第30話 割れ目
ザリエルロは嘲笑うような勝ち誇った顔をしていたが、相手がびくともしないということがわかってうろたえた。
ジワジワと不安がつのり、これはかなわない相手かも知れないということが肌で感じられて、しばらくの間、次に打つ手を考えていたが、意を決したように突然
「その弓を貸せ」
そばにいる兵士に声を掛け、持っている弓を受け取って、キッと摩利支天をにらみつけると、矢をつがえてキリキリと引き絞った。
目も眩む強い光線が容赦なく瞳を襲って来る。
目を細めて、このあたりかというところで弓を放った。
矢は風切り音を残して一直線に飛び去ると、あっという間に摩利支天に当たった。
と思った瞬間、跳ね返った矢がザリエルロめがけて唸りを上げながら飛んで来た。
顔を歪めながら笑おうと思っていた矢先、ザリエルロの顔がヒョットコのようになって、皮一枚でかろうじて体を捻って矢をかわした。
矢は気の毒にもザリエルロの後にいた兵士の胸を貫通して、兵士は一言
「うっ」
っとうめいて、どうっとその場に倒れてしまった。
これはいったいどうしたことか、信じられない。
同じところへブーメランのように帰って来るのか。
ザリエルロはいよいよ、かなわないのではないかという想いを強めてしまった。
弓を射ればまた跳ね返って来ると思うと弓は使えない。
あれこれ考えた末、体力と精神力を使うが、あれしかないなと思いなおして、九字を切りぶつぶつと何かを唱えて意識を集中しだした。
摩利支天は何事もないかのように半眼のままザリエルロの意識の動きを見ているようだった。
ザリエルロは必死の形相で何かをやっている。
しっぽを巻いて逃げることは断じて出来ない。
なにがなんでも部下達を失望させることはあってはならないのだ。
一度信を失えば、二度と取り戻せないだろう。
ザリエルロは自信に満ちているように見えていたが、内心は部下達の目を恐れて虚勢を張っているだけのようだった。
部下達が自分に愛想づかしをして離れて行ってしまうのが恐くて、踏ん張るしかなかったのだ。
言葉を唱えながら集中しているうちに汗が滴ってくると、空間がグラリと歪んできてバリバリッと裂け目が現れたかと思った瞬間、摩利支天めがけて物凄いスピードで突進して行った。
ザリエルロにとって部下達は道具に過ぎなかったので、飴と鞭を使って力で支配していた。
強者を恐れているからついてくるのであろう。
ここでどう戦うかということがその部下達がついて来るかどうかを問われる一戦でもあったのだ。
おまけに相手は女だ。
女に負けたとなればいい笑い物だ。
ここは何がなんでもいいところを見せなければならない。
空間が猛スピードで裂けて行った。
と思ったがつぎの瞬間、摩利支天の手前でピタリと止まってしまった。
「どうしたんだ」
全員がかたずを飲んで時間が止まったように動きが固まったまま凝視している。
ザリエルロも予想外の事態にどうしていいかわからず、阿呆のように口を開いたまま立ち尽くしていた。
裂け目はギシギシと音を立てて何かの力に抵抗していたが、その音が悲鳴のように大きくなってきたかと思った途端、グォーン、グォーンと得体の知れない音とともに裂け目が逆にジリッ、ジリッと逆らいながら閉じ始めてきた。
兵士達の中から
「うわー」
っという驚きの声が上がった。
ザリエルロは全身汗まみれになって
「うぅん、うぅん」
と唸りながら力を振り絞って念を増強させていたが、摩利支天は相変わらず涼しい顔でびくともしていない。
ザリエルロは余りの力の差を見せつけられて屈辱感で自分が惨めになってきていた。
念を込めても込めても押し返される。
いよいよ限界に近いほど力を使い果たしてきて、極限でふっと念力が揺らいだ途端に力の均衡が崩れるとグァーンと割れ目がザリエルロめがけて飛び掛かって来て、パクンと貝の殻が閉まるように閉じてしまった。
「あー」
兵士達がまたもや驚愕の声を上げた。
ザリエルロは空間に体を半分食いつかれたようになったまま、頭と胸が空中に浮いていて、身動き出来ずにジタバタと腕をもがきながら、背中にはえているコウモリの羽が力無くバタついて顔は屈辱で歪んだまま摩利支天をにらみつけた。
ザリエルロは空間の割れ目に下半身を閉じ込められてしまったのだ。
穏和な慈愛に満ちていた摩利支天の目が突如キッと鋭くなって、ゴーッと音がしたかと思うほどのものすごい怒りのエネルギーがほとばしり出て、クルッと顔が入れ代わった。
「あー、摩利支天の顔がー」
ザリエルロは思わず心で叫んだ。
眼をカッと見開いて、口がせり出し、牙がニョキッと飛び出している猪のような形相に変わったのだ。
「皆の者、突撃ー、やっつけておしまい」
摩利支天が猪の大群に鋭く号令をかけると、いきり立って待ち構えていた猪達が鼻息も荒く
「ブヒブヒブヒー、ビャービャービャー」
口々に叫ぶと暗黒軍の兵士達に向かって一直線に猪突猛進、濛々と土埃を上げて弾丸のように突っ込んで行った。
兵士達は口々に虚勢を張って何か叫けんで、武器を構えながら戦闘体制に入ったが、低い位置から突進して来る猪達の気迫に押され、恐怖を感じていた。
猪達は迷いもなく、あっという間に一直線に突っ込んで来た。
瞬く間に先頭集団がなすすべもなくはじき飛ばされると、大混乱になってドミノ倒しのように兵士達が崩れ落ちて行く。
兵士達が必死で猪達を攻撃しても、ことごとく武器がはじき返えされて、兵士達の体を襲って来る。
兵士達は自分が振り下ろした武器で自分を傷つけて、バタバタと倒れてしまうのだ。
「あー、ひでーことしやがる。 本当に女神かよ。 あんなおっかない顔して、ありゃあ悪魔だぜ。」
ザリエルロは自分を棚に上げて、混乱しながらも摩利支天を見てそう思っていた。
摩利支天は半眼のまま静かに成り行きを見守っている。
ザリエルロはあくまでも逆らいの意識を捨ててはいなかった。