< 武神 >
「陽子ちゃん、桜木の奴は、元気にしてるかね?」
「うん、お父さんなら何時も元気ですよ。未だに毎日の稽古を欠かさず積み重ねています」
「うむ、流石我が弟子だなぁ」
老人が、石で出来た様なゴツゴツした手で襖を開けると、その部屋の中には、壁の窪みに収納された仏壇が一つ有った。
押入れや箪笥こそはあるが、殺風景で寂しく薄暗い部屋だった。
部屋の中に入っていった老人が、窓の明かりを遮るカーテンを開けると、漆塗りの立派な仏壇が後光で照らすように色付き綺麗に輝く。
開かれた仏壇に灯された蝋燭。そして、筋の様な煙が、線香から静かに上がって部屋の中に香りだけを残していた。
「タケシ、仏壇に手を合わせたら道場に来い、軽くもんでやる。墓参りは、明日の午前中でかまわん。もし良かったら陽子ちゃんも、婆さんに線香を上げてやってくれ」
この老人は、男女差別が激しいのか、二人に対しての話し方がずいぶんと違う。
七時間のバイクの旅。本当はさほど疲れてはいない。老人の「道場に来い」と言う言葉に、激しく青年は反応していた。
腕の筋肉が意識もしていないのに盛り上がり、青筋を浮かべながらヒク付いていた。
それは熱気となり青年から放出されて、闘争心という雄の香りとなって隣に居るボーイッシュな少女の元へと届いた。
少女は其の香りに一早く気付くと、何が可笑しいのか、口元に可愛らしい笑みを作る。
仏壇へと歩む青年は、老人の前を通り過ぎるさいに、皮肉を口にした。
「じいちゃん、俺もよ、もう二十歳だぜぇ。七十の爺さんじゃあ……ねぇ」
「ふっ、確かに去年は初めてお前の突きを、顔面に食らったがのぉ。そのお返しに、お前を4回失神させてやったがなぁ〜」
「俺は若いぜ、一年、また一年と強くなってるぜ。今年は、去年よりも遥かに実力を上げてると思うんだがな。今年は、顔面突きだけじゃあ済まないかもよ」
血の繋がった、二人の不敵な笑み。少女から見て、それはそっくりだった。
そんな二人を見て、少女は口元に手を当てながら、先程よりもはっきりとした笑みで二人を見ていた。
「期待しているぞ。早く婆さんに線香上げて道場に来い」
老人が部屋を出て行くと、青年は仏壇の前に正座した。
カァーーーーーン……
青年は、仏壇に線香を上げた後、鐘を一度鳴らして拝むように両手を合わせた。
そして、仏壇に立てかけられた白黒の古い写真を、懐かしそうな瞳で眺める。
それには、和服姿の一人の若い女性が写っていた。
青年が仏壇から離れると、今度は青年に続いて少女が仏壇に線香をあげる。少女もまた、仏壇に置かれた白黒の写真に目をやった。 白黒ではっきりした写真ではないが、写っている女性は、若く美しかった。
「タケちゃんのお祖母ちゃんって、なんとなく目元とかがタケちゃんに似てるよね」
線香を上げる少女が、仏壇に飾られた古びた写真と、青年の顔を見比べる。それは、彼の祖母の写真らしい。
「俺は母さん似だからな、何年か前に爺ちゃんが言ってたよ。母さんの若い頃は、じいちゃんと婆ちゃんが一緒になった頃に瓜二つだってな」
確かに白黒写真の女性と、青年の顔立ちは良く似ていた。
青年の顔立ちは、今風に言えばイケメンの部類だろう。
目元は凛とした一本筋の通った感じで、顔のラインも顎にかけてスマートな物である。顔のパーツも、目、鼻、唇と一つ一つバランス良く配置されていた。
だが、腕や足だけではなく首も筋肉で太く、頭のサイズと首の太さが一緒であった。
マッチョ系の男性が好みの女性には受けるであろうが、一般人から見たら明らかにマッチョすぎる体型である。
連れのボーイッシュな少女が、本家の仏壇に手を合わせ終わると、青年は部屋を黙って出て行った。
そして、くねり曲がった松ノ木や、大きな置石が有る古風な庭の見える渡り廊下を越えて、二人は離れに有る道場へと入って行く。
田舎の広い敷地の農家とはいえ、普通は道場が有る家は少ないだろう。
道場の大きさは、余った敷地を存分に使われており、かなり大きい物だった。
青年と少女が靴と靴下を脱ぎ終わると、順番に道場へと入って行く。すると既に大柄の老人が道着に着替えて待っていた。
白い空手着に黒帯を身に付けた大柄の祖父が、一人で正座をして道場の正面に有る神棚を見上げていた。
「タケシ、早よう道着に着替えて来い」
精神統一をしているのか、目をつぶったままの祖父。青年がほんの少し生意気な感じで祖父を見ながら鼻で笑うと、ゆっくり道場に踏み込んでいく。
黒いライダースーツの上半身だけを脱ぎ捨てると、青年は裸足で祖父の前へと立った。
「最近じいちゃんの言っている『空手道』ってのが分ってきたよ」
正座で座る老人の前に立つ青年。自然体で力強く立つ風貌からは、若さ、力強さ、自信、傲慢さ、そんなものがオーラとなって感じられた。
「ほぉ……言ってみろ」
祖父の口元が笑っていた。
それは孫をバカにした物にも見えるが、本心はどちらかというと喜びの方が大きいのかもしれない。
祖父は、孫の成長が可愛らしい物である。
刹那、青年が仕掛けた。
「わぁ!」
声を出したのは、少女だった。
青年は、目の前で正座をしている祖父の頭を目掛けて、下段廻し蹴り、いわゆるローキックを放ったのである。
肉と肉がぶつかり合う音がした。
「正解だ、『武』とはそういった物だ」
嬉しそうな顔をする老人。しかし老人は、その太い腕で孫の放った下段廻し蹴りを、正座したまま揺らぐ事無く受け止めて居た。
青年が放った蹴り足を下げると、正座して居た老人も立ち上がる。
離れて見ている少女には、老人の立ち上がる動作すら力強い物に見えた。
「でもさ、じいちゃん、ちまただとさ、じいちゃんの言う『武』ってやつは、卑怯者扱いされちまう……」
青年は、自分の黒髪をかきながら体験談を語ってみた。
「ふっ、試合ならそうだろう、試合にはルールがある。だが、わしらが行っている空手とは、試合をするための物ではない」
大きく育った孫を睨む祖父。そして老人の視線が、一瞬ではあるが、道場の隅に立っている少女に向けられた。
「我々の空手道とは、全てを護るための物だ」
「全て?、護る?、倒すじゃなくて、護る?」
「ふむ、そこまでお前は成長してないか……」
祖父の言葉に青年は、気に食わないといった顔をする。
「じゃあ、俺の倒す力……、今年も見てもらおうか」
青年が拳を握り、ファイティングポーズを取る。
そして老人も、両手の平が孫に見えるようにつきだし、空手らしい構えを取った。
前葉の構え。防御に優れた守りの構えである。
「守りに回るとは、じいちゃんも老いたもんだな……」
青年の言葉が明らかに挑発であることを悟れないほど老人は若くない。
二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
道場の隅で、少女が冷静に二人を見守る。
少女もまた、このような荒っぽい状況には慣れている感じであった。まったく慌てた様子は見せない。
しばしの沈黙、二人は構えたまま動かない。
「先に動くのは〜……、タケちゃん……かな」
少女が呟くと同時に、タケシが素早い左正拳突きを、祖父の顔面目掛けて放つ。
「ぐはっ!」
ヒット。
孫の放った突きよりも、祖父の抜き手が先に孫の喉仏を捕らえていた。
四本の太い指が喉に減り込むと青年は、涎を吐きながら掠れた声を出した。
「タケちゃんのジャブより速かった!」
先に攻撃したのは自分。しかし、先に攻撃を喰らったのは自分。
青年は、受けたダメージを隠すのを忘れ、顔を歪めながら喉を両手で押さえた。
七十歳を超える老人が、二十歳のタケシよりスピードで勝っている。
否、スピード、それだけが初弾を決められた理由ではないだろう。長年積み重ねてきた空手の技術。それが不思議なタイミングを生み出しているのかも知れない。
今度は、上段廻し蹴り。
タケシの力強いハイキック。
だが、タケシの地に付く軸足を、拳四郎が軽く足で払う。
すると自分が放ったキックの勢いもあってか、タケシが激しく空を回りながら舞った。
そして背中から落ちる。
「うっ!」
道場の床板に背中から落ちたタケシの口から、またもや無様な声が漏れた。
「にゃろぉ!」
立ち上がる動作と同時に、タケシがアマレスの両足タックルを仕掛ける。
「ふっ、今時流行のタックルってやつだな」
祖父は孫のタックルを、仁王立ちのまま受け止めて見せた。
その老人の表情は、何かガッカリとしたものであった。
空手超人の拳四郎からしてみれば、空手家がタックルを行うことじたい、空手家の流儀から外れた行いなのであろう。
「た……倒れね……」
拳四郎の腰元にしがみ付く形のままタケシは、全力で押し倒そうと両脚を踏ん張る。しかし、拳四郎は、倒れない。揺らぎもしなかった。
「倒れない、だから空手なのじゃ」
二人の間から、こもった音が鳴り響く。するとタケシの体が、拳四郎の体から仰け反りながら離れた。
「膝蹴り。あんな軽く蹴ったふうに見えるのに……、凄く重いんだ」
拳四郎の膝蹴りが、タケシの顎を蹴り上げていたのだ。
続いて前蹴り!。
「ぐほっ!!!!」
拳四郎の放った前蹴りを腹に喰らい、道場のほぼ真ん中に居たタケシが、道場の壁際まで吹っ飛ばされていく。
そして、青年の両膝が、道場の冷たい床に音を立てて崩れ落ちた。
「うわぁ〜〜、痛そう〜。……やっぱりお父さんより強いわ……」
腹部を押さえたタケシが、立ち上がろうと足を踏ん張る。
しかし、受けたダメージのせいか、足が震えてうまく立てずにいた。もたつくタケシを、拳四郎が哀れむ表情で黙って見守る。
しかし山が動いた。
拳四郎がタケシに向かって走る。それを見てタケシは、慌てて立ち上がった。
そして達人が飛んだ。
タケシの顔に祖父の影が重なると、老人とは思えない巨漢からの飛び蹴りが放たれた。
血の繋がった孫に対して放たれた蹴り。その蹴りには、殺意のような物が明らかにこもっていた。
「どぉぉぉぉぉぉわぁぁぉぉ!」
タケシは、その飛び蹴りを顔の前で腕をクロスさせて防ぐ。
しかし、トラックにでも跳ねられたかの様な衝撃に飛ばされ、道場の壁へと強く背中をぶつけた。
「ぐはっ!」
壁に背中を打ち付けたが、かろうじて立っているタケシ。否、壁が無ければ吹き飛ばされてダウンしていた事だろう。
拳四郎が、更なる追い討ちを放つ。
それはただ、力任せに振るわれたスイングパンチ。まるで岩石のような拳が、タケシの腹部に激音を立てて減り込む。
「!!」
そのパンチの衝撃が、タケシの腹部から背中へと突き抜けて行く。そして背にした道場の壁が、タケシの代わりにミシミシと悲鳴のような音を立てた。
拳四郎が体を捻り、更なる攻撃モーションをスタートさせる。
後ろ中段廻し蹴り。
太い丸太で殴られたような衝撃が、タケシの腹部に再び響き渡る。
「!!」
空手技の中でも、最も破壊力が高いと語られている後ろ廻し蹴り。
それを受けたタケシの背後で、今度は壁板が折れる鈍い音を、断末魔の如くバリバリと叫んでいた。
「ふぅ!」
今度はタケシの反撃。
右フック。
だが、拳四郎は、タケシが放つ起死回生の反撃を、バックステップで難無く回避した。
そして少しばかり後方へと間合いを取ると、一息入れる。
「あの状況で、まだ反撃できるなんて、タケちゃんやる〜」
祖父の強攻を壁に寄りかかりながらも持ち応えたタケシは、ゆっくりと壁から離れて前に出た。
タケシが背にしていた壁板は、三枚ほど割れ、くの字に凹んでいた。
「ぜんぜん、効いてね〜」
タケシの言葉は、誰が聴いても嘘だと分かる。それは、やせ我慢。無理やり作ったその表情。口元が引きつり、足は震え、立っているのがやっとだと陽子にも分っていた。
「このぐらいにしとくぞ、タケシ」
突如そう言った老人は、孫に背を向け道場を後にしようとした。
タケシは、いきなり何を言い出すのかとキョトンとした顔をして祖父の背中を見る。
「まてや!、じいちゃんまだだ、まだ俺はやれる!」
とっさに出たタケシの言葉。ダメージはあるが嘘ではない。まだ戦える筈である。
「そのぐらい分かる、だが今年は去年の様に、お前を可愛いがってやる暇はないのじゃ」
振り返った老人は、孫にそう言って道場を出て行った。タケシは尻餅をつくように座り込むと、悔しさに顔を顰めた。
そして、一発、拳で床を叩いた。
「タケちゃん大丈夫?」
「ああっ……」
座り込んでいるタケシに、陽子が慰めながら近づく。その声は、とても優しかった。
老人vs若者。
今年もまた、若さをキャリアが上回る。
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