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又右衛門、斬ってはならぬ 〈宇都宮釣天井異聞〉 作者:陸 理明
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釣天井の噂

 夜更けすぎに、与四郎は大工たちが宿としている長屋をこっそりと抜け出した。
 吹き消した行灯を器用に避けて、板戸の向こうから聞こえてくる大工たちのいびきと寝息を尻目にそっと部屋を出る。
 懐には仲間たちに見つからないように汚れた巾着が入っている。
 昼間の仕事で疲れ切っていた仲間たちは与四郎のことになど気が付きもしなかった。
 月の綺麗な晩だったので、足元は明るくて歩きやすいが、同時に見廻りをしている藩士に見咎められることもありうる。
 与四郎は慎重に物陰に隠れながら目的地に向かう。
 砂利道は音がでるのでその脇を歩く。
 さすがに警戒が厳重なので外堀を越えることはできないが、その手前のわりと密集した松林がある。
 そこが与四郎の目的地だった。
 とはいえ、好きで向かっている訳ではない。
 いや、最初は好きでやっていたが、ここしばらくはただの苦行でしかなかった。
 なぜなら、そこで与四郎を待つものは、彼にとって悪鬼羅刹に等しい者共であったからだ。
 松の林に辿り着くと、与四郎は声を抑えながら呼びかけた。

「法師さま方、与四郎です。参りました。お顔をお見せください」

 すると、今までどこに潜んでいたのか暗闇の中から薄墨の衣をまとい、長い革袋を背負った頭巾姿の法師が姿を現した。
 闇の中から、一人、二人、と現われ、最終的には与四郎の前には六人の法師が顔を出す。

「来たか、大工」
「遅かったではないか。もしや、拙僧らとの約定を反故にしたのではないかと心配して居ったぞ」
「まあ、そのようなことはありえぬか」
「おれたちの手元にアレがいる限りな。クククク」

 下卑た猿のように嘲り笑う根来の忍術僧から視線を背けながら、与四郎は悔しそうに唇をかんだ。

「で、持ってきたのか」
「は、はい」
「早う見せい」
「これでございます」

 与四郎は懐から例の巾着を取り出すと、中から一本の巻物を見せる。
 巻物といってもところどころ汚れていて、紙の質もよくない。
 それを受け取りパッとめくると、法師の一人が口笛を吹いた。

「おお、確かに本物だ」
「どれ? ……うむ、間違いなくお成り御殿の図面であるな」
「ククク、思った以上にしっかりとしているな」

 巻物―――宇都宮城・お成り御殿の普請のための図面を、法師たちは手元を覗き込みながら確認する。
 棟梁格と普請奉行が有しているものよりはやや簡素とはいっても、工事のために必要な部分はすべて網羅されている。
 ところどころに朱も入れられ、いかにも現場で使われているという品だった。与四郎たちの組はこれを元にして普請を行っているのだから、重要性も高い。
 だが、それは同時に盗み出すときの困難と比例している。
 与四郎は仕事終わりにこれを懐に収めるために、様々な苦労をしていた。
 どこに仕舞われているのか、誰が主に使うのか、どうやって隠し持っていくか……などなど。
 その甲斐あってようやく一週間かけてこれを手に入れられたのだ。

「……法師さま方に言われた通りに図面は手に入れました。ですから、俺との約束を守ってください」

 与四郎は必死に訴えた。
 彼としては最高の仕事であり、最悪の裏切りをしでかしたのだ。
 きちんと報酬をもらえなければ意味がないのだから。

「約定? なんのことだ」

 法師の一人、片腕の総髪の忍術僧が首をかしげた。
 あからさますぎるおとぼけであった。
 一黙坊いちもくぼうである。

「おい、うぬら。おれたちはこの大工となにか約定を交わしたかな?」
「はて、覚えがないな」
「そうだ、そうだ」

 一黙坊の問いかけに、仲間の法師たちもとぼける。
 だが、口元に浮かんだせせら笑いは消せない。
 与四郎という玩具をいたぶることを楽しんだ、邪悪な猫のようであった。
 当然、与四郎は血相を変える。
 ここでとぼけられることは彼のしたことが無意味になるからだ。

「法師さま方、おふざけはやめてください! 俺はあんたがたとの約束をきちんと守って、その図面を普請場から盗んできたんです!」
「盗めと拙僧らは貴様に言うたか?」
「……いや、それは……」
「おれたちは貴様にお成り御殿の普請の様子がわかるものを用意せよ、と申しつけただけだぞ。それに図面を持ってきたのは貴様の勝手よ」
「そうだな、この手癖の悪い小僧が勝手にしたことであるな」
「人のものを窃盗してはならぬという仏法に反した自らの行いを、まるで我らのせいのように言われては人聞きが悪い」
「酷い大工であるなあ」

 口々に与四郎の行いを囃し立てる。
 その中に多分に含まれている嘲りに、与四郎は思わず怒鳴ってしまった。

「ふざけるな! てめえらが、おはやを―――」

 その次の瞬間には与四郎の目の前に黒い銃口が突き付けられていた。
 速疾鬼坊の忍術射撃『愛染撃ち』である。
 抜く手も見せない、この世のなにもよりも速い刹那の抜き打ち、決して躱せないと豪語する秘術であった。
 ぐい、とその銃の先端が与四郎の口につきこまれる。
 与四郎には何が起きたかわからない。
 気が付いたら、鉄砲を口の中に押し込まれていたのだから。

「んん、大工よ。貴様の口のきき方は僧にして同心であるおれたちに対するものではないなあ。もうちぃと御仏に仕えるおれたちに敬意を持つがいい。その男にしては整った顔を吹き飛ばされたくなければな」
「ぎゃははははは、確かに女であればこの場で味わいたいほどの美形。ここで鉄砲の餌食にするのはすこぉし勿体ないのお」
「そうじゃなあ」

 鉄砲の恐ろしさのあまり涙目になっている与四郎を忍術僧たちはさらに虚仮にした。
 弱いものが弱いままでいる姿は実に爽快だ。
 しかも、こいつの弱さにはさらに裏付けがある。
 恐怖に膝から崩れ落ちた与四郎ではあったが、地面に尻をつけると、そのまま土下座をはじめた。
 怖くないはずがない。
 だが、与四郎には怖さで小便を漏らしている暇はないのだ。
 彼にはなさなければならないことがある。

「俺をからかうのは別にかまわねえ。どんなに嬲ってもらってもいい。だが、だが……」
「だが、なんじゃ?」

 与四郎は必死に叫んだ。

「おはやだけは……おはやだけは助けてやっておくんなまし! あいつは関係ねえんだ! あいつを解放してやってくだせえ!」

 美しいとまで言われた顔を松林の地面に擦り付けて、与四郎は哀願した。
 そもそも与四郎がこの城の大工として雇われたのは、金をためておはやと祝言をあげるためであった。
 同じ村の庄屋の娘であるおはやとは、彼女の小さいころからの付き合いであり、庄屋である父親の赦しを得るために藤左衛門の茶室まで拵えたが認められず、それだけではダメなのかということで城普請の給金を元手に身上を拵えようとしたのである。
 大工の息子にできる精一杯であった。
 与四郎はおはやのためならば何でもできた。
 おはやだけが生涯であった。

「……この女の命を救いたいのか、大工」

 城内での逢引きの最中に、突如として現われた法師どもに人質に取られ、どうしようもなく言うことを聞いたのは許嫁のためだ。
 そうでなければ気風のいい彼は最後まで抗ったであろう。
 だから、惚れた女のために土下座するなんて苦でもない。

「ククク、惨めな姿だな、大工よ」
「とりあえず、顔をあげろ」
「で、では、おはやを……」
「女が取り戻せるかどうかは貴様の心がけ次第よ。これからおれたちの言う問いにきちんと答えられたらな」
「―――問い?」

 すると、法師の一人が図面を指して、

「この天井のあたりの普請はどうなっておる? おれたちは僧侶であるゆえ、今一つわからんところがある。きちんと説明せよ」

 お成り御殿は、城主である本多家のものたちが住む二ノ丸から地続きにあるさらに奥に建てられている。
 総瓦葺き平屋建ての四十坪ほどの建物で、二ノ丸とは白壁の築地で区切られていた。
 図面を一見しただけでは、専門ではない法師たちには今一つはっきりしないのだから、ここは与四郎に聞くしかない。

「……おい、ここの天井の妙な造りはなんだ。釣天井のようなものか?」

 図面を読む能力がないので、妙な空間が天井にあるといしかみえないのだ。
 そして、その場合に法師らが思いつくのは暗殺などに使う釣天井というものだけであった。
 当然、与四郎は否定する。

「それは折り上げ格天井という工夫でさ。押し桁の一本一本を下から丸くせりあげて造るもので、いざ地震が起きても大丈夫な仕組みになっているんです」
「ふむ、そういうものか。……では、この箇所はなんだ?」
「どんでん返しでさ」
「なんだと? それは敵兵をお成り御殿に侵入させるためのものだな?」

 与四郎はまた首を振った。
 法師たちのする指摘の頓珍漢さに呆れかえりそうになったが堪える。

「……通じているのは二ノ丸の本多の大殿様の部屋ですよ。いざというときにすぐに上様をお助けできるように、わざわざ拵えたんです」
「湯殿の先にあるこれは? 刺客を隠すための場所ではないのか?」
「その北側の六畳間はご近習の詰める宿直部屋です。法師さま方がいうような仕組みはありませんよ。雨戸だって、小さな引き戸を切って建物がかしいだ時に雨戸が開けられなくても外に出られるようにという工夫を凝らしてありますし、それだけ注意して建てられておりやす」

 大工と建具師たちにとってお成り御殿は、彼らの技術の集大成であり、一種の芸術であった。
 こんな獣みたいな坊主の言いがかりなど聞きたくもないぐらいの。
 しかし、どういうことだろう。
 この連中が与四郎に聞くのは、まるで将軍を暗殺するための施策のようなものばかりだ。
 どうして、こいつらはそんなことを聞きたがるのか。
 与四郎には理解できなかった。
 根来の忍術僧たちが、本多上野介の失脚のネタ探しをしているとまで、思いもよらないのが庶民の与四郎の限界なのである。
 一方の法師たちは、苦労して得られた情報がそれほど使えそうもないということに苛立っていた。
 もともとお成り御殿の様子を集めることにしたのは、庶民の噂の中に「お成り御殿には見たこともない仕掛けがあおりになるそうな」というものがあることを知ったことから、伊賀守の指示に従ったものである。
 釣天井の発想も、もともとは堀伊賀守の推測にすぎない。
 だが、実際に問いただしてみればなんのことはない、直臣旗本の本多正純による主君を守るための工夫の数々でしかなかったというわけだ。
 法師たちの失望ははなはだしかった。

「くだらぬ」
「だな。……堀さまのいうことなど聞くのではなかった」
「あの御仁の小心な勘繰りなど所詮そこまでのものでしかないということだ」
「まことにくだらぬ」

 この時、与四郎は言わなくてもいいことを言ってしまった。

「堀さま……」

 それを聞きつけた法師の一人―――毘藍婆坊びらんばぼうが睨みつける。

「貴様、今の、聞いておったな」
「なんじゃと」
「盗み聞きとはなんたる姑息な」
「……大工。聞いてはならんことを聞いてしまったようだな」

 自分たちで語っておいてなんたる言い草、ではあるがそれをいうことは与四郎にはできない。
 恐ろしい六人の法師たちに殺気を飛ばされ、ほとんど失神寸前であった。

「可哀想だが、ここで死んでもらうとするか。―――『愛染撃ち』」

 速疾鬼坊がさっきのように鉄砲を手品のように出現させる。
 指が引き金にかかり、絞られる寸前、その腕にどこからともなく手裏剣が突き刺さった。
 ズバン、と弾丸があらぬ方向に飛んでいく。

「何奴!」

 六人の忍術僧が周囲を見渡すと、そのうちの一人が松の木の後ろに潜んでいた土色の装束の小柄な影をとらえた。

「おい、そこじゃ!」
「忍びだと。―――貴様が荒木又右衛門とかいうやつなのか!」
「荒木! おれの右腕の敵め!」

 それぞれが自分の種子島鉄砲を構える。
 すでに火種はついている。
 あとは蜂の巣にするだけというとき、突如として上空から大柄な影が降ってきた。
 影は月光に光る白刃を手にしていた。
 そして、影は一刀両断に速疾鬼坊の顔面を両断した。

「ぐぎゃあああああああ!」

 与四郎を殺し損ねたことで動揺していた速疾鬼坊には、反応することができなかったのだ。
 顔面を切断され、そのまま速疾鬼坊は死んだ。
 空からの影はそれだけでなく、手に持っていた刀を振り回し、法師たちの肩などに浅手を負わせ、現われたときと同様に天に舞った。
 だが、逃げ出すことはできなかった。
 走り出そうとした時に、ただ一人冷静に対処しようとしていた無厭足坊むえんぞくぼうの放った弾丸が足をかすめ、体勢を崩して転んでしまったからである。
 とはいってもすぐに立ち上がり、松の木に隠れたところはさすがであった。
 おかげですぐに次弾を撃たれずに済んだのであるから。
 だが、まだ危機は続く。
 速疾鬼坊一人を運よく切り殺したはいいものの、まだ五人の鉄砲を持った忍術僧が残っているのだ。
 すぐそこに。

「―――いやはや、どうすればいいのであるかな」

 ―――荒木又右衛門は自らまいた種とはいえ、完全に追い詰められてしまっていた。
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