第四十七話 クラウス再び。
「結局、引き受けたのね」
「あの野郎、人が断れないような言い方をしやがって……」
「冒険者としての仕事からは少し外れるけど、人のためになって利益も出る。条件付けが上手いんだね」
「あいつの場合、そのおどろおどろしい裏が無ければな」
「無理なんじゃないの? そういう人みたいだし」
魔の森での浄化で得た成果に対する分配交渉の席で、俺達はクルトと決定的に揉めてしまう。
別に、俺が喧嘩を売ったわけではない。
向こうが、俺を決定的に嫌っているのを隠さなかっただけだ。
随分と無礼な口も利いてきたが、ブランタークさんに言わせると処罰できる案件でもないそうだ。
『坊主は、冒険者としてここに来ているからな』
ただ、貴族としては常識の無い。
空気の読めない男という評価は、受ける事になるであろうと。
碌に領地から出ないクルトからすれば、そんな評価は気にもならないのであろうが。
と言うか、襲爵の際にはどうするのであろうか?
少なくとも、俺は絶対に世話などするつもりもない。
そのせせこましく貯めた金で、どこかに泊れば良いのだと思ってしまう。
そのために、懸命に金を貯めていたのであろうし。
結局、父やクラウスが居たので交渉は無事に纏まってはいた。
もう用事は無いと本屋敷を出ようとすると、そこでクラウスが一泊していって欲しいと頼んでくる。
交渉は無事に纏まったのに、ここで俺達がすぐに領地を出てしまうのは問題なのだと。
とはいえ、この宿屋すらない僻地で泊るとなると、候補は非常に狭められてしまう。
一番の本命である本屋敷だが、俺も含めて全員が嫌であろう。
何しろ本屋敷には、その大いに揉めた戦犯であるクルトが居るのだから。
あの温厚なエリーゼですら、クルトを嫌がっているのだから当然であろう。
だが、ここで素直に引き下がるようなクラウスでもない。
彼は、分家であるヘルマン兄さんの家に泊れば良いと意見する。
本人の意思とは別に、バウマイスター騎士爵家継承で騒動の元になっている俺を、同じくヘルマン兄さんが婿入りしているものの、魔の森遠征の件で反本家で纏まっている分家に泊らせてしまう。
クルトの心を掻き乱し、父もまさか嫌とは言えず。
やはり、クラウスは厄介な性分をしている。
あのルックナー弟などよりもだ。
そんな経緯で分家の屋敷へと向かったのだが、ヘルマン兄さんの奥さんにして、分家の事実上のトップでもあるマルレーネ義姉さんは、こちらの斜め上を行っていた。
誰に隠す事も無く、クルトや本家の批判をしていたからだ。
特に、クルトの遺品などいらない発言で、余計に彼への批判を強めていた。
彼女からすれば、祖父や父や叔父達の遺品などいらないと言ったクルトは、貴族以前に人間として論ずるに値しないのであろう。
彼らの遺品に、資産価値などほとんど無い。
金に拘るクルトからすれば、回収の手間の方が高いからいらないわけだ。
多分、俺達が過大な手間賃でも請求すると思っていたのであろうが。
そんな発言が分家の人間に漏れれば、非難されて当然とも言えた。
正直、次第にクルトを次期当主にして大丈夫なのかと思ってしまうのだ。
だが、そこに俺が口を出す権利などない。
俺は本来、アマーリエ義姉さんやその子供達に渡す予定だったお土産を分家の子供達に渡したり、せがまれて竜退治の話などをして時間を過ごす。
クルトの事など考えるよりも、よほど精神衛生上良かったからだ。
ところが、そこにまた厄介な男が現れる。
先の交渉の席で、ボロを出すどころか憎いほどにフォローが適切だったクラウスが姿を見せたのだ。
しかし、反本家の立場を表明する分家に何食わぬ顔で現れ、俺に面会を要求するとは。
やはり、こいつは相当なタヌキのようだ。
『それで、用件とは?』
『それは、ですね……』
クラウスは、お茶の提供すら断っていきなり仕事の話に入る。
『バザーを開いて欲しいんですよ』
クラウスは、俺達に領内で商品を売って欲しいと頼んで来たのだ。
『商品は、何でも構いません。服でも、小物でも、調味料でも。領民達は、とにかく娯楽に飢えていますから』
主食の小麦は、広げた農地から自給可能であり。
野菜も同じく畑から自給可能で、肉は狩りで、魚は川や用水路や沼から淡水魚は取れる。
泥臭くて、大して美味しくは無いのだが。
他にも山菜に、自生している果物に、分家のようにハチミツ採りも出来るので、領民達は基本的に飢える事は無い。
ただ、塩は決定的に不足しているわけで、それだけは何が何でも購入する必要があっただけだ。
生憎と、昔の俺の調査でも岩塩などは見付からなかった。
この辺が、昔は海であったという事実はないのであろう。
『考えても見てください。あの規模の商隊で、八百人近くの物資なんですよ』
それも、年に三回しか来ないのだ。
山道の往復を考えると、四回は不可能という現実もあるのだが。
しかも、彼らが運べる品物には限りがある。
とにかく塩が優先され、他の物は極少量のみ。
だが、それで商隊の人達に文句を言うのは酷であろう。
相場は、王都やブライヒブルクよりも少し高いくらいだが、それでも彼らは完全に赤字のはず。
間違いなく、彼らの利益はブライヒレーダー辺境伯からの補助金のみのはずだからだ。
『正直、良くブライヒレーダー辺境伯様から切られないものだと』
『遠征の件があるからだろう』
どうせ相手はクラウスだし、この件は公然の秘密で領内で知らない者などいない。
なので俺は、堂々と商隊が来る裏の理由を口にしていた。
『ですが、コストを考えますと……。ブライヒレーダー辺境伯様の負担は大きいのです……』
ブライヒレーダー辺境伯家の財政規模を考えると大した負担でもないが、『あと何年続けるのか?』という疑問も残る。
バウマイスター領の人口が完全に回復し、計算しているであろう損害額の補填を、ブライヒレーダー辺境伯側が終えたと思ったその時。
もしくは、代が替われば中止になってしまう可能性だってあるのだ。
中止にしなくても、せめて利益は取れるような体制に変化させる事もあり得る。
もしそうなれば、当然塩の値段は相当に上がるはずだ。
彼らとて、別に慈善事業でやっているわけではないのだから。
『この場合、ブライヒレーダー辺境伯様の方が立場が上だとか。うちに借りがあるとか。大物貴族だから傲慢であるとかは、関係無いのです』
クラウスの言葉の先には、間違いなくクルトの存在がある。
ブライヒレーダー辺境伯に対し、エーリッヒ兄さんの件で最初に悪印象を持ち。
更に、祝儀の件などで喧嘩を売って仲が悪くなっている。
一度も顔を合わせた事が無いので、仲が良いとか悪いとかそれ以前の問題でもあるのだが。
そしてその状態は、クラウスを筆頭に領民達を不安にさせる。
クルトが次期当主になり、それに合わせて商隊が持って来る物の値段が上がったら?
もしくは最悪のケースとして、商隊派遣が中止になる可能性だってあるのだ。
『塩が無ければ、この領は詰みますので』
『昔は、どうしていたんだ?』
バウマイスター家の誰かや名主の一族の者をリーダーに、数名でブライヒブルクにまで買い出しに行っていたそうだ。
領内で集めた毛皮や薬草などを売り、そのお金で塩を買って戻りと、かなりハードな方法であったようだが。
『この方法ですと、今の半分の人口でないと成立しません』
人口が増えれば荷駄の量を増やさないといけないし、それをすれば今度は農作業などの人手が足りなくなってしまう。
困っていた所に、寄り親として先代のブライヒレーダー辺境伯が年に二回商隊を派遣してくれるようになり。
遠征後に、罪滅ぼしも含めて三回に増えたというのが真相なようだ。
『そんな先の不安もあり、領民達は塩の備蓄が欲しいところでして……』
ただ、商隊を年に三回に増やしても、領民達の塩の備蓄が増えたわけではないそうだ。
毎日使用する物なので、例えばいち家庭が四ヶ月に使用する塩の量を考えると。
四ヶ月分なのは年に三回商隊が来るからだが、自然と商隊はギリギリの量しか供給できない。
遠征前までは、次第に人口が増えていたからだ。
そして現在も、徐々に遠征前の水準にまで戻りつつある。
なので塩に限っては、一家の人数に比例した決められた量しか販売してくれないそうだ。
もっと売ってくれと無理を言っても、それは他家の購入枠を犯す結果となるし、どうせ在庫も無いので不可能でもある。
他にも、せっかくの商隊が塩しか持って来ないのも、それは領民達に不満を与えてしまう。
少しだけでも、外の世界を感じさせる産物を混ぜる必要があったのだ。
当然、その分は塩の搭載量が減る事になる。
『荷駄を増やすと、同時に人手も増やさないといけないのでブライヒレーダー辺境伯様の負担が増えます。なので、量は頭打ちでしょう』
往復三ヶ月間、山道ばかりの道をひたすら荷駄を引きながら移動するのだ。
飛竜の生息地ながら、いつも使用している山道には滅多に姿を見せないそうだが、他の熊や狼などは現れるので警戒は常に必要と。
募集をかけても、人手が集まる保障も無い。
支払う賃金なども考えると、商隊の規模拡大は不可能というのが結論であった。
『ヴェンデリン様がブライヒブルクに拠点を置くのであれば、月に一度でも構いません。領民達に物を売って欲しいのです』
『無理を言うな……』
物理的に不可能だと言っているわけではない。
魔法の袋に仕舞って瞬間移動で飛べば良いのだから、むしろ簡単な方の依頼に入る。
ただ、冒険者がする仕事とは微妙に違うし。
そんな事をすれば、クルトがますます意固地になるだけであろう。
『クルト様に関しては、私が抑えますから。領民達が自由に買い物が出来るようになって不安が収まれば、それはクルト様の利益にもなるのです。アルトゥル様からの許可も、私が取りました』
『もう取ったのか?(というか、クルト。あんたは、父の傍に居たんだろうに……)』
この目の前の老人が老獪過ぎて、俺に余計にこの領地の未来が心配になってしまう。
そしてこの老人は、もう間違いなくクルトを切っているのだから。
『無料で配れとか、安く売れと言っているわけではないのです。むしろ、それは止めてください。ブライヒブルクの相場に、ヴェンデリン様の利益を加えた額で構いません』
正直なところ、ブライヒブルクと同じ値段でも十分に利益が出るのだ。
他の商人達なら、瞬間移動が使えなければ往復三ヶ月分の移動費がかかるのに、俺は一瞬で移動可能だからだ。
荷を載せる荷台も、魔法の袋のせいで不要である。
仕入れも、商業ギルドに登録して会費を払えば、かなり安くなるはず。
もしブライヒレーダー辺境伯が知れば、商隊の経費を削減できるので、揉み手で援助を始めるであろう。
クラウスは、相変わらず人の欲を見抜くのが上手い男だ。
『俺が仕入れ担当で、領内に店を作れとか言うのかと思ったがな』
もしその条件の一つとして、店番担当に俺の異母兄姉でも勧めてきたら、俺は余裕でクラウスを糾弾可能なのに。
それを絶対にしないのが、この男の怖い部分であった。
クラウス自身は、俺が自分を怪しんでいる事など当に承知で、特に気にもしていない態度なのだから。
『さすがに常設の店となりますと、アルトゥル様への申請や手続きで面倒な事になりますからな』
『一番の問題は、クルトの不満が大き過ぎるからだろう? 定期とはいえ、商隊なら領民達への利益も考えてクラウスが説得すると』
『はい、その通りでございます。とりあえずは、一回だけ試しに実行していただければと』
『うーーーん、エリーゼはどう考える?』
領民のためという理由が一番なので、断り難い案件ではある。
別に、クルトにこれ以上嫌われても今更なのだが、僻地で苦労している領民達を考えると、無下に断るのもと思えてしまう。
俺の中身が、世界でも稀に見るお人好し民族である日本人であった影響であろうか?
そこで、正妻になるエリーゼに聞いてみる事にしたのだ。
こう見えて、彼女はあのホーエンハイム枢機卿の孫娘なので、時に素晴らしい意見を出す事があるからだ。
『今回に限っては、まず試しに引き受けても宜しいかと思います』
簡単に言えば、領民達に罪は無いという意見のようだ。
こういう部分が、彼女の聖女たる所以なのかもしれない。
あと、基本的に良い事なので、俺の評判が落ちる心配もないという意見もエリーゼは添えていた。
『私も、やってみれば良いと思うわ』
『善行で利益も得られる。良い事だと思うよ』
イーナとルイーゼも、エリーゼと同意見のようだ。
『エルは?』
『ちょっと……』
エルは俺を部屋の端に呼ぶと、小声でそっと耳打ちしてくる。
『(安全のために引き受けろ)』
エルに言わせると、もうクルトは何をしてもおかしくない状態にしか見えないそうだ。
ブライヒレーダー辺境伯の代理人でもあるブランタークさんにも、ホーエンハイム枢機卿の孫娘であるエリーゼにも喧嘩を売っているのだから、俺もそれは感じていたのだが。
『(いくらヴェルが強力な魔法使いでも、暗殺の手段なんていくらでもある)』
口に入れる物に毒を入れたり、弓に致死性の毒を塗って狙撃でもされたら、僅かな矢傷でも俺は即死してしまう。
そして、それを行える能力がクルトにはあるのだと。
『(あの男、一見全領民に見放されているイメージを感じるけど、俺達にそんな事はわからない。どんなバカにでも、熱狂的な信者は存在するからな。お前の親父もまだ見捨てていないから、おかしな命令でも引き受ける部下がいるかもしれないし)』
前に少しだけエーリッヒ兄さんから聞いた事があるのだが、初期移民者の子孫である本村落の住民達であろうか?
彼らはかなり保守的な連中で、クルトの支持基盤になっているらしい。
俺の事も、長子継承の秩序を乱す反乱者くらいに考えている可能性があった。
『(だから、物を売って領民達に恩を売れ)』
もしクルトが何かを企んでも、それを邪魔してくれる可能性がある。
そういう領民達の目があると、クルト達の行動も制限されるという利点もあった。
『(あくまでも可能性だけど、その可能性は低くはない)』
エルは、あくまでも俺の警護担当者の立場として意見を述べていた。
『(どのみち、依頼を終えるまではこの領に関わらないと駄目だからな)』
今日は泊るし、魔の森での依頼が終われば遺品の選別のために数日は滞在しないといけないはず。
最後に、上納金を持参するのも俺達の仕事になるはずだ。
『(わかった。引き受けるよ)』
こうして俺達は、夕食までの短い時間ながらも、クラウスの依頼でバザーを開く事になるのであった。
「あなた」
「手伝えって事ですね。わかります」
「(ヘルマン兄さん、見事に尻に敷かれているな……)」
「(ヴェル。あの分家の男達は、基本みんなそうだから)」
こうして始まったバザーであったが、さすがに五人では人手が足りなかった。
戦力として当てにしていたブランタークさんは、気に入ったハチミツ酒を可能な限りマルレーネ義姉さんと交渉して購入すると、その足でどこかに出かけてしまったからだ。
そこで、ヘルマン兄さんと分家の婿さん達の出番となる。
悲しいかな、この世界における男尊女卑の枠から外れている彼らは、マルレーネ義姉さんからの命令で、本村落と残り二つの村落との間の広場でゴザを広げ、俺が魔法の袋から取り出した品物を並べ、持って来た木切れに値段を書く仕事をしていた。
子供達も、全員手伝っている。
バザーが始まれば、店番も手伝ってくれるそうだ。
こういう光景を見ていると、前世で子供の頃に、自治会の夏祭りで縁日の屋台を手伝った記憶が蘇ってくる。
今度、水飴でも作ってみようかと思ってしまうほどだ。
「事前の準備無しにしては、かなりの量だな」
「そこは、魔法の袋のせいですね」
何でも大量に仕舞えるので、とりあえず何でも大量に仕舞ってしまうからだ。
仕舞ってしまえば、とりあえずは部屋や倉庫が散らかるという状態は防げるわけで。
ヘルマン兄さんはその様子を、まるで手品師だなと感心しているようだ。
ゴザの上には、子供時代に大量に魔法で作った塩入りの壷が置かれ、これがメインなので10kg入りを百個ほど置いている。
他にも、砂糖、マヨネーズなどの調味料、胡椒などのスパイス類、ラムやエールなどの酒類など。
マヨネーズは以前は自作していたのだが、面倒なので王都の商会にレシピと製法を売り払っていたのだ。
そのおかげで、その商会から定期的に贈ってくるようになっていた。
大ヒットしたのでよほど感謝しているらしく、毎月尋常ではない量を送って来るのには、正直辟易しているのだが。
他の貴族や商人達も、エリーゼの趣味がお菓子作りや裁縫であると知ると、製菓材料と道具に、裁縫道具やら大量の生地類をこちらに贈り。
俺やルイーゼが美味しいお菓子を買って食べるのが趣味であると知ると、様々なお菓子を贈って来る。
イーナが空いている時間に本を読むのが好きで、俺も同じだと知ると様々な本を贈って寄こしと。
屋敷の倉庫がパンクしそうだったので、全部魔法の袋に入れていたのは幸いであった。
当然、それらの品々も少しずつ商品として並べていく。
「貰い物を売って良いのか?」
「もうお礼状も出して、お返しもしましたし。全部使うのは無理です」
特に、お菓子類は危険であった。
全部食べていたら、確実に痛風か糖尿病になるからだ。
最後に、俺が弓を嗜むと聞いて贈って来た大量の弓矢を並べて準備は終わる。
弓矢は狩猟用として需要が高いが、ここの領民は自作する人が多いので、王都の一流職人が作る弓矢の需要もあると思ったからだ。
他にも色々とあるが、あまりに多くて値札を付けるのが面倒なので適当に置いていた。
ある程度相場は知っているので、何とかなるはずだ。
売れる保障も無いが、別に売れなくてもバザーを開けばクラウスからの依頼は達成なのだから。
「これは、結構な品揃えで感謝いたします」
「ところで、父上との条件はちゃんと履行されるんだろうな?」
「はい。それは、確実に」
販売利益の二割を、税として収める。
これが、このバザーにおける俺達の義務であった。
つまり、利益が上がらなければ税を収める必要が無いのだ。
最初は、クルトが売上高の三割を収めろと言ってきたらしい。
やはり引き受けない方が良かったのだと、俺は少し後悔までしてしまうほどであった。
まさか、山道を往復三ヶ月かけてくる商隊から税を取るわけにもいかないので、俺達が商売をすると聞いてクルトがおかしな欲を出したのであろう。
当然、クラウスの説得で撤回させられていたが。
「どうせ、税金の計算も出来ない癖に……」
エルは先ほどチンピラ扱いされたので、クルトを決定的に嫌いになったようだ。
漢字が読めず、計算も出来ないクルトを、嫌味だけ得意な子供以下の存在だとバカにしていた。
「そこは、無事に交渉が成立したという事で。私、先ほどから全領内を回って宣伝して参りました」
だからなのであろう。
次第に領内中から、人々が家族連れで集まり始めていた。
「人数が、多くないですか?」
「緊急の仕事がある人以外は、全員がここに来るはずです。仕事が終われば、その人達も来るでしょう」
驚くイーナに、クラウスが答える。
ほぼ全員が、商隊以外から物など購入した事が無い人達なのだ。
全員、今日までに集めた金を持ち、目を輝かせながらこちらにやって来る。
「みんな、お金があるのかな?」
「無い事もないんですよ」
小麦や、薬草や、特殊な動物の素材などを売り、決められた量の塩や僅かな嗜好品のみを買える生活なので、外地の人達に比べると現金収入は少ないが、貯蓄が無いわけでもないのだ。
食べるのは、自給自足や領民同士の物々交換で済み。
あとは、たまに鍛冶屋から農機具などを買ったり、職人から基本的な生活用品を買うくらいで。
あまり、現金が必要な生活をしていなかったからだ。
「税と食べる分以外の麦を売って、何年もコツコツと貯めるのですよ」
「なるほど」
「ここは、そんな田舎なのですな」
クラウスは、ルイーゼに領民達の懐具合を説明していた。
「さて、そろそろ始めるか」
ようやく始まったバザーであったが、みんな飛び付くようにして品物を購入していく。
まず最初に、壷入りの塩を男達が纏めて複数購入し、次々と家へと運んで行く。
皆、領内で自給が出来ないので、万が一の事を考えて備蓄しようと懸命なようだ。
「そんなに、安くないんだけどなぁ」
現在塩は、ブライヒブルクでは一キロ五セントくらい。
日本円で五百円くらいで、ここ暫くは相場は変動していない。
王都は内陸部にあるので、一キロ八~十セントくらい。
前回の商隊は、領民達に一キロ八セントで販売したそうだ。
高いのか?
安いのか?
判断に悩むところであったが、輸送の手間を考えると完全に足が出る。
商隊が、ブライヒレーダー辺境伯からの支援で運営されているのも納得できるという物だ。
ちなみに、俺達は一キロ五セントで販売している。
ブライヒブルクにおける、標準的な塩の値段であった。
俺が海辺に瞬間移動で移動し、そこで魔法で精製した塩なのでコストは無料に近く。
利益率は、物凄く高かった。
本当はもっと安くしても良いのだが、それをするとクルトが五月蝿いので、他の物品の利益率を下げてなるべく安く売るように調整していたのだ。
「ヴェンデリン様、この白い物は?」
「砂糖だよ」
「砂糖って、黒いんじゃ?」
「精製してあるから」
南方の未開地で、野生のサトウキビを材料に砂糖を精製した時。
前世の癖で、真っ白になるまで精製してしまったのだ。
「お前、知らんのか? 真っ白な砂糖は、高級品なんだぞ」
「へえ、知らんかったな」
塩のおかげで、砂糖も値段を下げて売っていた。
これも、ブライヒブルクと同じで一キロ十セント。
王都だと、一キロ十五セントから二十セントくらいだ。
「おっかあと、ガキが喜びそうだな」
結構な値段なのに、砂糖も壷ごと飛ぶように売れていく。
他の調味料や、スパイスや酒なども、小量ずつ試しに購入しているようだ。
「綺麗な生地」
「素材は木綿ですけど、王都で流行の色に染めてありますから」
エリーゼ達が担当している、生活雑貨や日用品も良く売れているようだ。
安価なアクセサリーに、小物に、服の材料になる生地や、裁縫道具に調理器具など。
なぜにこんなに大量にとも思わなくもなかったが、大半が貰い物なのが恐ろしいところだ。
高価な贈り物は除いていたが、貴族でも商人でも実は安価な贈り物を大量に贈って寄越す事がある。
インパクトが強いからという面も否定しないが、実際には贈り相手が、雇っている使用人達に配ると予想して贈っているからだ。
当然、ローデリヒ達にも配っているが。
『お館様、拙者はこんなにお菓子は食べられないのですが……』と、困惑している状態であった。
うちはまだ小所帯なのに、注目度の関係で贈り物が大量に集まっている弊害とも言えよう。
「思っていたよりも安いですね」
「生地の産地だと、このくらいのお値段ですから」
値段は、大体相場を知っているエリーゼが安目に付けていて、ほぼ仕入れ原価なので同じく飛ぶように売れていた。
購入者は女性ばかりで、みんな自分や家族の分の服を自作するからだ。
加えて、裁縫道具なども良く売れていた。
「(あれ? 塩は魔法で精製してほぼ無料。砂糖も同じ。残りの物も、ほぼ全て貰い物。それを、相場の値段で売ると?)」
正解は、ほぼ全額が利益という結果になってしまう。
経費は、贈り主へのお返しの費用くらいであろうか?
「お母さん、お菓子買って!」
「はいはい」
「私は、絵本が欲しい」
「聞いた事が無い話だな。買うか」
外地とさほど値段が違わない様々な品が、飛ぶように売れて行く。
売れ残っても構わないなどと言ったが、逆にまだ在庫はあるかと聞かれ、魔法の袋から追加で取り出しているくらいだ。
「エベンス、その弓矢のセットを買うのか?」
「当たり前だ。やっぱり、プロの職人が作った品だな。自作だと限度があるわ。インゴルフはどうするんだ?」
「当然、買いだ。これで、ホロホロ鳥を毎日狩るんだ」
「無理じゃないのか? 主に、腕の問題で」
「五月蝿いわ! お前だって、俺と大して腕前なんて変わらないだろうが!」
領内の猟師達は、こぞって王都の職人が作った弓矢を購入しているようだ。
領内にも鍛冶屋や職人はいるのだが、鍛冶屋は釘や包丁や農機具などをメインに作る程度。
職人も、普段の生活必需品に、剣や鎧の修理が精々で。
弓矢も自作していたが、やはり王都やブライヒブルクの一流の職人達に比べると腕は落ちる。
これが現実であったのだ。
「(この領内の職人は、悪い意味で独占企業だからな)」
競争相手がいないので、出来が悪くても売れてしまうのが良くないようだ。
外部から、新しい技術が入り難いという点も大きかった。
「いやあ、大盛況ですな」
何を出しても次々と売れていく情況に、クラウスも笑みを浮かべていた。
毎回こんなに売れるはずもないが、初めてこんなに色々な物が買えるという情況に、領民達のサイフの紐も緩んでいるのであろう。
「最初だからだな」
「そうですな。次回からは、もう少し小商いになるでしょうが。ところで……」
続けてクラウスは、商品と領民達が持参する換金物との物々交換や、買い取りの要請までしてくる。
彼の魂胆はわかる。
このまま俺達だけが物を売っても、それは領内からの財貨の流失しか招かない。
俺達が、商隊では輸送コストの関係で断られた品を買い取るようになれば、それは経済の循環を生む。
領民達も、自分達で何か現金になる産物を探し始めるはずだ。
「ヘルマン様、分家ですとハチミツ酒は売れると思いますよ」
あの酒に五月蝿いブランタークさんが気に入った物なので、ブランド化すれば結構な値段で売れるはずだと。
確かに、俺もそうは思っていた。
というか、クラウスは商売にも詳しいようだ。
内心はともかく、この男は優秀だと認めざるを得ない。
「マルレーネが喜びそうだな」
代々従士長を務める分家なので、やはり現金の貯えは欲しいところだ。
それが自家製のハチミツ酒で得られるのであれば、本家よりも有利に金を貯められる。
そんなところであろうか?
「クルトから、税金を請求されたりして」
「まさか、家臣から税金を取るなんて話、聞いた事が無いですよ」
とは言ったが、まるで否定できないのが恐ろしい話でもあった。
ヘルマン兄さんも、あのクルトならやりかねないと思っているのであろう。
「さすがに、それはお諌めいたしますけど」
乾いた笑顔を浮かべながらそんな事を言うクラウスを見て、俺は、『クルトは、クラウスに相当舐められているんだろうな』と感じてしまう。
だが、全く同情はしていない。
次期当主が名主に舐められるなんて、ただの愚か者でしかないからだ。
「そろそろ夕食の時間だから、終わりにするか」
だが、結局暗くなるまで領民達はバザーの会場から離れず、それから二時間あまりも商売に勤しむ事になってしまうのであった。
「凄え売り上げだな」
「その凄え売り上げを上げるために、みんな大忙しだったんですけどね。ところで、ブランタークさんは何処に?」
「軽く、散歩」
「まあ、良いですけどね」
分家での夕食後、俺達は今日泊る部屋で今日の売り上げをカウントする作業を行っていた。
部屋割りは、男性部屋と女性部屋で三人ずつであったが、今は勘定のために全員が男性部屋に集合している。
「あーーーん、銅貨が多い」
「ルイーゼ、地道に数えなさい」
真面目なイーナはこの手の作業をあまり苦としないが、ルイーゼは生来の性格上、この手の作業に苦痛しか感じなかった。
能力は十分にあるのだが、根気が長続きしないのだ。
「ブライヒブルクの商業ギルドで数えて貰わない?」
「それをすると、手間賃を取られるでしょう」
この世界には、大量の財貨を数える機械などない。
なので、商業ギルドに持っていけば、手間賃を取られるのが普通であった。
数える人間には人件費がかかるのだから、当然なのだ。
「エリーゼは、静かに数えているでしょう」
「こういう分野でも、完璧超人なのか」
エリーゼは、静かに銅貨を十枚ずつ纏めて置く作業を繰り返していた。
「たまに、こういう地味な作業に没頭すると落ち着きますよ」
「ボクは、落ち着かないから。『あーーーっ!』ってなる」
「せっかく数えた銅貨をぶちまけないでね」
「しないよ。責任取らされて、一人で数え直す羽目になるし」
勿論、男性陣もチマチマと銅貨を数える作業に没頭していた。
やはり領民達が支払った物なので、大半は銅貨や銅板となっている。
ここ数年、感覚がおかしくなっていたのだが、そう簡単に金貨など流通しないものなのだ。
「ブランタークさん、手元が狂いません?」
「大丈夫だ」
ブランタークさんは、昼間に購入したハチミツ酒をチビチビとやりながら銅貨を数えている。
だが意外にも、手元は狂っていないようだ。
「それで、クルトはどうでした?」
「大人しくしてたよ」
俺達の付き添い役兼護衛も兼ねたブランタークさんが、バザー中に姿を見せなかった理由。
それは、クルトの動きを監視していたからだ。
「途中で、変な連中が何か言い付けに来たけど」
多分、本村落出身で変化を嫌う連中に、バザーで売っていた品から鍛冶屋や職人達が来たのかもしれない。
「鍛冶屋に職人?」
「腕が悪いから、外部から品物が入るとピンチですからね」
井の中の蛙で、独占企業である事に胡坐をかいてきたのだから当然であろう。
俺も、初めてブライヒブルクの職人街で商品を見た時に、実家の屋敷に置いてある生活用品とのレベルの違いに驚いたものだ。
その代わりに、ある程度は作れる物の幅が広いわけだが。
何でも作れるというわけでもなく、品質の悪さを補強する利点にはあまりなっていなかったようだ。
なぜ、全く期待していなかった生活雑貨などが飛ぶように売れたのかが、良くわかるという物だ。
「ふぅ……。計算が終わった……」
ようやく売り上げの計算が終わったが、その額はとんでもない事になっていた。
「八十一万二千五百六十七セントかぁ……」
日本円にして、八千万円以上である。
とても、バザーの売り上げとは思えなかった。
「何で、こんな売り上げになるんだ?」
「領民がほぼ全員参加したとして、売り上げ単価は子供も含めて一人頭千セント以上か……」
あまりの額にエルは首を捻っていたが、別段おかしい事ではない。
確かに、この村の平均現金収入は少ない。
だが、逆に使う機会も少ないので、彼らは現金を貯め込んではいた。
長い家だと、数十年単位でコツコツと金を貯めていたはずだ。
「一人頭千セントで、四人家族として平均四千セントの買い物。しかも、商隊以外から初めて自由に買い物できたわけだ」
当然、サイフの紐も緩むというわけだ。
臨時のバザーなので、二度と手に入らないかもという心理も影響していたのであろう。
「別に、貧しくないじゃん」
「いや、貧しいな」
余剰の麦や、森で採取可能な一部の産物を商隊に売らないと現金収入が無いのだ。
塩を買う以外に、ほとんど使い道が無いので貯まってはいるが、使う機会が存在しない。
社会が、極めて原始的な部分で止まっているとも言える。
「さっき、この家の子供達にお駄賃を渡そうとしたよな」
バザーを手伝ってくれたので、そのお礼にお駄賃を渡そうとしたのだが、予想外の結果になってしまう。
「そういえば、現金を渡したらキョトンだったな」
ブライヒブルクの子供達なら、喜んで商業街に何かを買いに行くはずだ。
ところが、この領地の子供達はそれが出来ない。
お金を渡しても使えないから、全然ありがたがらないのだ。
結局、お菓子や玩具などの現物支給で渡す羽目になっていた。
「何か、予想以上に深刻じゃないか?」
「ああ」
エルの言う通りで、ただ貧しいとかそういうレベルを逸脱しているのだ。
自分の実家も田舎で貧しいが、ここまで外の世界と隔絶しているわけでもないので、そう感じてしまうのであろう。
父もクルトも、貴族は万が一の事を考えて金を貯めるという行為を実践している。
領民達も、使わないお金は律儀に貯めている。
でなければ、今日のように買い物など出来るはずはなかった。
「貨幣経済を理解していないわけでもないし、塩などは買っているので買い物はする。相場とかも、普通に気にしている」
俺達が並べた商品の値段を見て、輸送費分高くなっていない事に気が付いていた。
それなのに、彼らはヘルムート王国の経済の輪に入れていないのだ。
「お金が循環していないのが致命的か」
商隊が来ないと、領内での僅かなお金のやり取りだけ。
今日だって、俺に一方的にお金を支払っただけだ。
多分、父やクルトはこの現実に違和感を感じていない。
領主なのにと言いたくなるが、生まれた頃からこうなので仕方が無いとも言える。
領民達は、その不満を不便さという物で感じている。
だが、それを理由に、父からクルトへの継承にケチを付けるまでには行っていない。
遠征の件はあるが、別に飢えているわけでもないからだ。
「むしろ、内部の人間なのに。それに気が付いているクラウスさんが……」
「そうですね。私がどこかおかしいのでしょうね。このバウマイスター領の常識でいいますと」
「クラウスか」
エリーゼの発言に呼応するように入って来たクラウスであったが、その表情には先ほどと同じく乾いた笑みが浮かんでいるのであった。
「私はね。若い頃に、買い出しや従軍で外に出た事があるんです」
いきなり入って来たので驚いてしまったが、別に物凄く都合の悪い密談でもしていたわけではない。
更に、普段は怪しさ一杯のクラウスが話を始めたので、みんな静かに聞き入ってしまう。
俺は、実家にいた頃にあまり領内の人と話をした経験がなかった。
一番話をしたのがエーリッヒ兄さんで、次がアマーリエ義姉さんであった部分でお察しであろう。
領民達となんて、精々狩りの成果を大豆を交換した時に少し話をしたくらいであった。
正直、今日初めて物を売りながら彼らの生活を少し実感したほどだ。
以前の俺は、知識としては知っていたが、ただそれだけの状態とも言えたのだから。
「従軍? ここからか?」
「あれは、たまたまなんでしょうね」
今から四十年以上も前。
まだクラウスが、二十歳くらいの頃であったそうだ。
「私は、実は次男でしてね。名主の仕事は兄貴が継ぐから、お前は体を動かせと言われまして」
同じ農家や職人の次男や三男と共に、荷台に売れる領内の産物を載せ、山道をひたすら歩いてブライヒブルクへと移動。
向こうで産物を売り捌き、その金で塩を購入してまた荷台に載せ、また山道を歩いてバウマイスター領まで戻る。
そんな生活サイクルを、年に三回もしていたそうだ。
「あの山道で馬車なんて使えません。どのみち、馬を引くと飛竜や狼を呼び寄せますしね。十代半ばから二十代前半で領内に居たのは四分の一くらいです。居ても、休みどころか農作業で扱き使われるんですけど」
次男なので、領内では使い捨て扱い。
ブライヒブルクに苦労して到着しても、この領内で金に出来る産物は少ない。
おかげで、塩をなるべく多く荷駄に積むために苦労の連続だったそうだ。
「昔は、領の外れにある赤石まで積んで持って行きました」
「あの低品質の鉄鉱石をか?」
赤石の存在は、俺も知っている。
要するに、鉄の成分が錆びて赤くなっている鉄鉱石の事だ。
余分に炭を使って還元しないと駄目なので、大した値で売れない物であった。
「買い叩かれましたね。それでも、私達の体力だけで金になりましたし」
とにかく夢も希望も無い、絶望しかない生活だったそうだ。
何で、こんな場所に生まれてしまったのかと。
「みんなで、ブライヒブルクに到着したら逃げようって良く相談していましたね。実際には、逃げ出さなかったんですけど」
どうしても家族の顔が浮かんでしまい、出来なかったそうだ。
「山道の途中で、死んでしまうのがいましたね。狼に襲われて、その傷から破傷風になってしまったり。足を踏み外して、大怪我をしたり。治療しても助からないから、遺髪だけ取って置いて行くんです。すると、そいつが頼むんです。殺して行ってくれと。私が止めを刺しました。そいつは、感謝していましたよ。自分を殺す私にです。ああ、話が逸れましたね……」
ちょうどブライヒブルクで塩の調達をしていた時に、突然ブライヒレーダー辺境伯家の遣いが来たそうだ。
「東部との境界で、寄り子達が揉めているという恒例行事ですね。うちが従軍した試しは無いんですけど、先々代が『一度くらいは』と以前から言っていまして」
それを知っていた先々代のブライヒレーダー辺境伯が、ちょうどクラウス達が街に居たので、彼らで良かろうと声をかけたそうだ。
名主の息子で一番身分が高かったクラウスを臨時の従士長とし、合計六名のバウマイスター諸侯軍がハリボテのように誕生したそうだ。
「剣も槍も鎧も、全部借り物です。馬も食料もね」
その馬も、農耕馬の扱いならともかく、騎乗可能なのはクラウスだけ。
どうせ一頭しかレンタルされなかったので、クラウスが騎乗したそうだが。
「ブライヒレーダー辺境伯様としては、バウマイスター諸侯軍が参陣した事実のみが重要だったのでしょう」
言われるままに東部との境界に移動し、向こうの軍勢と対峙した。
だが、所詮は小領主同士の猫の額ほどの土地の争いや、森で取れる山菜や薪の分配率の争いである。
真面目に衝突すれば、足が出てしまう。
死者や怪我人に、領主が見舞い金を出すのが普通だからだ。
「『この利権は俺の物だ!』とアピールするのが目的ですからね。逆に何もしないと、向こうの主張を全面的に認めた事になるわけでして」
何もしないわけにはいかないが、実際に衝突するのも勘弁して欲しい。
色々と面倒な事情があるようだ。
それと、アピール合戦が盛り上がると、たまに衝突なども発生する。
「死人を出さないように、訓練用の武器で馬から落したら勝ちとかですね」
それでも、たまに死人は発生するようであったが。
「ですが人間ですので、たまに感情が沸騰して本格的な衝突になる事もあるのです」
原因は結局不明であったが、クラウスが参軍した時には本格的な衝突が発生してしまったらしい。
「双方、総大将が懸命に止めたんですけどね。それでも、百人ほどは死にましたか」
クラウスは、迫り来る敵の軍勢に向けて全力で槍を突き出したそうだ。
緊張し過ぎて、あとは何をしていたのか今でも思い出せないそうだが。
「名主の次男なんで、一応訓練はしていましてね。果たして、実際の戦争で何ほど役に立つのか不明でしたけど」
それでも、数名を討ち倒してブライヒレーダー辺境伯から感状と褒美を貰ったそうだ。
自分は覚えていなかったが、ブライヒレーダー諸侯軍の偉い人が目撃していたらしい。
「一応、褒賞の対象になったわけです」
戦闘の拡大は困るが、実際に戦果を挙げた者は賞賛して褒美を出すのが、貴族としては当然。
討ち倒したとは言っても、彼らが死んだのかは不明だとしてもだ。
むしろ、死んでいない方が良かったりするらしい。
「貰った褒美で、塩を増やして少し他の土産も増やしました。ですが……」
領地に戻ると、クラウスは先々代の当主や父や兄から叱責されたらしい。
「原因は、私が目立ち過ぎたからですね。こちらは命がけだったのに、酷い言い方ですよ」
田舎の保守的な領地なので、出る杭は打たれるという実例とも言えた。
いつもよりも塩を多め持ち帰ったのに、そんな叱責を受けて堪らなかったそうだ。
「そんな事があっても、生活はそうは変わりません。数年後に、兄が病死するまでは……」
その長男には子が無く、急遽次男のクラウスが呼び戻されて名主を継いだそうだ。
父親も、同じ病気で今にも死にそうであったからだ。
「名主なんてという想いと、もう苦しい思いをして荷駄を引かなくても良いのだという想いと。複雑でしたね」
同時に仲間達の中で、自分だけがあの境遇から抜け出せる事への罪悪感と。
それでも、名主になった自分には何か出来る事があるはず。
時間はかかったが、まずは領内に定期的に商隊に来て貰えるようにと奔走したそうだ。
「先々代には、『荷駄を引く連中に任せれば良かろう』で取り合って貰えませんでした。先代になってようやくですよ」
年に二回、定期的に商隊が来るようになって塩を買いに行く苦労から開放された。
その時に、嬉しそうにしていた領民達の顔を忘れられないのだそうだ。
「先々代からすれば、私達は喋る荷駄馬程度の存在だったのでしょうね」
先代は、もう少し物分りが良かった。
というよりも、自分達で塩を運び込んでいると、どうしても村の人口が四百人から増えなかったので、常識があればそう判断する。
そういう事のようだ。
か細いながらも、何とか定期的に商隊が来るようになり、クラウスは名主としての仕事に集中できるようになった。
徐々に人口が増え、それに比例して畑も広がっていく。
「ささやかな発展ですが、それでも未来はあったのです」
だが、ここでクラウスをある不幸が襲ったようだ。
「ヴェンデリン様は知ってしましたか? レイラには、昔婚約者がいた事を。その兄で、私の跡取り息子が居た事を」
その日の事は、今でも良く覚えているそうだ。
父の命令で、レイラの婚約者である青年と、クラウスの跡取りである息子は狩猟のお供をしたそうだ。
「二人は、幼馴染で同じ歳で親しかった。協力して、この家を支えてくれると思っていた」
そこで、不可解な事件が発生する。
危険なので領民なら誰も行かない崖から、その二人が転落して死んだと言うのだ。
「アルトゥル様は、獲物を追って二人が崖から落ちたと」
「……」
正直なところ、本当にそんな事件があったのか疑わしいくらいだ。
だが、それを証明する人物が現れる。
「俺は覚えている。当時、八歳だったからな」
「ヘルマン兄さん」
今度は、ヘルマン兄さんが部屋に入って来る。
そして、その事件は本当にあったのだと証明していた。
「ヘルマン兄さん、その事件って……」
「親父は、事故だと口を酸っぱくするほど言っていたな。領内でも緘口令を敷いていた」
その緘口令の意味がわからない。
都合の悪い真相があるので、外野は黙っていろと言う事なのか?
それとも純粋に、こんな狭い田舎で噂が先行して騒動になるのもと言う事なのか?
「ヴェルが生まれる頃には、口にするのもタブーになっていたんだよ。内心思う事もあるが、領主である親父の言う事だからな……」
「……」
あまりに怪し過ぎる話に、ブランタークさんですら黙ってしまったほどだ。
「それで、真相は?」
「調べましたけどね。答えには、辿り着きませんでした」
そのクラウスが行った極秘調査で判明した事は、実は狩猟で森に入った父達三人に続き、なぜか本村落の連中が数名、あとを追うように森に入って行ったという事。
「彼らは森に採集に入ったので、アルトゥル様達とは合流しなかったそうです。息子達が崖から落ちて、アルトゥル様から救援を求める声を聞くまでは」
「坊主は、どう思う?」
「二人同時なのが怪しいですね」
レイラの婚約者のみか、クラウスの息子のみか。
一人だけなら、純粋な事故という可能性が強くなるような気がするのだ。
だが、それだと父の利益にならない。
二人同時に死なないと駄目なのだ。
そして、それは現実の物となった。
疑わしきは、最大の利益享受者というやつである。
「クラウスは、父を疑っているのか?」
「疑っています」
クラウスが、ハッキリと父を疑っていると発言したので、俺達は絶句してしまう。
今までのクラウスは、何か企みながらもどこか自分を安全圏に置く男であったからだ。
それなのに、今は堂々と父を非難しているのだから。
俺達から、父に漏れるリスクまで犯して。
「アルトゥル様は、レイラの婚約者の葬儀が終わると私を呼んでこう言いました」
『レイラを、妾として寄越すように。私が頼んだのを妻や周囲に知られると面倒なので、クラウスが差し出した事にしてくれ』とね。
クラウスは、泣く泣く父の言う通りにしたそうだ。
結果、他の村落の名主達から、『娘を差し出して、徴税業務の一切を取り仕切るようになった汚い奴』という評価を受けるようになったそうだが。
「いや、だが父は……」
「こう言っては何ですが、アルトゥル様の女好きは病気ですから」
「知らなかった……」
本村落の主である自分が、他の村落の名主達に嫌われている理由。
それは、他にも手を出している女性がいて、その後始末をクラウスが行っていたからだ。
「他の村落の名主達とて、口は噤むのが当然でしょう。好き好んで、私の息子やレイラの婚約者のようになりたくはない。結果、後始末の交渉に来た私を嫌う事で精神の均衡を保つ。理解できるから、勝手に嫌われていますが」
中には、妊娠してしまった女性も多いそうだ。
当然、その子は継承問題をややこしくする可能性がある。
幸い、主に手を出していたのは人妻ばかりで、生まれた子は次男以下が多く。
適当な理由を付けて、全員を領外に出してしまったそうだが。
「レイラの件は、あれは村内でも美人で有名でしたからな。さぞや欲しかったのでしょう。同時に、あの方は貴族ですからね。私の息子と。息子が死んでも、レイラの婿がいれば私の家に自分の子を送り込めないと考えた。さて、どちらの判断が先に出たのか?」
クラウスの娘を妾にして子を生ませ、その子に名主の家を継がせてバウマイスター家の地盤を強化する。
策としては理解できるが、そのためにわざわざ二人も罪の無い若者を殺す事はないはずだ。
「あの父に、そこまでする度胸があるのか?」
「クルト様の継承に拘って、領内の安定に寄与する。そういう冷静な部分と、好みの女性がいると手を出さずにはいられない。そういう獣も飼っているのです。あの方は」
信じ難い話ではあったが、実は否定する証拠を俺は持ち合わせていなかった。
うちは貧乏子沢山であったし、俺は母が四十歳近くになって生まれた子だ。
それと父の行動であったが、俺は全く把握していなかった。
俺は、昼間は森や未開地に出かけてしまっていたし、夜は自分の部屋に篭っていたから、父が仕事以外で日中や夜中に何をしているのかなど全く知らなかったからだ。
「だから、憎んでいると? 決定的な証拠も無しにか?」
「私とて、感情に左右される人間ですから。私は、アルトゥル様が有罪だと信じているのです」
「だから、バウマイスター家の力を殺いだと?」
「はい」
ヘルマン兄さんの件も、エーリッヒ兄さんの件も。
長男であるクルト継承に波紋は投げかけた。
だが、決定的な衝突があったわけではない。
ヘルマン兄さんは、父が分家に婿に出した。
エーリッヒ兄さんも、彼自身が危険に気が付いて家を出た。
他の兄達も、一人も家臣にならずに家を出ている。
残ったヘルマン兄さんが婿入りした分家は、元から反本家を隠そうともしない家で、ヘルマン兄さん自身もそれに同調している。
結果、残ったのは微妙なクルトのみという事になる。
だが、彼は長男なので、誰もおかしいとは思わないのだ。
「クラウス。お前、ヘルマン兄さんの前でそれを言うのか?」
「悪いとは思っています。ですが、あのまま実家に残って良い事がありましたか?」
「いや、無いな」
クルトに子供が生まれるまで、結婚も出来ずに予備の部屋住み生活。
それが終わっても、薄給で扱き使われるだけであろう。
「クラウス、俺が我慢できなくなって領地から出る可能性も考慮済みか」
「はい」
「うーーーん。それはそれで、気楽で良かったかも」
「ヘルマン兄さん……」
「嘘だよ。この家は、マルレーネ姉御が取り仕切っているけどな。二人きりになると、結構甘えてきて可愛いんだぜ」
「いや、そんなノロケを聞かされても……」
マルレーネ義姉さんには、俗に言うツンデレ属性があるようだ。
「エーリッヒ兄さんの件もだ。なぜ、エーリッヒ兄さんまで危険に曝す!」
「それについても、申し訳ないとしか。ですが、あの方も外に出た方が良かったのでは?」
確かに、クルトにエーリッヒ兄さんを家臣として使いこなす度量が無いのも事実だ。
次第に、エーリッヒ兄さんが頭角を現して領民達に慕われるようになると、またクラウスの息子達のような事件が起きないとは、少なくとも俺には保障できなかった。
「アルトゥル様なら使えるでしょうが、あの方には時間が無い。年齢が年齢ですし」
父の死後にクルトが跡を継げば、結局エーリッヒ兄さんの危険度は同じという事だ。
「ほう、恨み骨髄の現当主様をえらく評価するな」
「人格と、領主としての才能は別でしょう。アルトゥル様は、先代よりも少し劣るくらいですかね? 女癖のせいで、総合点はもう少し低いですか」
ブランタークさんの半分嫌味の篭った発言に、クラウスは更に毒まで込めて反撃していた。
己の主人に採点など、下手をすれば大問題なのだから。
「ちなみに、あのアンポンタン次期領主はどうなんだ?」
「ブランターク様、私は木の幹の評価をしているのです。あんな、小汚い枯れた葉の付いた枝の評価なんてしませんので」
「言うな、あんた。しかも、反論の余地すらない」
ブランタークさんも、クラウスも。
クルトは、領主として論ずる以前の人間らしい。
「これ以上は、聞くに耐えんな。それで、なぜ俺に全てを話す?」
「決まっております。ヴェンデリン様が領主になり、未開地の開発も含めて行えば良い」
やはりクラウスは、俺にこの領地を継いで欲しいようだ。
「俺は、別家の当主なんだがな」
「そんな建て前、王都におわす陛下や大貴族様達が気にするでしょうか?」
「するだろう」
その気になれば強引に事を進めそうだが、ここは意地でも認めたくなかったのだ。
「ヴェンデリン様がそう仰るのであれば、そうなのでしょう。と言う事にしておきます」
「それに、俺はあの父の息子だ」
クラウスの言う父の所業が事実なのかは知らなかったが、少なくともクラウスはそう思っているわけで。
そのせいで憎んでいる父の息子である俺に、何を期待しているのかと思ってしまうのだ。
「親の罪は、子には及びませんので。それに、ヴェンデリン様はもう別家の当主様です」
クラウスの口調から、次第に彼の真意が理解できた。
彼はこの領地が発展さえすれば、そこの領主がバウマイスター騎士爵家で無くても構わないのであろう。
いや、むしろ違う方が望ましいのだと。
そしてそのために、長期間あんなまどろっこしい策で父やクルトを翻弄して来た。
それが、クラウスという男の行動原理であったのだ。
「あの、大怪我をしたヨーナスの首をナイフで切り裂いた時から、私は喋る荷駄馬以下の存在になりました。従軍後の叱責や、レイラの婚約者や息子の件で。バウマイスター家の当主も、扱い的には同じ気持ちですね。ただ、名主としての義務で私は動いています。ですから、ヴェンデリン様がアルトゥル様にこの件を告げ口しても構いませんよ。私は、恨みません。なぜから、私は喋る荷駄馬以下の存在ですから」
その言葉を最後に、クラウスは自宅へと戻っていく。
あとには、どう判断して良いものかわからない俺達が残されていた。
「事実なら、嫌な話だな」
「ヘルマン兄さん」
「知らん! 親父の悪癖の話なんて、今知ったんだから」
というか、良く今まで子供達に隠し通せたものだ。
それだけ、後処理を任されていたクラウスが優秀であったという事なのだろうか?
俺の場合は、父の行動に興味など無かったので気が付かなかったのも当然なのだが。
「事実なのでしょうか?」
「オフクロは知っているのかな?」
「知っていても、俺達に話せる内容じゃないですよね?」
特に、未成年前であった俺には絶対に言えなかったはずだ。
それよりも、クルトの嫁であるアマーリエ義姉さんに手でも出していないかと心配になってしまう。
あの子供達も、実は父親が父なのではないと。
考えれば考えるほど、ドツボに嵌るという奴だ。
「ヘルマン兄さん、クルトは気が付いては……」
「あのエーリッヒですら気が付いていないんだぞ。クルト兄貴には無理だろう」
確かに、クルトにそんな機微を期待するだけ無駄であろう。
「とにかく、明日はさっさと魔の森で浄化して戻って来ますから」
「頼む。肝心のクルト兄貴がまるで頼りにならないどころか、足を引っ張りかねん」
「あとは、クラウスですか……」
あそこまで暴露したクラウスが、父と刺し違える可能性だってあるのだ。
それを考えると、俺も早く戻って来る必要があるであろう。
好むと好まざると、俺達はもう巻き込まれているのだから。
「最悪、ヘルマン兄さんは生き残らないと」
「当然だ。もしクラウスが暴走しても、まず親父達まで手が回らん。そもそもうちが、本家のために手助けなんてしない。親父の悪行が事実なら、自分で何とかして貰わないと」
俺とて、今の時点で父やクルトを助ける気持ちが全く沸いてこなかった。
最悪、母や、アマーリエ義姉さんとその子供達だけでも助けないととしか考えられなかったのだ。
「もう寝ます」
「十分に寝て、依頼を失敗しないでくれよ。絶対に戻って来てくれ」
「わかりました」
クルトとの確執に、急遽行ったバザーに、クラウスからの衝撃の告白と。
ようやく長い一日が終わり、俺達はそのまま泥のように眠ってしまうのであった。
明日からの、不確定な危険に備えるために。