耳掻機械と如月の午後
高校三年生の冬。
二月二十三日の昼過ぎだった。
箱買いしていたカップ麺を食し(三日連続だろうか)、ディスプレイの前で意味もなくうとうととしていた。
受験も一段落着いた僕は、長い人生の中の束の間の休息を味わっていた。
気持ちの良いまどろみから僕を呼び覚ましたのは、無骨なチャイムの音であった。
最初は無視を決め込もうとしていたのだが、二度、三度と繰り返される悪行に、僕は泣く泣くインターフォンへと向かった。
どうやら宅配便のようで、僕の身長程もある大きな荷物を抱えている。
成る程。これほど大きな荷物になれば、持ち帰るのも面倒だろう。チャイムを連打してしまう気持ちも分からなくもない。
僕は玄関で簡単な手続きを済ませ、荷物を部屋に搬入する。
「……何なんだ、コレ」
一見すると冷蔵庫のようだが、そうなるとやけに細長い冷蔵庫だということになってしまう。
無理やり何かに例えるとするなら…………そうだ、人間がこの中に入っている、そう言われればしっくりきてしまうのではないだろうか。
はて、また祖父辺りがテレビ通販で何やら怪しげな商品を購入してきたのだろうか。
しかし、宛先を見ると祖父母ではなく、うちの家になっている。
そして、更に言えば――
「ん? 僕充てなのか?」
海辺 喜壱様。
同姓同名同住所という奇跡を通り越してホラー的な事態に陥っているのでなければ、この巨大な何かは僕に届けられた物体であるらしい。
――――――――――――――――
取りあえず、部屋に持ってきてしまった。それだけで十分過ぎる程の重労働であり、受験期間中に鈍りきった身体は汗を滝の様に流している。
段ボール箱を開けていくと中から出てきたのは――
「美少女……フィギュアか?」
等身大の美少女フィギュアとおもしき物体であった。
興味は有れど、購入する程ぶっ飛んではいなかったつもりだが……。受験が終わった衝動で、自分でも気付かない内に購入してしまっていたのだろうか?
それにしても精巧な作りである。二次元に登場する美少女、と言うよりか、本当にそこいらから美少女を拾って来たのではないだろうか。
「……マ、…………ァ」
「ん?」
聞き覚えの無い声色。それは、そう。弦楽器の旋律の様な美しく、柔らかく、優しい声。
「…………マス、……ター」
「マスター?」
「そうそう、マスター」
「……喋れたんだね」
「あ、すいません、今の無しでお願いします――――…………マ……ス」
「もう良いよ」
「そうですか。そうですね。こんな茶番、必要無いですよね。私なんか死んだ方が良いですよね」
こともあろうに、目の前の美少女フィギュアが喋っていた。それもやけにネガティブ思考である。命(?)は粗末にするものではない。
「いや、開始早々いろいろ説明省いて自殺とかするの止めてくれるかな。今死なれても心とか痛まないレベルで追いつけてないから」
「…………やっぱり、私は要らない子なんですね」
……偉く面倒くさそうな物がうちに届いてしまったらしい。
――――――――――――――――
少女(取りあえずそう呼ぶ)を落ち着かせるのに三十分と、オヤツに用意していたミスタードーナッツのフレンチクルーラを要した。
随分と高く付いたものだが、少女が笑ってくれたので(現金なものだ)まぁ良しとしようと思う。
問題はこの少女は何なのかということであるが。これは一言で片がついた。
「私は耳掃除ロボットです」
「は?」
「耳掃除ロボットです」
「聞こえてなかったわけじゃなくて……」
「耳掃除ロボットです」
「分かったってば! どうしてそんなピンポイントなロボットが存在するわけ?」
「セクサロイドの一つ、と考えて貰えれば分かり易いかと」
「セクサロイド?」
「人間様の性欲の解消を存在意義としたロボットのことです」
「それと耳掃除、何の関係があるわけ?」
「耳かき専門店などと呼ばれる専門店があるのはご存知でしょうか? 異性に耳を掃除して貰うという簡単な仕事ですが、それだけで商売が成り立ってしまう程の人気があるのです。性的嗜好の一形態としての耳掃除。私達はお客様のニッチなニーズに答える為に産まれたのです」
随分とマニアックな人々がいるらしい。僕とは何ら関係の無い筈なのだが――
「それじゃあ、なんでこんなところにいるのさ」
「それは、喜壱様の吹聴出来ないマニアックで変態チックな性欲を解消する為に――」
「断じて違う!!」
「左様でございますか」
「うん」
「まぁまぁ、取りあえず一度――」
「布教しようとするなぁ!」
にじり寄って来る少女を蹴り飛ばす。
「あ痛。……それでは仕方ないですね。私の数々の機能を駆使し、喜壱様の耳掃除をして欲しい欲を掻き立てましょう」
『欲しい』と『欲』が被っているのだが、もう少しまともな呼び名は無かったのだろうか。
「それでは、見ていて下さい」
少女は人差し指をピンと立ててみせる。瞬く間に指先が変形する。
――これはちょっと凄そうだ。
ギュィィィィィイイイイイイインッ!!
――ドリルだった。
「どうでしょう?」
「それをどうするの!?」
「耳掃除ですが!?」
「何で驚いてるの!?」
「すいません、ドリルの音がうるさくて」
「そうだよ! 何人の耳を切削しようとしてるんだよ! というか、一先ず停止してよ!」
ギュィィィィ……キュルキュルキュル……。
僕の耳には岩石か何かが詰まっているのだろうかと一瞬恐ろしくなったが、僕は何も間違ってない筈である。
「喜壱様ってば、高校生なんだから耳掃除くらいで怖がらないでくださいよ~」
「そんな歯医者を怖がってるみたいに言われても困るよ! それ、一歩間違ったら死ぬ奴だよ!?」
「またまた~。麻酔はちゃんとするんで痛くないですよ?」
「必要ないよ!! 耳掃除に麻酔は要らないよ!」
「増し増しですよ?」
「だから死ぬってば!!!!」
……喉が痛い。そして、意味が分からない。少女と、そして必死にツッコんでいる自分が何より分からない。
「じゃあ、第二形態いきます」
「いや、もう良いって――」
既に変形が開始していた。やけに仰々しい音を立てながら変形していく少女の指先。今度はどんな凶器が登場するのだろうか。
……耳掻きだった。
「というか、その機能いる!?」
「なるべく人間様が行う耳掻きに近付けようという、開発者の意思です」
「離れてるよ!!」
……開発者はもしかしたら人間ではないのかもしれない。
そうだ。耳糞がコンクリートの様に堅い地球外生命体なのかもしれない。
「これなら良いでしょ?」
「道具自体は問題ないけど、なんかもう君が嫌だよ」
「私も自分が嫌ですよ」
「どうしてさっきから唐突に自己否定が始まるの!?」
「じゃあ答えて下さいよ! 耳掻きロボットって何なんですか!?」
……知らねーよ。
――――――――――――――――
少女を落ち着かせるのに三十分と、箱買いしていたに用意していたカップ麺を消費した。
随分と高く付いたものだが、少女が笑ってくれたので(現金なものだ)まぁ良しとしようと思う。
「そう言えば、君はなんて名前なんだ?」
「アシモです」
「嘘を吐くな」
「実は……、名前付けて貰ってないんです」
「……そう、だったのか」
「だから、私のことは喜壱弐号って呼んで下さい」
「まるで僕が耳掻きしか能のない人間みたいじゃないか!?」
「じゃあ、そうですね……」
少女は辺りをキョロキョロと見回す。
「そうだ! 私のことはマルって呼んで下さい」
……そんな江戸川乱歩とコナンドイルを組み合わせちゃったみたいなノリで言われても。というかこっちはまんまだし。
「それじゃあそろそろ……」
少女はもぞもぞと足を組みなおす。そこに頭を乗せろと言うことなのだろう。
「本当にやらないとダメ?」
「そうですね。断られてしまうと、私の存在意義が消滅してしまいます」
「そんな存在意義っているの?」
「要らないです」
即答だった。
「まぁまぁ、お試しだと思って取りあえず一回、ね?」
様子がおかしかったから逃げだせば良いだろう。そんな軽い気持ちで、俺はマルの膝に頭を乗せてしまう。
柔らかい肉質。現代科学はこれほどまで精密に太ももを再現することが可能なのか、と思わず感動してしまう。
しかし、よく考えてみると、僕は膝枕をして貰った経験がないのでただのメジャヴだった。
「んー、ちょっと暗くて見辛いですねぇ」
「位置が悪いか?」
「いえ、こんな時こそ私の能力の使い所です」
成る程。流石耳掻きロボットというだけあって、耳掻きに関する能力に抜かりはないようだ。
「ライト・オンです!」
そのまんま過ぎる掛け声。受身の僕では状況がどう変わったのか良く分からない。
「あれ……、変わらないですね」
故障でもしてしまったのだろうか。
僕は身体を起こし、マルの方を――
「どうしてマルの耳が光ってんの!?」
「私の耳が光ってるんですか!?」
どうやら本人にとっても不足の事態らしかった。
「わぁ! ホントです、凄いですね!」
凄いけど……意味が分からない。存在自体がギャグに成り下がってる。
「でも……これじゃあ耳掻き、出来ないですね」
「そっすね」
「私…………必要無くなっちゃいましたね」
「そっすね」
「耳掻きのできない私は……ここに居ちゃいけないと思うんです」
「そっすね」
「ケジメは付けないといけません……」
「あ、粗大ゴミは火曜日だから。シールとか何処に貼って欲しい?」
「何でちょっとノリノリなんですか!?」
「せめて別れくらいは……笑顔で、な?」
「何ちょっと良いこと言ってやったぜみたいな顔してるんですか」
「いや、でも実際別れって言っても、なぁ?」
「そうですね。私も思い出ったってミスドとカップ麺くらいですしね」
「な?」
「マルとかもう、よく考えたら自分で付けてますしね。私」
「じゃあ、ホラ。一人で、帰れるよな?」
「……はい。お世話になりました」
「いや、良いんだ。マルと過ごした時間、僕忘れないから」
「マスター……、いや喜壱様。有難うございました」
……マスターって久しぶりに聞いたぞ。
「さよなら……いいえ、また会いましょうですかね」
マルははにかみながら呟いた。
「いいや、さよならだ」
マルは自分が入っていた段ボールを背負って、何処かへと帰っていったのだった。
僕はちゃんと布団に入って寝なおすことにした。
完