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又右衛門、斬ってはならぬ 〈宇都宮釣天井異聞〉 作者:陸 理明
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失脚

 四月に行われた将軍の七回忌参詣以来、しばらく宇都宮はほとんど何事もなく日々を過ごしていた。
 荒木は正純にもらった言葉があったものの、無意識とはいえ自分が公儀の手下であったことを鑑みて、ずっと自発的に閉じこもってはいたが、正勝や桐たちはそれぞれ忙しくも平和な日々を送っていた。
 この二人との関係はまったく改善されていなかったとはいえ、又右衛門はこの時期やや気楽にものを考えていた。いつか正純の正式な家来となり、その手足として働きたいという夢をいだいていたのである。
 その時、正純に久しぶりに幕府の重鎮らしい仕事が割り振られた。
 山形の最上家五十七万石の取りつぶしに伴う城地接収のための正使という役割である。
 元和八年の初夏は江戸城の改修が始まり、幕閣もごたごたが続いていた時期のため、中央の政治から遠ざけられていた本多正純でさえ使わずにはいられなかったのだろう、と世間は噂するほど、久しぶりの大仕事であった。
 なぜなら、まだまだ戦国時代の遺風を遺した大名たちが全国に残っており、五十七万石の最上家をとり潰すとなったら、成り行きによってはいくさになる恐れもあったからだ。
 最上家では老臣たちがそれぞれ派閥を作り対立し、党をたてて抗争するという状態が長い間続いたにもかかわらず、藩主の最上義俊は女と酒に狂っていたために、幕府の裁決を仰がねばならなくなっていた。
 結果として、家政不取り締まりでお取りつぶしとなったのである。
 その最上家から山形城を受け取り、鳥居忠政に引き渡すという仕事は、かなり慎重な調整力を必要と考えられていた。
 有能な官吏の力が必要なところであったが、幕閣の高級役人は江戸城の改修がらみで動けないとなれば、中枢から外されていた本多正純に白羽の矢が立つのも決してありえないはなしではない。
 そこで幕府からの指図通りに、正純は副使として永井尚勝を引き連れて、八月に山形にむけて出発した。
 すでに宇都宮城内には、悪事を働く根来同心もおらず、本多家への根強い不信感は残ってはいたものの、城主の留守中も穏やかな日々は続いていた。
 この頃は又右衛門も、そろそろ蟄居をやめて、こじれてしまっていた正勝との関係を修復して、本格的に本多家に仕官しようかと考えていた。
 すでに本多政朝の家臣ではあることから、どのように主君を替えるべきか、あまり二君を持たずという武士としてはあるまじきことを考えながら。
 ただ、今の彼にとっては正純以外のものに仕えることは考えられなかったし、時間がかかってもこの宇都宮に根を張りたいなどと殊勝にも思ってもいたのである。
 そして、正純が山形に発って数十日後、九月の下旬のある日、そろそろ秋の気配が宇都宮にも訪れかけていた頃、又右衛門のもとへ正勝がやってきた。
 同じ城にいながら、数か月も顔を合わせていなかった正勝の訪れに、又右衛門は喜びよりも不吉なものを感じた。
(そういえば、ついさっき早馬のようなものがやってきたようであったが……。もしや、大殿の身になにか起きたのだろうか?)
 正勝はほとんど口を利かず、部屋の畳の上に正座した。
 本多家の人間が正座をする、ということは公のことを話すときの癖だということを又右衛門は知り尽くしていたので、彼も対する形で座る。
 若殿の眼には深い動揺と決意が浮かんでいたのを又右衛門は見逃さない。
 確実になにかが起こったのだとわかる。
 はたして、何が起きたのか。
「……荒木よ」
「はっ」
 又右衛門は衝撃を受けた。
 あの正勝が自分のことを、「荒木」と姓で呼んだのだ。
 もう正勝は彼のことを友とは思っていてくれないのかと寂しくも思った。
 だが、仕方があるまい。
 わかっていなかったとはいえ、彼は完全に公儀の手によって何らかの使命をもって送り込まれた手ごまであったのだから。
「父上が失脚なされた」
「なんですと!」
「……山形城の引渡しを終えたのちに、副使としてついていた永井直勝が突如として上使に転じて将軍家からの上意を伝えてきたとのことだ。目付として伊丹喜之助、高木九兵衛も乗り込んできたそうだ」
「その上意のおもむきはいかに?」
「本多上野介正純、ご奉公方、思し召しにかなわず。よって、宇都宮の城地を召上げるとのことだ。代わりに出羽国の五万石へと転じよ、とのことだ。ただ、父上はこれを断ったらしいがな」
「な、何故でござるか……?」
 正勝は目を伏せ、
「父が仕置きを受けた罪状を決して認められぬからよ」

 ―――この時、永井からもたらされた罪状は十一か条であったといわれているが、そのうちの八か条については正純から理路整然とした説明がなされたという。
 ただし、残りの三か条について正純は断固として認めなかった。
 その三か条とは以下のものであったといわれている。
 一 鉄砲百丁を泉州堺に発注し、道中は尋常の荷物のごとくし、中山道筋から送付したることは武家諸法度に違反することが明らかであり、この折りに、東海道箱根の関所を避け通りたることも、公儀に対しての不法の所為にして許すべからざることであること
 一、城郭修補にことよせて、城中より城外に通じる間道工事をひそかに行い、かかる不穏の工事を施したるは将軍家に対して謀叛の意志があるということ 
 一 新地十五万五千石にて宇都宮城地に移封のおり、家臣人数不足の趣きなれば、格別のお情けを以って将軍家鉄砲組同心百名を遣わしたるに、其の方、将軍家に御届も許しもなく同心たちを殺害したこと
 これらはすべて正純から宇都宮をとりあげるための口実であり、名目に過ぎないということが明らかであるからだ。
 まず、口約束とはいえ、鉄砲の件については幕閣も承知している話であり、それを覆して正純に罪があると仕立てようとする意志が明白である。
 次に、普請の工事についてはなんら叛意があるものではなく、なによりもすべて将軍滞在の折りに主君を守るための工夫であり、言いがかりでしかないということ。
 そして、なにより、根来同心を成敗したのは武士として、領主として通すべき義を貫いた結果であり、なんら恥ずべきものではないからである。
 それを罪と糺すのならば決して認める訳にはいかない。
 清廉潔白、頑固一徹の官吏・本多上野介正純にとって、彼自身のすべてをなげうっても抗わなければならぬものであった。
 ゆえに、この三か条を受け入れぬがゆえに、新地五万五千石さえももらう訳にはいかないと断じたのである。
 だが、この堂々たる態度は秀忠と幕閣の、彼を失脚させんとする面子にとって格好の材料となった。
 正純とその家族は、すべてをとりあげられたうえで佐竹義宣へ預けられたうえで、蟄居を命じられたのである。
 二度と権力に近づくことができないように。
 かつて家康の下で政に尽力した名臣を、まるで私刑でもするかのようにズタズタに切り裂いていくやり方は当時としても異例の仕置きであったという。

「……だが、おれは父上の御心を察している。将軍家も幕閣のお歴々のあくどすぎるやり口も、一つ手を返せばかつて父上がやってきたことなのだ」
「それは……」
「ああ、すべては祖父正信や大権現さまが考えられたことであろうが、大阪のいくさにおけるずる賢い策略や大久保忠隣どの対する罠にも父上は関与されてきたのだ。それが自分に向けられたからと言って、非情だ、惨いことだ、などとは口が裂けても言えまい」
 淡々とした正勝の喋りには深い憤りと嘆きがこめられていた。
 口で言うほど割り切れてはいないのだろう。
 又右衛門はいたたまれなくなっていた。
「それに、三か条はな。すべておれとおまえが根来の連中と争ってきたものばかりだ。おれたちがもう少しうまく立ち回っていれば、どうにでもなったかもしれないかと思うと、父上の決断になにかを言える気はしない」
 その言葉は雷に打たれたように又右衛門を貫いた。
 確かにその通りなのだ。
 彼らが、根来同心の成敗も、城の普請に対する疑惑も、鉄砲の密輸についても、何らかの効果的な立ち回りをしていれば未然に摘み取れた危機だったかもしれないのだ。
 つまりは自分たちのしくじりが、尊敬に値する高潔な武士を表舞台から突き落としてしまったのである。
 又右衛門は視界が真っ暗に閉ざされていくように感じていた。
(拙者のせいだ。……大殿を、正純さまを)
 蒼白になった又右衛門に正勝は言った。
「―――荒木、この城を出て大和に戻れ。どうせ、もうすぐここは接収されて、本多の城ではなくなる。その前に出て行って、あとからくる奥平の家臣どもに下手な詮議を受けぬ方がおまえの主君のためにもなる」
「拙者の主君は……」
「政朝どのであろう」
 又右衛門は肩を落とした。
 言えなかった。
 もう自分は正純の家臣のつもりだとは。
 どの面さげていえるものか。
 正純の失脚の片棒を担いでおきながら。
 二代将軍秀忠の側近である柳生宗矩の高弟荒木又右衛門の存在があったからこそ、正純も正勝も本当の敵の正体に気が付くのが遅れ、そして彼の武力があったからこそ、七人の忍術僧との争いに時間を掛けてしまったのかもしれないからだ。
 正純の明敏な頭脳があれば、もっと効率がよく一吹きの瑕疵もない対策が練りだされていたかもしれないのに。
「わかりもうした。人目につかぬように、明日の朝にここを出ます」
「そうするがいいさ。それに、出立する際に挨拶に来る必要はないぞ。おまえには悪いが―――おれはもうおまえの顔を見たくないんだ」
 吐き捨てるように言い放つと、正勝は後ろ手で襖をしめて出ていった。
 又右衛門には直視できぬ背中を見せつけながら。




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