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又右衛門、斬ってはならぬ 〈宇都宮釣天井異聞〉 作者:陸 理明
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本多出羽守正勝

 宇都宮城の二ノ丸にある奥殿の廊下を出羽守正勝でわのかみまさかつは歩いていた。
 早朝、目覚めると同時に父である正純から、彼のもとにやってくるように言づけされていたからである。
 妻の手を借りてほとんど身支度を整えるだけで、渇いたのどを潤すこともせずに、正勝は父のもとへと向かった。
 出羽守正勝は、正純の嫡男である。
 このとき二十八歳。
家老の長谷川左近の指導の下、父のあとを襲うために宇都宮城藩においては城下の整備を担当していた。
 父と比べてやや骨が細く感じられる痩せ形で、奥勤めの侍医からは「労咳の気があるのでは」と危惧されている虚弱さを有していた。
 いわゆる蒲柳の質というべきであろうか。
 もっとも、戦国の世であったのならばそれでは厳しかったりしたであろうが、すでに大名鉢植え政策などによって多くの大名の力が削ぎとられ、再び戦乱が起こる確率の減った時代らおいてはさほど問題とはならないとされる程度にはしっかりとした武士であった。

(はて、こんな朝早くに父上に呼び出されるとは……。昨日の普請でなにか問題でも起きたか。それとも、例の根来組がなにかしでかしたか?)

 正勝の脳裏に浮かんだのは、江戸から転封と同時に本多家に配属された幕府の鉄砲方である根来同心たちであった。
 下野しもつけの小山で三万三千石を領する小名にすぎなかった本多家が、いきなりここ宇都宮に国替えさせられ、十五万五千石もの大身たいしんに出世したことで、「人手が足りまい」と配属させられたものたちである。
 彼らはとある事情があり、城主である正純のことを蔑んで勝手気ままにのさばっていた。
 この宇都宮城内で、もっとも面倒な輩なのである。
 だからこそ、正勝は今回の呼び出しも根来同心がらみであろうと推察していた。 
 そして、それはある意味では正解ではあった。
 父親の部屋に入り、型通りの挨拶をしようとすると、父の正純以外にもう一人の人間がいることに気が付いた。
 ちらりと顔を見る。
 目鼻立ちが鋭角にはいりすぎていて、とても温厚な性格の持ち主とは思えぬ顔つきをしていて、日焼けした浅黒い肌と伸ばしたさかまきは、諸国を回遊している武芸者のもののようであった。
 双眸だけでなく全身から野生の精気がむんむんと沸き立つ、野生のオオカミに近い男である。
 年齢は二十代前半。
 だが、なによりも目を引くのはその大柄な身体つきである。
 六尺半(190センチメートル)ほどの身長と仔牛のような肩幅をもつ、あまり見たことのない大男であった。
 それなのに不思議なことに、正勝は大男が部屋にいることにすぐに気が付かなかった。
 気配を完全に消していたということだけはわかる。
 つまり、この大男はただのでくの坊ではないということだ。
 まだ若いくせに名のある武芸者であるのかもしれない。
 しかし、このような大男が宇都宮城に来訪していたという記憶は正勝にはない。
 いったい何者であろうか。

「正勝、そやつのことはよい」

 父親から名前で呼ばれた。
 家臣の前では出羽守と呼ぶのが常である父が、わざわざ名前をだすというのはつまりはこの会話が役目に関わるものではないということだ。
 つまり、私事。
 本多家の中での出来事ということ。
 しかし、それではそこに同席している大男の存在の意味が不明だ。

「わかりました。それで、父上。こんな朝早くから、正勝をお召しになった理由をお聞かせ願いたい」

 挨拶もいらないという意味だと解して、正勝は単刀直入に用件を切り出した。
 父の雰囲気から言って、最初に雑談をして本題に移ろうという気分ではないことは明白であったからだ。
 それに彼自身、あまり父親とのんびり世間話をする性分ではない。
 徹底した官吏である正純は、自分の屋敷においても公人であり、城内の話を気楽にすることなどまずありえない男だった。
 当然、その息子である正勝もよく似た教育を施されている。

「昨夜、狙撃された」
「父上がですか?」
「そうだ。二の丸の庭で月を見ていたときにな」

 切り出された内容ははたして驚天動地のものであった。
 この宇都宮城において、城主である正純を殺そうとしたものがいるとは。
 だが、同時に疑問も浮かぶ。

「―――鉄砲の音など聞こえませんでした。深夜にすぐそこで鉄砲を使えば、正勝の耳に聞こえないはずがないのですが……」
「荒木、見せてやれ」

 すると、荒木と呼ばれた大男は自分の背後に隠していた長いものを正勝の方に差し出してきた。
 全長が一尺半(約五十センチ)ほどの鉄砲であった。
 馬上筒と呼ばれる文字通り騎乗したまま使える短めの鉄砲であり、普通のものの三分の一ほどの長さしかない。
 正勝も江戸で何度か見たことがある程度の貴重品であった。
 ただ、通常のものとは明らかに違うところがあった。
 その先端に妙な太い筒が差し込まれているのだ。
 馬上筒の銃身そのものよりも太い、なにやら不格好なものが。

「気が付いたか」
「なんですか、その筒は?」
「おそらく鉄砲の出す音を消すための仕組みであろう。完全には消せぬようだが、それでも闇夜に発射したことを周囲に悟られぬ程度にはなる。わしも、そこの荒木がいなければ獣のように闇撃ちされていたであろう」

 大男―――荒木は大仰に頷いた。

「して、下手人は?」
「取り逃がしました。相手も相当の修業を重ねた忍びだったようで、途中まで追い詰めましたが、片腕とこの馬上筒を引き換えにしてまんまと逃げられてしまったでござる。腕の方はあそこに」

 渋い鋼のような声である。
 ただし、年相応の若さゆえの爽やかさみたいなものは感じ取れる。
 正勝が部屋から庭の方を見ると、敷石の上にぼろ布に包まれた黒いものが見えた。

「下手人の片腕だ。荒木が持ち帰ってきた」
「では、城下で昨日腕を失ったものを探しだせば、すぐにつきとめられますね」
「それは難しいな」
「何故でございます?」
「荒木の言い分を聞いていなかったのか。相手は忍びだ。しかも腕一本を引き換えにして、荒木の追撃から逃れたほどの覚悟を持っている。いまどき、それほどの忍びは少ない。容易には捕らえられん」

 正勝は忍びを知らない。
 少なくとも本多家では忍びを飼ったことがないし、今まで、忍びを利用したことなどなかったからだ。
 だが、話だけは聞いている。
 その凄まじさを。
 戦国末期、特に忍びを用いた工作を得意とする徳川軍団の末席に所属しているのだから、それも当然であるといえた。

「しかし、父上のお命を狙うものどもがいるとなると、なんとしてでも排除して、その送り主を突き止めねばならないのではありませんか」
「下手人はもうわかっている」
「なんですと」
「正勝、下手人はな、鉄砲を使ったのだ。しかも、いまどき貴重な馬上筒となにやら得体のしれぬ仕掛けを使ってな」
「ああ……」

 そこでようやく正勝は思い当たった。
 この宇都宮城において、鉄砲を使い、暗殺を実行しようとする連中がいると聞いて、いの一番に浮かぶ名前に。

「根来組……ですか」
「十中八九な。のお、荒木よ」
「はい。拙者が仕留め損ねた刺客は、山伏のような総髪をしていましたが、まとっている墨染めの衣は無紋の袖なし、脛の半ばしかない葛袴―――根来組のものに間違いありません。ただし、正確を期すのならば、根来の忍術僧でござろうな」
「忍術僧だと?」
「ええ。紀州根来寺の精悍な僧兵の中でも、影の影。影の実戦部隊として秘蔵されているという連中でござります」
「根来組にそのようなものがいるとは聞いたことがないぞ」
「……拙者の育った伊賀のものたちは、かつて何度かやりあったことがあるということで因縁の相手ではあるのですが、天下に知れ渡った忍術集団というわけではありませんからな。若殿が知らずとも当然」
「そうなのか」
「ええ。言い伝えによれば、かの悪名高き果心居士かしんこじの弟子であったものたちの末裔という話ですが、まあ眉唾でしょう。とにかく、それだけの術者ということでございます。なんといっても拙者が取り逃がしてしまうほどなのですから」

 刺客を取り逃がすという大失態を犯しておきながら、それが相手の腕の良さのせいであるとぬけぬけと言い放つ大男。
 ここにきて、ようやく正勝はこの目の前の人を食ったような大男も忍びであるということを納得した。
 しかし、忍びというわりにはなんとも堂々としすぎている。
 口を開くにしたがって、やや馴れ馴れしいほどに親しげになっていくのも印象的だ。
 官僚的な正勝としてはむしろ苦手な性格のはずなのだが、不思議な親しみを覚えてしまった。

「それで、おぬしは何者なのだ。少なくとも、このお城のものではあるまい」
「拙者は名乗るほどのものではないのでござるが……」
「―――荒木」

 正純に促され、荒木という大男はずいと姿勢を改めた。

「お初にお目にかかります。拙者、奈良は月ヶ瀬の住人にして、幼少より柳生但馬守宗矩より剣を学び、現在は師より頂戴した又右衛門を名乗ってござります。―――荒木又右衛門保和でござる」



 ―――後年、伊賀の上野、鍵屋の辻で三十数人の集団を相手にして日本史上三大に数えられる敵討ちを行った柳生流の大剣士は、十五万五千石の大名とその嫡子のまえで不敵な笑顔を浮かべるのであった……。


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