瑞穂の日常『流星群と傘』
「みずほ~」
弟の琢磨がリビングから私を呼んでいる。私は自分の部屋からリビングに向かう。
「琢磨!瑞穂じゃなくて、お姉ちゃんって呼びなさいって言ってるでしょ」
「だってお父さんもお母さんもみずほって呼んでるもん」
「お父さんとお母さんはいいの。あんたは弟なんだからお姉ちゃんと呼ぶの」
「えぇ~、じゃぁお姉ちゃんは僕の事『弟』って呼ぶの?」
琢磨は6歳にもなって未だに間延びした話し方をする。
そんな子供っぽさが残ってる割に変に理屈っぽい。
「琢磨は琢磨でいいの」
「えー、そうなの?」
私の論法に若干不満がありそうだ。まぁ当然と言えば当然だけど。
「お姉ちゃんがそう言うんだから間違いないの。わかった?」
「はぁ~い」
変な理屈をこねると思えば、こうやって素直な面も見せる。やっぱり琢磨は可愛いわ。
「それで何の用だったの?」
「そうだ!忘れてた。お姉ちゃん、りゅうせいぐんってなに?」
「流星群?」
「さっきテレビでこと座りゅうせいぐんが来るって言ってた」
「あぁ~、流星群っていうのはね」
そこではたと考え込む。流星群の正確な知識なんてない。なんとなくなら分かるけどちゃんと説明できるかしら…
「お姉ちゃんも知らないの?」
「え?し、知ってるわよ。ただ和磨に分かりやすく説明するにはどうすればいいかなぁ~って考えてたの」
「ふーん」
あっ!目がなんか怪しんでる。ここは姉として立派な説明が必要なようね。
「流星群というのはね、夜空にたくさんある星が流れ星となって降ってくるの」
「流れ星?流星群って流れ星の事なの?」
「そうよ、その流れ星が一度にたくさん降ることを流星群っていうのよ」
「じゃぁ大きな傘がいるね」
「傘?」
「だって星が降ってくるんでしょ?」
可愛い。我が弟ながらこの発想には萌える。
「そうね、大きな傘がいるね」
そう言って私は可愛い弟の頭を撫でる。
「じゃ傘を買いにこうよ」
「え?」
「だって大きな傘もってないもん」
なんか微妙に話が逸れていってるような気が……
「琢磨なにしてるの?」
琢磨が急に着替え始める。
「だって百貨店に行く時はいつもこの服を着るって決まってるもん」
「な、何言ってるの。お買い物なんて行かないよ」
そう言うと和磨が泣き出す。
「星が降ってきて頭に当たったらどうするの?痛いよ?僕の頭に当たってもお姉ちゃんは平気なの?」
「瑞穂!和磨を泣かすな!」
お母さんの怒鳴る声が台所から飛んでくる。
「だって百貨店に買い物に行きたいって言うから……」
「百貨店くらい連れて行ってあげなさい」
そんな無責任なこと言って…… お母さんは何もしないくせに。
「琢磨は泣き出したら大変なんだからさっさと行ってきなさい」
何か適当にキャラクター物の傘でも買ってあげればいいか。
「分かった。琢磨行こっか」
そう言うと、さっきまでの泣き顔はどこへ行ったやら、大喜びで出かける用意をしている。
私は自分の部屋に戻り、机の引き出しから財布を取り出し家を出る。
百貨店に着いて店内地図を確認する。
どうやら子供用品は6階にあるようだ。和磨の手をひいてエスカレーターに乗る。
「危ないから気をつけて」
「はぁ~い」
私の手をしっかり握り、満面の笑みで返事をする。この返事の仕方が可愛いすぎる。
ほっぺたをなでなでしたいが、場所が場所だけに我慢する。
「そういえば琢磨、私が部屋に戻った時お母さんとなにかコソコソ話してなかった?」
「忘れた」
悪びれもせず、忘れたと間髪入れず言う琢磨に思わず笑ってしまう。
「あっ!どこ行くの」
4階まで来たところで琢磨がいきなり走り出す。
「待ちなさい。危ないでしょ。走っちゃダメ」
琢磨があるショップの前で立ち止まる。
追いついて琢磨を捕まえると、突然「僕これに決めた」と言う。
え?何を決めたの?琢磨の指の先を確認する。
そこに1本の傘が展示されている。
「琢磨、あれは女性用なのよ。琢磨は男の子でしょ?あれはダメ」
「僕あれがいい」
「ダメよ、6階にたくさんあるからそっちに行きましょ」
「嫌だ!あれがいい~」
うわ、また泣きだした。
「お客様、大丈夫ですか?」
ショップの店員さんだ。
「だ、大丈夫です」
そう言って琢磨を抱きかかえたままエレベーター横にある休憩スペースへ移動する。
「琢磨、あのお店は女性専門店だから琢磨が差すような傘は置いてないのよ」
「あったもん。僕あれがいいもん」
「あんなピンクの傘がいいの?」
「うん」
あれは女性用以前にブランド物だ。ちらっと値段を見たけど1万4千円もしていた。そんな高い傘なんて買えない。
だいたい財布には1万2千円程しか入ってないし。
「6階に琢磨の喜びそうな傘がいっぱいあるから6階に行こう」
私は琢磨をなだめるように頭を撫でながら優しく言う。
「うっうぅ」
それなのにまた泣きだした。こっちが泣きたくなってきた。
「いつもの傘は小さくて流星群にやられちゃうからヤダ」
「もう、いい加減にしなさい!」
琢磨の相手に疲れてきた私は、思わず怒鳴り口調で言ってしまう。
言ってしまった後ですぐに、『しまった』と思ったが遅かった。
琢磨はまるで火がついたように大声で泣き出した。
「琢磨、ごめんね。きつく言いすぎたね。お姉ちゃんが悪いね」
私が謝っても全く聞いてない。
ダメだ。こうなったら手がつけられない……
エレベータのドアが開く。
琢磨と二人で一緒に乗り込み7階のボタンを押す。
琢磨は満面の笑みだ。
それはそうだろう。自身最大の武器をフルに使って、私にブランド物の傘を買わせたのだから。
結局初めに欲しがった傘は、お金が足りなかったので買えなかったが、その代わり同ブランドで他のよく似た傘を買った。それでも9千8百円もしたんだから喜んでもらわなければやってられない。
エレベータが7階に着いてドアが開く。琢磨の手を取って降りるといきなり琢磨が抱きついてくる。
「傘ありがとう。お姉ちゃん大好き」
ぐっ。なんて姉の扱いを分かってる子なんだろう。そんなこと言われたら許しちゃうじゃない。
「いいのよ。でも高かったんだから大事に使ってね」
「はぁ~い」
可愛い…… っていうか琢磨は分かってやってるのかしら?もしそうなら凄いわね。まぁいいや。可愛い弟のためだし。今回は特別よ。
「お母さん、ただいま」
靴を脱ぎ散らかして、琢磨は傘を持って真っ先に、リビングでテレビを見ていたお母さんの所に駆けよって行く。
「ほら、お母さん。傘買ってきたよ」
『買ってきた』じゃなくて買ってもらったでしょ!私の貴重なお小遣いを使って買ったんだから、その辺間違わないでほしいわ。琢磨の靴を揃えながらそんなことを考える。
「あら、良かったね。どんなの買ってもらったの?」
私は部屋着に着替えるために自分の部屋に入る。
「これ、お母さんの言ってたやつでしょ?」
ん?『お母さんの言ってた?』私はリビングからわずかに漏れてくる声に耳を傾ける。
「しー、和磨。声が大きい」
お母さんは小声で話してるせいか聞き耳を立てても少し聞き取りにくい。
しかし何かありそうだと思って思いっきり壁に耳を押し当てる。
「これで、ゴーレンジャーの傘と交換してくれる?」
「いいわよ。これならOK」
「やったー!」
ちょっと待って。どういうこと?
みるみる顔に熱を帯びてくるのが分る。
私は部屋を飛び出す。
「ちょっとお母さん、どういうことよ!」
まさか聞かれてるとは思ってなかったのか、びっくりしてこちらを見たまま固まってる。
「琢磨、あんたその傘が欲しかったんじゃないの?ゴーレンジャーってなによ!」
問い詰められた為、というよりも私の口調に激しい怒りを感じたんだろう。琢磨が大声で泣きだす。
「瑞穂、あんたまた琢磨を泣かせて」
「そんなこと言ったって、二人がぐるになって変な事するからでしょ」
「変な事って何よ?お母さんは、琢磨がおかしな傘を買ってきたらいけないから、もしチェック柄のブランドでピンクの傘を買ってきたら、ゴーレンジャーの傘と換えてあげるって言っただけよ」
「それって要するに、琢磨にあの傘を買ってくるように、って言ってあったってことなんでしょ?」
「そうとも言うかもね」
何が『そうとも言うかもね』よ。全然悪びれることもなくよくそんなことが言えるわね。
私の貴重なお小遣いをなんだと思ってるのよ。
のど元まででかかった言葉をなんとか飲み込む。
「だいたいあんたも琢磨が本当にあんな傘欲しがるなんて、おかしいと思わなかったの?」
「お、思ったわよ」
「じゃ、なんであんな傘買ったのよ?高かったでしょ」
高かったでしょって……あんたが琢磨に買ってこいって言ったんでしょ!
一応親だと思うから言いたいことも我慢してるというのになんなのよこの親は!
「まぁいいじゃない。その傘は私がもらっておくから。でもその代わり、琢磨にはゴーレンジャーの傘買っとくよ」
「なんでお母さんが貰っておくのよ、琢磨が使わないなら私が使う。そして琢磨には私がゴーレンジャーの傘を買ってあげる」
「何馬鹿な事言ってるの!」
え?なんで私が怒られるの?私何かバカなこと言った?
「瑞穂、あんた和磨に買ってあげた傘を取り返すつもり?一旦あげたやつを取り返すなんてとんでもない子ね」
お母さんに言われたくない!
「ただいまぁ」
あっ、お父さんだ。お父さんが帰ってきた。
「どうした?何か取り込み中のようだな」
そうだ、お父さんに間に入ってもらおう。
私は今までのいきさつを詳しく説明した。
「なるほど、話はよく分かった。じゃお父さんが判決を下します」
私はドキドキしながらお父さんの言葉を待つ。
お母さんも何を言われるのか心配なのか、やや緊張してるように見える。
「その傘は…」
その傘は?
お母さんの唾を飲み込む音が聞こえた。
「その傘はお母さんの物だ。そしてゴーレンジャーの傘は後日瑞穂が買ってあげること。以上」
は?何言ってるのこのおやじ。
「なんでそうなるのよ!おかしいじゃない!」
私は怒りを露に抗議する。
「理由を聞きたいか?」
「当たり前よ、納得いかない」
おやじは両手を広げ、ため息交じりに「まいったな」と言わんばかりに判決理由をのべる。
その態度が癇にさわる。
「その傘は元々瑞穂が琢磨に買ってあげた。だから傘は琢磨の物だ。それは分かるよな?」
た、確かにそれは間違いない。少し納得がいかない気もするが私は頷く。
「よし、では次。その傘を琢磨はお母さんと物々交換をすると宣言した。そしてそれにお母さんが同意したことにより、そこで契約が成立する」
「ちょっ!そんなっ」
「まぁまて、まだ話は終わってない」
おやじによって私の発言が遮られる。
「お互い同意の元、契約が成立したからにはその傘はお母さんの物となる。何もおかしいところはないだろ」
お母さんは大きく頷いているけど、私は納得いかない。
「だいたいそれならなんで私がゴーレンジャーの傘を買わないといけないのよ!」
「それは瑞穂が一度あげた物を取り返そうとした罰だ。これはいわばお父さんからの愛のムチだ」
は?何が愛のムチよ。このバカおやじ!
私は悔しさのあまり涙が出てきた。
「なんだ瑞穂泣いてるのか?」
腹が立つので涙を我慢しようとするけど堪え切れない。
「そこまで罪の意識を感じなくてもいいぞ。ちゃんと罰を与えてやってるんだから償えばいい」
このおやじどこまでバカなの?そんなことで泣いてるわけないじゃないわよ!
そう思うと余計に涙が出てくる。
「まぁゴーレンジャーの傘でも買ってやれば少しは罪の意識から解放されるだろう。と、いうわけで今日の裁判はここまで~」
お母さんが拍手をする。そしてつられて琢磨まで……
私はお母さんと琢磨を睨みつけ泣きながら自分の部屋に入る。
リビングからは「犯罪者がいたたまれなくなって逃げたぞー」というバカおやじの声が聞こえてきた……
いつか絶対仕返ししてやる!