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  メスと珈琲 作者:GFJ
第11話 視察旅行
 夏休みを利用して、私は旅行することにした。バックパックに3泊4日分、最低限必要なものをつめて、JRに乗り込む。勿論、推理小説も一緒に。

 景子は、「あんたも物好きね」と鼻で笑った。
「佳代、あの男はダメよ。もう少し見る眼を養ったらどう」
 結局、景子は、私が久保田に興味があると勘違いしたままだ。私は訂正するのも面倒でそのままにしている。私の旅行の提案にも乗ってこなかった。アキラと遊ぶ方が優先だって。

 地中海病院のホームページから地図の部分をプリントアウトして、それをウエストポーチに小さく折りたたんで突っ込んだ。一人で地中海病院を『視察』することにしたのだ。別に何かを期待しているわけじゃない。7年前の事件のことで、何かがわかるはずもない。ただ、「どんな病院なのか」興味の虫がウズウズして抑えられなかった。学生の時くらいじゃない、こんな、ちゃらんぽらんな旅ができるのも。最初に「地中海病院」を視察したら、あとの3日は京都に寄ってゆっくり散策してくるつもり。
 来年は最終学年。春が来ればすでに国家試験を意識して動き出さなければならない。
実習なんかで大変とは言え、責任のないこの学生時代が刻々と終わりに近づきつつあることに、いい知れぬ寂しさも感じていた。学生らしい夏休みを送れるのは今年が最後だ。

 新幹線に乗り込むと、幕の内弁当を早速あけた。丁度半分食べたところでワゴンサービスがやってきたのでコーヒーを頼んだ。新幹線の中で”森”のコーヒーを期待するつもりはなかった。でも、前に飲んだときはもう少し美味しかったと思ったけどなあ。マスターの淹れるコーヒーをぼんやり思い出した。
 食事中私は窓の外の田園風景を楽しんだが、お弁当が終わるころ、トンネルに入ったり出たりを繰り返すようになった。私は推理小説を取り出して読み出した。が、3ページほど読んだところで、次第に小説の世界があやふやになってきた。新幹線の空調が食後の眠りに丁度良いように設定されていたのだ。

 新幹線を降りると、地下鉄で目的の場所まで行った。私は都会の匂いにワクワクした。地中海病院は、幹線道路沿いに建っていた。地下鉄を降りて5分。交通の便のいいところだ。

 建物を見上げた。9階建ての大きな建物。玄関を入るとピロティが広いし天井が高い。明るくて清潔感を感じる近代的な印象の病院だった。警備員室の隣に大きな案内板があった。沢山の科が並んでいた。
 病院の中にエスカレーターがあった。何だか珍しいなあ。ゆっくり上っていく。エスカレーターは、3階まででおしまいになっていた。
 総合診療科、内分泌外来、漢方外来、消化器外科外来……
 午後からの診察はほとんど終わっているようで、外来の椅子にはポツリポツリと人影が見える程度だった。

 エレベーターを見つけた。丁度『乗ってください』とばかり、扉が開いた。誰かがボタンを押していたのだろう。エレベーターは空だった。折角来たのだから、あちこち見て回ろう。
中に入ったのはいいが、えっと、困ったな。8階のボタンを押す。
 4階で扉が開いた。点滴台をお供にした強面のおじさんが乗り込んできた。点滴台はエレベーターの入口の所でカタンカタンと音を立てた。おじさんは表情一つ変えずに5階のボタンを押して『閉』を3回も押す。ゆっくり扉が閉じるのは病院だからだろうか。きっとこのおじさん、毎回このエレベーターにイライラしてるんだな、なんて想像しているうちに、5階に到着。おじさんが降りたあと、私もマネして3回『閉』を押してみた。
 8階到着。エレベーターを降りると、右か左に進まなくてはならない。どうしようかと頭は考えているのに、足は勝手に右に向かって進んでいた。
『一体、私、どこに行くつもり?』自問自答しながらも平然と進んでいく。ナースステーションがあった。そこには『8階西』と書かれていた。ということは、左に進んでいたら、『8階東』病棟だったわけだ。

 ナースステーションでは、二人のナースが慌しく動いていた。背高のっぽの白衣を着た若い男の人が立ったまま腰を曲げてカルテに記入をしている。近い将来、私もこういう所で働くのだなあと思うと、少し緊張してくる。

 突然だった。私は後ろから声をかけられた。
「ご面会の方ですか?」
 振り返ると、50歳代くらいの小太りのナースが立っていた。優しい声と笑顔の割には、目が全然笑っていない。
 不審者と思われたか?いや、充分に不審者だ、私。
 襟に青い線が二本入っている。師長かも。
 声をかけられることを全く想定していなかった。
 慌てた。が、口から出たのはとんでもない言葉だった。
「ああ、すみません。以前、モロオカ先生にお世話になったもので。まだこちらにいらっしゃるかなあと思って……」
 小太りナース、失敬、名札に『小柳』とある、小柳ナースは、ちょっと驚いた顔をしてから、やや間を置いて言った。
「モロオカ先生って、モロオカコウイチ先生……ですか?」

 ウソ!?
 こんな展開になるなんて……。『そんな人ここにはいませんよ』で終わるはずだった。こうなったらあとは、シラを切り通すだけだ。
「そうです。もう随分前ですけど……」
「モロオカ先生は、退職なさってもう6,7年になりますよ。どこへ行かれたかしらねえ。あなた、手の手術をなさったの?ああ、ごめんなさい。こんなこと、聞くべきことじゃないわね」
「え、ええ、ええ、まあ。あ、どうもありがとうございました。あ、あの、どこの病院へ行かれたか、どこで聞いたらわかるでしょうか」
 自分でも呆れた。モロオカコウイチは”森”でコーヒーを出しているのだ。よくもシャアシャアとこんなことが聞けるものだ。
「そうねえ。院長かICUの師長だったら知ってるかしらねえ」
「あ、わかりました。どうもすみません。失礼しました」
 私はペコりと頭を下げた。内心ドキドキだ。早くこの場から去ろう。もしかしたら、私、とんでもないことをしてしまったのかも……。

「ちょっと、待ってごらんなさい。」
 小柳ナースは、ナースステーションに入ると電話をかけだした。
 や、やばい。ウソがばれないうちに早く退散したい。私は脇にじっとり汗をかいていた。


毎回、『メスと珈琲』を開いてくださり、ありがとうございます。大筋は出来上がっていますが、細かいところの描写など、コーヒーを飲みながら考えるのが日課になっています。

さて、そのコーヒーですが、専門店で飲むコーヒーと、缶コーヒー、全く別物だと思うことはありませんか?

実は、”森”のマスターが出すコーヒーは全て、アラビカ種になります。香り、味が優れているのが特徴ですが、病害虫に弱いという欠点があります。

一方、缶コーヒーやインスタントコーヒーに使われている豆の多くは、強く育てやすいという特徴を持つロブスタ種。生産性が高く、安価ですが、ストレートコーヒーとして飲むのは躊躇されます。しかし、カフェイン含有量はアラビカ種に比べてずっと多く、目覚ましに缶コーヒーは理にかなっているでしょう。

日本に流通しているコーヒーは上記2種類です。アラビカ種の中に、多数の品種がありますが、機会があればまたお話したいと思います。


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