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  メスと珈琲 作者:GFJ
第16話 右手
 二日酔い。頭が痛い。
 昨日は夜中まで、私と景子は酒を飲んで喋りとおした。他愛もない喧嘩話だが、景子は真剣だ。アキラが元カノの写真を隠し持っていたことに端を発していた。アキラ君には全く悪気がないようで、単純に捨てるのを忘れていたらしいのだが……。景子には、それさえ許せないらしい。途中から私は眠気が襲ってきて、クッションを枕に横になったが、まぶたが閉じたがるたびに、景子は、「アンタも飲め」とコップを差し出す。景子がアキラのことであんな風になっちゃうなんて、大いに迷惑ではあったけれど、同性から見て景子が可愛いと思った。そこまで男の子に夢中になれる景子の性格は、ある意味羨ましい。
 それにしても頭ガンガンだし、眠いし、こんな状態でバイトはきつい。
長い土曜日の午前中だった。ようやく近藤さんが現れ、ブック兼平から解放された。
バイトから家に直行するつもりだったのに、習慣とは怖いものだ。
ぼーっとしたまま、私は、”森”の駐車場に来ていた。
でも、こんな日こそ、コーヒーはいいかもしれない。

 カランコロン。
「いらっしゃい」
 いつものマスターの声。
 あいにく、”森”の私の指定席には、中年の女性が二人座っていた。うーん。うまくいかないものだ。今日の私は指定席の気分なのに……。ぐるっと見渡す。居心地のよさそうな場所を探すのも面倒になって、私は、カウンターに腰掛けた。
「どうしましたか? 元気ないですね」
 さっすが、マスター。やっぱりあなたは医者、じゃなかった、元医者だ。
「二日酔いなんです」
 私の答えに、マスターが笑っている。
「二日酔いですか」
「そうです。二日酔いと睡眠不足に効くコーヒーください」
 半分やけくそでそう言った。
「おやおや。……そうですね、今日のあなたに合うコーヒー。あなたの味覚は今落ちてるかもしれないけれど、たっかいコーヒーなんてどうでしょう。ハワイのコナ」
マスターは何だか嬉しそうだ。人の不幸を喜ぶ医者がいるかあ!
「こなコーヒーって、インスタントコーヒーのことですか?」
 私のバカな質問に、マスターはニコニコ笑いながら答えた。
「ハワイのコナ地方ですよ。味は保証します」
 もう、どうでもいい気分だった。
「じゃあ、それ下さい」
 今日は、推理小説を持ってこなかった。ここへ寄るつもりも全くなかったし。

 思考回路がかなり低下した状態で、私は、カウンター内をぼーっと見つめていた。
 焙煎豆を瓶から取り出す仕草、グラインダーにかける仕草、フィルターをセットして砕いたコーヒー豆を丁寧に移す仕草。コーヒーを淹れる当たり前の手順、その一つ一つが、流れるような美しさで進行していく。きっと、地中海病院にいた時には、コーヒーポットの代わりに、メスが握られていたのだろう。手術場で、無駄のない美しい動きを披露していたであろうマスターの手。コーヒーを淹れることでマスターの手は満足できるのだろうか。そして、こんなに美しい作業ができる手でも、間違いを犯すのだろうか。カウンター内の整理整頓は、手術場のそれの続きなんだ。ふっと、そんな事を思った。

 真っ赤なハイビスカスの花。何とも楽しいコーヒーカップだった。香りも最高。口に含んだ途端、私は笑っていた。こんなに美味しいコーヒー。ウソみたい。
「どうですか? うまいでしょう?」
 マスターは嬉しそうだ。
「マスター。聞いてもいいですか?」
 マスターの笑顔に、今日なら質問してもいいかも、と思った。二日酔いのぼやけた頭だから、そう思っただけだったかもしれない。
「何でしょう?質問によっては高いですよ」
 冗談半分で答えるマスター。
「あの」
「はい?」
「あの、どうして、メスを置いたのですか?」
 一瞬、表情が固まった。あれほど柔和だったマスターの顔が一瞬だったけれど苦痛の表情になった。
「怪我をしてね」
 マスターが医師であったこと、それも外科医であったことをなぜ私が知っているのか、そんな質問をマスターはしなかった。
「あ。気分を害されました?」
 私は慌てて取り繕った。でも、その時点ですでに、マスターの表情はいつもの通りに戻っていた。
「いいえ。多分、久保田から、そういう話は伝わるだろうなと思っていたから」
 いつもと変わらない様子で、カウンターの上を片付けたりしながら、私の質問に答えてくれた。
「手がね、思うように動かないんだ。特に細かい作業がてんでダメでね。文字を書くのも、短時間なら大丈夫なんだけど、少し長くなると難しくなってくる。こいつが、手術を嫌がっているんだな、きっと」
 マスターは左手で右手を掴んで、微妙な笑顔を作った。その時のマスターの表情で私はわかってしまった。この人は、メスを持ちたがっている。二日酔いだからそう感じたのか……。遠くを見つめる目が、手術場を追っている。瞬間的に私は確信した。

 怪我……。
 私は、詳細を聞くことができなかった。聞いてはならない理由(わけ)がある。そう思った。



いよいよ、これから詳細が明らかになっていきます。
ちょっとダークな展開になりますが、あしからず……

コナコーヒーは大変高価ですが、本当に美味しいです。私自身は、ブルーマウンテンよりも上を行くのではないかと思っています。他国と比べて人件費がかかるため、なかなか手が出ない値段になっています。

ブルーマウンテンもコナも、品種で言えば、在来種に最も近いと言われるティピカ種になります。ティピカ種の珈琲は、美味しいものが多いですね。ティピカ種の突然変異株であるブルボンもそうです。

これらは香りも最高で、私は焙煎したコーヒー豆を入れたガラス瓶の蓋を開けて、一人うっとりすることがあります(周囲から見たら怪しい姿ですね)。


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