< 八尾弦徳・14 >
籠城を続けた春婆怒を引きずり出すことに成功を遂げた弦徳が、その美しき裸体を片腕で釣り上げ厳しく睨む。
「観念したか、春婆怒」
凛々しい視線が、勝ち誇ったように揶揄する。
それとは別に春婆怒は、古城から裸体を晒したまま死した眼差しで闇を見ていた。まるで何もかも諦め、未来を捨てた骸の表情。弦徳の言葉にも、感情が壊れたのか反応を見せない。
弦徳は、その表情を見て、今度は不機嫌を表情に作った。
これが、長年に渡って母の敵だと思い憎み続けた魔性だと思うとあっけなく感じ、緊張勘が緩んでいく。だが任務は、終了していない。このような場所まで足を運んだ目的が達成されていなかった。
「春婆怒!」
少しばかり強目の声だった。宿敵の名を呼び、手にある紫色の妖刀を、春婆怒の引き締まった細い腹へと向ける。そして、なぞる仕草で切っ先が臍の周りを撫で回す。
「春婆怒、お前を殺せる日を、私がどれだけ望んでいたと思う。それしか考えずに過ごした日々も長い……」
弦徳の言葉を春婆怒は、首を掴まれ吊るされたまま聞いていた。瞳は濁り虚空を覗いている。その表情から本当に聞いているかも疑わしいと思えたが、言葉を綴る。
「この刀で貴様の腹を串刺しにして、内蔵を引きずり出し、怒りのままに殺してやりたい。だが、私がここに出向いたのは、別の理由だ」
そう言いながら弦徳は、言葉と裏腹の行動を取る。ズブズブと妖刀を春婆怒の腹に突き刺し押し込んでいく。
「ぁぅぅ……ぁぅ……」
痛み故か、春婆怒の口から切なく呻く声が漏れた。それを耳にしなから弦徳は、更に刀を押し進める。
「春婆怒、これはお願いだ。その刀をしばらく抜かないでもらいたい。痛みは察するが、耐えてもらいたい」
ここまで来るのに弦徳もまた、その身に同じく刀を突き立てやってきた。痛みも気持ちも良く分かる。
鍔が臍に触れた。そこまできて弦徳が、床に春婆怒の裸体を落とすように下ろした。長い髪と尻が地に付き、腹痛に顔を顰める春婆怒が、目の前の男を弱々しく見上げる。
「貴様、何を……」
腹に刺さった妖刀が、痛々しくも背へと貫けていた。痛みを感じるが、それが死に至るほどではなかった。急所を外しているわけでもない。それは何かの妖術の類。即ちこれ皆幻。
「これは、交渉ではない私からの願いだ」
力無く地に腰を下ろした春婆怒。その眼前に、袴を払い正座を組始める弦徳。ふたりの目線の高さが同じに揃う。
「その刀は、知ってのとおり次元と次元を繋ぎ合わせる能力を持ち合わせている。わたしがここまで来たのだ、術の効果は察しられよう」
「ああ……」
頷く春婆怒の表情に、滅びかけていた誇りと威信が、妖艶な美面と共に舞い戻る。春婆怒が、死への絶望から我を取り戻し始めていた。
「済まぬが、今一つ別のところへ足を運びたい」
「まさか、お主……」
破滅からの復活を春婆怒が悟る理由は、弦徳の言葉の中に秘められていた。自分の腹に刺さる妖刀と、弦徳の言動に、これから弦徳が何をしようかと検討が付く。それが己の命を保障していた。
「そう、春婆怒。お前の胃の中に入りたい」
礼儀正しくも正座で向かい合う弦徳が、そう言うと一度頭を下げた。春婆怒がやはりと思う。
「お主の企みとは……、最初からそれが目的かぇ……」
「いいや、思い付きだ」
頭を上げた弦徳の表情は、笑っていた。無邪気にさらりと語る。
「最初は暗殺気取りで踏み込んだ。しかし、こまで足を運ぶ際に考えてみたのだよ。もしかしたら、救出も可能ではないかと。この刀の能力ならば可能ではないのかと……」
「わらわも己の胃の内部なぞ分からぬぞぉ……」
ふたりの会話が徐々に交差し確定して行く。
「九十九神は、三種百食の本能の仕上げは、使い手の願いを叶えること。それで百計神に生まれ変わる。その願いを叶えるエネルギー源が、各種を喰らいし百数の魂と読んだ……」
「その読みのままに、わらわの胃に落ちる積りかぇ……」
春婆怒にとっては、願ったりも無い申し出。自分は窮地を脱せられるたけでなく、敵自らが胃に落ちるのだ、損の一つもない。
弦徳の狙いは、春婆怒の胃の中に幽閉されている可能性が高い、実の母の救出だった。
九十九神の食事方法は、殺した相手の魂も肉体も、身に付けている衣類なども纏めて喰らう。存在を喰らうのだ。
それらをエネルギーに百計神になるというのならば、消化はしていないと推測できる。消化とは栄養に変えること、栄養に変えれば消費が行なわれる。転生や願い事のためにエネルギーが必要としているならば、リスやハムスターのように頬に溜め込み、隠し蓄えるのと同じではないかと予想していた。
喰われた者たちは、きっと胃の内部、否、貯蔵庫に消化されずに蓄えられているはずだ。百計神に変化するその時まで。
弦徳は、その中から母を救い出そうと目論んでいた。
苦痛に歪む春婆怒の表情が、いつものように気高くも微笑みを見せる。絶望から光を見出したようだ。
「交渉でなく、願いと申したな……」
「御意」
「ならば交渉へと撤回しようぞ……。好きなだけわらわの腹を探り回れ、そして愛しき九尾を勝手に連れ出せは良い……」
「かたじけない!」
「代わりに、用事が済んだらとっとと出ていきたもれ。早くしないと、タケシが八尾を熨すやもしれぬぞ……」
美しい切れ長の瞳を細めて笑いを見せる春婆怒。よろめきながら背後の球体の殻に寄りかかり、荒い息で立ち上がる。続いて弦徳も腰を上げた。
「承知。では参る!」
そう力強く声を吐き、弦徳の体が紫色の妖気と姿を変えて、春婆怒の腹部に刺さったままの妖刀へと流れ込んで行く。
弦徳の姿が、春婆怒の心から消して、胃の中へと落ちていく。
春婆怒は、その様子を玉の汗を浮かばせながら見送った。そして一言呟く。
「このマザコンめが……」
命拾いのせいか、言葉のままに弦徳をあざ笑っているのか、春婆怒は微笑みながら虚空を眺めて更に囁く。
「剣兵ゃ……。まだ、お主のところへ行けそうにないわ……。お主はわらわがきっと、この世へ連れ戻す……」
官能的息遣いで意味深な思いを口に出す春婆怒が、誰にも見られるはずのない闇の中で腰を再び落とした。侵入者が去り、安堵の溜息をひとつ溢した。
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