四粒
陽だまりの猫のように彼女は僕に身を寄せた。
髪は乱れ服は何一つ着ていなかった。そして僕も同様に何も着ていない。
「知ってる? 子供って自分の過去が辛ければ辛いほど明るく振舞うんだって。あの施設の子供達ってなんかそんな感じするよねー」
「何が…………いいたいんですか」
「べっつにー」
そういって彼女は笑う。
傷の舐めあい。互いが互いに苦しくて辛い思いをしてきた。だからそれを誤魔化すようにしている僕らを笑っている。
そう彼女はいう。
それは見せ掛けだと、偽りだと。
「あたしだけが君を知っていて、君だけがあたしを知ってるんだ」
「僕はあなたを知らない」
「あたしがどんな人間かって知ってるだけでいいの。それは意外は意味ないしね」
膝を丸めて僕の胸に耳を当てて、少し強く抱きしめた。彼女の吐息が胸にかかり、少しくすぐったい。
「あなたは僕の何を知ってるんですか?」
「亮平くんは絵が上手でピアノも引けてー、髪が長くて、背が小さくて、性格も顔もあたし好みってことかなー」
顔を起して猫のようにコロコロと笑う。どこからか出したキャンディを頬張り、より嬉しそうに呻く。
僕は嫌がるさやかさんをどかし、服を羽織る。汗臭いだろうけど、気にしない。
あたしも着せてとせがむ彼女を無視してお茶を注いだ。
「今日、お父さんに会うんじゃなかったんですか?」
「今日は亮平くんと一緒の日ー」
「この前も同じこといってましたよ」
「えー、じゃあ亮ちゃん一緒についてきてー」
「お断りします」
「こわいんだ」
「……ええ」
歯を見せて微笑む彼女に僕は当たり前だという。
あなたは八時間連続で殴られ続けた経験がないんだ。
さやかさんはめんどくさそうに背を伸ばし、適当に服を出して着た。僕は車の鍵を渡す。
玄関でサンダルを履くと、彼女は少し屈んでキスをした。
「あっ……」
「んじゃー夜にまた会おー! 本当はデートしたかったけど、無理っぽいから夜はいっぱいイチャイチャしようね!」
「いってらっしゃい」
「いってきまー」
バタンと扉は閉められ、空気が停滞する。一息ついた僕はその場で腰を下ろしうずくまった。
「…………うっ」
情けない。
ちょっと凄まれただけで僕は直ぐに意見を変えた。さやかさんがいなくなる今の今まで彼女を恐怖していた。何も抵抗できなかった。心の底まで彼女にひれ伏していた。
それが酷く情けなくて涙が出る。
全てが嫌だ。僕を縛る全てが。全て消えてしまえばいいのに。全てがゼロになってしまえばいいのに。
洗面台まで僕は歩くと顔を洗った。タオルで顔を拭き、鏡を見る。
どこかドロっとした目。
冴えない顔だなと笑う。
僕は家を出て、部屋の湿った空気とは違う外の空気を吸った。
外はまだどこか静かだ。ぼうっと歩く。
自分の歩調。自分だけの世界。
誰かに合わせていた分だけ、僕は僕の時間を刻む。
解毒のようだと少し笑う。
これが唯一の僕の救いなんだ。
そのままのんびり歩いて山へと向かった。
この時間じゃまだどこの店も開いていない。そういえば絵の具が切れていたからあとで買いに行かないと。
山の頂上には着物を着た女性がいた。深い藍色の着物、足袋に草履。背筋をしっかりと伸ばした、長い髪の少女。
最初はあの変な女の子かと思ったけど、どうも違う。髪型こそ似てはいるが顔は真面目で瞳は鋭い。
彼女は僕を一瞥すると前をまた向いた。
通り過ぎようかと迷い、ベンチは二つあるのだと気がつき、彼女の隣のベンチに腰掛けた。
最初は少し気まずかったけど、彼女をいないものとして考えればそうでもない。
「いい天気ですね」
「え、ああ。そうですね」
驚くことに彼女から声をかけてきた。僕は少し、変な汗を出した。
「あなたも見物に?」
「時間が余ってたので」
「時間が余る……そうね、私も時間が余っていたので。ここは景色も空気も素晴らしい」
それには同感だ。僕は頷き、空を眺める。
薄黄色だった空は青く染まり始めている。
「こちらでご一緒しませんか?」
彼女は少し首をもたげ、僕に笑みを零した。そういわれて断れるほど僕は無神経じゃない。
少し緊張しながら隣に座らせてもらう。
「そんな緊張されなくてもいいですよ。もっと楽になさって下さい」
「あ、ありがとう」
肩の筋肉をほぐし、息を吐く。彼女はそれをみて少し笑った。
互いに特に喋るわけでもなく、ただ時間を消費する空間。どこかまどろんだその空気が僕を落ち着かせ、眠くさせた。
僕は眠気を覚ますために手帳を開き、絵の具と書いて丸で括る。
「あら、絵がお達者なんですね」
「ん、ありがとう」
彼女は僕の手帳を盗み見たのかそのままの姿勢でいった。
僕は少し恥ずかしい気持ちになって手帳を閉じた。
「そこの鳳仙花でしょう?」
「……ええ」
「花がお好きなんですか?」
「いや、自然全般がなんか落ち着くので好きなんです」
「どちらに住んでらっしゃるのかしら?」
「え、あっちの田舎のとこ」
「偶然見かけたにしてはいい目をしてるのね」
「え? ありがとう……う?」
「この方に決めました。甚六」
そう彼女はいうとベンチを立つ。ぼけーっと見つめている僕に怜悧な笑みを見せた。
彼女の目が動く。
僕の後ろに。
瞬間、僕の顔にビニール袋が被せられ何かが頭を殴打した。
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