< 鍋鍋コンビ>
「フゥン!」
一日の始まり。
「セイ!」
雀の囀りが、電信柱の上や二階立ての古い木造アパートの屋根から聴こえてくる。
「ハッ」
そのアパートの小さな庭先で、青年の掛け声が清々しい晴天の朝の空気を切り裂きながら響かせていた。
「トォ!」
正拳好き、手刀、廻し蹴り、前蹴り、様々な空手技が掛け声と共に風を鳴らす。
その古いアパートの庭はあまり広くはないが、一人、二人が体を動かすには十分な広さがあった。
「オリャ!」
こんな朝早くから空手の一人稽古をしている青年は、空手家『堂本 タケシ』である。
歳の頃は二十歳。
しかしその引き締まった体格からは歳相応には見えず。実年齢よりは、三、四歳は年上に見えた。
「リィヤァ!」
そのタケシの振るう力強い一撃の数々を、庭の隅の壁際で体育座りをしながら、じっと見ている人物がいた。
「フゥ!」
その人物は、蜂蜜色の綺麗で長い髪を地面につけることを気にせず、青い瞳でただじっとタケシを見つめていた。
細くシャープな顔立ちで、どの角度から見ても美人である事を認識させる彼女は、その美しさに自信があるような表情をして、ビー球のような綺麗な瞳を時折細めていた。
しかし、その美しさのあまりか、彼女からはクールと呼ぶよりも冷たいものに感じられて、周囲の空気の温度を下げる氷の女神像にも見えた。
「ヤァ!」
そんな二人の光景は、一時間以上は過ぎていた。
「ハィ!」
『春子・ハルバード』、春婆怒村を出て、タケシのアパートに来るにあたって、新しく考えた彼女の偽名である。
その名を付けたのはタケシの祖父、堂本拳四郎である。
「ンッ!」
それまでは『春婆怒』と呼ばれていたが、今の時代に合わせて改名した新たな名前を、本人も、それなりに気に入っているようだ。
「タケちゃん、おっはぁよぉ〜」
「おぅ、陽子、おはよぅ」
一人稽古に励むタケシの元に、いきなり現れたスレンダーでショートヘアーの娘。
彼女は春婆怒を無視してタケシだけに元気良く挨拶を投げかけた。
彼女の名前は『桜木 陽子』、年は十八歳でタケシより二つ年下。
そしてタケシが住むこの古いアパートの大家の娘であり、幼馴染であり、同じ流派の空手を学んだ兄弟子の一人娘でもある。
「小娘や、おはようぞぉ」
「ムゥ!」
体育座りの春婆怒が、陽子に挨拶をする。
しかし陽子は、春婆怒に対してギロリと音がしそうなぐらい睨み返すだけであった。
その陽子の態度は、明らかに春婆怒を敵視するものであったが、春婆怒の方はというと、気にも留めていない様子である。
「何をそんなに、気を荒立てておるのじゃ、小娘や?」
「小娘じゃないわよ!」
陽子の睨みに対して静かに対処する春婆怒を、陽子が更に怒鳴る。
僅かなやり取りだが、春婆怒がわざと陽子をちゃかしたものである事は、タケシにも分かった。
「そんなことよりさ、タケちゃん、体の方は本当にもう大丈夫なの?」
タケシが全身筋肉痛の為に春婆怒村で寝込み、帰って来たのは昨日のことである。
そのタケシを気遣うように陽子が心配そうな潤んだ瞳で見ていた。
「おぅよぉ、もう完治したって言ったろ」
そう答えタケシは、稽古の手を休めることなく続きを繰り返す。
しかし、本当はまだ、あちらこちらがズキズキと痛むのが事実であった。
「……」
そのタケシの未完治を、黙って庭隅で見つめる春婆怒は、どうやら気づいているようだ。
もちろん陽子も気づいていた。しかしそれは空手家の娘らしい目線で、タケシが稽古に励む一つ一つの技の切れからであった。
「フゥ!」
そんな体でもタケシには、稽古を休んでいる暇などなかった。
一日でも稽古を休めば、それを取り返すのに三日はかかる。
武道とは、そういうものだと祖父から叩き込まれているタケシは、多少の無理は承知で体を動かしていた。
事実、普段から猛練習を行っているスポーツマンが、三日も練習を怠ければ、次の練習後には、体のあちらこちらが筋肉痛になるほど体の筋肉が衰える。
どんな強靭な肉体を持つスポーツマンも武術家も、普段からの積み重ねが一瞬でも停止すると言う事は、その時点から普通人の様な肉体へと戻り始めるということである。
しかも戻るスピードは、積み重ねるスピードに比べて、崩れ落ちる積み木の様に早い。
「でぇ、陽子、朝からどうした?」
「ちょっとタケちゃんが心配で見に来たの、タケちゃんはすぐ無理するからさ」
陽子は、そう言って心配そうな表情で、タケシを見る。
「それに、この槍女と一緒なのも凄く凄く〜〜、心配だし!」
壁際でしゃがみ込んでいる春婆怒の元へ歩み寄った陽子が、両手を腰に当てながら顔を突き出し、春婆怒を睨みつける。
「んん?、小娘や何をそんなに心配をするのじゃ?」
「だ、だって、二人は一緒の部屋で暮らすんでしょ。タケちゃんが変な気をおこしたらどうするのよ!」
「陽子、俺が鉄の槍一本に欲情するほどマニアックな趣味を持ってる人間に見えるか?」
「えぇ、でも〜」
タケシにとって春婆怒は、金髪の白人美女ではなく、ただの鉄槍にしか思えないらしい。
それは春婆怒村での一戦で、妖力共有をした事も影響しているのかもしれない。
タケシにとって春婆怒は、『人』と認知できないようだ。
これは妖怪であり、鋼の槍であり、そして道具なのだと認識してしまう。
しかし陽子にとって、目の前の春婆怒は、金髪で美しく、自分よりも大人っぽい美女なのだ。どうしても恋敵にしか見えないでいた。
「二人とも、おはよう」
そんな会話をしている中、アパートの二階から白いワイシャツに皺のよった灰色のジャケットを羽織った男性が、眠たそうな目を擦りながら降りてくる。
歳の頃は二十台半ば、寝癖の付いた髪をそのままに、ネクタイも締めず首に引っ掛けた男性は、タケシと陽子に気づくと挨拶してきた。
「あ、眞鍋さん、おはようございます」
「おはよっす」
タケシと陽子が男に挨拶を返す。
眞鍋と呼ばれた男性は、すぐさま見慣れない美人がいるのに気づくと足を止めた。
「おぉ、タケシ君、陽子ちゃん、そちらの方はどちら様で?」
眞鍋は、人の姿を取る春婆怒を見て、その美しさに一発で目が覚めたようだ。
少し緊張した感じで紹介を求める。本来これが、普通の男性の反応だろう。妖術で変化した姿とはいえ、今の春婆怒は、絶世の金髪美女なのだから。
「これ槍女、以上!」
「いゃ、陽子ちゃん、意味分からないよ、その紹介の仕方……」
何やら怒った感じの陽子の説明に、眞鍋は困った表情で答える。
「ほほぅ、お主も長屋の住人じゃな。わらわは『春子・ハルバード』じゃ。タケシの元で厄介になる事になった。今後とも同じ長屋の住人同士よろしくたのむぞよ」
「あ、はい、こちらこそ……」
春婆怒の変な日本語に、眞鍋は多少困った表情をしたが、日本語がそれでも通じることが分かると安心した様子を見せた。
「私は眞鍋哲郎、206号室の住人です」
今度は真鍋が自分の自己紹介を軽くすると、寝癖の付いた頭を掻きながら軽く一礼をした。
「ところで眞鍋さん、朝から早いですね」
「ああ、ちょっと事件があってね」
「事件?」
「詳しい事はまだ分かんないけど、事件の現場が近くだから、今から直接向うところなんだよ」
「刑事ってのも大変ですね」
「まあ、そんな訳で急ぐから。春子さんもまた宜しく、じゃあ」
眞鍋は、そう言うと三人の元を駆け足で離れて、アパートの小さな駐輪場に有る自分の自転車にまたがった。
そして、自転車から錆び付いた音を立ててアパートを離れていった。
「タケシや、ケ・イ・ジ・とは何んじゃ?」
「んー、警察って知ってるか?」
「昔なら十手持ちとかかな?」
「ほほ〜ぅ」
「そうそう、それのパワーアップした人だ」
「なるほどのぅ」
「本当に今ので、分かったのかしら……」
アパートを自転車で出てから二十分ぐらい走ると、事件の起きた公園が見えてくる。
眞鍋は乗ってきた自転車を、その公園の入り口の角に止めると、もたつきながらチェンロックを掛けた。
そしてネクタイをきっちり締め直しながら、公園入り口を閉鎖している制服警官に警察手帳を見せ、黄色いテープを何本かくぐりながら公園内へと入って行った。
公園の中は、既に大勢の警察関係者で溢れており、物々しい空気が眞鍋の想像していたよりも事件が大事であることを知らせていた。
「お〜ぅ、眞鍋〜ぇ、こっちぃだ、はようこい」
大勢の警官の中から自分のことを呼ぶ声に眞鍋は気が付くと、その声の主をキョロキョロしながら探した。
「おはよう御座います、鍋さん」
そして眞鍋は、自分を呼ぶ太り気味の中年刑事を見付けると、その元へと急いで走りよった。
「電話で殺しって聴きましたが、どんな感じなんですか?」
「バカ野郎、何にしてやがった。新米だったら誰よりも先に現場に来て、先輩刑事に現場の状況を説明するのが普通だろ」
茶色のスーツに茶色のトレンチコートを羽織り、頭にはグレーのハンチングキャップを被った背の低い小太りの中年刑事。 いかにも張り込みでアンパンを食べ、取調べでカツ丼を使った泣き落としを得意としそうな刑事は、そう言ってヒヨッ子のケツを手の平でパチンと叩く。
「す、すみません鍋さん……」
尻を叩かれた眞鍋は、苦笑いをしながら頭を掻いた。
二人の刑事は、鑑識が指紋や写真を忙しなく取る背もたれの有る木製のベンチの横を過ぎ、水溜りの様な血痕の残る遊歩道の前に立った。
「おい、一体何があったんだ?」
トレンチコートの刑事は、既に現場へ到着していた仲間の刑事に尋ねた。
「あややゃゃ、鍋鍋コンビ〜、おそいよぉ〜」
「すみません、自転車で来たもので」
「タクシーがなかなか捕まらなくてな」
トレンチコートの刑事と眞鍋は、数ヶ月前からコンビを組まされている。新米刑事とベテラン刑事のコンビは当然の組み合わせ。
こうやってコンビを組むことによって先輩であるベテラン刑事から若手の刑事は、色々なノウハウを、警察でありながら盗んでいくのだ。
そしてトレンチコートの刑事の本名は『鍋中 改造』という。
多くの人からは『鍋さん』の愛称で呼ばれながら慕われる勤続三十四年目のベテランの中のベテラン刑事だった。
最近では眞鍋と鍋中で、鍋鍋コンビと呼ばれて更に存在感を強めていた。
「でぇ、被害者は?」
「あややゃゃ、あれだょ……」
鍋中に問われた刑事が、林の中からちょうどタンカーに乗せられて運び出される途中だった死体袋を指差す。
「どれどれ、被害者さんの顔でも拝ませてもらおうか」
そう言って、死体袋の方へ歩き出そうとした鍋中の肩を、同僚の刑事が掴んで止める。
「あややゃゃ、鍋さん、見るだけ無駄だぁ」
引き止められた鍋中は、被害者の顔が殴られてグシャグシャなのかと想像した。
元の顔が分からないぐらい変形した被害者というのも、鍋中ぐらいの捜査課のキャリアがあれば珍しいことではない。
それに水死体などの昔で言う『どざえもん』と呼ばれる遺体はかなり酷いものだ。
どざえもんの顔は水分をたっぷり吸収してふやけ白く爛れ、体は腐敗が進むと体内にガスが発生してパンパンに膨れ始める。
テレビのサスペンス劇場で見るような役者が演技したものや、マネキンを浮かべた物に比べたら、そんなにスマートな物ではない。
このトレンチコートのベテラン刑事である鍋中は、そのようなどざえもんにも見劣らない惨い遺体を数多く見てきている。
同僚の刑事が被害者の状況を説明する。
「あややゃゃ、見るだけ無駄だ。全身の皮も肉も、ぜぇ〜〜〜んぶ、剥がされてやがる。男かぁ女かぁも分かりゃしねぇ〜。惨いにも程があるわぁ」
「ええぇ!」
同僚の刑事の説明に声を出して驚いたのは、新米刑事の眞鍋の方であった。
「全身とは、どう言うこったい?」
同僚の刑事に、鍋中は怖い顔で訪ね返す。
「あややゃゃ、鑑識の話だと、おそらく被害者は木に逆さ釣りにされて、首や手首の頚動脈を切られた後、『血抜き』をされて、全身の皮も肉もそぎ落とされたらしい」
「ちょっ、血抜きって……」
「あややゃゃ、血抜きだよ、魚や動物の肉の生臭さを抜くために調理人がやる、あれだよ。吊るされていた木の下の土には、大量の血液が染み込んでいたらしい」
「てぇ、そがれた肉ってのは?」
「あややゃゃ、そがれた部分は皮だけ放置されて、残りの肉の一分のみが綺麗な大皿に盛り付けられ、後ろのベンチに置いてあったらしい」
同僚の刑事が、鑑識達の群がるベンチを指差す。すると鍋鍋コンビは、其のベンチを振り返り様子を眺めた。
「一部って……、残りの遺体の肉は?」
「あややゃゃ、まだ発見されちゃいないよ」
「犯人が、持ち帰ったのか?」
「持ち帰ったって……」
眞鍋の顔から血の気が引いていく。
「でぇ、何所のどいつが見つけたんだ?」
「あややゃゃ、第一発見者は近所のサラリーマンでな。本人が通報して来たんだが……。被害者の遺体を見ちまって、まあショックが強かったんだろ、話はろくに訊ける状態じゃないわ」
眞鍋は、心の底から死体袋の中を見なくて良かったと思うと同時に、無理も無いと第一発見者に同情した。
刑事の眞鍋さえ見るのを拒む遺体の状況を、素人が見てしまえば冷静さを失っても仕方ないであろう。
「おい、そこの、被害者の顔を拝む、ちょっとまて」
「ええ!」
そう言って鍋中は、死体を運んでいた鑑識班を呼び止めると、のしのしとトレンチコートを揺らしながら死体袋に近づいていく。
今までの報告を聴いても尚も見る気になれると、眞鍋は本気で引いてしまう。
そう思っている眞鍋を余所に、鍋中は死体袋のファスナーを、音を立てて開けていった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。