第22話 マスターの過去 4
私は、今度は身体が火照ってきた。ストロベリーシェイクは、オーダーミスではなかったようだ。冷たいシェイクを口に入れ、ついでに水で流し込んだ。
「マスターが、いや、モロオカ先生がミスを認めたんですか?」
私の質問が終わらないうちに、久保田は即答した。
「いや、そうじゃない」
「じゃ、誰が……」
「院長さ」
……ということは、当事者でない院長が、マスコミ攻勢に辟易して勝手にミスを認めたってことなのか?
「院長は、村瀬と言って、地中海病院の三代目の院長だ。専門は神経内科。物腰が柔らかで、一見温厚な医師に見える。医師達からの信頼もまあまあ厚い人だ。患者さんが脳梗塞を起こした時、こうさんの部下と、緊急で呼ばれた脳外科医が手を尽くしたがダメだった。家族も呼ばれた。その時に家族に対応したのが院長だった。本来なら諸岡医師が行うべきところを、学会で不在だったため、院長が行っている。緊急事態だから、下っ端が説明するより病院長が説明する方がいいだろうという病院側の判断だった。その時院長は予断を許さない状況であること、助かる可能性が低いことを説明している。」
すると、院長は、この事件に全く関与しなかったわけでもないのか……。
「諸岡医師が慌てて学会場から帰って来てまもなく、ICU内で患者の心臓は止まった。救いようのないケースだった。死亡宣告をし、別室で遺族に説明を始めた直後、患者の次女の旦那が、突然、果物ナイフで諸岡医師に襲い掛かった。患者が病室で使っていた果物ナイフだったらしい」
何とも悲しい事件だと思った。亡くなった患者さんも可哀想だし、遺族の気持ちも理解できなくもない。だけど、医師の説明を聞く前に切りつけるという行為は、いくら何でも非常識だ。
これから私は、患者さんや患者さん家族から、モロオカ医師が経験したような暴言や暴力を受ける可能性がないとは言えない。やるせない気持ちだ。白衣の天使に憧れて看護師を目指した私だけれど、こんな話を聞くと、本当に不安になってくる。
長い沈黙が続いた。
久保田は、ゆっくりハーブティーを飲み、静かにカップを置いた。私にも、この場にふさわしい言葉が見当たらなくて、黙ってストロベリーシェイクに口をつける。
「大丈夫? これから医療の世界に飛び込もうとしている人に、こんな話、酷だよね」
久保田が静かに聞いた。
「いえ。私が教えてほしいって言い出したんですから」
人には、本当にいろんな人生が隠れている。久保田と出会わなければ、マスターの過去を知ることはなかっただろう。それにこの人も、もしかしたら私には想像できない位の苦しい時期を送ってきたのかもしれない。そして、今でも、その苦しみが癒えていない可能性だってある。
「久保田さんって、何だか不思議。マスターも不思議な人だけど」
「え?」
「いえ。気にしないでください。それより、久保田さん、間違った記事を書いたことで、邦流新聞をクビになったんですか?」
「えー? 失礼な。ふっ。でも、クビになった方がどんなに気が楽だったか……」
久保田は自嘲気味に淋しい笑いを浮かべた。
「ボクは、スクープを取ったことで、社内で賞までもらった。その時はまだ自分の犯した罪を自覚していなかったから、素直に嬉しかった。同僚の中にはやっかみの感情をあらわにする者もいた。ボクは、徹底的に真相を追究しようと思った。知り合いを地中海病院に入院させて情報を集めたり、そいつの見舞いに行く振りをして、病院にもよく通った。顔を覚えられていたから記者だとばれるとまずい。ボクは簡単な変装までして病院内にもぐりこんだ。ボクの取材はいつも徹底していることが自慢だった。院内で得られた情報は、諸岡医師が多忙であること、手術がうまいこと、看護師に人気があって、若い医師からも尊敬されていることだった。別に人間的に問題があるような情報は何も得られず、記事を書くのに好都合な情報はなかった」
この人が新聞記者。ちょっと、異質な感じがした。この人には確かに強引なところがある。少なくともマスターのような上品さはない。だけど、私が全く理解できないタイプの人間でもない。でも、テレビで見る、あの相手を思いやる感情の欠落した種類の人間だった時期もあったということなのだろう。
「はっはっは。若い頃は、バリバリの記者だったさ。記者の仕事は真実を追究することで、上品ぶってたら仕事は勤まらない。追っかけができないなんて泣き言は絶対に言えない。這いつくばってでも、相手から罵倒されてでも、やるべきことをやっていく。それが記者。楽な仕事じゃないよ。ただ、そんな仕事にも疲れたね。自分の正義と組織の正義が一致すれば何も文句はないが、一人前に自分で物事を考えるようになると、自分を捨てるか、組織を捨てるか、どちらかを選ぶことになる。ボクがとった諸岡浩一の記事は、ボクの正義と新聞社の正義が一致していたから書けたんだ。自分が間違っていたと気づいたとき、二つの正義は完全に分裂した」
地中海病院事件が、マスターと、そして、事件を自分が作ったと言う久保田、二人の人生を大きく変えたということの意味が、おぼろげながらわかってきた。
文章を書いていると、語彙力のなさ、構成力のなさを痛感します。もっと何とかならないかなあと情けなく思いますが、こればっかりは……
こんな発展途上の素人の作品ですので、余計に、読んでくださる皆様方には感謝の気持でいっぱいです。
皆様方は、珈琲を飲むとき、どのようなスタイルでしょうか。私は、基本的にブラックで頂きます。一片のチョコレートや小さな菓子があると嬉しいですね。
珈琲には、カフェインによる覚醒効果もありますが、リラックス効果もまた大きいことがわかっています。
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