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  メスと珈琲 作者:GFJ
第23話 マスターの過去 5
 久保田は、途中何度もため息をつきながら話を続けた。マスターの名前が漢字で”諸岡浩一”であることも教えてもらった。
 久保田の記事が大きく新聞を飾った2日後、病院側が突然の記者会見。病院側がミスを認めた。久保田は、小躍りした。勝ったと思った。
 そして、さらにその2日後、諸岡医師が逮捕された。逮捕される瞬間も、久保田は現場にいた。事件は、刑事事件として動き出すことになったのだ。両の手を布で覆われた諸岡医師のうつむいた顔。その姿を見て、久保田は恍惚の感情に浸る。必死でフラッシュをたき続けた。自分の記事がきっかけで、有名な医師、そして自分が取材に行った時に見下したような目で睨みつけた医師が逮捕された。目の前を、無表情の諸岡医師が手錠をかけられ連行されていく。新聞記者として、これほどの喜びの瞬間はない。
 社に戻ると、テレビで繰り返し諸岡医師の逮捕の瞬間が流れていた。久保田は、テレビを見ながら大声を上げて笑ったと言う。自分は勝利したと本気で思ったと。
 私は、目の前の久保田に憎しみの感情を抱いた。
「……ひどい」
 久保田は静かに言った。
「そうなんだよ。ボクはこんな男なんだ」

 久保田が自分の記事に疑問を持ち出したのは、記事になってからしばらく経ってからだ。遺族の取材を続けていくうちに、遺族側の問題点が見えてきた。その頃は、遺族に真剣に同情していたので、泊り込みで取材を続けたとのことだ。熱心な久保田に遺族も気を許したのだろう。次第にボロが出てきた。
 亡くなった患者さんには二人の娘さんがいた。長女の家族と次女の家族は長年不仲だったらしい。具体的には、諸岡医師を刺した犯人である次女の旦那(以後”K”と記す)がかなりクセのある人物だったらしく、姉妹の仲も次女の結婚を境に悪化している。従って、次女夫婦の問題の多くを長女夫婦が語ってくれた。そして、次女夫婦の話とつなぎ合わせると、とんでもないことが分かってきた。
 実は、患者さんは、指を切断する10日ほど前、一過性に麻痺症状を来たしていた。すぐに元に戻ったため、病院にも行かなかったそうだ。
ところが、その話を聞いたKは、それが、一過性脳虚血発作(TIA)であることを察知し、受取人を次女の名義にして、新たに生命保険に加入することを考えた。近いうちに本格的な脳梗塞を起こす可能性を感じたためだ。Kは以前、療養施設で働いたことがあり、多少の医学知識を持っていた。入院前日に保険会社に郵送した申込書が、書類記入漏れで保険会社から返送されてきたのは、義父が入院してから2日目のことだった。封書を再投函しようとしていた、まさにその日、妻から、義父の急変の連絡を受けた。Kは慌てて、書類をポストへ投げ込んだ後、病院へかけつけた。保険会社にはTIAのことは内緒にしていたため、入院時の問診ではそのことに触れないように、Kが家族に指示している。従って、カルテの既往歴の欄にTIAの記載はない。
 患者が亡くなる2週間前の一過性脳虚血発作と、病院内で生じた脳梗塞の因果関係は不明だが、取材をしているうちに、犯人が諸岡医師を刺した本当の理由は、親孝行をしたかったのではなく、保険金がダメになってしまったという、そういう浅はかな欲でしかなかったのだということを確信した。本当に義父のことを案じていたのなら、TIA症状の話を聞いた時に一刻も早く病院を受診させたはずだ。
 その時点で、久保田は、自分がしてきたことは一体なんだったのか、思い悩むことなる。諸岡医師がかたくなにミスはないの一言だけで取材にも応じようとしない態度に腹を立てていた自分、犯人に接触し、間違った確信で力んだ記事を書いた自分。勝利の感情が強かった分、久保田は激しく打ちのめされた。自分がしてきた仕事は一体何だったのか。本当の勝利者は、諸岡医師を刺した犯人なのかもしれない。
 久保田が記事にした事で、他の遺族も、次第に被害者意識を強めていった。さらに、病院側がミスを認めたことで、その意識は確固たるものに変貌していった。身内が医師を刺して逮捕され、世間に対して顔向けできなかった気持ちが、一変して、地中海病院を、そして諸岡医師を、堂々と糾弾していくことになる。Kは、保険金がダメになった分、諸岡医師にその金を払ってもらうのが道理だ、とまで言い出した。それを聞きながら、久保田は、自分が遺族を醜悪な存在にしてしまったことを感じていく。
「ほとほと自分の職業がイヤになった。自分が間違っていた以上、新たな視点で記事を書こうと思った。しかし、社の者は皆、口を揃えて言った。お前はバカかと。一度、医療ミスでスクープを取った。それを今度は覆す? ニュースはスピードが命だ。そのためには、たまには間違うことだってある。それは報道の宿命だ。長年記者をやっていて、そんなこともわからないのか、と。それに、正直言って、ボク自身も、視点を変えて記事を書くことの難しさを感じていた。たとえ書いたとしても、デスクが採用するとは考えられない。打つ手がないと思った。……軽蔑するだろ?」
 私は、怒りがこみ上げてきた。久保田の目を見てきっぱり言った。
「はい。軽蔑します」




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