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ガーデニアのメイドさん

作者:道草家守
 
 サンセム歴1226年秋の月。
 平和を謳歌していたケンタウレア大陸に、邪神アズラエールが降臨した。

 おぞましき神は、大陸中央に広がる森林地帯を一夜にして何人も立ち入れぬ魔境へと変えると、かの地に住まう人動植物にいたる、すべての生き物を食らいつくし支配下においたという。
 同時期に魔物が活性化し、世界中で人を、街を、国を襲い、邪神降臨は瞬く間に全土へと響きわたり人々を恐怖の渦へと陥れたのだ。
 国家の安寧を脅かす邪神の出現に、各国はこぞって精鋭を派遣した。
 だが、周辺に出現する凶悪な魔物たちによってたどり着くことすら困難を極め、道にはあまたの骸が転がった。
 たどり着けた者も、森に一歩踏み入れれば二度と帰ることはなかったと言う。

 そして、邪神が降臨して約十年。
 帰らずの森と呼ばれるようになったそこが、どのような様相となっているか、誰も、知らない。






 **********






 俺は、自分の見ている物が理解できずに固まっていた。

 目の前にあるのは一軒の瀟洒な建物だ。
 木と漆喰とレンガを組み合わせた落ち着いた印象の建物は、二階建てで、扉の深緑色がアクセントになっているのがなかなか洒落ている。
 王都にあってもおかしくないようなその家の、一階部分は店舗になっているようで、一階の軒部分には鉄製の看板が掛かっていた。
 喫茶店を表す優美なティーカップの下には、大陸共通語で「喫茶店ガーデニア」と書かれていた。
 いい年のおっさんである俺には可愛い雰囲気だが、それでもちょっと立ち寄ってみたくなるくらいには良い店構えだとは思う。
 ここが、あまたの英雄の血が流され、未だに邪神の支配が続く、帰らずの森でなければ。

 落ち着け、俺。とりあえず現状を確認しよう。

 俺はジキタ・コモンドール。
 この帰らずの森の西に位置するカリステ国から派遣されてきた邪神討伐団を指揮する団長だ。
 だが、討伐団と言っても俺を含めて20人も居るかどうかと言う割と酷い編成だ。
 これで本気で討伐できると思っているんだから、我が王ながら頭沸いているんじゃねえかと思う。おっと不敬だったな。
 昔はど田舎でのほほんと暮らしているだけだったというのに、ひょんなことから王都で兵士になるはめになり、何の因果か部隊まで任されるようになってしまった。
 それもこれも欲をかいた爺や、他の騎士団から見当違いな恨みを買った結果で、貧乏くじを引きまくった俺はこうして邪神討伐に帰らずの森へ侵入しているのだった。

 俺はいつだって軍を辞めて田舎に引きこもったっていいんだ。
 何度言っても貴族出身の連中は信じてくれないがな。
 気は進まないどころか、死ぬとわかっている任務でも、王命が出たとあれば仕方がない。
 と言うか、邪神とはいえ神様を生身の人が倒そうって言うのがそもそも無謀だと思うんだが。
 せめて万全の体制を整えようと思えば、魔物の被害が広がっているため人員は割けないと言うお達しで、自分の部隊すら使えないと言う有様だ。
 しかも役にも立たねえ、見届け人兼監視役の近衛兵の面倒まで見なきゃならねえと言うのにはさすがにげんなりした。
 どうせ見届けるのは俺がどうやって死ぬかだろうが。
 ああもう、どっかに亡命しようかなー!


 まあ、そんなこんなで道中、魔物の討伐もやりつつやってきた帰らずの森なんだが、その周辺は緩衝地帯としてどの国の物にもなっていない。
 というか、危険な魔物が跳梁跋扈する邪神さまの支配地になんか手を出せるわけもなく、10年前にそこにあった村は軒並み見捨てられていた。
 人類が生き残る為には仕方がなかったんだろうが、気分の悪い話だよ。
 だが、廃村になっていようと雨露しのげる軒が残ってくれればと思って、古い地図を頼りに立ち寄ったのだが。

 村はそこにちゃんとあり、しかも村と言うより街の規模でにぎわっていた。
 思えばそれが兆候だったのだろう。
 立ち寄った村人は、俺たちを見ると微妙な表情になった。
 こう、ああまたか。みたいな。

 いや、いいんだよ?
 世界を救うとか高尚な気持ちもない職業軍人だし?
 見捨てた国の側の人間だし?

 それにしたって憎悪や侮蔑ならともかく、村人たち全員に何とも残念そうな生ぬるい顔を向けられたのには釈然としなかった。
 だがお気楽な監視の騎士殿はそうは思わなかったらしく、当然のように村長の屋敷に乗り込んで、王命だ控えおろうとタダで泊まらせるように要求しやがった。

 やべえこんな奴と仲間と思われたくねえ。
 後でこっそり滞在費おいて行こう。

 そうして村長だという木訥そうなおっさんと晩飯になったんだが、ぶっちゃけタダのおっさんじゃなかった。
 表向きは王命にひれ伏している風を装っているが、どうしてこの村が存続しているのか聞いてもさりげなく会話をそらしてきやがる。
 もどかしい上に騎士野郎が自分語りをべらべらしゃべるせいで全く話が聞けねえ。ていうかおまえ道中いっさい魔物討伐に参加してなかっただろ。

「これほど街が栄えているのを見過ごすのであれば、邪神の力が衰えているにちがいない! 竜を殺した貴殿であれば、邪神の討伐も夢ではないぞ」
「ほう、団長さまが例の”竜殺し”の」
「ええまあ」

 唯一村長が関心を示したのは、俺の二つ名の話題になったときだけだ。
 酒の入った近衛騎士が肩をたたいてきやがるのをうっとうしく思いつつ、俺は言葉を濁したのだが、村長はなぜか食いついてきた。

「かつてカリステ国を脅かした竜を10代の青年がたった一人で打ち倒し、平民でありながら騎士団を任されたカリステきっての英雄にお会いできるとは」
「……大したことではありません。自分は運が良かっただけですので」

 ”万獣の長と称えられしドラゴン。その鱗はどんな刃も通さず、その翼は羽ばたくだけで木々をなぎ倒し、強靱な顎は何物も打ち砕くばかりか業火の炎をもまき散らす。
 その鱗は金貨に値し、その身に流れる体液は万病をいやす妙薬となりうるも、挑みし者は等しく屍となった”

 って話で知られている、出会ったらあきらめろなドラゴンを、俺は殺したことになっているのだが。
 話に尾ひれが付いているどころか花で飾られているようなもんで、実際起きたのは詰まらないことだ。
 むしろそのせいで、延々と軍人やらされて、あげくやっかみもらって邪神討伐なんぞにかり出されているんですよ俺は。
 ということを初対面に説明する気も起きずに黙り込んでいたら、ほうっておかれたと気分を害した近衛騎士が割り込んできてうやむやになった。

 おう、よくやった。
 だが村が存続しているのであれば、徴税もできるとゲスい算段してやがったのを忘れてねえからな。

 そんなこんなで、屋敷に一泊した翌朝、俺は夜も明け切らぬうちに一人で帰らずの森へ出発した。
 だってよ、初期、何万と言う軍勢が邪神を討ち取ろうとしたあげく、魔物の餌食になって辺り一帯血の海になった逸話はあまりにも有名だ。
 この人数で、大した装備も持たずに邪神退治なんざ死ねと言っているも同然だ。
 どうせ俺を送り出すための数合わせだし、親しい部下もいない。
 んなら俺が一筆書いて出て行けば、英雄は死にましたと話を適当に作って国へ帰るだろう。
 近衛騎士は二日酔いだろうから起きてくる心配はしていねえ。
 さて、気楽になった一人旅だ。
 せめて帰らずの森を観光したあと、魔物の一匹や二匹道連れにして死に場所でも見つけようかね。

 と割と気合いを入れて帰らずの森へ一歩踏み入れたのだが、中は多少魔素が強いものの至ってふつうの森だった。
 おどろおどろしく木々が変質して、瘴気が渦巻いているとか言ったのは誰だこのやろう。
 それに魔物の巣窟と言われていたはずなのに、いっさい出くわさないのもおかしい。生き物の気配は確かにするが、様子をうかがわれているようで居心地が悪い。
 と言うか、めちゃくちゃ道が歩きやすいと思ったらきれいに舗装されていた。
 つるりとした石造りのそれはどう見ても王都よりも具合がいい。
 これは、誘われているのか。
 おかしいと思っているうちに歩くこと約一時間。
 ちょっと森が開けた場所にあったのが、例の喫茶店ガーデニアだったんだ。



 **********




「……」

 やっぱりおかしいだろう。こんなところに喫茶店。
 と言うかこんな場所にあって採算とれるのだろうかとどうでも良いことを考えた。
 どうみたって怪しい喫茶店。邪神の罠か?それとも何かの幻覚か。
 これは、もう……

「入ってみるしかないよな」

 や、だって腹減ってたし。ドアにオープンって札がかかってるし。
 それでも自分の武器を握りつつ、取っ手に手をかけ、そっと開いた。
 からんと、ベルが鳴り響いたその先には別世界が広がっていた。

「いらっしゃいませ、ガーデニアへようこそ」

 鈴を転がすような、という形容詞が似合いそうなきれいな声でそう言って、優雅に頭を下げたのはメイドだった。
 何度もみたがメイドだった。しかも、超美人な。

 一拍おいて完璧な所作で頭を上げた娘は、落ち着いた色合いのワンピースドレスにフリルのついた真っ白なエプロンを着用し、結い上げた白銀の髪にはヘッドドレスが飾られている。
 文句のつけようがないほどの使用人の服装なのだが、カフィのようななめらかな褐色の肌と、対照的な白銀の髪に彩られた顔は、あどけなさと成熟した色香を同居させ、鄙どころか王都ですらまれな美貌を誇っていたのだ。

 いや王都ではそう言う店が出来始めているのは知っていたが、帰らずの森にまであるとはなあ……っていやいや違うぞでもなにが違うんだ!?
 そんな美人なメイド娘は、呆然と立ち尽くす俺などかまいもせずに、カウンターへ案内すると、メニューらしき物を持ってきた。

「ただいまのお時間はモーニングもございますが、いかがなさいますか。お飲物はブレンドカフィがおすすめでございます」
「ああ、じゃあ、それで」
「かしこまりました」

 丁寧に頭を下げて奥へ引っ込んだメイド娘は、俺の混乱が解ける前に戻ってきた。

「お待たせいたしました」

 ぜんぜん待ってないのに出されたのは典型的な朝食メニューだった。
 だが、色合いが良い、ボリュームがすげえ。
 かりっと焼いたベーコンに、サラダ。バスケットにこんもり盛られている焼きたてのパンはぱりぱりと表面が割れる音すら聞こえてくる。
 生野菜が出て来たのには驚いたが、メインらしい具材をたっぷり入れたオムレツは俺の好物で、吸い寄せられるようにフォークをとって一口かじる。

「……ッ!!」
「どうかなさいましたかお客様!」

 俺が目を見開いてフォークを取り落とすのに、メイド娘が慌てた声をかけてきたが、かまってられなかった。
 なんだ、これ。

「めちゃくちゃうめえ!!」

 なんだよのふわっと感。普通これだけ具材を入れたらぎゅっと身が詰まってかみごたえが出てくるのにふわほろしてるぞ。そのくせそれぞれの具も持ち味が生かされた上で味が調和してやがる。

「すげえな、お嬢さんが作ったのか!!」

 そばに立ってたメイド娘を勢いよく振り向けば、メイド娘は褐色の肌を色づかせてお盆を握りしめた。

「はい、その、わたくしが調理いたしました」
「今まで食べたオムレツの中で一番うまい!」
「あ、ありがとうございます」

 食い物で感動したのは初めてだもんで、手を止める暇すら惜しくベーコンもサラダもバスケットに盛られたパンもかっ食らい、気が付きゃ全部からになっていた。

「食後のカフィでございます」

 絶妙なタイミングでメイド娘に差し出されたカフィは、香りからしてうまい。
 王都では専門店ができるほどはやっているが、俺はあんまり飲んだことはなかった。
 だが、一口飲んだ瞬間、体に広がっていく苦みとうまみに肩から力が抜けていった。

「至福、だ……」
「恐れ入ります」

 そばに控えているメイド娘が軽く頭を下げた。
 ひと心地ついた俺はぼうと店内を見渡した。
 カウンターに何席かとテーブル席で構成されている店内は明るいが落ち着いた調度品でまとめられていて、初めてくるはずなのにひどく居心地が良かった。

「何年ぶりだろうな。こんなに気が休まるのは」
「お疲れでございますか」
「まあなあ。好きでもない仕事を延々としていればな」

 メイドの合いの手に苦笑して、俺はカウンターに立てかけていた剣を流し見た。
 王から下賜されたその魔法剣が、今までの俺の象徴だった。
 百姓の小倅が何の因果か竜殺しと呼ばれ、騎士団長で上司の顔色をうかがい、平民上がりの団長を侮る部下を死なないように面倒見る。
 しがない平民に拒否権などあるはずがなく、それでもまじめにやってきたつもりだったんだが、結果は邪神退治にかり出された。
 竜殺しという、大げさなレッテルのせいで実力以上に期待の目で見られるのにも疲れきっていたから、渡りに船ともいえなくはないが、なんて実りのない人生だったんだろうな。
 自嘲していると、こつりと靴の音が聞こえてメイド娘が一歩こちらに近づいてきた。

「よろしければ、お話くださいませ」
「いや、その」
「わたくしはメイドでございます。動く家具と変わりませんから、主人の秘密や愚痴などを他言しようがありません」

 いや、俺はおまえさんのご主人じゃねえだろう。店のメイドだろ?
 ああそう言うロールなのか。そうなのか?

「……とりあえず、自分のことを冗談でも動く家具なんて言うもんじゃないよ、お嬢さん」
「申し訳ありません」

 軽く頭を下げたメイド娘が、ほんのりうれしそうな顔をしたのは気のせいか。
 不思議に思いつつも、俺はへらりと笑ってみせた。

「だが、おっさんの情けない話、聞いてくれるかい?」

 俺はずるいな。こんな自分より十以上年下の娘に、死にに行く人間の最後の言葉を背負わせるんだから。
 しょうがねえ。この店に染み着いたカフィの香りと、この娘にほだされちまったんだ。
 肯定するように静かにたたずむ娘に、俺は気の向くままに自分のことを話し始めた。
 竜殺しになるきっかけや、軍に入ってからの訓練のきつさ、面倒な上司の愚痴、部下に手を焼いたこと、魔物を倒す日々で感謝されたこと。
 本当にとりとめもなく、娘に聞かせるにはどうかと思う物も含まれていたが、メイド娘はしっかり聞いているとでも言うように真摯に相づち、促されるように質問されてまたしゃべる。
 そんな娘に引き出されるようにしゃべり、カフィを飲み終わる頃には胸の内がすっきりしてしまっていた。
 ええいまったく、しゃべる相手もいなかったのが今になって出て来ちまった。
 ちょっとのつもりだったんだがなあ。

「少々お待ちを」

 俺の話がとぎれたところで、こつりとかかとをならしてカウンターへ回ったメイド娘は、再び戻ってきたときにはカフィのポットと、小皿を盆にのせていた。
 俺が止める間もなく、空のカップにカフィが継ぎ足されて小皿が勧められる。

「東方で作られる菓子で雛あられ、ともうします。サービスでございますので、お気になさらずお召し上がりください」
「ありがとうよ」

 メイド娘の絶妙な間に飲まれた俺は、再びうまいカフィを飲みつつ、小皿に乗った小指の爪くらいの粒をとって口に放り込んでみた。
 ざらついた表面は砂糖だったようでがりとかめば、口の中で甘みとナッツの風味が広がり、カフィの苦みも和らぐ。
 摘んでどんどん食べたくなるような、ほっとする味だった。
 バターやミルクをたっぷり使った洒落た菓子より、こういう方が落ち着くんだよなあ。

「はあー次は土いじりができる百姓に生まれ変わりてえな」

 ついしゃべりすぎてしまったことを自覚していた俺は、こみ上げてくる照れをごまかそうと、カウンターに突っ伏した。
 ため息とともに言葉も漏れる。あ―やっぱりまだ弛んでるなあ。
 と、メイド娘は意味が分からないとでも言うように瞳を瞬かせた。

「どのような意味でございましょう」
「いや、結構洗いざらい話したつもりだぜ? 俺はこの帰らずの森にいるはずの邪神を討伐に来たんだよ。一応挑むつもりだが、ただの人間の俺がたった一人で勝てるわけがねえからなあ」

 さすがに直接的な表現をするのははばかったのだが、顔をしかめたメイド娘は遠慮がなかった。

「あなたさまは邪神に討たれて死ぬおつもりと」
「まあ、結果的には」

 とたんメイド娘からあふれ出す気迫に、思わず傍らの剣をつかんでしまった。
 一応職業軍人をやっている俺が気圧された。
 そのことに唖然としつつも、勝手に抜刀しかける体を押さえ込んで問いかけた。

「ど、どうしたお嬢さん」
「あなたが死ぬなどあってはならないことです、そう、ならば……」

 俺の問いかけも聞こえていないようなメイド娘の挙動のおかしさに、どうするか迷っているうちに、外から声が聞こえてきた。

「……ちょっ……りますっ……」
「なに……僕……だぞ」

 甲高い少女の物と低い声は近づいてくると、カランと高らかにベルを鳴らしてドアが開けられた。
 入ってきたのは予想通り男女の二人組だったが、驚いた。
 男に押しのけられるように入ってきた少女は、メイド娘と同じ暗い色合いのクラシカルなワンピースに白いエプロンをつけていたが、ずいぶん小さかった。身長は30トーチもいかないんじゃなかろうか。
 そしてワンピースに包まれた背から生えている蜻蛉のように透けた二対の翅で宙に浮かんでいたのだ。
 その昔妖精の箱庭(ティル・ナ・ノグ)へ永久に閉じこもったはずの妖精族だ。
 お伽噺でしかない存在に出会うとはと俺は呆気にとられていたが、その妖精の少女をやんわりとふっ飛ばした男は、俺を見つけた途端なぜかにっこりと笑った。

「やあ、ようこそ我が領地へ! 初めまして、僕は」

 やたら朗らかに声を上げた矢先、すさまじい気迫のぶつかり合いに大気が動いた。
 びりびりと肌を振るわせるほどの気当たりは、早々お目にかかれない。
 震源地はさっきまで俺のそばにいたはずのメイド娘と、入ってきた男だ。

「ど、どうしたのかな? カルちゃん?」
「アズラエールさま。ご恩は数あれど、わたくしの信念に従い、お命ちょうだいいたします」

 娘の爪はいつの間にかふれたら切れそうな鋭さで伸びて、男の首をねらっていて、男は振りかぶられた娘の腕を片手で受け止めることで阻んでいる。
 どちらも手練れというか、でたらめな技だというのはわかるがちょっと待ていろいろ情報がありすぎて処理しきれないぞ!?

「君! 是非この子を止めてくれるかな!?」

 だが焦った男に助けを求められた俺は、考える前に行動を起こしていた。

「おい嬢ちゃん待て!」
「ふゃっ!?」

 とっさにメイド娘に駆け寄って羽交い締めにすると、俺ですら追えなかった挙動で動いていたはずの娘は、妙な声を上げてあっさりとおとなしくなった。
 ふうと息をついた男もまた、恐ろしいほど美しかった。
 男にきれいって言うのもどうかと思うが、そうとしか言いようがない。
 禁忌ともいえる黒々とした髪に抜けるような白い肌には、吸い込まれそうな翡翠の瞳がはまっている。
 顔立ちが整っているのもそうなんだが、纏う気配が違う。
 まるで、夏に雄大に浮かぶ雲のような、あるいは山の奥深くにぽっかりと空く洞穴のような、侵しがたく計り知れない物を前にしているような気分にさせるのだ。
 まるで、人ではない(・・・・・)ように。
 男の首筋を見ればわずかに傷があり、そこから煙のようなもやが立ち上っている。
 というかさっきアズラエールってまさか。まさか!

「ふう、助かったよ。カリステの団長さん」

 極々当たり前のように呼びかけれた俺は、背筋に冷や汗が滴るのがわかった。

「邪神、か」
「人里ではそうとも呼ばれているねえ」

 まさかのラスボスご対面に、さすがに言葉が出てこなかった。
 というか、どうしたらいいかわからなかった。

「あの、離していただけませぬか」

 気恥ずかしげな声にはっとすれば、羽交い締めにしたままのメイド娘の褐色の首筋がほんのり染まっているのが見えた。

「わ、悪い!」

 慌てて離せば、メイド娘はそそと身を縮めたが、俺と邪神の間からぬけだそうとはしなかった。
 まるで俺を守るみたいに。
 いったいどういうことだと二人を見比べていると、邪神は柔らかく言い諭した。

「大丈夫だってカルちゃん、なんにもしないしむしろ歓迎しに来たんだよ?」

 歓迎?といぶかしんだ俺だったが、説得されたらしい娘が渋々脇によると、男はすちゃっと手を挙げた。

「改めまして、僕はこの帰らずの森を支配しているアズラエールでっす!」

 いろいろ言いたいことがあるがめちゃくちゃ軽いな!?
 だが、こうもフレンドリーにやってくると剣を構えるのもおかしい。
 というか、あれだ。ぶっちゃけ闇討ちでも何でもしないと勝てる気がしなかった奴が真っ正面にいる時点で俺は詰みだ。
 開き直った俺は、気を奮い立たせた。

「お初にお目にかかる、俺はカリステから派遣されてきた邪神討伐団の団長ジキタ・コモンドールだ」

 そうして差し出された邪神の手を握れば、ひんやりとはしていたが、人の感触がした。
 邪神はちょっと驚いた顔をしたが、すぐさま悠然とした笑みに変わる。

「うんうん、さすが聞いていただけある。いい男だねえ」

 にこにこと笑う邪神が見たのは傍らにいるメイド娘だ。
 メイド娘はなにも言わないが、どこか誇らしげにすましている。
 それで何かが通じたのか、俺の手を離した邪神は楽しげに翡翠の瞳をきらめかせた。

「単刀直入に言うけど。きみ、うちの国民にならないかい?」
「は?」

 その言葉に俺は理解が遅れた。

「胆力も十分。自国に不満もある。このガーデニアで新しい人生を歩もうじゃないか!」
「いや、ちょ」
「安心したまえ、すぐに決めなくてかまわない。だが我が国を良く知ってもらうためにしばらく滞在してくれたまえ!」
「まてまて、俺は一応あんたを暗殺しに来たんだが!?」
「僕を殺せないと実感しているのに、やるのかい?」

 不思議そうに翡翠の瞳を瞬かせる邪神に、俺はぐっと息を詰めた。
 ああそうだよ一瞬でかなわねえと思ったよ悪いか。
 今でも脚が震えかけんのを必死でおさえてんだよ。

「いや……」
「ならば僕は君を歓迎する。僕の国はいろんなモノが好きなように楽しく暮らしていく為のモノだ。君のような外れものには是非来てほしい。
 何より、大事な友人が望んだことだ。僕をはじめ全員が君に興味深々なんだ」

 微妙に失礼なことをにっこりと言った邪神は、たいそうな魅力を振りまいていた。
 うっかりイエスといいたくなるが、その前に聞きたいことは山ほどある。
 まずはそれを聞いてからだと口を開こうとした矢先、カランカランと立て続けにベルが鳴り、がやがやドヤドヤと新たな人物がやってきた。

「おう、どれだけ待たせるんだよ仕事に遅れちまうぜ」
「お話し合いは終わったかしら」

 わらわらとやってきた奴らに、俺はぱっかんと口を開ける羽目になった。
 なぜならどう見てもイノシシや、白と黒で構成された熊が服を来て二足歩行していたのだから。
 いや、頭ではわかっている。彼らは獣人と呼ばれる亜人種だ。
 西では激しい弾圧の末、約百年前に絶滅したと言われているのだが。
 妖精族といい獣人といいここはいったいどうなっているんだ。
 というかイノシシはドレスなんだな。つまりは女性なのか!?
 現実逃避気味に考えていると、メイド娘が彼らに向かってすいと頭を下げた。

「申し訳ございません。すぐにご用意いたします。……アニサお願いします」
「はいっ!」

 席に着いた熊っぽいのとイノシシの女性に、ここの従業員だったらしい妖精の少女が羽を羽ばたたかせて注文を取りに行った。
 だが獣人の二人はメニューをのぞき込みつつ俺の方をちらちら見てんだが。あからさまに。

「おお、これ以上長居はできなさそうだね。滞在はここにすればいいよ。カルちゃんが全部面倒見てくれるだろうから。だよね?」
「は?」

 今この邪神なんていった?
 どう見ても男っ気がなさそうな娘だけの家に三十路の俺に住めと勧めるのかこの邪神は!?
 思わずがっとメイド娘を見れば、カルと呼ばれた娘がついと頭を下げた。

「はい、誠心誠意つとめさせていただきます」
「おいおいおいおい」

 待て、うそだろ。今日出会ったばかりのおっさんをどうしてそう簡単に受け入れる!?
 たらりと冷や汗をかいた俺は、まっすぐ見上げてくるメイド娘にひきつり笑いを返しながら、きれいな紫の瞳をしているんだなと場違いなことを考えた。



 **********



 待て早まるな考え直せとありとあらゆる言葉で説得にかかり、恥も外聞もなく邪神に懇願してみたりもしたが、にやにやによによ生ぬるい笑みを浮かべる奴も、澄まし顔のメイド娘も華麗にスルーしやがった。
 そしてメイド娘が当然とばかりに部屋の準備をしに行くと二階へ上がっていった時には、ああ決定事項なんだなとあきらめモードで、俺は喫茶店ガーデニアの二階にお試し期間ということで住むことになりましたよ。
 メイド娘と妖精が二人で住んでいるのかと思いきや、妖精は通いで、メイド娘の一人暮らしだったのには再度ダメージを食らったもんだが。
 ま、まあ、俺が間違いを犯さなければいい話なんだ、そうだろ?……そうだと言ってくれ。

 だが、娘は非情だった。いや、完璧なまでのメイドだった。

 カルという娘は、俺が起床したのを見計らったように扉を叩いて起き抜けの茶なんぞを用意し。
 水浴びをすればいつの間にか側にいてタオルを差しだされ、あげくには着替えを手伝おうとまでされたときには、年甲斐もなく悲鳴を上げかけた。
 女子か俺は。だがほんのり顔の褐色を濃くする美少女に手伝われるってなんのプレイだ!!
 朝昼晩とうまい飯を作って給仕し、俺がいない間に部屋は完璧に掃除を済ませ、洗濯も俺が手を出す間もなくこなし、その上で喫茶店を回すという離れ業をしていた。
 ちなみに喫茶店は朝も昼もひっきりなしに客が来る。
 字面だけ見ると立派な嫁なんだが、俺がふと見るとカルの視線を感じ、気がつけば背後に控えているというのは、王宮にいた玄人メイドのにおいがぷんぷんする。
 こういう熟練した使用人なら貴族さんは喜んで雇用するのだろうが、庶民の俺は張り付かれているのは落ち浮かねえし、完全お客様な待遇は居心地が悪い。

「カル、頼むから俺を主人扱いするのはやめてくれ。むしろ居候の身分なんだからこき使ってくれてかまわないんだ」

 今日も今日とて俺の給仕しようとしていたカルは、数度、紫の瞳を瞬かせた後、しょんぼりとした。

「わたくしに、気分を害すような不備がありましたでしょうか」

 まるで捨てられた子犬のように悲しげな様相に大いに慌てたさ。
 おい、ちょっと待て、まるで俺が無体なことをしたみたいじゃねえか!?

「そうじゃなくてだな、飯くらいは一緒に食ってくれないか!?」
「お食事を、ともにでございますか」
「あ、ああ。それくらいはいいだろう。せっかく一緒に暮らしてんだから、一緒に食った方が飯はうまいぞ。後仕事くれ」
「……はい。お望みでありますれば」

 戸惑いつつもカルが浮かべた笑みは、花が咲いたようにきれいだった。


 その後から飯は一緒に食うようになったが、家事はカルが頑として自分がやると言い張ったため、俺は別に仕事を探すことになった。

「うちは万年人材不足だから仕事はきっとあるよ☆」

 多少星はうざいものの、軽い調子で邪神が言っていたから、心配はしていなかったのだが。
 邪神の、いやアズラエールの国は喫茶店から歩いて10分もしない場所にあった。
 案内役である妖精の少女アニサにつれられて初めて来たときには、近づいたとたんいきなり目の前の空間が揺らぎ、でっかい町並みが現れたときには顎が外れかけた。

「アズラエール様に許可をいただいたヒトだけに見えるのですう。ジキタ様に見えるのでしたら出入りを認められているんですねえ」

 いやいやいや、認証式の魔法結界を街全体に常時展開するなんざどんだけでたらめな技術と魔力なんだよ?
 カリステじゃあ、王宮や魔法研究所くらいにしか使われてねえのをこんなところで!
 初っぱなからダメージを受けつつ森の中に唐突にある、王都よりも洗練された町並みにも感心しそこを闊歩する様々な人種のいや、人以外の国民たちに目を剥く羽目になった。
 ありとあらゆる獣人はもちろん、妖精、小人、あの耳のとがった奴はエルフか。こうもり羽を背負ってやったら色っぽい格好のやつはまさか淫魔じゃねえよな?
 巨人が建物をまたぐように歩いていこうとするのを、警邏隊らしい鳥人に注意されていたのには、もう笑うしかなかった。
 むしろただの人間を捜す方が難しい……ていうか人間いるのかこれ。

「この国はね、いろんな理由で自分の種族から離れたり、はぐれたりした生き物たちが、安心して暮らせるように作ったんだ。始まりの一人の願いに答えて、僕はこの地に顕現したんだよ」

 後に、なぜか飲み仲間になったアズラエールが話してくれたことだが。
 彼は望みに応えたのはごく小規模だったのだが、そのうち故郷で迫害された者たちが噂を聞いて集まってくるようになり、都市国家と呼べる規模になったという。
 はじめの頃は普通に貿易もしていたのだが、この地に貴重な魔力石の鉱脈が見つかり、それを独占したがった各国がこぞって侵略してきて、それを返り討ちにし続けたのが、邪神の噂の根元だった。

「じゃあ魔物が活性しているというのは」
「そんなのこじつけだよ。だって僕降臨したって言われてる10年より前から顕現しているもん。この森の魔物が強いのは僕からあふれる魔素が原因だけど、噂通りの力があったらとっくに世界は滅亡してるって!」

 からからと笑うアズラエールにあっさりと各国ぐるみの捏造を暴露されて俺はどう反応すればいいかわかんなかったもんだ。

「そりゃあ、トラブルは多いけど、案外楽しいもんだし、姿や種族が違ってもお互いに譲り合えば暮らせるものだよ」
「じゃあ、始めにあんたを呼びだしたのは誰だったんだ? 知られていなかった神を呼び出したんだ。よほどの術者なんだろう」
「ふっふっふっ」
「なんだよその意味深な笑いは」
「神を呼び出すのに魔法を扱える必要はないんだよ? ただ想いの強さと、神の興味を引くことが出来ればいいんだ」
「どういうことだよ」

 アズラエールは最後までのらりくらりとはぐらかし、答えをもらうことは出来なかった。
 まあともかく、不案内な俺は妖精のアニサに手伝ってもらい職探しを始めたのだが。
 結局俺は元軍人だから、警邏隊や、周辺の魔物の討伐につくぐらいしか思いつかなかったのだが、初っぱなから撃沈した。
 この国の住民は程度の差はあれ、めちゃくちゃ強かった。

 まあな、こんな一歩森に入れば凶悪な魔物が跳梁跋扈する危険地帯だ。
 いくらアズラエールの加護がある土地でも、各国の軍勢を押し返したのはガーデニアの住民だったって言うんだからうなずけるものはあるが。
 うちの国では一個小隊が出るような魔物を一人で撲殺するんだぜ?
 一度、魔物の駆除作業に同行したときに、喫茶店に来ていた白黒熊とイノシシのコンビが、暴虐の限りを尽くすのを見て早々に諦めたさ。
 まあ同じ理由で町中の警邏も諦めて、数日かけて探した結果。



 森の中でも、開けた土地というものはあるもんで、むき出しの土の上にしゃがみ込んだ俺は、葉を持った手に力を込めて抜いた。
 まさにお天道さんの恵みをたっぷり蓄えたような橙色をしたキャロッテに満足して、脇に置いてあるかごに放り込む。
 そこには今日の収穫である様々な野菜が山になっていた。

「まさか本当に百姓をする事になるとはなあ」

 腰を伸ばすために立ち上がり、じんわりとにじむ汗を肩に掛けた布で拭った俺は、しみじみ思いつつ青空を見上げた。


 喫茶店ガーデニアの裏口に野菜を運び込めば、案の定待ちかまえたようにカルがいた。

「お帰りなさいませ、ジキタ様」
「おう、ただいま。今日はキャロッテが良い出来だ。菜っぱ類も食べ時だったから見繕ったぞ」
「ありがとうございます。さっそく店で使わせていただきます。どうぞ店舗の方へおいでくださいませ」
「ああ、着替えたら行くよ」

 俺でもちょっと重く感じるかごを、平然と受け取るカルも当たり前の光景だ。
 外で水をかぶった後着替えて店に行けば、アニサが羽を動かして飛んできた。

「おはようございますジキタさん、お野菜今日も好評ですよう!」
「それは良かった」
「おう、ジキタ、こっちこいや!」

 渋い良い声で俺を呼ぶのは白黒熊のシャオティだ。
 正式にはパンダ族って言うらしい。
 愛嬌がある顔をしているのに、それを裏切る口悪さで、三倍四倍はある魔物を殴り飛ばしていた。
 その対面にはいつも通りイノシシ族のナランハがいる。

「ジキタさん、あなたのおかげでおいしいお野菜がいただけるわ」

 上品に笑うナランハだが、シャオティの相棒だけあって、いの一番に突進して魔物を爆散させていくんだよなあ。

「どうも。今まで輸入の古い野菜しか食えなかったんだからな。現地の取れたて野菜にはかなわねえだろ」

 この国は、肉は全部森から調達できるが、穀物や野菜は周辺の国から密かに輸入しているらしい。
 おう、やっぱりあの街が潤ってたのは、ガーデニアと交流があったからなんだなあ。
 俺が率いていた討伐団もすでにガーデニアへ知らされていたっていうんだから笑うしかねえ。

 それはおいといて、穀物はともかく、野菜は運搬の関係上どうしても鮮度が落ちる。
 国民には肉食ばかりではなく、雑食や野菜しか食わねえ奴もいるわけで、そいつらにとっては、死活問題だったわけだ。
 だが今までまともに農業をやったことがある奴がいなかったらしく、そんなところに俺が来たわけで。

 俺はブランクはあるが、ガキのころは遠くの開拓地まで通って畑を耕し、野菜畑やら小麦畑に変えたことがあるだけずいぶんましだった。
 というわけで、俺は剣をクワに持ち替えて、はからずとも百姓暮らしをすることになった。
 力仕事は巨人族がやってくれたし、種は近隣の街から取り寄せてもらえた。
 草食の種族はこぞって手伝いに来てくれたし、森の栄養豊富な土地でパラダイスだったぜ。
 毎日畑を耕し草むしりをして、かすめ取ろうとする害虫、害獣を駆除し、お天道さんに祈る日々が楽しすぎて、ああ俺やっぱり無理していたんだなあと思ったものだ。
 住民のおかげさんで畑は大豊作だ。次は小麦畑も作ろうかね。

 今日も喫茶店は盛況で、シャオティたちと相席すれば、すぐにカルがモーニングを持ってきた。
 いつものごとく、俺の好物の具だくさんオムレツだ。
 俺の野菜が使われているおかげで、数段味が上がっている。

「ありがとう、カル」

 淡くほほえんだカルが頭を下げて別のテーブルを片づけに行くのを見送れば、シャオティとナランハが生ぬるい表情で見ていた。
 あんだよ?

「そのオムレツ、いつもでけえなと思ってよ」
「いや、いつもこの大きさだぜ? 夜明けに出る俺に気いつかってくれているんだよ」
「まあそう言うことにしてやろう」

 含みがあるシャオティの言葉は釈然としないが、はじめっからこの大きさだったからなあ。
 まあオムレツとパンをせっせと腹に納めていれば、優雅にフォークを使って肉を食っていたナランハが聞いてきた。
 イノシシ族は雑食なんだそうだ。
 ちなみにシャオティはさっきからタライいっぱいのサラダをかっ食らってる。俺の野菜を喜んでいる一人だ。

「ジキタさんはお国では竜殺しって言われていたそうですけど。そう言えばいわれは聞いたことありませんね」
「ああ、それ、な」
「お、そいつは俺も聞きてえな、教えろよ。常連のよしみで」

 言葉を濁したんだが、ナランハとシャオティの無言の威圧に負けた。
 まあ、ここはもうカリステじゃねえし、俺がかくす必要はねえな。

「15ぐらいの時だよ。俺の村は開拓村でな。毎日荒れ地を開墾していた」

 若かった俺は、村から一番遠い土地を一人で切り開いていたんだが。

「俺の畑で野菜泥棒が出たんだ」
「野菜、泥棒?」
「ああ、やっと収穫できるって言うときに半分以上食われた俺は頭に来てな。翌朝武器を持っていったら、トマトを食ってるドラゴンがいた」
「トマト、ですの?」
「おう。トマトだ。茎をなぎ倒さないように身を縮めて、でっかい爪で一つずつ摘んでな。ほかの野菜も根こそぎ食わないように気を使ってるんだよ」

 あれには驚いた、と苦笑しながら俺は思い出す。
 大地の色をした鱗に、白銀のたてがみを持ったその竜は、全身傷だらけで、初めて見る俺でもわかるほどやせ細っていた。
 腹が減っているだろうに、野菜で腹一杯になりそうもないのに、畑の半分だけ食ってるんだ。

「申し訳なさそうで、だけどうまそうに食っている姿は妙に胸が詰まってなあ。それでも追い張らなきゃいけねえと思ったんだが、その前に魔物がドラゴンを襲い始めた」

 その血に引かれてやってきたんだろう大量の魔物相手に、ドラゴンは奮戦していたが、弱っているのは明らかで、力つきて食われるのは時間の問題だった。

「なんて言うんだろうな、魔が差したんだよ。気がつきゃ魔物相手に剣を振り回してた」

 傷ついたドラゴンを背にかばって、必死こいて魔物を倒しまくった。
 なにをやったか正直覚えていないが、我ながらあれは人生で一番無謀だったと思う。
 だが気がつけば魔物はチリに変わっていて、遠くから村の連中が来るのが見えた。

「村の連中に見られたらやべえと思って、ドラゴンに俺の昼飯やって、もう来るなって追い払ったんだよ。素直に聞いて逃げていってくれたんだが、村の連中は俺がドラゴンを追い払ったと思ってな。
 ドラゴンの鱗がいくつか落ちてたからそれを証拠に、話に尾ひれが付いて、あれよと言う間に殺してもいねえのに竜殺しの英雄様だ。笑えるだろ」
「なんて言うか、災難だったな、あんた」

 シャオティは珍しく笑い転げず、本気で同情の視線を向けてきた。
 まじめに受け取るんじゃねえや。よけい情けなくなるだろう。

「情けなくなどありません」
「うおう!? カル!?」

 俺の考えを読んだようにそう言ったカルは、折り目正しく背筋を伸ばし、紫の瞳で俺を見つめていった。

「ジキタ様は、少なくとも一頭のドラゴンをお救いになられたのです。その場でとどめを刺すということも出来たでしょうに、なさらなかった。それは尊い行いではありませんか」
「ああ、まあな。あの竜が、どっかで生きてると良いけどな。結構傷が深そうだったし、だめかもしれねえけど」
「大丈夫です」

 かぶせるように言われた、カルの言葉の強さに俺は面食らった。

「大丈夫です、きっと元気に生きております」

 もう一度重ねたカルの真摯な表情にどういう意味だと聞こうとした。
 そのとき、ガランガランと乱暴に扉のベルが鳴って、転がるように白いカモメの鳥人が飛び込んでくる。

「どうしたよ、マイン」
「たたた大変だよ! アズラエール様が使節団からもらったお酒で酔いつぶれた!!」
「は?」

 白い翼をばさばさと振って慌てるマインに、俺は思わず間の抜けた声を出した。
 朝から酒かっ食らうのはめちゃくちゃだが、どうして酔いつぶれただけでそんなに慌てるんだ。
 だが、喫茶店の客は違ったらしい。
 全員厳しく顔を引き締めて立ち上がると、それぞれ金をテーブルにおいて店を出ていき始めたのだ。
 まるで、軍が攻めてくるような物々しい様子に、俺はカルをみた。

「どういうことだ」
「アズラエール様が準備なく意識を失われますと街の結界が弱くなり、魔法使いがいれば視認できるようになります」
「つまり魔法の射程距離に入るってことか!」
「マイン! 森の外の様子は!」

 シャオティに怒鳴られたマインはわたわたと首に下げていたペンダントを耳らしきところに当てて2、3言しゃべった。

「全体からたくさんの各国の軍隊が来てるって。一番近いのはカリステの国旗!」

 俺の国じゃねえか!?

「ちっ、だから使節に会うなって言ったのに、酒とカフィには目の色変えやがってあの馬鹿領主が!」
「おそらく、神々だけに影響のある毒物が混ぜられていたのでしょうね。抜け目ないこと」

 ナランハの言葉に一通りアズラエールに向けて罵詈雑言をはいたシャオティは俺とカルをみた。

「ジキタ、あんたはここにいろ」
「いや、俺もいく。あんたらほどじゃないが、少しは戦力になる」
「いいや、ここにいてくれ、できんなら一歩も外に出るな」

 強いシャオティの口調にまさか、俺は信用されていないのか、と胸に黒い絶望がよぎるが、ナランハが首を横に振った。

「あなたはすでに私たちの同胞です。シャオティもそれを疑ってはいません。別の理由なのです」
「別の」

 何だと疑問が浮かぶ俺の前で、シャオティはカルに言った。

「頼むぞ」

 カルは普段それほど変わらない表情に苦渋を浮かべて、俺とシャオティを見比べると、こくりとうなずいたのだ。
 なぜ俺がだめで、カルが行くことになるのか。
 この華奢で、はかない娘を戦場へ行かせなければならない理由はなんだ!?
 かっと頭に血が上りかけた俺が問いただす前に、カルに手を取られて包まれた。

「ジキタ様、わたくしがこの家を出た後、再び帰ってくるまで、一歩も外に出ないでくださいまし」
「な」
「お願い申しあげます。わたくしは、必ず帰って参りますゆえどうぞ」

 懇願するように俺の片手を包む両手に力が入れられた。
 その震える手に気付いた俺は、顔をしかめる。

 一緒に暮らしてもうすぐ一年経つが、カルには謎が多い。
 なぜ国の中ではなく、外に店舗があるのか。
 なぜ店が国と同じ、ガーデニアという名前なのか。
 なぜ俺が来て以降、彼女が喫茶店の外に出るところを見たことがないのか。

 俺はこのメイド姿の娘のことを何一つ知らないのだ。
 急に自覚した溝にもどかしさを感じながらも、この場で言えるのは一つだ。
 娘にこれほど必死に願われて、無碍にできるほど、鬼畜じゃない。

「……わかった」
「恐れ入りまする」

 のどから絞り出すように言えば、カルは泣きそうなほどほっとした笑みを見せた。
 そして俺はカルたちが緑の扉の向こうへ消えていくのを、黙って見送ったのだった。


 **********


「ジキタさんジキタさん、ほんとにあたしの見える範囲にいてくださいよう!」
「わかってるよ。そんなに信用ないかね」
「ないです! 頭に血が上ったら、なにするかわかんないですもん!」

 俺の監視役としてか、一緒に店舗へ残ったアニサとともに、テーブルに残った皿を片づけていく。

「なあ、アニサ。カルは何なんだ?」

 魔法で水を操って皿を洗うアニサは、明るい彼女に似合わずひどくまじめな表情で言った。

「それは、あたしの口から言えません。カルさんに聞いてください」
「だよなあ」
「というか、結構カルさん怪しいんですから、もっと早く疑問に思ってくださいよう」

 ぷうっとちいさな頬を膨らませるアニサに俺は苦笑した。
 まあ、一年も暮らしていておいて、相手のことを全く聞かなかったのもおかしい話だが。

「なんかな。カルが側にいるのが当たり前というか、しっくりきすぎて、あいつがなんなのかとか全部がどうでも良くなっていたんだよな」

 10代の娘っこ相手になに考えているんだ俺と思わなくもないが、カルと話をしなくても、出迎えて、気配を感じるだけで落ち着いてしまうのだ。
 それ以上に大事な事なんてないんじゃないかと思うくらいには、馴染んでしまっていた。
 そんな感じで笑っていると、アニサは少々頬を赤らめて半眼になった。

「それ、カルさんに言ってあげてくださいよう」
「言ってどうするよ。おっさんから女房のように思われてるなんざ若い娘には気味悪いだけだろうよ」

 だから内緒な、と続ければ、ものすごくぶすくれた顔になったアニサにけりを食わされた。
 首にだ。結構キたぜ。

「もージキタさんのとうへんぼく!」
「なんだ急に」

 蹴られた首をさすって返せば、少しは気が紛れた。
 軽く話しているが、正直今でも外の様子が気になる。
 周辺の警邏隊に入っているシャオティやナランハは当然軍と相対するだろうし、カルもあれだけ願われるくらいだから危険な任務に就くのだろう。
 あのアズラエールが泥酔から目覚めるまでだとか言っていたがいつになるかわかんねえし。
 今でもカルがどうしているか、気が気じゃねえんだ。

「んじゃ、一通り片づけ終えたところで、俺は部屋に戻るぞ」
「……ジキタさん。絶対外に出ないでくださいよ」
「わかってるって」

 半眼のアニサに念押しされた俺は軽く返し、部屋に戻ると、迷わず壁に立てかけていた剣を取った。
 ……アニサには悪いが、やっぱり気になんだよ。
 俺はもう、国に戻る気はさらさらなかった。
 姿形も習慣も違うガーデニアの奴らだが、笑うのも、泣くのも、怒るのも、俺と何ら変わりがねえ。
 俺はあいつ等と笑い合って生きていきたい。
 それなのにこんなところでくすぶっているのはどうしてもいやだった。
 それに、

「大事な女を戦場に出しといて、のうのうとしてるなんざ、男が廃るっての」

 慣れた手で剣帯を身につけた俺は、窓を開けて外へ飛び降りた。
 なるべく音を殺したが、二階から飛び降りればそれなりの音がした。
 アニサに気づかれたらおしまいだ、と思ったが、出てくる気配はない。
 だが、遠くから金属音が近づいてきて、俺は表情を険しくした。
 なじみのあるその音は、紛れもなく金属鎧のすれる音。
 武装した小隊が行軍する音だった。
 すでにこんな深くにまで入り込まれていたことに舌打ちしつつ、俺は予定を変更した。
 迷わず喫茶店の表扉を開ければ、アニサが驚いた様子で飛んできた。

「何で外に出てるんですかー!! あんなに出るなっていったの……」
「アニサ、軍隊がもうすぐそこまで来てる。あんたは国へ伝令に走って応援を頼んでくれ。飛べるんなら俺より早いだろう?」

 シャオティたちは森の中でゲリラ戦的にくい止めると言っていた。
 たまたま抜けられた一団がガーデニアに近づいて魔法掃討のあとの白兵戦の為に、近くで待機するのは予想してしかるべきだった。
 この喫茶店なんて、まさに拠点にお誂え向きだ。
 間違いなく利用されるだろう。
 状況を理解したらしいアニサは、顔を真っ青にした。

「わ、わかりました! ジキタさんはどうしますか!?」
「いいからいけ!!」

 俺が怒鳴れば、アニサは目尻に涙を浮かべて、転がるように外へ飛んでいった。
 小さい女の子を泣かせるなんて我ながら酷いが。

「妖精が飛んでいった! 弓をかけろ!!」

 そんな声とともに、大量の矢が飛んでくるのに、俺は腰の剣を鋭く振り抜いた。
 さすが、長年の相棒だ、俺の意志に応えて不可視の刀身が伸び、ねらい違わずアニサに当たる矢がすべてなぎ落とされた。
 やってきたのはだいたい50人ほどで構成された小隊だった。
 助かることに、魔法使いは同行していないらしい。
 カリステの国旗を掲げた奴らは店の前に立つ俺に、気づくと敵意を向けてきた。

「貴様は、竜殺しのコモンドール卿ではないか!」
「一年前に戦死したはず!」
「なぜ我らの前に立ちふさがるか!」

 俺のことを知っているやつも居たらしい。

「いやあ、実は俺、この店に居候していてな。その向こうの国にも世話になっていてよ。攻めるられるわけにはいかねえんだわ。悪いが帰ってくれねえか」
「……裏切り者め!!」
「たとえ竜殺しだろうと相手は一人だ! 囲んで殺せ!」

 一斉に襲いかかってくる元仲間の兵士たちに、俺は剣を構えなおした。
 どうやら、俺を直接知っているわけではないらしい。
 割と一年で忘れられるもんらしいな。
 確かに俺はドラゴンを殺していない。
 だが、軍に入った後は、延々と魔物の討伐にかり出され続けた。
 死なねえように必死扱いているうちに、どんどん討伐の功績が増えていった結果、王から魔法剣を下賜されたのだ。
 俺が魔法剣を振り抜いた瞬間、吹っ飛んでいった兵士たちに、背後に控えていた兵士たちは唖然としていた。
 俺はそのまま、地面へ向けて剣を振り抜き、俺と小隊の間に一本の線を引いた。

「これより先には行かせないぜ。覚悟しろよ」
「ひるむなっかかれ!」

 剣を担いで中指を立てれば、隊長らしい男が命令を下す。
 襲いかかってくる兵士どもを、俺は雄叫びをあげて迎え撃った。




 とまあかっこつけてみたものの、さすがに50人を相手にするのはきついわけで。

「化け物か、こいつ……」

 俺は口の中にたまった血を吐き捨てて立ち上がれば、兵士の一人が恐怖に震える声でそう吐き捨てるのが聞こえた。
 畑に現れる魔物を倒していたから、勘が鈍っていないのが救いだったが、突入部隊に選ばれる兵士だけあって強いの何の。
 10人を地面に沈めるころには防衛ラインは突破されちまって接戦になるわ、俺も傷が増えていって動きは鈍くなるわ散々だ。
 それでも半分以上は倒したんだが、結局喫茶店の壁に追いつめられた。
 ああ、きれいな壁が汚れちまうな。
 どんと、遠くで爆発が聞こえた。おそらく大規模魔法が使われた音だろう。
 俺を兵士に囲ませた隊長の男が勝ち誇った顔をする。

「ああ、連合軍によって総攻撃が始まったようだ。これであの目障りな国もなくなる」

 アニサは間に合っただろうか。
 時間稼ぎくらいにはなっているといいんだが。
 無駄死にじゃないといいんだけどな。
 そうだ、カルに壁や表の道を荒らしたことを謝んねえといけない。
 やっぱり、あいつに会うまでは死ねねえか。

「殺せ」

 隊長の男が指示するのに兵士達が剣を振り上げて飛びかかってくる。
 力を振り絞って剣を構えた俺だったが、空から猛然と滑空してくるものを視界にとらえた。
 剛風が吹きすさび、剣を振りかぶっていた兵士達がとまった。

 そうしてすさまじい咆哮とともに俺たちの目の前に降り立ったのは。
 褐色の大きな翼を背負い、大地の色の鱗を日光に煌めかせ、白銀のたてがみを風になびかせる。

 一頭の、優美なドラゴンだった。

「ど、ドラゴンだー!!!」

 そこからは、ドラゴンの独壇場だった。
 褐色の皮膜を羽ばたかせるだけで、金属鎧を着込んだ兵士が立ち往生し、その優美な尾が振り回されれば面白いように人が吹っ飛んでいった。
 そうして俺以外に立ち上がるものが居なくなり、うめき声を上げて倒れ伏す兵士達を睥睨していたドラゴンがぐっと息をすいこんだ。
 ブレスを吐こうとしているのを悟った俺は、とっさに叫んでいた。

「待て、殺すなカル!」

 ドラゴンは、ぐっとブレスを飲み込んで、優美な首を俺に向けた。
 信じられないとでも言うように見開かれた瞳が、きれいな紫色をしているのに、俺は確信を持つ。
 それにこの鱗とたてがみの色に、体は一回り以上でかくなっているが、忘れるはずもねえ。

「おまえ、あのときのドラゴンだったんだな」

 ドラゴンが、動揺のせいか体を揺らした。
 そうだったなら今までのことも、全部納得できる。
 どうして人間になっていたのかはわからないが、成体のドラゴンなら、そんじょそこらの生物には負けないし、魔法耐性も高い。防衛にかり出されるのも当然だ。
 ドラゴンは全力で狼狽えているが、うなり声をあげるだけでしゃべらない。一歩近づけば、ドラゴンは一歩後ずさる。

「どうした、カル」

 さらに近づこうとした瞬間、視界の端からバネ仕掛けのように動くものが見えた。

「しねえええ!!」

 吹き飛ばされていた隊長の男が俺に剣を投げてくる。
 もちろん避けようとしたが、間に合わねえ。
 衝撃を覚悟したのだが。
 剣が空中で制止すると同時に、唐突に現れたのは黒と白の絶世の美男。

「いてて、あーあたまいたい」
「アズラエール!?」

 目を剥く俺の前で頭を抱えつつ、なにをしたのか隊長を昏倒させたアズラエールは、いつもの軽い調子でいった。

「あーごめんようジキタ君、今のカルちゃんはしゃべれないんだわー」
「どういう意味だ」
「全部話すよ……と、その前に」

 朗らかな笑顔を浮かべて頭から手を離したアズラエールだったが、その翡翠の瞳の冷徹さに気づいた俺は、ぞくりと背筋に悪寒が走る。

「僕の国を荒らした報いを、受けてもらわなきゃね?」



**********



 アズラエールが復活した後、あっという間に事態は収束した。
 俺とカルがぶっ倒した兵士をはじめとする森に侵入していた兵士達は、アズラエールによって転移させられ、森の外へ追い出された。
 そして、国はまた強固に閉じられ、アズラエールによって警告と報復がなされた、らしい。
 複数の物体を同時に転移させるなんて超絶技巧はまさに神業で、ああこいつやっぱり神だったんだな、と俺は改めて気が遠くなった。

「おっまたせー! ってなにやってるの?」
「なにって、掃除だが」

 戻ってきたアズラエールがきょとんとするのに、俺はドラゴンの頭の上からそう返した。
 とりあえずの片づけが終わるまで待ってろと言われた俺だったが、割と満身創痍で途方に暮れた。
 だが、なぜかドラゴンのままのカルに涙を一つ落とされた瞬間、全身の傷が治るどころか元気になっちまったんだなあこれが。
 最近気になっていた腰痛まできれいになくなって驚きつつも、動けるようになった俺は、荒れた地面をならしたり、俺が汚した壁を洗ったりしていたのだ。
 や、本当はシャオティやナランハも気になるし、国へ走ろうと思ったんだ。
 だがドラゴンのカルが、いかないでくれと言わんばかりにうるうる目で訴えかけて来るもんで、しょうがなく喫茶店周りで出来ることをやっていたわけだ。

 ドラゴンのまんまでもカルのメイドっぷりは健在で、足で地面をならし、俺がバケツの水を変えようとしたときには、きれいな水が差し出されていたり。
 ついでにほかの壁もやっちまおうかと、今はカルの頭に乗せてもらってデッキブラシを使っているところに、アズラエールが戻ってきたわけだ。

「ああ、先にカルちゃんを人型にしておくべきだったねえごめんごめん」

 俺がカルの頭から降りると、アズラエールは謝りつつ、下げられたカルの額に手をおいた。
 すると複数の魔法陣が空中へ立ち上がり、ドラゴンの体が光に包まれる。
 それが霧散すれば、そこには褐色の肌と白銀色の髪を結い上げた、いつものメイド服姿のカルがいた。
 のだが、カルは戻ったとたん、俺の側に駆け寄ると、ひざをついて頭を下げた。

「申し訳ありません! わたくしが油断したばかりに、ジキタ様にお怪我を負わせてしまいました!」

 最上級の謝罪姿勢に狼狽えたが、涙声のカルの肩が震えているのに、冷静になる。

「おまえが気にすることじゃねえよ、俺は戦を知ってる人間だ。覚悟は出来てたし、結果的におまえに助けられたんだ。ありがとよ」
「ですがっわたくしが助ける番でございましたのに! わたくしがふがいないばかりにかえってあなた様を危険にさらしてしまいましたっ」

 俺はカルの前にひざをついた。
 びくっと肩を振るわせても、そのままでいるカルになるべく穏やかに聞こえるように言った。

「おまえがあのときのドラゴンで、人になっている理由。聞かせてくれるんだよな」

 はっと顔を上げたカルの顔は案の定涙に濡れていて、はっきりとおびえが刻まれている。

「それ、は」

 なにを怖がっているんだか。俺は苦笑しつつ、カルの目尻の涙を指で拭ってやった。

「まあ、さっきも言ったと思うが。生きていてくれて、また出会えてうれしいよ。カル」
「ジキタ様……」

 珍しくくしゃくしゃに表情をゆがめたカルは、エプロンをぎゅっと握りしめると、覚悟を決めたように言った。

「すべて、お話しいたします」



 場所を店内に移した俺たちは、アズラエールとともにカルが入れたカフィを囲む。

「わたくしたちドラゴンの身は、鱗一枚が万金の価値があり、この身に流れる血潮は万物をいやす妙薬となり得ます。ですが成体のドラゴンであれば、鱗は堅く、ブレスも強力で早々に狩られることなどありませぬ。
 それを知っている獣や人の狩人たちは、真っ先に未成熟な若い個体をねらいます」

 今日ばかりは俺の隣に座ったカルが淡々と語る内容に、俺は知ってはいてもぐっと息を詰めた。

「あの日、人の狩人どもに追われ傷ついたわたくしは、何とか逃げのびたものの、群とはぐれ、一人でさまよっておりました。若かったわたくしは、一人で狩りも満足にできず、腹も空き、もはやこれまでかと思ったとき。平原に整然と並ぶ植物の群を見つけました」

 カルはその情景を思い出すように紫の瞳を細めた。

「それが人が生み出す畑という物だとすぐに気がつきました。ですがわたくしはどうしてもあらがえずにその畑の作物を食べました。狩人に傷つけられたわたくしが、人の作った物で腹を満たす。その屈辱に身を震わせながらも止まらなかった。それほどあの野菜はおいしかったのです」

 うっとりとするカルに俺は思わず赤面した。空腹が最高のスパイスになっていたのだろうが、それにしても若い俺が作った野菜がうまいといわれると照れる物がある。

「味を占めてしまったわたくしは悪いと思いつつももう一度その畑に出向き、わたくしに惹かれてやってきた魔物を前に、死を覚悟いたしました。わたくしに戦える力は残っておりませんでしたから。そのとき、ジキタ様が現れました」

 褐色の頬を色濃く染め、瞳を潤ませてほほえむカルは、驚くほど愛らしく俺がみてもいいものかと迷うほどの魅力を放っていた。
 ……アズラエール、何でそこでにやにやする。

「人の、それもまだ成体にいたらない背だというのに、なんと頼もしかったことか。あまつさえ、魔物をほふったジキタ様はわたくしを逃がしてくださった。あのときいただいたオムレツサンドの味は、一生忘れませぬ」

 わりい。あれ、俺は好きだけど、お袋が朝飯の残りで手抜きで作った昼飯だったんだ。
 まあそれでなんでカルがあのオムレツを知っていたかがわかったけど。

「そして、わたくしは心に決めたのです。いつか必ず、このお方にご恩をお返しする、と。ですが、この身はドラゴン。人の暮らしにはあまりにも不向きなうえ、意思を伝える事すらままなりませぬ。ゆえにわたくしは毎日祈りました。かの方のおそばにいられるようになりたいと」
「それに応えたのが僕ってわけ」

 アズラエールはカフィのカップを傾けて一口のんでにっこり笑った。

「いやあ、あんなに強く願われたのが初めてでさ。見に行ったらかわいいドラゴンの女の子じゃないか。これは一肌脱がないわけにはいかないだろ?」

 神の興味を引くほど願ったというのは驚いたが、それで引き寄せられたのがこの神というのが、何とも……

「なんだいそのジト目。僕ほどカルちゃんの願いにふさわしい神はいなかったんだぞ」
「いや、何でも。続けてくれ」

 そういえばこの神がなにを司っているか知らないな、と気になったが、続きだ。

「いいけど。で、僕はカルちゃんに提案した。そんなにそばにいたいのならメイドさんになってみる? って」
「待て何でそうなる!?」

 さすがに飛躍しすぎだろう!?とがたりと立ち上がってみれば、アズラエールは心外そうな顔になった。

「なんでー? だって女の子が男の側にいられるって言ったら、お嫁さんかメイドさんしかいないじゃないか」
「いや、確かにそうだが」
「それにカルちゃんにもちゃんと聞いたんだよ? お嫁さんとメイドさんとっちが良い?って」
「わたくしはすぐさま選びました。ご恩がある身で番とはおこがましい。使用人として、お側でお役に立てるのであれば、どんな姿になろうとかまわない、と」

 覚悟のこもったカルの真剣な表情に、俺は釈然としないが二の句も告げずに椅子に腰を下ろす。

「うん、でもね。ドラゴンって魔法耐性がすごくてさあ。さすがの僕でもずうっと人型にしておくって言うのは無理だったんだ。だから完璧なメイドさんになるための訓練もかねて、この喫茶店ガーデニアを作ったわけ」
「この建物の中にいる間は、わたくしは人の姿でいられるのです。ゆえにあなた様のお役に立つことを夢見て、完全なメイドになるべく研鑽を積んでおりました」
「練習相手は僕に祈る人たちの中から連れてきてたんだけど、そしたらその人たちが帰らずに居着いちゃってさあ。カルちゃんに見捨てないでやってくれと言われたし、信徒も増やせるしまいっかと思って国を作ったんだ」
「はい。同じ想いを持つものとして、無碍にしたくはなかったのです」

 軽い口調で言ってるけど、内容的にはすさまじいのは気のせいじゃない。
 二人の長年培ってきたからこそ醸し出される、通じ合うような空気は少し疎外感を覚えるほどだ。
 アズラエールを呼び出した神官がカルだったってことならそれも当然だ。

「あれ、ジキタ君。妬いてる? 大丈夫、大丈夫。カルちゃんの気持ちは呼び出された日から一切変わんないから」
「……何の話だ」

 にやにやしてくるアズラエールはかなりうぜえ。
 とりあえず黙れとにらんでみたが、案の定応えた風はなかった。
 苦虫を噛み潰していると、突然、カルが椅子を引いて立ち上がった。

「人の習慣をすべて把握し、メイドとしてようやく納得できる技術を身につけるのに10年もかかりました。それでもジキタ様に再会し、あまつさえ、わたくしがあかす前にドラゴンだと言うことも見抜いてくださった」

驚いている間に、すいと、磨き上げられた床に膝をつき、祈る様に両手を胸で組んだカルは、上目づかいで俺を見上げた。

「どうぞ、ジキタ様のお側に一生おいてくださいませ」
「カル……」

 その期待と不安に揺れる紫の瞳に見つめられた俺は、平静を保つので精一杯だった。
 ずっと俺に恩義を感じてくれて、俺の側にいたいために神まで呼び出して、不自由な思いまでして人になってよ。
 まあ呼び出せた神が神のせいでメイドになるための研鑽なんて妙なことになってはいるものの、一途でまっすぐないい娘だ。
 そんな娘が30すぎたおっさんに一生仕えるなんてひどい話だ。そうだろう?

「ねージキタ君。ここまで女の子に言わせておいて、断るなんて言わないよねー?」

 椅子から硬直したまま動けない俺に、アズラエールがにっこり笑う。
 その笑みから漂う威圧感に俺がぐっと息をのんだとき。
 ガランガランと激しくドアのベルが鳴って、シャオティやナランハ達がやってきた。

「このバカ領主! このくそ忙しい上に油売ってんじゃねえ!」
「まったく、カフィなんて飲んでいる暇があったら、自分の失態を尻拭いをしてからにしてくださいな」
「領主様ぁ! 各国からの和睦の急使がきて大変なんですよう」
「え、ちょっとまって、今いいところなんだよ――――!!」

 いつも穏やかな顔に青筋を浮かべるナランハや、半泣きでばさばさと白い羽を動かすマインにアズラエールが連行されていくのを見送った。
 ああ、無事でよかったと、ほっと息をついて立ち上がった。
 そうして、俺はひざまずいたままのカルの前にしゃがみ込む。

「カル。おまえが、俺に恩を返したい一心でめちゃくちゃ努力してくれたのはありがたく思う」
「はい」
「だがな、俺に一生使用人として仕えるって言うのはやりすぎだし、嬉しくない」
「……はい」

 しゅん、とあからさまにしょぼくれるカルの手を、俺はとった。

「だからな。おまえさえよければ、俺の嫁にくるってのはどうだ」

 はっと上げられた花のような美貌に、俺は笑いかけた。

「俺は30すぎのおっさんだし、これから本格的に百姓になるつもりだから、それほど華やかな暮らしはさせてやれないと思うが」
「いえ、わたくしは100を越えておりますれば、年の差はかまいませぬ」

 まさかの年上だったか。ドラゴンは長命だと聞くし、当然か。

「ですが、ですがよろしいのですか。わたくしはドラゴンでございます。本性は鋭き爪とあぎとを持った鱗の長虫でございます」

 いや、そんなに卑下しなくてもいいと思うぞ。神聖な神獣と言われちまえばすぐに納得できそうなほど綺麗だったしな。
 だがあからさまにうろたえてそれでも否定しないカルの反応をみる限り、俺の認識は間違っていなかったようだ。
 これで、え、ちょっとそれはなんて言われたらおっさんの心は砕けてた。
 だから俺はいたずらっぽく笑ってみせたさ。

「俺は、この一年一緒に暮らしたメイド根性抜群の、俺の育てた野菜をうまいと笑って食ってくれるドラゴンの嫁がいいんだが?」
「……ッ!!」

 息をのんだカルは、次の瞬間褐色の肌を紅潮させると、喜びをあふれさせるように笑った。

「はい、不束物ではありますが、末永くお側においてくださいませ」

 何だろうこのすげえかわいい嫁。
 紫の瞳から涙をこぼすカルを抱き寄せようとしたのだが。

「んきゃー!! カルさんおめでとうございますううううっ!!」

 窓からすっ飛んできたアニサを皮切りに、ガランガランとベルを激しく鳴らしながら大挙して店内に押し入ってきたのは帰ったはずの喫茶店常連組どもだった。

「いっやあいいもの見せてもらったぜ! これは祝わねえとなあ!!」
「おめでとうございますカルさん」
「ふええええんよかったよおお!」
「んなっ!おまえらっ」

 唖然とする俺たちを尻目に掲げられた大段幕は「カルちゃん結婚おめでとう!」
 ナランハをはじめとする女子集団にカルはあっという間に囲まれて、野郎どもは持ち込んだ酒で酒盛りまでし始めやがった。

「ど、どういうことだ!?」
「いやあ、カルちゃんの恋路は国中のみんなに知られていてさ。いつくっつくかってやきもきしてたんだよう」
「なっ……!」

 連行されたはずのアズラエールに言われて羞恥心にかっと顔に血が上った。
 まさか、常連どもの生ぬるい視線は全部そのせいか!?

「それはしょうがないよ。だってここは異種族同士が結ばれる国で、僕は異種族恋愛の神だからね☆」

 西じゃあ別種族同士の婚姻は禁忌になってるからそりゃあ邪神認定されるのも当然だというか範囲狭いな!?
 それよりもこのままじゃ生ぬるい空気のままわいわいがやがやからかわれまくられる事になる!
 冗談じゃねえ!と、俺は絡んで来ようとするパンダやらかもめやらアズラエールやらをなぎ倒し、女子集団の中につっこんでカルを引っ張り出した。

「カルッ! 二人きりになれる場所へ行くぞ!」
「はいっ!」

 後ろではやし立てる声を全力で無視した俺は、ぱっと表情を輝かせたカルと共に緑の扉をくぐりぬけ、つかの間の逃亡を図ったのだった。



 異種族恋愛の神、アズラエールが守護せし国ガーデニアでは、すべての異種族間の愛が許される。
 そんな住民たちの憩いの場となっているのは、国の守護竜である美女が営む喫茶店ガーデニアだ。

 かぐわしいカフィとおいしい料理が味わえるそこで使われている野菜は、守護竜の亭主である人族の男が丹精込めて育てているのだという。


おわり

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