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又右衛門、斬ってはならぬ 〈宇都宮釣天井異聞〉 作者:陸 理明
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忍術〈傀儡糸〉

 目を開くと、そこにはもう会うことはかなわないであろうと思っていた、愛しい男の顔があった。
 思わず夢なんだろうと否定する。
 彼女がここ一週間ほどで味わってきた苦しみを考えれば、自分の頭の中で現実から逃れるために作り出された夢幻の類だと思うのが普通だ。
 だが、それでもいいとおはやは思った。
 二度と会えない、そして会えたとしても顔向けできない今の自分をよくわかっていたから。
 だから、筋が痛めつけられてほとんど上がらない手を差し伸べて、愛しい男の幻にすがった。

「……与四郎……」

 呼びかけてみたが、声になっていたかどうかさえもわからない。
 ただの呼吸音にしかなっていなかったかもしれない。
 それでももうすぐ死ぬかもしれない今わの際に、愛した男の名を呼べることができて幸せだとおはやは考えた。

「おはやよぉぉぉ!」

 許嫁の幻はなんと彼女を抱きしめて、切れ長の眼から涙をこぼしながら彼女の名前を叫んだ。
 まるで死ぬ寸前の彼女のために泣いているようだ。
 慟哭のあまりに、村の近辺でもっとも美男だと言われている顔がぐちゃぐちゃに崩れている。
 それでも与四郎はいい男だな、とおはやは思った。
 こんないい男との祝言を夢見れただけで自分は幸せだったのかもしれない。
 最期こそ無残であったが、その最期ですらいい男の手の中で終われれば帳尻はあったと言い切れるだろう。

「与四郎……」
「おはやあ……」

 ここにきて初めておはやは与四郎のことを可愛いと感じた。
 母性の目覚めであったのかもしれない。
 この幻の許嫁を悲しませたまま死ぬのは少しだけ無念だった。
 だったら、もうどんな無理をしてでも、彼を慰めようと決意する。

「与四郎……」

 もう彼の名前を呼ぶことしかできない。
 手も握られたまま、握り返すことさえもできない。手にどんな力も入らないからだ。
 それでも死力を振り絞る。
 おはやは与四郎の頬に触れ、涙を拭う。

「泣かないで……。いい男が台無し……だ……よ」

 惚れた男なのだ。
 自分のせいで弱くさせてはいけない。

「そんなこと言ってもよお、おはやあ……。俺はおまえがいなくなっちまったらぁ!」
「……馬鹿」
「おはやああ」
「嫌いになるよ……」
「いい! 俺のことを嫌いになったっていい! だから、死なないでくれよ! 村に帰って祝言をあげよう! 俺、いい腕の大工なんだから、こんどこそ庄屋様を……おめえの親父様を口説いて見せる。だから、だから……」

 与四郎は一度顔を背け、

「死ぬなよお!」

 もう美男の欠片もない惨めさで与四郎は訴えた。
 おはやは幻だと思っていたが、この与四郎は本物であり、こぼれる涙をこらえることは到底できなかった。
 自分の額に落ちた涙が本物だとわかり、ようやくおはやは夢でないことを悟る。
 だが、だからといってどうにもならない。
 六人の法師によってたかって乱暴された身体はすでにまともには動かない。
 死臭が漂い、すぐにでも死相が死に顔に変わることだろう。
 もうおはやは死ぬ。
 間違いはない。
 だから、おはやは最後の呼吸を使って、思い残しがないように、男の名前を囁いた。

「よしろう……」

 と。
 そして、全身の力がなくなり、彼女は息を引き取った。
 愛する男の腕に抱かれたまま。


 ◇◆◇


 奥の部屋で、これまで以上の号泣が響き始めたことから、桐はおはやが死んだことを知った。
 どのような有様かはわからないが、さっきまでの忍術僧どもの性格から慮ればなにをしでかしたかは推測できる。

(クズどもめ)

 桐は短い間とはいえ、友達のように付き合っていたおはやの仇を討つことを心に決める。
 とはいえ、全身を荒縄で縛られた挙句、身動き一つとれない今の彼女には自分の身を守るだけで精一杯であるのだが。
 幾度か身をよじってみても、弛んだ場所はないし、忍び装束に隠した暗器の類を引き出すこともできない。
 得意の糸さえも使えない状況では、打開策さえも見いだせない。
 ここはまだ拘束されていない与四郎の手を借りるか、それともあいつらが桐に念仏講を行おうとしたときに隙を見て逃げ出すか、そのどちらかしかない。
 気絶した振りをして抱えられていた時からわかっていたが、あの忍術僧たちはどいつもこいつも大柄で膂力も十分。
 もし力尽くで来られたら、間違いなく非力な桐では対抗できない。
 伊賀に伝わる秘術〈強気功〉を用いて、なんとか力を増したとしても、誤認相手では蟷螂の斧であろう。
 桐は自分が絶体絶命の窮地にあることをわかっていた。
 やつらに好き放題にされたら、秘所が裂けるどころでは済まないだろう。
 なんといっても彼女は本多の忍びとして、又右衛門の斃した二人の忍術僧の仇でもあるのだから。

(しくじった……)

 桐としてはそれしかない。
 彼女は覚悟を決めて許嫁を無残に無くしたばかりの与四郎に助けを求めることにした。
 とにかくここから逃げることが肝要である。
 だが、声を出そうとしたその時に、小屋の戸が開き、外から見覚えのある法師姿が現われた。
 忍びらしからぬ判断の遅れを桐は自覚する。
 だが、少し変でもあった。
 戻って来たのは片腕の忍術僧一人だけで、残りの四人の姿が見当たらない。
 咄嗟に気配を探ったが、後ろにいる様子もない。
 どうやら本当に一人だけのようであった。
 この屋敷に訪れている亀姫という人物によって召されたはずなのに、あとの連中が帰ってこないというのはどういうことなのであろうか。

「おお、元気にしておったか、女忍び」
「消えろ、外道」
「ククク、威勢のいいことだ。だがな、小娘。貴様はここではただの囚われよ。おれたちの慰み者になるしか生き残る道はないのだ」

 ……なったとしても、おはやのように結局は殺されることになるがな。
 桐はらしくない怒りが湧いてくる自分を頼もしく感じた。
 五人に輪姦されるのならば逃げようはないが、この片腕の忍術僧一人ならばなんとかすることもできるだろう。
 ここまで守って来た操を失うのは少しだけ勿体なかったが、それよりも命だ。
 任務を果たすことが忍びの生きる道だ。
 断じて外道の言いなりになるためではない。

「もう少し暴れてみてもいいのだぞ」
「そうする」

 桐は身体の発条だけで起き上がると、白い歯を煌めかせて、片腕の忍術僧―――一黙坊
 に跳びかかった。
 彼女の手持ちの武器で最大の殺傷力をもつものは歯しかないからだ。
 残念なことに、そんな彼女の動きを予期していたのか、一黙坊の喉笛をかみ切る前に受け止められ、乱暴に床にたたきつけられる。
 再び、床の上のミノムシになった桐の頭が踏みつけられた。

「無駄な抵抗をするな、小娘。だが、さすがは忍びというところか。むざむざとは言いなりにはならんか」
「当然。私を犯したいなら殺してからにするのね」
「―――ククク、おれは死人と契る趣味はないぞ。とんでもない跳ねっかえりであったとしても動けなくさせるやり方はたんとあるしな」

 そうにやけた顔で嘯くと、一黙坊はどっしりと腰を下ろし、懐から一本の細い糸をとりだす。
 だが、黒い糸だと見えたそれは絹でも麻でもなく、艶光からしておそらくはまともな品ではないであろう。
 その通りに、その糸を弄びながら一黙坊は嬉しそうに語る。

「これはな、女の髪を繋いで結ったものよ。どこの忍びの里でも忍術の道具として使われておるのは知っておるな。さっきの貴様の動きからすると、おそらく出身は伊賀であろう? 伊賀でも確か使われておるはずだ」
「……」
「伊賀では触れるものをすべて斬るという死の罠に使うというが、おれたち根来ではちぃと違う。見ておれ」

 すると、一黙坊は女の髪でできているという糸を一本抜き出すと、踏みつけたままの桐の耳にそっと垂らした。
 桐が耳孔にわずかに糸が触れたと感じた瞬間、まるで生き物のように糸がしなり、そのまま潜り込んでいく。
 まるで自分の巣穴と思い込んだ蛇のように。
 恐ろしいことに桐自身は糸が耳孔に潜り込んだことがわからない。
 ただし、何かを仕掛けられたことだけはわかっていた。

「な、なに!?」

 桐の問いに対し一黙坊は、

「貴様の骸骨の中にさっきの糸を送り込んだ」
「えっ」
「あの糸はそのまま貴様の身体の中を動き回り、全身をしびれさせる。ほうっておけば溶けて消える程度のものだが、少なくとも数日は身動き一つとれなくなるぞ。おれがもう一本の糸を流さない限りはな」
「ま、まさ○◇×……」

 声がいきなり出せなくなった。
 まるで舌が何かに縛られでもしたかのように。
 それだけではなく、眼球ですら少し動かすだけでチクチクと痛い。
 呼吸さえも苦しくなるようだった。
 急激に身体を襲ったこの異常がさきほどの糸のなした結果だとすると、あまりの不気味さに怖気さえも走る。

「……ぐ」

 まったく動けなくなった桐を一黙坊が嘲笑う。

「これが根来の忍術〈傀儡糸〉よ。本来の用途とはちと違うが、貴様一人を縛るためならばこれでよかろう」

 一黙坊は完全に動けなくなったことを確認すると、桐の忍び装束の上着を剥ぎ取った。
 黒い襦袢も着こんでいたが、それごと乱暴に毟り取る。
 未通娘の白い肌が曝された。
 獣欲にたぎった法師の視線がその小ぶりな乳房を舐めとる。

「ククク、役得というところか。では、いただくとするかの」

 一黙坊の左腕がその乳房に触れようとした時、黒いものがその肘に叩き落された。
 ぐじゃりと不気味な音がして、左肘の関節が逆に折れ曲がる。
 よく見ると白い骨までが飛び出ていた。

「ぐぎゃあああああああああああああ!」

 すでに無くなっている右手を思わず伸ばしてしまったが、それは当然叶わない。
 一黙坊は左腕を振り回し、床の上をジタバタと這いずり回った。
 あまりの痛みに叫び声がすぐに枯れる。
 左腕はわずかな皮と健を残してだらんとぶら下がるだけで、もうただの飾りと化していた。
 鬼の形相で一黙坊はおのれの腕をこのようにした原因を睨みつけた。
 上半身裸の桐の横に立ち塞がるように、与四郎が立っていた。
 手には薪を斬るための鉈を握っている。
 鉈からは血が滴っていた。
 一黙坊の血が。

「き、きききき貴様、大工、貴様あああ!!」

 これは忍術僧たちのしくじりであった。
 与四郎をまったく警戒せずに、拘束さえもせずに放っておいたツケが回って来ただけなのだ。
 尋常ならざる力と魔技を持つがゆえに、増上慢し驕っていた忍術僧たちに怒りの鉄槌が下されただけだったのだが、一黙坊からすれば理不尽な目にあわされたとしか思えなかった。
 なぜ、こんな奴におれが!

「おはやの仇……」

 与四郎は茫然と呟いた。
 彼は弱い男ではなく、忍術僧たちが侮っていたほど情けない人間でもなかった。
 言いなりになっていたのはおはやを人質にとられていたからだ。
 それさえなければ、きっと根来衆の言うことなど絶対に聞かなかったであろう。
 その彼を、根来衆たちはただの路傍の石ころと勘違いしていたのだ。
 そんな自分勝手な驕りをしたたかに返された形になって一黙坊は、ただ一本残った腕をほとんど使いものにならなくなるほどに壊されたのである。

「く、大工め……」

 歯ぎしりをしてもどうにもならない。
 彼の両腕はもう使い物にならないのだ。
 だが……

「むざむざ、大工ごときにやられるおれだと思うなよ」

 一黙坊は木の引き戸に寄りかかり、牙を剥いた。
 手はなくとも脚がある。
 一日に何里も走り、頭上の木の枝に楽々と跳び移る忍びの脚力は健在だ。
 丸太のごとき蹴りを腹にでもまともにくらえば、たかだか大工など数日は飯も喉を通らなくなるぐらいに痛めつけることができる。

「ふざけおって、このクソが……!」
「―――それはうぬのことでもあるな」

 背中から引き戸越しに声が聞こえてきたと同時に、一黙坊の胸に刀の切っ先が生えてきた。
 いや、引き戸ごと何者かによって刺突されたのだ。
 一黙坊は前によたよたと歩いて、どさりと倒れこむ。
 すると、彼という重しが無くなったためか引き戸が開き、そこに見覚えがあるどころか、殺しても殺したりない顔が立っていた。

「荒木又右衛門!!」

 愛用の刀を手にして、大柄な本多家の忍びが一黙坊を見下ろしている。

「ふむ、確か一黙坊とかいう根来の忍術僧であったな。ぬかったわ。せっかく好機であったのだから、二丁馬上筒のやつを仕留めておきたかったのだが……」
「ぬかせ、荒木ぃぃぃ!」

 右腕の恨みもあり、胸に空いた傷を瞬間忘れて、又右衛門に跳びかかろうと立ち上がる一黙坊。
 だが、又右衛門は構えも見せず平然と、

「うぬ、坊主にしては恨みを買うような真似ばかりしているようだ。人の恨みを買えば、殺されることになるという真理について、もうちぃとばかり考えておくべきだったな」
「なんだと!」

 一黙坊が意味がわからぬとばかりに、恨みある怨敵に怒鳴り散らそうとした瞬間、その脳天に灼熱の痛みが走った。
 痛みは即座に忍術僧の脳髄を破壊し、なんの容赦もなく命を奪った。

「……気は晴れたか?」

 又右衛門の問いには答えず、与四郎は一黙坊の脳天を割った鉈から手をはなすと、後ろの部屋でもう目を開かない許嫁のもとへとふらふらと寄っていった。
 その幽鬼のごとき姿を痛ましいものを見る目つきで見送りながら、又右衛門は上半身むき出しのままの桐を助けるために近づいていくのであった……。



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