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又右衛門、斬ってはならぬ 〈宇都宮釣天井異聞〉 作者:陸 理明
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伊賀守金道

 又右衛門が部屋に入り型通りの挨拶をすると、正座を崩さないまま、本多正純は手にしていた筆をおいた。
 山積みにされた書き物を読み、筆で書き入れ、割印をおしていく手捌きはさすが長年事務職で鍛えただけあって機械的であり、淀みのない動きであった。
 机の上の書類は一段落したらしく、多少、気が緩んだようにも見えた。
 この藩の殿様の前に召したということで、しっかりと正座をしている又右衛門を見て、正純は言った。

「おまえの場合にはあぐらをかくことを特別に許してやりたいところだが……」
「は?」
「わしは父より、どんな些事でもきちんと正座をして話し合うのが武士であると教育されているのでな、堅苦しいかもしれんが我慢せよ」
「……いえ、拙者も道場では礼儀を尽くせと教えられておりますので、正座でいることに問題はありませぬ」

 すると、正純は少しだけ視線を遠くに移し、

「わしが駿府城で大御所さまに初めてお目見えしたときは、寝そべりながらでもいいとおっしゃられてな。さすがに困ったものだ。父譲りの頑固さゆえ、そこは譲らなかったが、大御所さまはわしのことを堅物の朴念仁だとでも思っておられたのだろうな。きっと」
「大御所さまでござるか……」

 又右衛門の身分からすれば、大御所家康は天上の人である。
 その人間と実際に話をしたものから聞く挿話というのは、まるで神話かおとぎ話のように現実味がない。
 自分に何の用事があるのかを早く聞きたい気もしたが、昔話をする正純というものも意外であったので、又右衛門はそのまま耳を傾けることにした。

「あれは関ヶ原が終わった直後であったか。まだ、結城秀康さまや忠吉さまもご健在でな。二代さまが秀忠さまに決まった少しあとだったか。……わしもまだ若かった。とはいえ、出羽守もとうに生まれておったから、青二才と呼ばれるほどではなかったがの」
「大殿のお若いころなど想像もできませぬ」
「なに、出羽―――正勝と変わらぬよ。豊臣という大きな敵がいなくなり、あとは天下を太平に導けばいい時代では、父上やわしほどの苦労はいらぬから頼りなくみえるだろうがな」

 正純は意図的に正勝の名を呼んだ。
 それは、これが私事ということの表れだ。
 宇都宮藩主としてではなく、本多家の正純として語っているということを暗に説明しているのだ。
 となると、これから話されることは私人としての話であるということだ。
 権威によるものではなく、ただの武士としての会話なのだ。

「……おまえの刀は無銘か?」
「は、ただの数打ちでございますが……」

 突然、聞かれたのは想像もしていない内容だった。
 刀の話など、役人を究めたといわれる正純には相応しくないものの筆頭のようだというのに。

「では、これをおまえにくれてやろう。以前、お上より戴いたものだが、わしにはどうも似合わんのでな。例の根来の忍びを三人屠ったというおまえへの褒賞の代わりだ」

 そういって、奥の床の間に飾られていた一振りを手渡された。
 気軽に手渡されたこともあり、最初又右衛門は特に期待をしてはいなかったが、促されて抜いてみて目を見張った。
 それは新刀ではあったが、紛れもない業物であった。
 とても軽々しく貰い受けていいものではない。
 切っ先がすらりと延びたうえに、身幅が広く、地金は板目が流れて柾が交じる美しさで、刃紋は志津を写して互の目乱れ刃が明るく素晴らしい。
 また、帽子のたれた典型的な三品帽子を現していた。
 思わずため息がこぼれそうなできばえである。

「これは……」
「おまえならばすぐわかったとは思うが、その伊賀守金道は二尺七寸ある。常寸よりもだいぶ長めの豪刀だ」
「はあ」
「そんなものをわしや正勝が振れると思うか? 大御所さまよりわしが頂戴したものだが、むしろおまえの方が似合うであろう。ゆえに、わしからおまえへくれてやろうということだ」
「そ、そんな、大御所さまより拝領したものを、拙者などに……」

 慌てて断ろうとする又右衛門に対して、

「新刀は折れやすいというからな。おまえほどの剣士には似つかわしくないか?」
「それこそ滅相もない。ただ、おれ……拙者としては初めて見る美麗な刀に、少々気おくれしてしまいまして……」
「なに、そういう刀に慣れることも剣豪になるための一如よ。黙ってもらっておくがいい」

 そこまで言われては断るのは無礼以外の何物でもない。
 又右衛門はどきまぎしながらも、その伊賀守金道を手に取った。
 伊賀守―――という名前にはやや含むものがあったが、この刀の出来栄えはそんなものを吹き飛ばすほどのものであった。
 生涯において初めての自分の名刀というものに興奮せざるを得ない又右衛門であった。

「さて、又右衛門」
「はっ」
「今回のこと、大根のところは正勝より聞いておる。どうやら亀姫―――盛徳院さまが絡んでおるということだな」
「ははっ。黒幕はご老中土井利勝さま、その手助けを堀伊賀守利重、亀姫さまが行われているようでございまする」
「ふむ。わしを蹴落とすためには当たり前の組み合わせだ。―――まあよい。それと又右衛門、おまえをここに遣わしたのは確かに政朝どのであったな」
「はい」

 本多政朝は又右衛門の本来の主君である。
 正純は少しだけ思案し、

「柳生宗矩の命によるものではないのか?」
「は? ……いえ、わが師匠の宗矩さまからはどのような命もうけておりませんが」
「では、おまえの又右衛門という名前はなんだ? 宗矩の幼名であろう? それをどういう流れでもらったのだ」
「はい。ここに来る途中、江戸の柳生道場において宗矩さまより頂戴いたしました」
「その際に、何かを聞かれなかったか?」
「いいえ」

 又右衛門は躊躇わずに答えた。
 事実だからだ。
 忍び特有の疑い深さは発揮されなかった。
 伊賀守金道を頂戴したという高揚感もあったが、本多親子に対してすでに忠義にも似た心を抱いていた彼にとっては嘘をつくという気持ちは起きなかったからである。
 実際、江戸で宗矩に何かを言われたわけではないこともあった。

「そうか、宗矩は何も言っていないか。……政朝どのもだな?」
「はい。違わず」
「ならよい。おまえに聞きたいのはそれだけだ。下がっていいぞ」

 又右衛門は伊賀守金道を持ったまま、退出しようとした時、

「喃、又右衛門」
「なんでござろう」
「わしは父の弥八郎正信に『大禄をむな、たとえくれると言われても十万石を決して越えてはならぬ』とお説教をされたものだ」

 それは役人、とくに他人の信賞必罰にから立場であるものが過大な恩賞を受ければ、公平性が疑われるということを示唆しているのであろう。
 役人とは清廉潔白であることを旨とする。
 それが本多家の信条であったのだ。
 だが、今の正純は十五万五千石の大名だった。
 確実に父親のいましめの言葉を破っている。
 父親の遺命を破るというのは、この堅物で清廉潔白な人物には不似合いな行動だ、と又右衛門は感じた。

「上様の直々のお言葉の上、それが大御所さまの遺命であったと言われれば断ることもできん。まだ、父上がご健在であれば話は変わったであろうが、この年齢でいつまでも父親に頼るわけにもいかん。わしは仕方なく、父の遺命を破り、十五万五千石を頂戴したわ」
「……」
「それが土井利勝の仕掛けだとはわかっておったがな」
「なぜ……?」
「理由が聞きたいか? 簡単なことだ。この宇都宮はもともと奥平家のものだった。そこから無理に国替えをすれば、奥平には当然恨まれることになる。奥平に恨まれれば、その後見人となっていた盛徳院さまの逆鱗にも触れる。最初からわかっておったのよ、土井めは」

 わかっていて、国替えを受けたということなのだろう。
 ややらしくもなく自嘲気味な正純の姿に、又右衛門は困惑した。
 初めて出会ったあの月の夜の怜悧な役人の面影が薄れ、ごく普通の諸事に疲れた老いた武士がそこにいた。

「……ふぅ。おまえに愚痴を言っても詮なきことだったな。今度こそ行っていいぞ。わしもまだするべき書き物が残っておる」
「では、失礼いたす」

 そういって、又右衛門は正純の部屋を出た。
 すでに机に向かった正純は彼のことなど見向きもしない。
 凄まじい集中をしているのだ。
 冷徹にして完璧な官吏と謳われるだけのことはある。
 又右衛門はほとほと感心すると同時に、正純のことが心配でたまらなくなった。
 生真面目さゆえに、周囲との軋轢を生んでしまうであろうことが誰の眼にも明らかなこの不器用な男のことが。

(―――なんとか守って差し上げたいものだ)

 手にした伊賀守金道の重みが、又右衛門にはまるで別の重みのように感じられるのであった。


 ◇◆◇


 亀姫は徳川家康の長女として、永禄三年に駿府で生まれた。
 天正四年(1576年)、三河の新城の城主である奥平信昌のもとへ嫁ぎ、四人の男子と一女を産む。
 夫の信昌が関ヶ原の戦いにおける功績によって、美濃加納藩十万石の藩主に任じられて、加納に移ったことから、加納御前と称されるようになる。
 やがて夫や子らの相次ぐ死去を受けて、剃髪して盛徳院と号し、幼くして藩主となった孫・忠昌の後見役となった。
 だが、嫡男・家昌の遺児であり、たった七歳で宇都宮藩主となった彼女の孫の奥平忠昌は、十二歳の時に下総古河藩に転封となった。
 祖父や父の遺した土地を追われた形になったのである。
 忠昌の替わりに宇都宮へ入封したのはが、彼女にとって恨みのある本多正純であったことが、亀姫の心を狂わした。
 彼女と夫・信昌のたった一人の娘が嫁いだ大久保忠隣の嫡子・大久保忠常が若くして亡くなり、親戚として深く頼みとしていた忠隣が、大久保長安の事件とともに改易となったことを、本多家による謀略だとみなしていたからである。
 娘と孫を苦しめる本多家。
 そんな構図が彼女の中では確立し、恨み骨髄ともいうべき相手となっていたのである。
 彼女が古河にある屋形に、根来の忍術僧を匿い、正純の失脚を狙うことにしたのもそのためである。
 もっとも、彼女は政敵である正純を蹴落とすために、自分を土井利勝が利用しようとしているなどとは露とも思ってはいなかったのである。
 家康公の娘ということで、奥平家の家中でも当主に次いで広い屋形を与えられた彼女は、わずかに離れた宇都宮の方角をいつも呪うように睨んでいた。
 その屋形に拵えられた物見やぐらの上に、忍術射撃『不動撃ち』を使う毘藍婆坊びらんばぼうは座り込んでいた。
 手には愛用の種子島を握りしめている。
 物見やぐらからは庭はもちろん表通りから裏の林まで見通すことができる。
 唯一、見通せないのは死角にある亀姫の私室ぐらいのものだ。
 落ちたら無事では済まない高さではあったが、忍びである彼にとってはどうということのない場所であった。
 それに彼の『不動撃ち』のためには、こういう高所に陣取るのが一番効率がいい。

(ん、なんじゃ?)

 裏の松林の中で何かが動いたような気がした。
 鉄砲の名人であり、狩人である彼の勘が異常を告げる。
 種子島を構え、照準の先にさきほど動いた何かを捉える。
 黒装束の人であった。
 松の陰に隠れながら、こそこそとこちらに近づいてきている。
 身のこなし、体さばき、速さ、すべてが尋常のものではなく、正体が忍びであることを告げていた。
 この亀姫の屋形を探るための忍びといえば、今の毘藍婆坊には心当たりは一つしかない。

「荒木又右衛門か」

 彼の仲間の忍術僧を三人も殺した憎き伊賀もの。
 ついにおれたちの隠れ場所を見つけ、探りに来たか。

「いいだろう。次に姿を現した時には撃ち殺してやろう」

 毘藍婆坊びらんばぼうは舌なめずりをした。
 そして、その宣言は寸分たがわずに実現する。
 松の木の陰から、ほんの一瞬だけ姿を現した黒い影に向けて無造作に引き金を絞ると、こめられた弾丸が過たず命中し、影はそのまま昏倒した。
 二町(約220メートル)の距離にある目標を、照準を合わせるために時間をかけることなくいともたやすく葬り去る。
 しかも、最大射程が二町に満たない種子島銃で、である。
 ただの鉄砲術の域を凌駕した恐るべき腕である。
 それもそのはず、毘藍婆坊の四肢はいざ狙撃という状態になれば鋼のように硬直化し、鉄砲をがっちりと固定するだけでなく、射撃によって生じる反動(現在ではリコイルという)を完全に消してしまうことができるのだ。
 これが根来の忍術射撃〈不動撃ち〉である。
 射撃の際の身体のブレを決して起こさず、絡繰りのように精密に誤差なく撃てる究極の狙撃術。
 毘藍婆坊に狙われたら、決して生き残ることはできない。

「ん?」

 彼に撃たれたはずの黒装束が何者かによって松の木陰に引き戻された。
 もう一人いるのだろうか。
 となると彼の仕事は終わっていない。
 慌てて紙の筒に火薬と弾丸を詰めた早合を取り出し、弾込めをする。
 精密無比な狙撃を持ち味とする彼としては、銃身を一度綺麗にしたいところであるが、そこは我慢した。
 もともと彼の『不動撃ち』に頼らずとも、戦えるだけの能力は有しているのだから当然でもあった。
 弾込めが終わると、やぐらの下から彼を呼ぶ声がする。
 雷鳴のような銃声を聞きつけ、屋形内に待機していた藍婆坊らんばぼうが亀姫の家士とともにやってきたのだ。

「おい、毘藍婆坊。何があった?」
「いいところに来たな。本多の忍びの襲来よ。さっき一人撃ち殺しておいた。もう一人いるはずだから、そこの木偶どもをつれて確認に行ってきてくれ」
「なに、本多だと? 荒木又右衛門か?」
「おそらくな」
「よしよし、ついにおれの『大威徳撃ち』との決着をつけるときが来たか。いくぞ、貴様ら」

 そう言い放つと、藍婆坊らんばぼうは十人の奥平家の家士をつれて走り出す。

「さて、そううまくいけばいいがな」

 だが、実際に鉄砲で敵を仕留めたはずの毘藍婆坊は浮かない顔であった。
 すでに彼の仲間のうち、三人があの荒木という伊賀ものにやられているのだ。
 そう楽観できるものではなかったからだ。

 そして、彼の予感は的中する。

 狙撃先に赴いた藍婆坊らんばぼうは死体はおろか、一滴の血痕さえも見つけることができなかったのである……。
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