< テコンドー教室・2 >
畳にしたのならば、十畳程度の部屋。
扉をくぐると左右の両壁にロッカーが並び、部屋の中央には長椅子が二つ連なって置かれていた。その向こうの壁にガラス窓が一つある。
更衣室に入った堂本流の三人が、荷物を長椅子に置くと着替えを始める。
カズマが、スポーツバックの中から白い道着を取り出すと、同じようにタケシと銀も道着を取り出していた。
帯で縛られた道着。タケシと銀の帯は黒いが、カズマの道着を縛る帯は、まだ白い物だった。
最近の空手塾では、黄色、緑、茶色などのカラー帯などを使って段位を現すことが多い。
しかし、真剣勝負のみを目指す堂本流には、そのような物は無かった。銀が経営しているちびっ子空手でも同様であった。故にカズマは白帯である。白と黒しかないからだ。
道着を縛る帯を解きながら隣で同じ動作をしているタケシの黒い帯を、カズマが目線だけで見た。
黒い帯には、堂本タケシの文字が、黄色い糸で刺繍されている。
真っ黒な帯ではなかった。使い込まれ黒い色はあせていた。
カズマが憧れている帯の色とは、そのようなカラーである。漆黒よりも、その使い込まれた黒い色に、強い憧れをいだく。
帯を解いたカズマが靴下を脱ぐと、床のコンクリートの冷たさが、よりいっそう伝わってくる。
三人が、上も下も服を脱ぎ捨てパンツ一丁の姿になると、それぞれの道着を着始めた。
上半身裸で道着のズボンを履くカズマの姿を、タケシがなんとなく眺めた。
小さく、まだ華奢な体つき。格闘家と呼ぶには貧弱な体格。だが、今年中学生になる少年にしては、十分な程に引き締まった体だといえた。
胸の筋肉が胸骨の窪みを隠し、腹筋は割れているのが分かる程に鍛えられていた。
そして、その体に幾つもの痣が、はっきりと残っているのが見えた。それは、三つや四つではない。
胸や腹、腕や足、背中にも幾つか見えた。
二週間ほど前から、タケシや銀に組み手をしてもらえるようになったのが、痣を作る原因であった。
組み手と言っても、タケシや銀にとっては、子猫がじゃれ付いて来ているのをあやしている程度だ。
だが、カズマにとっては、それでも十分だった。それが、自分も堂本流の一員と思えたからだ。
しかし、その代償が、この痣の数々である。
組み手の前半は、何時もカズマの好きなように技を打ちこませる二人である。それでもカズマの技がヒットすることは無い。捌かれ、避けられ、止められる。
そして、疲れきるまで打ち込んだカズマに対して、最後は強い一撃を加える二人。その一撃で、何時もカズマは絶命させられる。気絶させられたり、暫く動けなくなるほどのダメージを貰う。
それでもタケシ達の一撃は、本気の一撃ではない。タケシ達が本気を出せば、指一本でカズマを病院送りに出来るのは間違いない。
二人とカズマの戦力の差は、それ程まで大きく離れている。
その証拠に、以前、組み手の最後にカズマは、タケシの手加減された一本指抜き手を腹筋の上から喰らい、もんどりをうって絶命した事がある。
あれが本気で撃たれていたのならば、カズマの腹部には、ピストルで撃たれたような穴が開き、内臓まで達した刺し傷のダメージを受けていたであろう。
暫くすると、更衣室の三人は、空手の道着に着替え終わっていた。そして、銀を先頭にテコンドーの道場へと出て行く。
空手着の三人が道場に戻ると、再びテコンドーの門下生達が鋭い睨みを効かせる。
だが、今度はタケシも鋭い視線で睨み返した。道着をまとったタケシの視線は、それだけで人を殺しそうな修羅の如く恐ろしく見えた。テコンドーの門下生の半分が、そのタケシの視線に目を反らす。
更衣室を出ると同時にカズマが、扉の直ぐ横を見る。
しかし、更衣室に三人が入る前に、カズマを集中的に威嚇していた少女の姿は、扉の横から消えていた。
そして、その少女を探すようにカズマは、男達の眼光をくぐるように辺りを見回す。
「三人方、こちらへ」
この道場の主、大塚が、三人を呼びながら道場の壁を背に正座をすると、門下生達も同じように壁を背に座り始めた。
三人は、言われるがまま大塚の右側に、銀、タケシ、カズマの順番で並ぶと座った。
春婆怒は、一人で道場の入り口に立っている。私服なのは、彼女一人になっていた。
カズマがチラリと大塚の方を見ると、大塚の左側に、あの少女がすまし顔で座っていた。
正座しながら前に腰を曲げてカズマが覗き込んでいると、不意に少女がカズマを見た。その表情は、怒っているようにも見えたカズマは、慌てて背筋を戻し、タケシの大きな体の陰に隠れた。
暑い熱気が残る道場の中に、静かな空気が流れていた。
全員が正座をして、タケシたちに威嚇的な視線を向け続ける。
それを冷まそうと、開けられた幾つかの窓から外の空気が流れ込んでくる。カズマには、その風が気持ちよく感じられた。
「大塚先生、今日はお招きいただきありがとうございます」
銀が、笑顔を隣に座る老人に向けながら挨拶を再び繰り返した。
「我々の流派は、空手道の中でも、あまり足技が多くない流派。本日は、色々とテコンドーから勉強させてもらいます」
銀が言うとおり堂本流は、他の空手の流派に比べて蹴り技のバリエーションが少ない。
上、中、下段の廻し蹴り、後ろ廻し蹴り、前蹴りと横蹴り、あとは多少の飛び蹴り程度しかバリエーションが無い。
元々は他流出身の銀や、研究熱心なタケシが、他流のマネをして幾つかの蹴り技を使うが、それらは本来の堂本流にある技ではなかった。
「はは、堂本流に、そのように言われると恐縮しますな」
「またまた、御冗談を」
二人は笑いながら話していた。
現在は、和やかな会話をしている二人だが、過去に血まみれになりながら戦ったことがある。
大塚望、五十五歳。
日本人の中で、テコンドーの第一人者とも呼ばれた男である。
過去には、本場韓国に一人で渡り、テコンドーの修行をつんで帰ってきた。
大塚が三十歳の時に、日本で道場を開く。そして、道場の看板を上げた翌年に、堂本拳四郎によって道場破りに会い、一度上げた看板を下ろすこととなった。
それから四年後に大塚は、春婆怒村に自分から乗り込み、堂本拳四郎を尋ね、その地で弟子の桜木銀と戦い、観客が居ない中で、名勝負と呼べるほどの好勝負を繰り広げ敗れ去っていた。
そして、大塚が再び道場を開き、二人の関係は、どこでどうなってこうなったかは分からないが、今では親友と呼び合える程の友好関係で結ばれている。
しかし、大塚の弟子の多くが、それとは関係なく堂本流を敵視している様子だった。
「だれか、トゥルを披露してあげなさい」
大塚の言葉に、ポニーテールの女性が立ち上がって、道場の中心へと出てきた。
トゥルとは、空手で言う型のことである。
彼女は、一人で道場の中央に立つと、大塚や銀達の方向に向かって挨拶をした。そして、テコンドーのトゥルを始める。
彼女の始めたトゥルは、テーグッ八章。日本では太極八章と呼ばれる型だが、他流の三人は、それすら知らないことだった。
時間としては、一分も無いトゥル。
綺麗なトゥルの最後は、右上段肘鉄からの裏拳後に、右正拳突きで締めくくると、彼女は「やぁー!」と気合の入った声を出した。そして、一礼して、元居た場所に帰っていく。
銀は、足技を勉強すると言っていたが、今見せた型の中に出てきた足技は、テコンドーを意識させるほどのテクニカルな足技は、少なかった。
上段前蹴りが二回、飛び二段蹴りが二回。あとは、数多くの正拳突きや抜き技、肘鉄や裏拳、チョップのような技を見せていた。
それだけ見れば、空手の型とはあまり変わらないようにも見えた。少なくも、まだ若く知識の少ないカズマの目には、そのように映った。
「まだ、二十歳そこそこに見える女性ですが、すばらしい型ですな。技の切れ、止めの力強さ、全身のしなやかさ、実に美しい」
彼女のトゥルを見て銀が褒め称える。だが、蹴り技の勉強としては不十分とカズマが、不満の残る表情をしていた。期待ハズレ、その言葉が脳裏に浮かぶ。
「では、今度は誰か二人で組み手をお見せしてあげなさい」
大塚の言葉に、カズマの脳裏から不満の言葉が一瞬で消えた。
目の前で本物のテコンドーが見れる。本物のテコンドーの蹴りが見れると心が弾む。
「私が!」
立ち上がろうとしていた男達数人よりも、我先に立ち上がった人物は、そう言って道場の中央へと進む。
それは、大塚の左手に座っていた少女だった。
周りの男達がざわめく。
大塚は、それを黙って見ていた。その表情には、先程と変わらない笑みが残っていた。
年のころは、カズマと変わらないだろうか。肩ぐらいまである髪を首の後ろで縛っている。
その彼女が、引き締まった表情で、座ったままのカズマを指差す。
「さあ、キミも前に!」
「えぇ!?」
指を刺され、そう言われたカズマが、慌てた表情で声を上げた。
この話の転回、カズマvsテコンドー少女。
タケシや銀だけではなく、大塚の顔も笑っていた。
否、むしろ、三人は笑いを堪えているようにも見えた。
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