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又右衛門、斬ってはならぬ 〈宇都宮釣天井異聞〉 作者:陸 理明
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降三世撃ち

「ところで、今のを見たか?」
「確と」

 櫃の中にいた正勝には全体を見渡せないことから完全には把握できなかったが、さっきの法師が何をしでかしたのかはだいたい理解できた。
 いつのまにか自分たちと同様に忍び込んでいた猫が音を立てたときは胆をつぶしたが、そのあとに僧形の忍びが鉄砲を構えたときはさらに冷えた。
 そして、あらぬ方角目掛けて発射したというのに、正勝の潜んでいた櫃を迂回するようにして背後の猫を撃ったのだ。
 見たことも聞いたこともない射撃術である。

「おれの潜んでいる邪魔物があるにも関わらず、猫一匹を撃ち殺したぞ」
「……きゃつ、忍術射撃と申しておりましたな。なんともけったいな術で」

 正勝の興奮した様子に比べると、又右衛門の方は落ち着いたものだった。
 忍びの方が若いはずなのに、年齢的な落ち着きは逆転しているようであった。
 もっともそうでなければ忍びなどは務まらないということであろうか。

「けったいではすまぬぞ。あんなものに狙われたら、父の命が危ない」
「どうでしょうな」
「それはどういうことだ、又右衛門」

 又右衛門は懐手で顎をさすりはじめる。

「……さっきの根来坊主、証拠は掴んだ、鉄砲の関所破り、殺してしまった方が楽などと言っておりましたな」
「うむ、おれたちがここに潜んで聞き耳を立てていたことに気づかずにな」

 どうしてこの二人がここにいるかというと、答えは簡単だ。
 黒歯坊の動きを察知した女忍びの桐が、忍術僧が昼寝についた時間を好機ととらえ報告したことによって、正勝と又右衛門は先回りをしたのである。
 忍びのくせに阿含坊との会話を桐に盗み聞かれていたことに気づかず、自分たちの目的地をぺらぺらとおしゃべりした結果、黒歯坊は監視されていたというわけだ。
 又右衛門は大柄な癖に身軽なので天井の梁の上に潜み、忍びではない正勝は持ち込んだ櫃の中に隠れた。
 場合によっては隠密として成敗することも考えていたのだが、それよりも得難い情報というものを手に入れることができたようである。

「……どうも、きゃつらはもう大殿を狙う気はなさそうです。まあ、よう考えてみればわかることですが、宇都宮城で本多上野介さまが暗殺されたとあっては、幕府は本気で下手人を見つけ出さねばなりますまい。すでに一度しくじり、その際、例の鉄砲という証拠の品を残してしまっている。となると、根来同心が詮議されるのは当然、そこからなし崩しに送り主にまで到達する可能性は捨てきれない。また、まだまだ幕府の土台もしっかりしているとはいえず、重臣である大殿の暗殺が問題ごとを引き起こさないとも限らない、と。こんなところでしょうな。―――暗殺放棄の理由としては」

 この大男は意外と口達者なのである。
 しかも冗談を絶えず口にする。
 後年、鍵屋の辻での敵討ちにおいても、敵である又五郎がくるまで長田村の閻魔の茶屋で休憩中に、物騒な襲撃の身支度に怯える万屋の店の主人相手に、

「どうだ、俺はいい男ではないか。武士の習いは自宅であろうと旅先であろうと、一歩でも門から外に出れば死に臨む覚悟を持つことなのだ。たった今も道行く連中と喧嘩をしても三人五人程度ならいくらでも相手にできるぞ。負けて恥辱を受けることなどまったくあり得んなあ」

 などと笑いながら足拍子を踏んだりして、冗談をずっと言っていたぐらいだという。
 ちなみにその万屋の主人は、彼のことを狂人かと思ったそうである。
 そんなおしゃべり好きな又右衛門と正反対の寡黙な正勝にとっては、その内容の方が大事だった。

「なるほど、父を殺すのは危険ということか」
「さようでござる」
「では、ここに何をしに来たとおぬしは思う?」
「まあ、正勝さまもお気づきだとは思いますが、きゃつらの狙いは大殿を追い落とすための証拠集めでしょうな。大殿を実際に殺すのではなく、(まつりごと)の場において殺すための」
「ふむ、やはり」

 又右衛門は周囲を見渡し、

「ただ、正勝さま。ここにある鉄砲は本当に関所破りをして蓄えられたものなのでございますか。それが事実ならばきゃつの飼い主めに誣告の材料を与えることになりまするぞ」
「それは心配ない」

 正勝は説明をした。
 確かにここにある鉄砲は鍬と偽って購入したものであり、注文も搬入もこっそりと行ったものであった。
 ただそれは幕閣との間の約束においてなされたものであった。
 十万五千石の大名になったことで武具を揃える必要ができたのだが、本来ならばそれには公儀の許しがいる。
 公許を求めなければならないのだ。
 しかし、いかに幕閣の重要人物である本多正純といえども安易に公許を求めては他の大名もそれに倣うおそれがある。
 そして断りづらい。
 ただでさえ、元和偃武の時代とはいえまだ戦国の余韻の残る時期にあまりよろしいことではない。
 そのため、幕閣と相談し内密の公許を得て泉州から取り寄せることにしたのだ。
 関所も「入り鉄砲出女」の言葉通りに厳重に検査されるはずだが、老中本多正純の荷物であり、幕府からの指図もあり鍬として抜けることができた。
 ゆえに、あの忍びがいかに飼い主に説明をしたとしても、この鉄砲の件で本多上野介を失脚させることは不可能なのである。

「なるほど、それはようござった」

 頷いて納得すると又右衛門は武器蔵の外に、黒歯坊とは違い堂々と扉からでようとする。

「どこにいく、又右衛門」

 又右衛門は振り向き、

「さっきの生臭坊主を斬りに行くのでござる」
「なんだと?」
「鉄砲の件はともかく、やはり大殿のお城に間諜が出入りするのは甚だよろしくない。それにきゃつは自分たちのことを「七忍」と申しておったので、その七人ことごとく皆殺しにする必要がござります」

 確かに又右衛門の言うとおりだ。
 あんな危険な忍びが城内に出入りするのは危険すぎる。
 正勝としてもそれには首肯せざる得ない。

「それに……」
「なんだ、又右衛門。それ以外にあるのか」

 又右衛門は莞爾と笑った。

「拙者とて伊賀の忍びの端くれ。根来の売僧(まいす)ごときに好きにさせるわけにはいきませぬ。それに……さきほどの忍術射撃―――「降三世撃ち」とか嘯いておりましたな―――を、ぜひこの又右衛門の剣で打ち破ってみたくなり申した。では、正勝さま、御免」

 そうして、戦いを好む修羅の笑みを湛えながら、荒木又右衛門はさっと飛び出していった。
 正勝はそれをただ見送るだけだ。
 あの大男の剣の腕のさえは、すでに昼間のうちに藩士の中でももっとも腕利きのものたちと仕合わせたことでわかっている。
 家臣たちの一人として一本も取れなかったほどだ。
 若いが柳生新陰流の優れた剣士であることははっきりとしていた。
 だが、あの野獣のような生き様はどうにかならないものだろうか。
 幼少期から官吏となるために育てられてきた正勝には、どうしても馴染めない。

 ただ、わかっていることはある。

(あいつはどこまでも信頼できる見事な男だな)

 出会って間もない男に、出羽守正勝はそこまで心を許してしまったのであった……。


          ◇◆◇


 とりあえず尾行を避けるため遠回りをしたのち、監督役の堀伊賀守のもとへと戻ろうと(ましら)のように疾走していた黒歯坊は、不意に足を止めた。
 誰かにつけられているような気がしたからだ。
 尾行を避けようとはしていたが、実際に追われているとは思っていなかったので、少なからず驚く。
 だが、すぐにある事実を思い出した。
 仲間の一黙坊の腕を奪ったという本多家の忍びの存在を。
 事前の調べではお抱えの忍びは一切いないという話であったから、おそらく正純の警護のために少数だけ雇ったものだと推測していた。
 下手をすればたった一人。
 一黙坊は一人しか敵を確認していないからだ。
 上野介の警護のためだけに雇われた忍びであれば腕がたっていたとしても不思議はないし、一人だけというのもわからなくもない。
 城内からの離脱中にそいつにどこかで見咎められたのかもしれない。

(ならば)

 追手をここで迎え撃つことに決めた。
 仲間の法師たちと合流して数を増やせれば撃退はたやすいだろうが、その前にこの追手を古河まで連れていくわけにはいかない。
 仮に堀伊賀守の存在を知られると、自分たちの雇主である土井利勝をつきとめられるおそれがある。
 それだけはなんとしてでも避けなければ、忍びとしての面目がたたないのだ。
黒歯坊は背中の鉄砲を引き抜く。
 愛用の種子島だ。
 宇都宮から古河へと続く林の中、それなりに拓けた場所にでると真ん中に仁王立ちで陣取る。
 すかさず背後にではなく、あらぬ方角に向けて構えた。
 そして大音声で叫ぶ。

「出て来い、本多の忍び!」

 呼びかけたからと言って顔をだす馬鹿はいない。
 黒歯坊の挑発は単に相手を誘き出すためのものではない。
 ただし、それだけではない。
 黒歯坊は己の秘術に自信があった。
 根来流忍術射撃―――「降三世撃ち」に、である。

 黒歯坊を初めとする七人の根来僧は、忍術を応用した特殊な射撃術に長けているのだが、
 それぞれ得意とするものが異なる。
「降三世撃ち」は鉄砲から発射した弾丸を三回跳弾させることで、物陰に隠れた目標を射殺する黒歯坊だけの魔技である。
 三界を支配したシヴァ神を降したという六大明王の一柱・降三世明王の名を受けてつけられた名前は、彼らが表向きは仏法の輩であることに由来する。
 黒歯坊の放つ弾丸はどこに潜んでいたとしても、完全に塞がれた何かに隠れていない限り必ず目標を射抜く。
 跳弾することで威力こそ弱くなるが、想定外の箇所からの弾丸にたいていのものは致命傷を負うことになるのだ。
 その魔技があるからこそ黒歯坊はあらぬ方角に銃口を向けても平然としていられる。
 すなわち黒歯坊には構えて狙いをつける必要がないのであるから。
 隠れ場所さえわかればそれでいい。

「出てくるがいい、ネズミめ」

 黒歯坊の挑発は相手を隠れさせるためでもある。
 鉄砲を見せつけられてのこのこ顔を出すものはいない。
 絶対にどこかに潜む。
 銃口から逃れるために、その射線軸から外れようとするのだ。
 だが、「降三世撃ち」を使う黒歯坊にとってそんな動きは無益でしかない。
 隠れている場所さえ特定できれば、あとはさっきの憐れな黒猫のように風穴を開けるだけであった。
 黒歯坊は火種に火をつけた。
 敵はいる。
 油断せずに周囲の気配を探れば、彼ほどの術者ならば敵の存在を探ることなど赤子の手をひねるよりも簡単なのだ。

(ククク、出てこなくてもいいんだぞ、少しでも貴様の隠れている場所がわかればそれでお陀仏なのだからな)

 潜んでいる場所さえ突き止めれば、すぐにでも射殺できる自信があったからだ。
 だが、事態は黒歯坊の目論見をたやすく裏切った。
 鉄砲を構える彼の前に、こつ然と一人の大男が降り立ったからである。
 手には長い刀を持ち、真正面から黒歯坊を睥睨している。
 銃を持った敵の前に自らを曝しても平然と立ち尽くしていた。

「おれを呼んだか、根来の売僧(まいす)

 荒木又右衛門は刀の先端を自然に下に向けて垂れさせた自然体。
 紀州生まれ、紀州育ちの黒歯坊なので、その構えともとれない剣の構え方に見覚えがあった。
 紀州藩は徳川の天領であり、そこの武士が学ぶ剣術はたった一つしかないからだ。

「無形の位だと! 貴様、柳生か!」

 それは新陰流における構えであり、「構え」をとることで生じる固さを排除するため、あえて「位」と呼んでいる。
 あえて例えるのならば下段の構えに似ている。
 ただし、無形の位においては両腕はさらにだらしなく垂れているように見える。
 だが、柳生新陰の剣士の腕の速さは目にも止まらない。
 忍びとしての体術だけでなく、僧兵としての武芸も極めた黒歯坊は、又右衛門の実力を正確に見抜いていた。
 なまなかな剣士ではないと。

「そうだ、売僧。おれは荒木又右衛門という。柳生よりはどちらかというと伊賀の忍びだがな」
「柳生宗矩の配下か!」

 又右衛門は師匠である柳生宗矩が二代将軍のもとでなにやら陰働きをしていることを知っていた。
 伊賀から通っている弟子たちを連れて、江戸に屋敷を構えたことも聞いている。
 彼自身はその仕事を命じられたことはないが、多くの忍び上りが宗矩の下で働いているらしい。
 従って、又右衛門のことを知らぬ根来坊主が、彼が師の命で来たと考えてもおかしくはないと思った。

(まあ、おれは宗矩さまに言われてここに来たわけではないが、誤解させておくのは別に構わんか)

 このあたりの駆け引きにおいては又右衛門もまぎれもなく忍びである。
 ぶへん一辺倒の猪ではない。

「そんなことはどうでもいい。()るのか、()らないのか。その大仰な鉄砲は飾りなのか、売僧?」
「なんじゃと」
「―――おれに見せてみろ、うぬの自慢の「降三世撃ち」とやらを」

 黒歯坊は仰天した。
 なぜ目の前の若造が、自分の魔技を知っておるのだ。
 根来七忍の忍術射撃は秘伝のはずだ。
 阿含坊らとて実際に見たことは数えるほどのはずだし、無論術名など知りもしない。
 それをなぜ……どうやって……
 実際にはついさっき自分自身の独り言でばらしてしまったのを盗み聞きされていただけなのだが、黒歯坊は激しく動揺していた。
 その動揺が忍術僧の判断を誤らせる。

「なぜ、貴様がその名を!」
「早く見せてみろ。それともくだらぬ大道芸だから恥ずかしくて見せられぬだけか?」
「舐めるなぁ、柳生ぅぅぅぅぅ!」

 自慢の魔技を虚仮にされ、激情した黒歯坊は明後日の方向に向けた銃身をそのままに引き金を絞った。
 死の軌跡を描く魔弾が飛ぶ。
 それは又右衛門の背中を撃ちぬく必殺の弾となるはずであった。
 又右衛門が動かなければ。

(今だ!)

 黒歯坊の指の動きに合わせて、剣士は一足飛びに跳躍した。
 ほぼ同時にカカカと炸裂音が響き、又右衛門が今の今まで立っていた地面に土煙が舞う。
「降三世撃ち」によって背後から襲い掛かった弾丸が土を抉ったのだ。
 小さく手首の回転だけでくるりと翻った刀身が月光にきらめき、黒歯坊の鉄砲を持った右拳を切り裂く。
 相手が刀ではない変則ではあるが、新陰流の合撃(がっし)であった。
 拳をつぶされればもう鉄砲は使えない。
 その痛みに叫ぶ間もなく、黒歯坊は胴体をそのまま逆袈裟に切り上げられ、絶命した。

「やったか」

 又右衛門は残心をして忍術僧の死を確認すると、刀の血を懐紙でぬぐった。
 額には汗が噴き出している。
 結果的には一撃での決着といっていいが、又右衛門は背中に走る冷たい汗を感じていた。
 彼の作戦そのままにいったとはいえ、薄氷一枚の戦いであった。
 もし、黒歯坊が彼の言葉による挑発に乗らず、「降三世撃ち」ではなく鉄砲をそのまま又右衛門に向けていたのならば、おそらく弾丸を躱すことはできなかったであろう。
 敵の敗因は自らの魔技を馬鹿にされたことで、逆に固執することになった黒歯坊の判断の誤りなのだ。
「降三世撃ち」は確かに恐ろしい技だが、それは隠れている場合にどこからともなく撃たれるからである。
 さらにそれは相手が一か所に留まっている場合に限られる。
 相手の動きに合わせて撃つのとは違い、発射の瞬間さえわかれば前に出ることで避けられる。
 黒歯坊は又右衛門と対峙した時に鉄砲を彼に向けるべきだったのだ。
 そうすればいかに柳生新陰の剣士といえども、黒歯坊に獲物としてみじめに撃たれて死んでいたであろう。
 すべては「降三世撃ち」に固執するように仕向けた剣士の作戦勝ちといえた。

「よし、では戻るか」

 又右衛門は黒歯坊の遺骸を抱え上げると、そのまま宇都宮へと走り出した。
 ここに、彼と根来の七忍との一戦目が終了したのである。



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