで聞こえてくる心地良さそうなイビキが状況を教えてくれた。
 呆れたのは一瞬だけ。その次に沸き起こったのは怒りだった。

(信じられない! 起きるの遅すぎ)

 早く起きて自分を待っていてくれない二人をカナリアは恨んだ。
 自分でも理不尽で不可解な感情の動きだと思ったが、ふつふつと湧き出す怒りは抑えきれない。

 猛然とした勢いで二階の部屋に戻り、荒々しく身支度を済ませる。
 書置きも残さずに、カナリアは勝手に朝の散歩に出ることにした。

(どこでも好きなところにいかせてもらうから)

 ただし案内は不要だ。一人でいく。



 カナリアが一歩踏み出すたびにサクサクと霜柱が砕けていった。
 森といってもだいぶ開けた雰囲気で、家に通じる道はしっかりと踏み固められていた。やみくもに茂みに入っていったりしなければ、まず迷いはしないだろう。たしかトラツグミもそんなことを言っていた。

 この森には葉を落とした広葉樹もあれば、寒さに負けない常緑樹も混在している。
 寒々しい冬の木が並ぶ中で、黄色く香り高い花を咲かせているウィンタースイートの低木を見た時は、怒りで固く閉ざされていたカナリアのクチバシも穏やかにほころんだ。
 ハッとする。
 誰も見ていないのにカナリアは慌てて不機嫌そうな顔に戻り、霜柱をめちゃくちゃに踏みつけながら散歩を続けた。



 森を抜けると素朴な農園が見えてきた。
 朝の陽ざしに照らされたその風景はのどかな美をたたえており、思わずカナリアは見入ってしまう。
 それがいけなかった。

「おはようさん! ここらじゃ見ない顔だね!」

 遠くから大声で話しかけられ、ギクリと背中がこわばった。
 薄茶色の草地の向こうから、誰かが手を振り近づてくる。その顔はアヒルだ。背丈からしてカナリアと同い年ぐらいだろうか。

 無視して逃げ出そうかとも思ったが、思いとどまる。
 このアヒルと特に親しくなるつもりはないが、近隣の住人にフクロウとトラツグミの悪評をばらまけるチャンスだ。

 口で挨拶を返す代わりに、カナリアは落ちていた小枝を拾って地面に文字を書く。
 アヒルは物珍しそうな顔をしてその様子を見ていた。

 ――はじめまして。

 文字を書き終えたカナリアにアヒルは輝くような笑顔でこう言った。

「ああ、アンタって口がきけないんだ? 大丈夫! 気にしなから!」

 あっけらかんと放たれた言葉にカナリアは絶句。いや、元から声は出していないのだが。
 配慮というものが微塵も感じられない物言いだった。

(しゃべれないんじゃなくて、しゃべらないだけなんだけど)

 カナリアは氷のような無表情をしてみせたが通用しない。
 アヒルは全然気にせずに一方的にしゃべりまくる。

 この農園はアヒルの家族が営んでいて、家畜化されたカモノハシとハリモグラを飼っていること。
 どちらも卵と食肉を効率的に得るために改良されて、野生種よりもだいぶ飼育しやすい。
 今は冬なので飼育小屋の中にいるが、暖かな季節には農園の敷地内に放牧してやる。
 一番喰いつきが良いのはそれぞれの好物の生きた魚やアリだが、家畜は合成飼料も食べるので世話が楽。
 今日のアヒルは割とヒマで、とりあえず外に放り出しているバケツやタルにはった分厚い氷をいっぱい集めてスケートリンクを作って遊ぶ予定だった。

 ……などといった非常にどうでもいい話を長々と聞かされた。なお、その方法でまともなスケートリンクができるのかは不明である。

 アヒルの話が一段落したところを見逃さず、今度はカナリアが地面に素早く文字を書き綴る。
 悲しい事情と心の傷を抱えているような訳ありの眼差しで。

 ――別にしゃべれないわけじゃない。
 ――周りに信用できる人がいないせいで、言葉を声に出したくなくなる。

「ふーん。難儀だね」

 ――そう。とても大変でつらいけど、今の自分にはこうすることしかできないから……。
 ――それにしてもフクロウとトラツグミはひどい人達。朝食を用意してくれなかった。思いやりがない。
 ――ああ、これから自分はどうなるんだろう……。

「アハハッ、寝坊助はだらしないよね! あの人達は早起きが苦手みたい。まあ、そろそろ起きたんじゃない?」

 ほがらかなアヒルの返事は、カナリアが望んだ反応ではなかった。
 不満そうに小枝を動かす。

 ――まだ寝てたら?

「ドアを叩きまくるとか」

 クチバシをパカンッと開いてアヒルは陽気にそう言った。

 盛大にため息をつきたいのを我慢して、カナリアはアヒルと別れた。
 重い足取りでとぼとぼとフクロウ達の住居に戻る。
 太陽をチラリと見上げた。

(……急がないと、ランチじゃなくてブランチになりそう)

 フクロウとトラツグミはすでに目を覚ましていた。
 勝手に外出したカナリアを頭ごなしに叱ることもなかったし、かといって気持ちが悪いほどに自分側の落ち度を反省するでもない。

「生活サイクルの違いを考慮していなかったことに原因がある」

「すっかり夜型の生活に慣れていたからね……。カナリアの起きる時間と調整しないと」

 フクロウが原因の特定をして、トラツグミは今後の改善策を一つ示した。平穏な空気だ。
 隙あらば大きな波風を立ててやろうと意気込んでいたカナリアだが、キッチンに広がる温かな料理の匂いに戦意を喪失する。

 湯気の立つ青菜のポタージュ。パフ状にした雑穀のクラッカーが添えられている。
 イカ骨の薄焼きは、パリパリとした食感を楽しみながらカルシウムが補給できる人気の健康食品。
 作りたてのミックスジュース。優しく淡いオレンジ色だ。複数の柑橘類をベースに、味をまろやかに整えるバナナとミルクが入っている。

 カナリアはこの世界が好きではない。
 だけど世界に怒りをぶつけてやるのは、この美味しそうなブランチが済んでからでも良いかと考え直した。



「アンタってさあ。ヒヨコじゃなくて本当はカナリアなんだってね」

 カナリアがここに移ってきて数週間。
 アヒルの素直ゆえの無神経さには慣れた。
 べったり仲良くなることはないが、こうしてお互いに気が向いた時に筆談をするぐらいの交流はある。

 ――そうだけど? だから何。

 アヒルの方も、カナリアの冷淡さに物怖じしない。
 平気で話を続ける。

「カナリアかー。じゃあもし声が出せたんなら、キレイな歌が歌えるのかもね」

 アヒルはたいていカナリアをイラつかせるのだが、この発言はけっこう気に入るものだった。
 すぐに憂いの眼差しで文字を書く。その手はとても素早く、動きは活き活きとしていた。

 ――世界があまりに汚いから、歌は響かない。歌は失われた。世界が、汚いから。

「はー何言ってんだかなー」

 翼に矢を撃たれた鳥のような悲壮感をしきりに漂わせるカナリアをスルーして、アヒルはオヤツに持ってきたリンゴを果物ナイフでシャクシャク剥きはじめた。



 音になることのない歌こそが、何も持たないカナリアの唯一の拠り所だった。
 将来に希望が見えなくても。特技や才能もないけれど。
 声を出さなければ。歌わなければ。何もしなければ。
 本当は天上の歌声を持っているのだと自分に言い聞かせることができるから。
 つまらない凡人ではないのだと思い込めるから。

 バカげた考えだと理解している。
 根拠のない自信にすがっているだけだと。
 ただそんな空想にしがみついてでもいなければ、空虚な白身の海で窒息しそうになるのだ。



 困ったことに、アヒルがそんな与太話をフクロウとトラツグミに教えたらしい。住民同士の情報交換が盛んな地域ではよくあることだ。

 ――世界があまりにも汚いから、歌は響かない。
 その言葉を聞いた二人は、カナリアが心置きなく歌えるようになるために、悲しいぐらい無駄な努力にとりかかった。

 芸術に触れてカナリアの心が潤うようにと、町の美術館や博物館に連れていく。
 自然に抱かれて心が解放されるようにと、森に住んでるのにわざわざハイキングに出かけたり。
 似た悩みを持つ仲間を見つけて心が癒されるようにと、思春期の少年少女の交流会に参加したり。

「いつかカナリアの歌を聞いてみたい。ああ、でも焦らないで。自分のペースで良いからね」

「ホホッ! 若く才能あるお前をスーパースターにして大儲けしようなんて企んじゃあいないよ」

「ちょっとフクロウ。そういう冗談はカナリアに嫌がられるよ」

 トラツグミに肘でつかれて、フクロウは茶化してしゃべるのをやめた。

(本当にもう勘弁してほしい。何もわかってないくせに!)

 カナリアは、心を閉ざした歌の名手という存在になりたいが、本当に歌をのびのび歌いたいわけではない。
 この違いは非常に大きい。深い溝がある。

 頑固に声を出さないのは、歌に関する天賦の才がある、という可能性を失いたくないからだ。
 声を出せるようにというフクロウ達の思いやりの計画は、カナリアにしてみれば可能性を侵食してくるものに感じられた。
 うんざりしてこう訴える。

 ――家にいたい。

「ホッホゥ」

 何気なく書いた文字を見て、二人がどこか嬉しそうに笑ったのが気に喰わなかった。

(家が好きなわけじゃなくて、くだらない催しにいきたくないってだけで……)

 と、穏やかに喜ぶ二人をバカにしたところで、ふと気づく。
 フクロウとトラツグミが優しく笑ったのは、カナリアがこの森の中にある建物をただ家と表現したからだと。
 本当に腹が立つけれど、自覚してしまう。
 この大人達との生活を少しずつ受け入れてきていることを。

 リビングから自分の部屋に立ち去ろうとして、またしてもカナリアは内面の変化に気づいてしまう。
 苦々しい気持ちでクチバシを小さく鳴らした。



 そんな日々が続いてしばらくのこと。
 楽しいバスタイムに事件が起きた。

 Tシャツを頭からするりと引っこ抜く。
 脱衣所に備えつけてある鏡にカナリアの細い体が映る。

 胸元にある卵が、いつもよりくすんで見えた。
 それになんだか小さくなっているような気がする。

(っ……!)

 それは不吉な予兆。
 シャワーを浴びながら、カナリアはただひたすら頭を抱えるしかなかった。

 卵型の石の正体は生体栄養物質。
 卵世界の住人は小さな卵から孵化した後で、3kg……6kg……12kg……30kg……最終的には平均50kg以上のサイズへと成長していく。
 胸元で光る黄色い卵は、その成長を助ける栄養分の塊だ。
 大人になるにしたがって自然に体内に吸収されて消えてしまうので、子供時代や未発達な状態、そして可能性の象徴とされている。
 学問の世界では進化の名残ではないかと考えられているが、そんなことはカナリアにはどうでも良い。
 科学者はカナリアを助けてくれはしない。

(どうしよう)

 あえて未完成の状態で居続けることで、本気になればすごいのだと自分を騙し続けてきた。
 そんな屁理屈が通用するのは子供時代までだ。

 いつまでも子供でいられると心のどこかでは信じていた。人はいつか必ず大人になるのに。
 尊大で無邪気で傲慢な子供が作り上げた張りぼての自分のイメージが、ポロポロと崩れていくのを感じる。
 ポロポロと。
 排水溝に流れていく水の中には、カナリアの涙も少し混ざっていた。



 大人になることに恐怖した夜から数年。
 かつてカナリアの胸元で燦然と輝いていた金の卵はもはや跡形もなく消えていた。
 変わっていないところもある。性別がわかりにくい細身の体と、ヒヨコに似た黄色い顔はいつまでも若々しい印象だ。
 昔あれほど声を出さないことに執着していたことがウソのように、そのノドは言葉を流暢に音に変えて外に出す。ちょっと自嘲的なつぶやき。

「それにしてもフクロウは変わってるよね。コウノトリの巣で会った時、どうしてあんなひねくれ者を選んだんだか……」

「ホホ。それについては、懐かしさと共感とでも答えておこうかね」

 ニヤッという風にクチバシをかすかに開いて、トラツグミがつけ足す。

「同じ羽の鳥は群がる。なんてコトワザもあることだしね」

 勘の良いカナリアはそれでだいたいを察した。この二人にも、難しい年頃の時期があったようだ。
 あの当時は二人のことを何もわかってないバカな大人だと思っていたが、振り返ってみると案外こちらを冷静に見ていたのだろう。カナリアは恥ずかしくなる。

「お前が家にきて最初にハッキリとしゃべった言葉を今でも覚えているよ」

「やめてフクロウやめて本当にやめて。若気の至りを家族の笑い話の定番ネタにするのはやめて」



 ある嵐の晩に部屋の窓を全開にして、子供と大人の中間だったカナリアは叫んだのだ。
 顔に雨粒がぶつかりはじける。
 暴風が森を一つの怪物のように動かしている。
 そんな夜に。

「けして逃れられぬ成長という名の死神よ! こっちから出向いて歓迎してやる! 覚悟しろ!!」



 大人になって光る卵は見えなくなったが、カナリアはそれを失ったわけではない。
 太陽のようでもあり宝石のようでもあるそれは、自身の一部に溶け込んで、すっかり同化している。

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