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第22話 宮殿
ぶら下がっている糸が


ツーッと


伸びて


無踏はゆっくり


下へ降りて行った。


雲が傷ついた者や


倒れている者の上に


おおかぶさって


吸い上げると、


次々


飛び立って行く。


騒然とした中、


大納言と中納言が無踏を見つけて


走り寄って来た。


「無踏様ご無事でしたか。


心配しておりました。」


大納言が安堵した様子で言った。


「まったく


ひでえ奴らです。


どうして


こんな


無茶苦茶なことをするんだろう。


しかし最近、


特に不法侵入が


頻発するようになって


しまいました。


何が原因なのか


困ったものです。


でも


我が軍団は


あんな者にはビクともしやしませんよ。


奴らぶったまげて


泣きながら逃げて行きましたぜ。


ざまあみやがれってんだ。」


中納言が興奮状態で


あざけるように言った。


だいぶ舞い上がっているなと思いながら、


無踏が目をやると


心なしか中納言の背丈が


少し縮んだような気がして、


おかしなこともあるものだと


不思議に思いながら


「しかし、


このように


結界が張られている場所でも


侵入されるんですか。」


無踏は半信半疑で尋ねた。


「そうです。


どの世界にも信じられないほど


力のある奴がいるもんなんです。」


中納言がしたり顔で言った。


無踏は受け答えしながらも、


ここ数日


どう考えても


現実ではありえないことが続いて、


実際のところ


意識がついて行けない状態で


混乱していた。


まさか、


ずーっと


夢が続いていて


醒めないままなのだろうか。


そうだ、


夢に違いない。


しかし、


そう思おうとしたが、


自分を


凍るような冷たい目で


凝視していた、


あのよろいのような


かたい皮膚に覆われた


得体の知れない男の視線が


はっきりと心に残っていて


気味悪く、


現実感があった。


「もう大丈夫です。


あらためてご案内いたします。


どうぞお乗り下さい。」


大納言の声で


我に帰ると


雲が足元に巻き付いて


体が浮き上がった。


そして


再び原生林の上に出た。


明るい陽の光りが


燦々(さんさん)と降り注ぎ、


この場所が


邪悪な者達に


荒らされようとしていたことが


嘘のように穏やかで


落ち着いた景色が輝いている。


雲は一直線に


一つの方向に向かって


飛んで行く。


「あいつら、


どこの奴らなんだか。


結界を破って入って来るんだから、


よほど力のある奴に違いないが、


目的はなんだろう。」


中納言は


誰に言うでもなく言って


ちょっと想いを巡らせてみた。


しかし


思い当たることも無く、


考えても無駄だと


頭を切り替えた。


「だけどまあ、


あれだけ力があっても


簡単に叩き潰すことが出来る


われわれの力は


たいしたもんだ。


どんな奴らが攻めて来たって


びくともしませんよ。」


中納言は


地獄から湧き出た大軍団の恐怖が去って


ホッ


としたのと同時に、


それを撃退した誇らしさで


感情が高ぶって


饒舌になっているのだろう。


威勢のいい自分の言葉に酔って


同じことを幾度も繰り返した。


中納言の背丈が


また一段と低くなってきた。


大納言はしょうがないなと


うんざりした顔で


黙って聞いていた。


「ご苦労さま、


大変でしたね。」


不意に溌剌はつらつとした


明るい声が聞こえて来て、


ハッ


とした。


どこから声がしたのだろうと


見回した


その途端、


にこやかに微笑んでいる


稲荷大明神の姿が


目の前に浮かび上がって来た。


大納言と中納言は


稲荷大明神を見ると


安心したのか


パッと


表情が輝いて元気になった。


「無踏殿、


ひどい目にあってしまいましたね。


恐ろしい想いをさせてしまいました。


申し訳ありません。


大丈夫でしたか。」


大明神は済まなそうに言った後、


二匹の狐に顔を向けて


「大納言、


中納言、


本当によく頑張りましたね。


感心しました。


あの者達は大変な強敵で、


今までに


幾度となく結界を破られて


大打撃を受けてきたのです。


でも


今回は見事でした。


今までで


一番よかったかも知れないわよ。」


大明神は目を細めて


ほめ讃えた。


中納言はどんなもんだ、


と鼻を膨らませて


得意げに胸を反らせた。


「あんな奴ら、


たいしたことはありません。


俺達が出て行けば


ひとひねりです。


ちょろいもんですよ。


そんじょそこらの狐とは


訳が違うんだから。


我々は特別なんだ。」


ヘラヘラと


浮わついた感じで


自惚れて言った。


その途端、


中納言の体が


フッと


消えた。


あっ、


と見ると


中納言の体がストーンと沈んで、


両目を見開いて


キョロキョロ


目玉を動かしている頭だけが


雲の上に出ていた。


「ほらほら、


有頂天になると体が重くなって


雲の底が抜けるって


言ってるでしょう。」


大明神が笑いながら


呆れたように言って、


えりを掴んで引き上げた。


中納言は手と足を縮こませて


情けない顔で


大明神の手にぶら下がった。


大明神が手を離すと


バツが悪そうに


ショボンと


塩らしく肩をすぼめて


静かになった。


中納言の背丈が


縮んだように見えたのは


雲の底が抜けかかって


少しずつ


めり込んでいたのだろう。


有頂天にならないようにと


無理に抑えても


心の動きは止められず、


意に反して


有頂天になってしまうものなのだ。


「もう大丈夫です。


あの場所は


二度と侵入出来ないように


バリアーを張っておきましたよ。」


大明神はニコニコと


楽しそうに笑いながら


涼しい顔で言った。


まったく困っている様子は感じられない。


まるで


侵入されたことを


楽しんでいるようだ。


無踏は意外な想いで


大明神の顔を見つめた。


「あの場所にはね。


大昔から、


あるところに繋がっている


通路があったのよ。」


大明神は


母親が子供達に話しかけるように


砕けた口調で言った。


えっ、


通路があったのか。


無踏はその話し振りに


以前から知っているような


懐かしさを覚えながら思った。


「あるところって、


どこに繋がっているんですか。」


沈んでいた中納言が


好奇心をみなぎらせ、


興味津々の目を


大明神に向けてたずねた。


「それはね、


とっても恐ろしい所なの。


どういう所か知りたければ、


今度連れて行ってあげるわよ。」


大明神は


悪戯っぽい目をして言った。


「えっ」


二匹の狐は息を呑んで


目を丸くしたまま


黙ってしまった。


そして


それ以上は誰も


その話に触れようとはしなかった。


大明神は可笑しくて堪らない様子で


無踏に顔を向けながら


「この雲は


意識がある程度の


レベルになっていないと


乗ることが出来ないんです。」


と言った。


無踏はそれを聞くと


急に不安になった。


それまでは


何の疑いも持たずに


乗っていたのだが。


自分ははたして


本当に大丈夫なのか。


そのレベルに達している


というのは間違いないのか。


自分自身を疑う想いに


気持ちが揺らいだ。


突然


自分が中納言のように


有頂天になって


止められなくなったら、


完全に雲の底が抜けるだろう。


そうなれば


下へまっ逆さまだ。


どうしよう。


不安で無踏の意識が混乱した。


すると


それを見ていた大明神は


「あなたは大丈夫ですよ。


心配ありません。」


にこやかに微笑んだ目で言った。


それを聞いて


無踏は少しホッとした。


雲が高速で飛んでいるために、


いつの間にか


相当の距離を移動したのだろう。


遥か前方に


高い城壁のようなものが見えてきた


と思う間に


雲はどんどん近づいて行く。


そして


門が瞬く間に巨大になって、


その前に到着した。


すると


大扉が両方に


ゆっくり開いて


「お帰りなさいませ」、


どこからともなく


声が聞こえてくる。


「ご苦労様」


大明神が優しい声で言うと、


門が一層光り輝いて


嬉しそうに揺れた。


一行が通り抜けると


門がスーッと閉まった。


門にも意識があって


大明神の波動を認識して


動いているらしい。


中に入ると


広い大通りが


まっすぐに通って


先のほうに宮殿が見えている。


道は碁盤の目のように規則正しく


縦横に通って、


その両側に家が建ち並んで、


荷物を担いだ狐や


荷車を引いている狐が溢れて


往来は賑やかだ。


雲は街の上空を通り抜けると、


そのまま


宮殿の入口に着いた。


門は閉ざされているが


雲は構わず進んで行く。


あっ、


ぶつかる。


と思ったとき


扉がスッと消えた。


そのまま雲が通り抜けて行く。


後ろを振り向くと


扉は再び閉ざされていた。


「お帰りなさいませー」


広間にいた全員から


一斉に声が上がった。


「ご苦労様」


大明神が一同を見回して


にこやかに声をかけた。


雲は大広間に入ると


蒸発するように消えた。


すると


無踏がそこにただ立っているだけで


宮殿の中の景色が変わっていく。


何もしないのに


勝手に


動いて進んで行く方向が


こちらに向かって来るのだ。


空間が


自由自在に移動し変形する。


不思議な音楽が聞こえている。


美しい着物を着た人や


狐が会釈をしてすれちがう。


「ここでは狐も着物を着ているのか。」


と無踏は思って


二匹の狐を見ると


いつの間にか


朱や青の生地に


金や銀の糸を縫い込んで


大きな丸い(がら)


模様が入った服を着て、


腰には直刀をさした


威厳のある


立派な姿になっていた。


そのまま景色が変わって


ホールのようなところへ入って行った。


そこには舞台のようなものがあって、


その前には


テーブルと椅子がならべてある。


無踏は


中央の一番前のテーブルへ


座るように促された。


すると、


空いていたテーブルに


人や狐が 次々に現れて、


それぞれが


きらびやかな服を着て座っている。


大納言は


皆が揃ったところを見計らって、


口を開いた。


「皆様、


無踏様歓迎会に


ようこそお越しいただきました。


ありがとうございます。


本日は


稲荷大明神様も


お出まし下さいます。」


大納言狐は


ひと呼吸おいて、


大明神の気配を


伺っていたのであろうか、


颯爽(さっそう)と声の調子を上げて


「それでは皆様、


大明神様の


御なりでございまーす」


「うぉー」


会場が騒然として


拍手が鳴り響いて


大明神が舞台に現れた。


大明神は


にこやかに客席を見回してから


「本日は


無踏一郎氏への感謝と


お祝いの(うたげ)


(もよお)したいと思います。


お祝いとは


無踏氏が


観音力の能力に目覚め始めた


ということについてです。


まだ完全ではありませんが、


私たちも協力させていただきましょう。


それでは


存分に楽しんでください。」


大明神は非常に気さくで


終始にこやかで


みんなに気を使っている。


笛の音が鳴り響いて、


舞台では


着飾った狐の楽団が演奏を始めた。


笛、琵琶、ひちりき、


太鼓、(つづみ)が織りなす


霊界の響きは


いままでに聞いたことがないほど、


音色に深みがあって


素晴らしく、


異次元空間の広がりが


意識の中に


現れてくるようだった。


会場は和やかな雰囲気に包まれて


会話も弾んでいた。


無踏のところに


狐の給仕達が次々に


料理の皿を運んで来る。


皿の上の料理は


光りを放っていて、


口に入れると


スーッと


溶けて


口の中いっぱいに


味が広がると、


気が遠くなるほど


脳神経が痺れて


幸せな気持と安心感に


満たされる。


いくら食べても


一口づつ味が


微妙に変わっていて


飽きることがなかった。


これは料理の光りの波動が


舌の神経に作用して


脳神経から


魂に伝達されて


魂で味わっているのだろうと


無踏は思った。


これは


肉体の舌だけで


感じる味ではない気がした。


そのうち、


食べている途中に席を立って


無踏のところへ


挨拶にやって来る人や


狐が増えて来て、


無踏はその対応に追われて


料理を味わうことが


出来なくなってきた。


挨拶にくる者は口々に


測候所のことや


渋谷でのことを話題にだして、


そのことに付いて


見ていたようによく知っていた。


怪訝(けげん)に思って


そのうちのひとりに尋ねてみると


「私たちは


あなた様と


いつも一緒にいるのです。


これからも


あなた様をお助けするように


神仏から申し受けております。」


「私といままで


ずっと一緒にいたなんて」


無踏にとって初耳で信じられず


しばらく考えに浸っていた。


すると突然、


稲荷大明神が


無踏のテーブルに現れて


静かに座った。


そして


じっと


無踏の顔を見ながら話し始めた。


「たとえば、


稲が実るために


大地が無ければならないように、


すべてのものが実るためには


大地によって


育まれなければなりません。


人には人間世界という大地があり、


霊界という大地があり、


地球という大地があります。


その地球には


宇宙という大地があり、


ひとはそれぞれの大地から


養分を吸い上げて、


人生という花を咲かせます。


そして同時に


他の人の大地になっている。


それを知ることによって


観音力の大地の力を使うことが


出来るようになるのです。


あなたはまだ


完全に


その力を使いこなせてはいませんが、


気付くことで


力は増して行くでしょう。」


私はハッとした。


そういわれてみればそうだ。


人間も植物と同じだったんだ。


人間世界という大地から


食物、お金、


教育、文化というように


様々な養分をもらって生きている。


人間ひとりひとりが大地であり、


その大地から養分をもらっている。


一人では生きることが出来ない、


全体があって


生きているのだと思った。


無踏もその言葉で


何かに気付いたようだった。


稲荷大明神は微笑んで


無踏の意識の動きを


見ていたようだったが


「そろそろ


お別れの時間が来たようね。


健闘を祈りますよ。」


と言うと


大明神の姿が徐々に薄れて、


かすかな残像とともに


消えていった。


すると


瞬く間に


すべてが消滅して、


無踏の体は空間を飛んでいた。


「あなた、


ご飯よ。


早く下りて来て。」


遠くのほうで


妻の声がしている。


すると


下に自分の体があって、


そこへ


入ろうとしている


別の自分がいた。


知らないうちに


幽体離脱ゆうたいりだつしていたのだろうか。


渋谷まで行ったのは


肉体ではなかったのか。


無踏は


まだ自分自身を


コントロールするということが


よくわかっていなかったのだ。


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