【そして再会】
星の飛び交う宙の河は、奔流さながらハナを押し流していく。ただ、もう三度目ともなると気付かなかったものも見えてくるものだ。駆けぬけていく星の向こうにはいくつもの渦を巻く光――銀河が見える。風車のようにすごい速さで回るものや、ゆったりと流れるように回るもの。その大きさも色彩もさまざまである。
「ああ、綺麗だ……」
心の余裕が唇から洩れる。――が、前方に白い光の円が現れるに至って願い事を早口で叫んだ。
「どうかあんまり高い出口じゃありませんよーに――っ!」
先ごろまで使われていたその客室は、今は使う人もなく整然と清められていた。だが、それは主の帰りを待っているような感がある。クッションの置かれた長椅子、繊細なレースのテーブルクロス、一輪挿しには、たくさんの白い小さな花をつけた小枝――。扉の隣に妙に間の抜けた空間があり、おかしな高さの装飾台座がぽつねんと佇む。この上になにかが乗っていたことは間違いないのだが、堂室の中にはそれらしいものは見当たらなかった。
扉が開かれ、一人の若い女官が入ってきた。
寝台に近づき、敷布を替えようと手を伸ばしたとき、掛け布が小さな山を作っているのを見つけた。
「……まあ、シュリーマデビイ。またここにいたのね?」
藍華は小さく笑ってそっと掛け布をめくった。
キュルル……
出てきたのは掌に乗るほどの小さな碧のドラゴンだった。その生き物は、光沢のある赤い板のようなものを抱きかかえるようにして座っていた。それはあの異界の女の忘れ物だった。
ドラゴンは彼女が居なくなってしまってから数日は、この部屋を動こうとしなかった。女官達が部屋を片付けてしまおうとすると飛び回って威嚇し、女王や宰相でさえもこの小さき者の剣幕には匙を投げる始末。女王はシュリーマデビイの気の済むようにと、笑って戻って行った。そうして、この堂室の掃除に来ているうち、不審げに藍華を見ていたシュリーマデビイも少しずつ警戒を解いていってくれたようだった。
藍華は寝台の端に腰掛け、碧のドラゴンに呟いた。
「……ハナ様は、お元気かしら……?」
藍華とて、美しい黒髪の、屈託のない笑顔を見せてくれるあの異邦人が帰ってしまったと聞いて心底がっかりしたのだ。もっとたくさん色んな話しを聞いてみたかったし、もっと自分のことも知ってもらいたかった。
この王城に来てから――もちろん王城で働けることは有難いとは思うが――貴族・王族たちの覇権争いや、それに伴う女官どうしの確執などが、時おり重く圧し掛かってくるようで息が詰まりそうだった。同年代の女官はといえば、先輩女官の陰口と見目の良い官吏の噂ばかり。黙々と働いているほうがいくらか気持ちも楽だった。そのおかげでかどうか、女官長より女王の賓客のお世話を言い付かった。
「……うふふっ……」
急に吹き出した藍華を、ドラゴンは不思議そうに見上げる。
あの日、異邦人を客人用の風呂へ案内したとき、大きな浴槽を見たハナが振り返って藍華に言った。
「旅館みたいな大浴場だね! 一人じゃもったいない。あなた、一緒に入らない?」
思い出してくすくす笑っている藍華を、金色の目をぱちくりさせて見ていたシュリーマデビイが突然、鋭い声をあげた。
「えっ……?」
碧の翅が羽ばたき、開け放たれていたテラスの扉をすり抜けていく。藍華は慌ててそれを追ってテラスへ出た。
「シュリーマデビイ!?」
輝く碧が真っ直ぐに向かっているのは―――
「………神殿……?」
呟き、あることに思い至ると小さく悲鳴をあげ、彼女もまた客室を飛び出して行った。
水華蓮国神祇庁の祭殿。
通称、神殿と呼ばれるそこは、水華蓮最大一の聖域として存在する場所である。白い玉石で造られた巨大な建造物は、神祇庁長官官長・青慧を筆頭に数百人の神官を抱えている。
各地に散らばる神殿とは違い、ここに民が入ることは許されない。よって、祭殿で祈るのは神官たちと、王城に住まう王族・貴族らだけであった。巨大な祭壇がしつらえられ、壁際には何本もの石柱が建ち並び、磨かれた床石が光沢を放っている。
その祭壇の前で数人の神官が跪いて勤めを行っていた。厳かな祈りのなか、祭壇の真下の床が渦を巻き始める。ふと、最前列にいた神官の一人が顔をあげた。
「……ように――っ!」
女の叫び声とともに、白い玉石の床からにゅうっと腕が伸びてきた。
【わあああっ】
仰天して裏返った神官の叫び声が響き渡り、白い衣が飛び上がった。後ろで祈っていた神官たちも何事かと顔をあげる。
彼らの目前、渦を巻く床石からもう一本の腕が伸び、白い床石に掴まった。腕の主は下から放り上げられるようなかたちで床から飛び出すと、二回ほどでんぐり返って停まる。そして、大きな溜息をつくと憤然として言った。
「……だからって、低すぎるだろう……!」
腹立たしげな抗議に対して渦が返事をするはずもなく、不可思議な入口は静々と小さくなり消えていった。
呆然と佇む神官たちに気付き、彼女――矢島ハナは立ち上がると片手をあげた。
「あー……どうも。」
「ハナ様っ!」
呼ばれて振り向いたハナは、祭殿の入口から駆け込んできた蒼い法衣の人物と、その彼を追い抜くようにして飛んで来る緑色の生き物を見つけてにっこりした。
妙に懐かしい気分になるのは何故だろう?
「お久しぶっ……」
挨拶は顔面に貼りついたシュリーマデビイによって続かなかった。
一時、騒然となった神殿だったが、青慧の一声でぴたりと静まった。てきぱきと神官たちに指示を与えた後、彼はハナを連れて奥へと入って行った。
豪華な客間に通され、お茶が運ばれる。神官が立ち去ったあとでようやく青慧は口を開いた。
「戻ってきてしまわれたのですね……。ともあれ、お元気そうで何よりです」
糸目の温和な相貌が苦笑を浮かべる。ハナは元の世界に戻してくれたのが彼であったことを思い出し、恐縮して頭を下げた。
「すみません。……あの、入口に引きずり込まれてしまって……兄も、友人も止めてくれたんですけど……」
「ハナ様を責めているわけではありませんよ。……何か、大きな力が働いたのでしょう……」
ほろ苦く笑った青慧は一つ溜息をついた。
「青慧さん、私……」
言いかけたハナの言葉を、手を上げて遮った青慧は、ゆっくり頷いた。
「あなたがどうしたいのか、わかっているつもりですよ。そして、実はあなたにお伝えしなくてはならないこともあるのです。先ほど陛下と宰相に言伝をたのみましたから、程なくこちらに参られるでしょう。お話はそれから、ということにしましょう」
そして、ハナがお茶を飲み終える間もなく、女王と宰相が神殿に到着したことを告げられた。
「……おやおや。お二人ともすっ飛んで来られたらしい」
青慧は苦笑して呟いたが、そもそも、神殿からの使いもすっ飛んで行ったのである。
案内の神官を半ば押しのけ、なだれ込むようにして入ってきた女王と宰相だったが、長椅子に座ってのほほんと――しているように見えた――お茶を飲んでいる異邦人を見た途端。
「ハナッ!」
何度聞いても恐ろしい宰相の大喝が落ちてきて、ハナは思わず青慧の後ろに逃げ隠れた。
「…………。それは、一体なんの真似だ……?」
一瞬後、地を這うような低音が宰相から発せられる。
「開口一番に怒鳴るのはやめてくれないか、参謀長官殿」
蒼い法衣の袖から覗くようにして抗議する異邦人に、宰相は冷たい微笑を向けた。
「抗議は隠れてするものではないぞ。言いたいことがあるなら前に出て来るがいい」
「……怒鳴らないなら、出てもいい」
盾にされていた神祇官長がとうとう吹き出した。
「まあまあ、二人とも。……宰相もちょっと落ち着きなさい」
青慧はじめ女王や宰相からもたらされた事実は、ハナに大きな衝撃を与えた。
自分が呼び出した白銀の竜が、他国の守人の一族までをも騒がせてしまったのだ。謝ってすむ問題ではないが、どうすればいいのか見当がつかない。唸って頭を抱えてしまったハナに、宰相が言った。
「そなたが呼び出した竜が騒ぎの元になったのは否めないが、それが問題ではないのだ、ハナ」
「え?」
怪訝そうに顔をあげた女に、青慧が頷いた。
「暗黒世界からの瘴気については以前、博士よりお聞きになったと思いますが……貴女がお帰りになった後、いろいろとございましてね。どうやら、対岸の火事とはいきそうもないのです。瘴気の影響を真っ先に受けたのが、宰相の生国でしてね……」
もう一度 「えっ」 と呟いて、群青の髪の青年に目を向ける。
宰相の国が瘴気に侵されているのなら、この国もまた無関係ではいられないということなのだ。宰相は考えた末、ローブミンドラは捨て置くよう青慧に言ったそうだが、神祇官長は首を縦にはふらなかったのだという。
「青慧殿、先日も申し上げたが、あの国のことは……」
「なりません」
意外なほど強い口調で青慧は言った。そして、宰相をなだめるように苦笑する。
「勝手にしろなどと口にはしましたけれどね。まあ、正直言いますと他にもね、いろいろと事情があるのですよ」
宰相は諦めたように溜息をついたが、ふと思い出したように言った。
「……青慧殿。この際、異邦人の無礼に便乗してお聞きしたいことがあるのだが」
無礼ってなんですか! と、すかさずハナが抗議する。その口を掌で塞いだ宰相は慎重に言葉を紡いだ。
「文書館で絵を見せられたのです。千年前の、水華蓮国宰相と、貴方と瓜二つの神祇長官・青慧の肖像画を……」
ハナの口を塞いでいた手をどけたあとも、彼女の口はぱっくりとあいたまま、目はまん丸になって宰相と青慧を交互に見つめている。女王は一言も洩らすことなく、その様子を見守っていた。
「千年前ですか……。なるほど。……私が、本当に千年前から生きていたとしたら、どうなさいます……?」
変わらぬ温和な糸目の相貌だったが、そこはかとなく漂う不気味な雰囲気は払いようもなかった。女王と宰相は少なからず緊張をはらんで沈黙し、ハナは瞠目したまま神祇官長を見つめ、
「……でも、一〇〇〇才のお肌じゃないよね?」
うめくように呟かれた言葉はそれだった。
青慧は一瞬きょとんとし、ついで盛大に吹き出した。宰相は沈痛な面持ちで目を閉じると額を押さえて俯き、女王は持っていた扇を震わせながら口元を隠し……身をよじって笑っていた神祇官長はとうとう椅子から転げ落ちた。
お久しぶりです。
お待ちくださっていた方、たいへんお待たせいたしました。
何をしとったかと申しますと……それはどうぞ、ブログで察してやってください。作者紹介にリンクしております。(携帯の方も見れます)
これからまたぼちぼち進めて参りますので、どうぞよろしくお願い致します。
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