元勇者の平凡な幸せ
初投稿です。よろしくお願いします。
私は『勇者』だ。
―――いや、正確には勇者だった。
5年前、私は勇者としてこの世界に召喚された。気がつけば聖ファーレン国の王城内で、わけがわからないうちに神の加護という強大な力を与えられ、戦うことを強要された。
私が元いた世界は平和で、荒事なんて身近にはなく、生き物を殺したこともない普通の女の子だったのに。
怖かった。
辛かった。
理不尽さに涙が出た。
誰かの平和の為に、なんてちっぽけな正義感など吹き飛ぶほどの、悪意と暴力と命の危機。
勇者であることを拒否する私を、召喚した者たちは冷たかった。
『世界を救う力があるのに、役目を果たさない気か』と責め、
『元の世界に帰りたくはないのか』と脅した。
力も役目も勝手に押し付けたくせに。
終われば帰れる、それだけを信じて私は突き進んだ。
心を殺し、それでも震える手で多くの命を奪いながら、私はただ「帰りたい」「普通に戻りたい」と願っていた。
四大精霊を開放し、諸悪の権現とされていた魔王を破り、世界に秩序を取り戻した私に、この世界の神は願いを叶えてくれた。
『普通』に戻してくれたのだ。
これで力を理由に理不尽なことを強要されずに済むと安堵した。
しかし、すべてを終えて国に戻った私は、普通の女の子。
力を無くした勇者など何の利用価値もないと、私はあっさり捨てられた。
帰してくれるという約束は、と抗議する私に王たちは言った。
『何の力も価値もないただの小娘に、どうして高等魔法を使ってやらねばならない』
力があるなら救え、と言ったその口であっさりと拒否をした。
その時、憤る力もなかった。
ただただ、帰れないという事実に打ちのめされて、呆然としていた。
そのうちに城から追い出され、町で生活する術のない私は、暗い路地裏でホームレスのような生活をするしかなかった。
絶望ゆえに、感覚が麻痺したのか、そのときのことはよく覚えていない。
数日だったかもしれないし、数か月だったかもしれない。
不思議と飢えや寒さを感じることはなかったが、着の身着のままでどんどん薄汚れて行った。
時折そばを通る町の住人が、まるでゴミを見るかのような視線を私に向けていた。
地面にうずくまりながら、そんな世界をずっと見つめていた。
これが、私が救えと強要された世界か、と。
世界の汚い面ばかりが目に入ることが嫌になり、やがて私は目を閉ざす。
そうして流されるままにそこまで堕ちた。
そう、『奴隷』まで。
※ ※ ※
「セーラ、セーラ、セェラァー!」
静かに流れていく川を見詰めながら、思えば遠くにきたもんだ、とばかりに過去を思い出していた私はその声に現実へと引き戻された。
「はーい、今いきます!」
大声で返事をして、よいしょと由緒正しい掛け声と共に気合を入れて、水をたっぷり汲んだ桶を抱えて家へと戻った。
「セーラ、どこいってたの?!」
「水を汲みに行ってたんです。どうかしましたか? ご主人様」
「あ、うん。緑のローブがないんだよ」
最近お気に入りの緑色のローブを探していたらしい。
服一枚ないくらいで、そんな慌てて私を探すことも、この世の終わりのような情けない顔をすることもないだろう。
「それなら今洗濯中です」
「ええええっ」
「申し訳ありません。昨日私がこぼしてしまった謎の黒い液体で汚れてしまったようで」
言われて思い出したのか、そういえば…としょんぼりと肩を落とした。私よりも10センチ以上高い身長のくせに、その薄さと気弱さからなんだか小さく見えてしまう。
「クローゼットに濃紺のローブがありますが、それじゃダメですか?」
「あれかぁ」
「はい。あれもご主人様の綺麗な金髪が映えて、とても似合ってると思います」
「そう?! じゃ、あれ着ようかな」
さっきまでの落ち込んでいた空気は一変し、ウキウキと自室へと戻っていく。
自分の感情に素直で、まるで子供のようなご主人様。
その後ろ姿を見送りながら、私は自然に微笑んでいた。
あの路地裏にいた頃には、『笑う』なんて考えられなかったことだ。けれど、今は何のわだかまりもなく笑うことができる。そのことが、ただ幸せだった。
流されて奴隷となり、めぐりめぐって私はご主人様に引き取られた。
珍しい黒髪黒瞳のせいで、貴族の愛玩用にでもなると思っていたのに、行きついた先は森の奥に住む魔術師の家だった。
魔術師にいいイメージはもちろんなかった。
私をこの世界に引きずり込んだ実行犯とも言える。
人体実験でもされるのか、と半ばこの世を捨てる覚悟を決めていた私に、ご主人様はこう言った。
『おかえり。今日から君は僕の家族だ』
意味がわからなかった。私はただの買われた奴隷なのに。
けれど、抱きしめてくれた腕は温かくて。もう誰も言ってくれない『おかえり』の一言が身にしみて。
反発を感じるよりも先に、私はご主人様の胸で大声をあげて泣いてしまった。
泣いて泣いて、身体中の水分が出てしまうのではないかと思うほど大泣きをした。涙と共に胸の中につかえていたドロドロとしたものが、すべて流れ出て行くのがわかった。
泣き疲れて眠り、起きたときに私は生まれ変わっていた。
ご主人様には感謝してもしきれない。もしあのままだったら、きっと私は世界を呪って死んでいっただろう。
その恩に報いるために、生活能力が皆無のくせに1人暮らしをしているご主人様の役に立つべく、『奴隷』として日夜頑張っているのだ。
だから、いくらご主人様が「名前で、『レン』って呼んでよ」「家族なんだよ?!」と不満そうにしても、この立ち位置を変えるつもりはない。
「さて、洗濯の続きをしますか!」
気合を入れ直して桶を持ち直すと、洗濯場へと向かった。
洗濯場で使っている水の魔法石が故障中で、仕方なく川に水を汲みに行ったのだ。ようやく洗濯を再開できる、と戻ってみれば。
「睡蓮…」
「セーラ、水出してあげたわよ」
体長20センチくらいの女の子が、えっへんとばかりに仁王立ちをして胸を張っていた。その後ろには、水と共に洗濯桶からあふれ出た衣類が。ご主人様のお気に入りのローブも流されて、泥まみれになっていた。
「魔道具になんて頼らなくても、あたしに一言言ってくれればいいのよ。そしたら一発なんだからっ」
ええ、一発でこんな惨事ですよね。
「あ、りがと。睡蓮」
引きつった笑いを浮かべる私に、水の精霊である睡蓮が不思議そうな顔をしていた。
「じゃ、俺乾かす!」
「わたしも乾かすー!」
と、今度は睡蓮の隣にいた同じく20センチばかりの男の子と女の子が張り切りだす。
火と風の精霊だ。
「まままま待ってっ」
洗濯物を乾かすはずが、絶対燃えちゃうでしょ?!
やる気をみなぎらせて、全力を出そうとする二人に慌てて待ったをかける。
「焔も風花も、ありがとう。でも、えーっと…」
「前もそれで洗濯物を消し炭にしただろ。無謀なことはするなよ」
「土筆」
4人の中で唯一の常識人(?)である土の精霊が、二人を諫めてくれた。
「セーラの役に立つんだから!」
「そうだぞ、洗濯の手伝いできないからって僻むなよ」
焔の言葉を聞いて、土筆が衝撃で固まってしまった。どうやら図星だったようで、イジイジとその場にしゃがみこんでしまった。
周りの土が土筆を隠すように盛り上がっていく。
「土筆っ、そんなことないから」
「ほんと?」
「うんうん、土筆もいつも手伝ってくれてるじゃない。庭に作った畑とか、ね!」
私が慌ててしたフォローに、土筆は涙ぐんだ瞳のまま「えへへ」と照れた笑いを浮かべた。
周りに築かれていた土壁も、ほろほろと崩れていく。それを確認して一安心した私は、胸をなで下ろした。
「みんなもありがと、いつも手伝ってくれて」
この小さな4人の子たちは、私が開放した四大精霊だ。
勇者の力はすでにないのに、私になついてくれている。
魔王討伐後もずっと一緒にいたのに、私は自分のことや暗い想いにとらわれて全然気がつかなかった。ここで生まれ変わってから、ようやく自分にしがみついて泣いているこの子たちを見ることができた。
褒められて、4人はもじもじと照れくさそうに身をよじっている。
可愛らしいその姿に、私は思わす笑みが漏れる。
幸せだな、という想いが再び沸き起こった。
元の世界の、両親や兄弟、友達と一緒にいた平穏な幸せは失ってしまったけど、ここにはまた別の幸せがあった。
「幸せ」
沸き上がる気持ちとともにそう呟けば、「それはよかった」と答える声が聞こえた。
「セーラが幸せで嬉しいよ」
「ご主人様」
先ほど勧めた濃紺のローブを着たご主人様が、にこにこと満面の笑みを浮かべて私の手を取った。
「セーラの望みは全部叶えてあげたい。幸せにしてあげたい」
「大げさです」
「大げさなもんか。セーラのためなら国を滅ぼしてもいい!」
芝居がかったしぐさで大見えをきるご主人様に、私はくすくすと笑ってしまう。
それでも見つめる目は真剣そのもので、私はすぐに笑いを引っ込めて真摯に答えた。
「私の望む幸せなんて些細なものですよ。こうしてご主人様と土筆たちと一緒に暮らせれば、他に何もいりません」
「叶えがいがない」
と不満そうにしながらも、ご主人様はその答えに嬉しそうな顔をしていた。
睡蓮たちも嬉しそうに抱きついてくる。
「本当に欲しい物もないの?」
「そうですねぇ」
としばし悩むと、不意に子供の頃の夢を思い出した。大家族で一緒に暮らすというテレビを見ていた頃のことだ。将来こんな家庭を作りたいと夢見ていた。
うるさいくらいに賑やかで、喧嘩したり泣いたり、だけど家族のことを大切にしている。そんな家庭。
「家族が増えるといいですね。子供が大勢いると大変だけど楽しいことがいっぱいですから!」
「!!」
ぴた、とご主人様の動きが止まった。
不思議に思って顔を見返すと、目を泳がせながら言葉を探しているようだった。
無茶なお願いだっただろうか。人嫌いなわけではないだろうが、こんな森の奥に1人で住んでいたくらいだから、人が多いのは好まないのだろう。
でも―――。
「旦那様の子供ならきっと可愛い子ばかりですよ」
「セーラ。君がそこまで言うなら、僕はいつでも―――」
「本当ですか?! じゃぁまず素敵な奥様を見つけないとですね! こういうときってどうするんでしょう? 募集の張り紙でも作りましょうか」
『奥様急募 条件:応相談』
…だめかな? 意外とイケル?
「試しに作ってみますね!」
紙があったかな、と思いだしながら家へと走り出した。
4人の精霊たちが、後ろをチラチラ見つつついてきてくれる。きっと素敵な募集の張り紙を一緒に作ってくれるだろう。
あぁ、幸せ。と、私は胸に湧き上がる幸福感を噛みしめた。
※ ※ ※
打ちひしがれて座り込むレンの背後に、何もない空間から1人の子どもが現れた。
「残念だったな」
言葉とは裏腹に、くっくっくと楽しげな笑い交じりの声がかけられた。
「あの調子だと、本当にお前の奥さん募集の張り紙作りかねんぞ」
「うるさいよ」
レンは特に驚いた様子もなく、不機嫌そうな顔で文句を言い返す。
「ご挨拶だな。そろそろ最後の一滴ができる頃かと取りに来てやったんだ」
「あー…アレか。アレ、昨日セーラがこぼしちゃってさ」
「大丈夫なのか?」
「あぁ、何ら影響は受けてなかったみたい。それに、あいつらに仕返しも一切考えてないみたいなんだよね」
苦笑と共に「滅ぼしてしまえばいいのにね」と穏やかに毒を吐く。
「望まないが故に、無意識のうちに自分が作り出した『毒』を排除したんだろう」
「そうかな? 善良すぎるよ、セーラは」
「そこが気に入ったんだろう? 無くなってしまったものは仕方がない。俺が直々に最後の一手を打ってやろう」
「頼んだよ、『魔王』」
「気軽に頼むな、『神』め」
くくく、と同種の笑みを浮かべながら、ひそやかにある国の命運が決定された。
※ ※ ※
勇者を召喚したという実績を盾に我が物顔をしていた聖ファーレン国だったが、魔王討伐後に度重なる疫病や天災に見舞われる。国が疲弊していく中、王族や貴族はそれをかえりみず、自分たちの利ばかりを優先していく。
それから数年後。
周辺諸国の連合軍により、聖ファーレン国は滅びることとなる。
王宮に籠城していた王族貴族はもちろん、戦場となった聖ファーレン国の民も数多く犠牲になったという。