八粒
「……山へいって、そこでのんびりして、コンビニで時間潰して」
「うん、それでー?」
さやかさんは単純に言ってしまえば独占欲が強いのだと思う。
「それから……雑貨屋に行き、ました」
「で、どこにも他の女の子と会う余地はなかったってことー?」
彼女は僕のことが好きとかじゃなくて、自分のものだからと誰にも渡したくないって感覚で束縛するんだと思う。
「は、い」
「じゃー、この髪の毛は誰のなんだろーね」
片手で一本の髪の毛を持ち上げて、あからさまに不思議そうな顔をする。
僕のお腹の上に乗り、その表情はどこか嬉しそうだ。
彼女の表情を眺めながら、僕はもう片方の、喉を握りつぶそうとする手に堪えた。
それは僕は夕飯が終わり、僕がソファで山下清のエッフェル塔を眺めていた時に起った。
最初は、音楽をイヤフォンで聴いていたせいか彼女が僕の前に立ったことにすら気がつかなかった。
彼女の存在に気がついた僕は前を通り過ぎるものだと思い、少し後ろに体を寄せた。だけど彼女はニコニコとしたまま僕の前から移動しなかった。何だろうと思い、見上げると彼女は僕のジャケットと黒い糸のようなものを持って何かを言っていた。
僕が「え?」というと彼女は僕の髪の毛を掴み、ボーリングの要領で壁に顔をぶつける。衝撃でイヤフォンが取れ、彼女の言葉が始めて耳に入った。
「これ、なーに?」
息は少し荒く、声は震えている。恐れや緊張じゃなくて怒りで震えている。
鼻血をポタポタと零しながら、僕は彼女の言わんとしていることを理解した。
それは髪の毛で、他の女性の髪の毛で、さっきのアレの髪の毛で。
彼女は嫉妬してるのか。
何も答ないでいる僕に苛立ったのか、さやかさんはまた僕の顔を壁にぶつけた。二度三度、それは繰り返され、壁に赤い模様を作った。
頭の隅で綺麗だなと思った。
さやかさんは握った髪の毛を離すと、その足で僕の溝を力強く蹴り上げた。胃が破けるような、お腹の中がぐるぐる回るような痛み。
「何で何で何で何でかなー」
そして馬乗りになると首を絞めた。
僕は顔が血で膨れ上がるような圧迫感を感じながらも、ぼうっとしていた。
目から涙は出るけど、辛いとは不思議と感じない。
部屋に置かれたブラウン管には黒く僕らが写りこむ。僕は自分のぼうっとした顔を見て不思議に思った。
なんで彼は死ぬというのに酷くつまらなそうなんだろう。
もっと笑えばいいのに。
さやかさんはそこで我に返ったのか手の力を緩めた。僕は咽ながら彼女を見る。
そして僕に今日はどこへいって何をしてきたのか聞いたのが先ほどのこと。
「……ねえ、お金もあげてるし、好きなもの買ってあげてるよね。あたし、顔もいい方だと思う。体の“具合”だって悪くないでしょ? 君が望めばあたしは何でもするよ」
前髪が邪魔をしていまいち彼女の表情は見ることが出来ない。唯一、隠れていない口元は笑っていない。
僕は真綿で首を絞められるような感覚にただ耐える。
彼女は歯を軋ませて、僕に顔を近づける。
「なのに! なんで君は……亮平くんは何も望まないの!? 何も拒否しないの!? あたしはどうしたらいいのかなぁ……?」
「こほっ……さ、あ?」
一度空気を吸って僕はいった。
望みなんていうのは心に余裕のある人がすることだ。
両親が死んだ時、僕の望みはなくなった。
そして心の余裕も。
さやかさんは僕の口腔に舌を這わす。強く熱くそれを蠢かせる。
思っている分だけ。
気持ちの分だけ。
強く動かす。
彼女は熱心に僕の舌と交わろうとする。部屋にぴちゃぴちゃと水っぽい音。
だけど僕はただぼうっと彼女を眺め続けた。舌も動かさず、首に回された手も気にしない。
ただ漠然と全てを受け入れる。
彼女は手を離すと髪を掻き上げ、ニコニコ笑いながらいった。
「……亮ちゃんの心の中って空っぽだねー、なーんにもないや。冷たくてスッカスカ」
「そうですか」
「きっとあたしが今ここで君を殺しても、亮平くんはなーんにも思わないでしょー? つまんないなー」
そういい彼女はソファに座り、黒いリモコンでテレビをつける。
僕はテーブルに置かれたティッシュで鼻血を拭く。
「何か嫌なことでもあったんですか?」
「べっつにー。パパが見聞を広めて来いっていった仕事がさー、異様に上手くいっちゃってまたいってこいやーみたいな。まあ、さっきのはそれとは別だけどねー」
「そうですか」
頭にコブができているようだ。少し痛い。
僕は立ち上がり、顔を洗おうと洗面台の方へと行く。
そこで声がかかった。
「本気だから」
「え?」
僕は振り向く。彼女はじっとテレビを見たままいう。
「あたし……本気で亮平くんのこと好きだから」
「そう……ですか」
でも僕は誰も好きじゃないんです。好きになれない。
大切なものはいつか消えてしまうから。
それ以降、彼女は何も語らず僕もまた何も語らなかった。
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