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  メスと珈琲 作者:GFJ
第7話 景子とモカ・マタリ
 駐車場には車が3台停まっていた。一番右に赤い車がある。あ、あのスポーツカーだ。最初にここに来た時の、あのタンザニア男の車。

 カランコロン。
 ”森”に入ると、真っ先に、あの男の姿が眼に飛び込んできた。やっぱり、ジーンズに茶色のジャケット姿で、この前と同じ、カウンターを陣取っている。
「いらっしゃい。おや、めずらしいね、お友達?」
 マスターが優しい目で声をかけた。
 私は景子を連れてきたことに不安を抱えていたので、苦笑いになっていた。
「ええ、まあ。こんにちわ」
 景子は”森”の中をキョロキョロしている。
「へえぇ、何か、面白いところね」
 景子……あんた、声がでかい……
 景子の声にタンザニア男が振り向いた。私は、何だか気まずくて、ちょこっと頭を下げた。
 もうっ。私は景子を突っついていつもの指定席の方に押しやった。
 私はいつもの通りに座り、そして景子を向かいに座らせた。

 間もなくマスターがグラスとメニューを二つずつ持ってきた。
「ようこそ。どうぞゆっくり楽しんでいってくださいね」
 マスターは景子の方を見て声をかけ、ついで私に向かってニッと笑って立ち去った。
「うわー。すごっ。何これ、わけわからん。」
 景子はメニューを広げるなり大きな声で言った。私は景子の脚を蹴った。
 私は先輩面して景子に言った。
「景子にはマンデリンが似合うと思うよ」
 私の知る数少ないコーヒーのうち、景子に似合うコーヒーなんてなかった。思い浮かぶのは、野性的な(・・・・)と表現されたマンデリンぐらいだ。
「え? うーん、私、これにする」
 景子はモカ・マタリ#9を指差して言った。最も不似合いなコーヒーを景子は選んだ。

 マスターに手を上げてオーダーをお願いする。
「えっと、私は、このブラジルブルボンで、この人が、モカ・マタリ。あと、ビスケット一個ずつください」
 マスターはにんまり笑って、オーダーを確認した。
「わかりました。ブラジルブルボンとモカ・マタリ。それにビスケット2枚ですね」
 マスターが奥へ引っ込んだところで私は真剣に対策を考えた。これ以上、景子が独走すると、マジでやばいことになる。私は、肝腎なところだけは押さえておくことにした。
頭を下げて小声で話す。
「あのね、景子。最初に言っておくけど、私は恋なんかしてないの。いい?」
「は?」
 景子はものすごく変な顔をした。私が恋をしてると思い込んでる景子、とんでもない行動に出られたらたまったもんじゃない。念には念を押す。
「あんた、私が恋してるって誤解してるみたいだけど、実はね……ただ者じゃないのよ」
 私は景子にだけわかるように、小さくカウンターの方を指差した。
「何かあるの。私は、それが知りたいだけ。一体何者なのか気になって仕方がなくてね。言ってみれば、探偵の気分?」
 景子は急に静かになった。横目でカウンターを真剣に伺っている。私の方に目を動かして、わざとらしいくらい小声で(ささや)いた。
「確かに」
 確かにって、見ただけでわかるんだろうか。
「あれは、ただ者じゃないわね」
 景子は妙に納得したように、うんうんと頷いている。
「景子、見ただけでわかるの?」
「ちょっと、佳代。もしかして、バカにしてる?」
「いや、そんなことはないけど」
 私はあわてて頚を振る。とりあえず、妙な誤解が解けたようで一安心だ。

 コーヒー豆を砕くいつもの音が聞こえてきた。
「それにしても、よくこんな店みつけたね」
 景子が感心して言う。
「でしょ?コーヒーがね、ものすごく美味しいのよ。それで病みつきになっちゃって」
 私達は、学校のバカ話をしてコーヒーが来るのを待った。

 マスターがコーヒーを持ってきた。
「はい、どうぞ。モカとブラジルブルボン、それにビスケット」
 景子はマスターには見向きもせずに、美しいコーヒーとコーヒーカップに夢中になっている。
「わあ。綺麗なカップ。それに、う〜ん、いい匂い」
 景子の嬉しそうな顔を見て、私は初めて、彼女をここに連れてきて良かったと思った。
「あんたの、そのブルボンってどんなコーヒー?」
 景子に質問されて私は困った。
「さあ〜」としか答えられない。
「何や。私とあんまり変わらんレベルやないの」
 まあ、そう言われればその通りだ。二人で笑った。

 急に景子が真顔になった。じっと私の目を見る。コーヒーを一口飲む。今度は天井を見る。また、私の方を見て、いきなり立ち上がった。
「ど、どうしたの? トイレ? トイレならあっち……」
 私が言い終わらないうちに、
「まかしとき」
 と一言発するなり、景子はカウンターに向かって歩き出した。ちょ、ちょっと、何なの、一体……。


今日はコーヒーの名前について少し。

景子ちゃんがオーダーしたモカは、イエメンの港の名前です。イエメン産を含めアラビアのコーヒーが、モカから輸出されていました。モカが港としての機能を失ってからも、その名がこうして残っていることから、いかに世界中から愛されたコーヒーだったかがわかります。17世紀のヨーロッパを熱狂させ、全世界にコーヒーが行き渡ったと言われています。モカの名のつくコーヒーは多いですが、モカ・マタリはイエメン産のみです。

コーヒーの名前は普通は生産国が最初につけられます。

佳代さんの頼んだブラジルの「ブルボン」ですが、これは、コーヒー苗の種類です。これについては、また改めて記述したいと思いますが、希少価値が高く、味・香り共に大変優れています。

最近はトレイサビリティー(農園を特定できること)の概念が浸透してきており、商品に地方の名前や農園の名前を直接つけるところも多くあります。

お米で考えると、よく分かるでしょう。新潟魚沼産こしひかり、山口さん一家が作りましたという具合です。


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